素顔(中編)
——自分は自分にしかなれない。いかに理想に近づけるか。
考えたことなどなかった。私は、自分を持っていなかった。そう思っていた。結局私はあの女からちぎれた肉の塊。私は私を手に入れるため、殺し続けた。殺さないと、自分はなくなってしまうから。自分が、消え去ってしまうから……。
放たれた光弾は、まっすぐにこちらへ進んでいる。この光弾に当たれば、私は解放される。あの女から逃げ続け、自分を保ち続ける日々から解放される。そう、楽になれる。だから……
……何だろう。
急に、私の中に何かが浮かび上がってきた。
それは、『恐怖』だった。自分が消える瞬間に感じる恐怖。こんな状況で、自ら身を投げたというのに、これでも恐怖が働くのか。
……違う。
この恐怖は、いつもよりも強力だった。自分以外から自分を消される時の恐怖だけではない。もっと奥深くから、まるで自分自身を自分で壊すような、そんな恐怖。
……このまま、消えていいのか?
自分に問う。このまま、解放されていいのか? 逃げていいのか? なぜか、この時は“逃げる”方が遥かに怖かった。結局自分は自分を維持できない。その事実を受け入れるようで。
……いや、…………いや、……だ……!
ドオオオオォォォォォンッ!
青白色の閃光が辺りを満たし、衝撃波と爆風が辺りを粉砕する。巻き起こされた土煙は、青白色の光を乱反射させている。爆発の威力が高かったので、しばらく煙は退きそうにない。
——お前は、どうしてお前なのだ?
魔導士が残した最後の質問。魔導士の殺害を終えた叡持は、その質問に対する答えを探ろうとしていた。
自分の定義は何なのだろうか。意思を決定する者のことか? では、それはどこにある? 質問に答えようにも、不明瞭な部分が多いので答えを定めることはおろか、質問の内容を定めることさえ出来ない。
魔導士は、一体何に悩んでいたのだろうか? なぜ、あのような質問をしたのだろうか? 故人に質問することは出来ないので、勝手に頭の中で想像する叡持。同時に、叡持は自分のことを思い返した。
魔法のない世界で生まれ、中身のないような生活を営んでいたこと。恐怖に打ち勝ち、天文学的確率のチャンスを掴んだこと。そして、大きな代償を背負ったこと。
この魔導士は、恐らくこの世界出身だろう。どのような境遇で育ったのかは知らないが、自分に比べれば恵まれているほうだろう。
「……ここまでいい世界に生まれておきながら、なぜここまで悩むのでしょうか。有り得ないものを求め続ける虚しさを、あの方は感じたことがあるのでしょうか……」
「え……?」
今、確かに“虚しさ”と言った。あの冷たい魔法使いが。何かが欠落している魔法使いに、一瞬だけ“血”が通った気がした。生き物の、心を持つものの“資格”を、一瞬だけ回復したように思えた。ハヤテは安心した。この魔法使いの、こんな一面を覗いたことで。
「……叡持殿だってこうなるんですよ? 世の中で生きるすべての者が、悩んで当たり前——」
『おい叡持、ハヤテ! のんきに会話してる場合じゃないぜ! 今、観測データが送られてきた。……魔導士の奴、生きてるぜ!』
通信用魔術から、シオリの慌てた声が届いた。叡持とハヤテは慌てて煙の方向を向いた。じっと見ていると、少しずつ煙が退いていく。
そしてその中から、黒い塊が浮かび上がってきた。その塊は少しずつ形を変え、解かれていく。
「……あ」
その塊は、竜の亡霊だった。先ほどまでの力はないが、それでも攻撃から護るのには十分だった。
そ……、そんな……。
母さんを……、休ませることが、出来なかった。あんな強い攻撃だったのに、母さんは、ずっと、囚われたままだった…………。
「結局、私は生き続けるのも、消えるのも怖い。どちらも出来ず、ただ命を奪い続ける存在なのだ」
消えていく煙の中から、か弱い声が聞こえた。しかし、聞き覚えのある声ではない。これは、少女の声だ。魔術によって潰された声ではなく、生まれたままの、自然な声だった。
「この声は一体……」
何かに引っ張られるように、叡持はハヤテの隣を離れた。叡持が向かうのは、まだ煙が残るエリア。魔導士がいる可能性がある場所の、すぐ近くだった。
タン、っと着地し、叡持は凝視した。その方向には、影がある。煙の中に浮かび上がる影。竜の形にまとまった黒い煙に護られた、淡い影だった。
煙が退いていくことで、少しずつ魔導士の影がはっきりとしたものになっていく。叡持は、あの影が濃くなっていくほどに、胸の鼓動が強くなってくことに気が付いた。それは、未知と接触する時の興奮に似ていた。
今まで見えなかったものが見える。自分の知見が広がっていく興奮に似ている。しかし、何かが違う。原因不明の動悸に、初め叡持は疑問を持った。だが、その疑問も、目の前の興味深いものの前に、いつしか消滅していた。
煙が薄くなり、魔導士の姿が完全に実態を帯びた。そして、その時の魔導士の顔は、叡持の平常心を一瞬にして爆散させた。
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