ファーストコンタクト(後編)
これが大賢人か……。
ハヤテは、複雑な魔法陣を大量に表示し、複雑に操作する叡持を眺めていた。
新川叡持には、「大賢人」という二つ名がある。かつて、まだこんなひっそりとした生活をする前に、どこかからもらった称号らし。彼自身は名誉に興味はないが、この名前は気に入っているとのこと。
ハヤテは視線を移した。その先にいるのは、あの時の男。
俺を殺そうとした、底辺のクズ野郎。叡持から力をもらい、好きなように暴れまわった男。そして、今はその付けを払っている。
同情の余地はない。むしろいい気味だと思っている。俺を殺そうとして、今、破滅しようとしている。
だが、目の前には何がある?
一度、今までの経験や記憶をリセットしたとして、目の前のものはどう映る?
「はぁ、はぁ……、ごぼっ、はあ、ぶはあっ、ああ……」
そこにいるのは、苦しむ男性。得体のしれない液体をまき散らし、黒い煙に包まれ、本当に苦しそうにしている男性がいる。
「……なんだよ、なんだよお、ごぼっ、……俺はただ、かっこいい冒険者になりたかっただけなのに……。どこで、間違い……ぼええっ……、うう……」
なぜか知らないが、心が苦しい。
………………
「おおお……」
未知の感触に、叡持は言葉をこぼした。あらゆる方法を試してみたが、ことごとく無効だった。この煙は、間違いなく自分が見たことのないもの。自分が初めて接触する、本当に未知の存在。
「んん?」
黒い煙の動きが、少し変わった。男に入っていこうとしていた煙が、だんだんと男の外に出ていく。その煙が少しずつ集まり続ける。そして……。
ビュンッ!
煙が弾丸となり、猛烈な勢いで叡持へ突撃していく。
「叡持殿!」
ハヤテが思わず声を上げた。
『心配するな。奴は“大賢人”だ』
「……へ?」
カアアアァァァァァァァァッ!
突然叡持が強烈な光を発した。何か、神聖なオーラを感じる、強いが暖かい光。
「な、何ですかあれ?」
『分からん』
「へ?」
『ちょっと待ってろ』
「え? と、棟梁⁉」
シオリは一度ハヤテとの通信を切り、叡持との通信を開いた。
『叡持、この魔術は一体なんだ?』
「これですか? ただのカウンタースペクトルです。この煙の正体が全く分からなかったので、とりあえずこの煙の魔術スペクトルを打ち消すような魔術を発動しています」
『ということは、かなり大量のデータを取ることは出来たんだな?』
「はい。量が多すぎるので、詳しくは帰ってからにします。しっかりと分析しなければ……ん?」
もくもくもくっと煙が動き始めた。
なぜだ? あの煙の魔力は打ち消しているはずだ。それなのになぜ……。
「シオリさん、今の計測魔術より、もっとスペクトルのバンドが広いのはありますか?」
『……いや、ないと思うぜ。ってか、叡持が開発してないと、そんなのないだろ?』
「そうですよね。なら……」
叡持は虫の居所が悪そうな声を発しながら、静かに杖を構えた。
「ぶはっ、ああ、ああ……、ばはあっ、ああ」
男はずっと廃液を吐き続けている。
「誰か、誰かああ、……助け……、て——」
「大変残念ですが」
ドオォォォォォォンッ!
轟音が鳴り響く。青白色の閃光が、静かな路地裏を一瞬照らした。
閃光が止んだ時、そこに男はいなかった。そして、煙も、消えていた。
「……シオリさん、被検体の処分が完了しました」
『そ……、そうか。……そうだ叡持、あの煙は?』
「被検体を爆破したと同時に、反応が消えました。恐らく、あの男がいないと存在出来ないのでしょう」
叡持はどこか悲しそうな声を発しながら、暗い路地裏を離れ、ハヤテの下へ戻った。
戻ってくる叡持を見ながら、ハヤテは考えていた。
目の前で、一人の人間が、消えた。
さっきまで生きていた人間が、跡形もなく消えた。苦しんでいた人間を介錯してあげた、と考えればまだ気持ちは楽だろうか。
いくら被検体とはいえ、生身の人間、それも苦しそうな人間を殺したのだ。どこか、精神的なショックを受けていてもおかしくない。心配したハヤテは、刺激しないように、そっと叡持に話しかけることにした。
「あ、あの……。叡持殿……? 大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょう」
冷たいが、やや暗さを感じる声が、彼の口元から聞こえてきた。
当たり前だ。人を殺したのだから。
「ああ……、せっかくの被検体を無駄にしてしまいました。あと少しで異形化のデータを取ることが出来たでしょうに。そして、あの煙の正体も、結局分かりませんでした」
「え……」
予想外の答えに、ハヤテは困惑した。
この魔法使いは、別に命を奪ったことについてはなんとも思っていない。ただ、自分がデータを取れなかったことについて、ひどく後悔している。
……これが、大賢人、か。
〇 〇
〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇
〇 〇
「なぜだ!」
太く潰れた、恐ろしい声が洞穴に響いた。
机をバシンと叩き、近くの魔導書を壁に投げつけた。
何なのだ! なぜ、魂を引きはがせない! なぜ、私が剥ぎ取る前に、消えてしまったのだ!
……魂を奪うことは、私の至高の楽しみであり、私が私である所以だ。この力があるからこそ、私は存在できる。今まで、いやこれからも、私に干渉できる者はいない。はずだ。
では、これは何だ! 私が剥ぎ取ろうとしたところに、横取りをした者は一体誰だ! 誰が私の存在意義を奪った!
「はぁ……、はぁ……」
熱い。息が苦しい。
耐えられなくなった魔導士は、名状しがたい仮面を、ぽっと、取った。
白く柔らかい肌と、黒々とした、大きな丸い瞳が露わになる。
肌は興奮したせいでほんのりと赤くなり、瞳は若干潤んでいる。
その時、水晶玉に反射した自分の顔と、目が合った。
「きゃあああああああっ!」
魔導士は慌てて仮面に顔を押し込んだ。
ここまで私を取り乱させるとは、一体どこの誰だ……。
見つけ次第、すぐに魂を奪ってやる……。
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