本当の幸せは
舞川秋
第1話 わたしと神田
本当の
神田の死を想起すると考え込んでしまう。答えはないのかもしれないが、考えずにはいられない。
神田が亡くなったのは昨年のことである。
死のわずか三日前、わたしたちは会って話していた。
中学時代の友人たちで集まり、久々に遊んでいたのである。わたしにとって、神田は親しい友人だった。神田がどう思っていたかは知らないが、それほど悪くは思われていなかったと思う。少なくとも友人ではあっただろう。
進学した高校が違ったから、中学卒業後あまり会っていなかったのだが、神田は昔とほとんど変わっていないように見えた。中学校を卒業して十数年経っているというのに。老けないというか、成熟しないというか。
いま、実家を出て知人と同居しているのだと語っていた。恋人と同棲しているんじゃないかと指摘する友人もいたが、神田は受け流していた。
手土産として手作りの
その日は、元気そうに見えた。
死の気配は、まるで感じられなかった。
あの日贈った菓子は、結局食べてもらえなかったのだろう。
神田は服毒死だったと警察官は言った。
死の数日前に会っていたわたしは殺人犯と疑われているのではないかと焦ったが、違った。
疑いの余地なく、自殺だったという。
毒は神田が実家からくすねた殺虫剤だった。苦味も臭気も強いから、飲み物に混ぜられても気付かないとは思われない。
そして現場には、手書きの遺書が残されていた。筆跡鑑定の結果、まず間違いなく神田自身の書いたものであると判断されていた。
神田の死について、わたしが疑われた訳ではない。
むしろ、神田が疑われていた。
自殺する前に、同居人を殺めたのではないかと。
つまり、無理心中を図ったのではないかと。
警察から聞いた話や、後で行なわれた報道から事件発覚の経緯を再現しよう。
警察が我が家に来る数日前のことだ。
椅子に腰掛け、
食卓には
食卓には
しかし異臭の源はこれだけでなく、他にもあるのではないかと警察官は考えた。
警察官が部屋を調べると、和室にもう一人分の遺体が見つかったのである。
神田の同居人である相馬の遺体だった。
ここで補足しておくと、相馬もわたしと同じ中学校に通っていた。神田と違い、あまり印象に残っていないが。
相馬の死体の見つかった和室には、湯呑みがあった。
湯呑みには、殺虫剤が注がれていた痕跡があった。
だから相馬も自殺である──と断言はできなかった。
まず、神田と違って遺書がない。
湯呑みに残された指紋は、相馬と神田の二人分だった。つまり、神田が毒入りの湯呑みを持ってきた可能性を排しきれない。
更に──。
和室には、包丁が落ちていた。
相馬の血と神田の指紋の残った包丁。
相馬の右の二の腕に、治っていない浅い傷が発見された。生活反応から、生前付けられた傷であると判った。傷は包丁で付けられたとしても矛盾の生じない形状だった。
左の掌には、血がべっとりと付着していた。傷を押さえたのだろうと警察は判断していた。
この包丁と傷から、相馬の死は自殺でない可能性が浮かび上がる。
神田が刃物で脅して、無理矢理毒を飲ませたという考え方である。
死の避けられない猛毒を飲むくらいなら、抵抗した方が良いだろうという反論もあった。
しかし、相馬が猛毒だと気付いていたとは限らない。確実に死ぬと知っていなければ、刃物を持った神田と戦うより湯呑みの中身を飲み干す方がマシだと考えても不思議はない。
猛毒だと判っていても、恐怖に駆られて抵抗できなかったとも考えられる。
あるいは、一度は抵抗した結果として右腕を怪我してしまい、気力を失ったとも。
しかし包丁の傷は間違いなく脅迫のためだとまでは言えなかった。
事故か何かの別件で傷ついたのかもしれない。
そこで、神田におかしな様子がなかったかと警察が訊きに来たのである。
あの日遊んだ我々は、神田と最後に会話した証人だった。
同居人を殺す前兆が何かなかったか? 自殺の予兆はなかったか? あるいは第三者が関係していないか? その他諸々。
判りません。気付きませんでした。知りません。
そう答える他なかった。
殺人や自殺を思わせる言動はなかった──と思う。
気付かなかっただけかもしれない。言い訳しておくと、わたし以外の友人たちも特に証言はしなかったようだから、わたしが鈍い人間だということもないはずだ。
一応、神田の遺書は読んだ。
神田の意外な一面を見たような印象はあった。
脅迫したとしても矛盾はなさそうな文面だった。が、例えば喧嘩して怪我をさせてしまった後悔で死を選んだとしても解釈できそうな文章でもあった。
要は、肝心の死の直前についてが曖昧な記述になっているのだ。
本人としても、あまり書きたくない部分だったのかもしれない。
おそらく無理心中であろう。
それ以上の結論に至らないまま、警察は来なくなった。賢明にも、わたしから有用な情報を引き出せないことに気付いたのだろう。脅迫が証明できても、死者を裁判にかけられる訳でもない。
旧友の死は大変な出来事だが、わたしには忙しい日常があり、いつまでも最優先で考え続けることはできない。
忘れることはないにせよ、わたしは、だんだんと事件を意識しなくなっていた。
ところが、わたしは再び神田の死と出会うことになった。
事件の数か月後。
わたしは、何となくSNSで見つけた記事を読もうとして、うっかり違う記事を開いてしまった。
百合心中という、なかなか凄い文字列が目に入って来た。文字通りと言うか何と言うか、女性同士による情死ということだろう。
どうも、神田と相馬の事件らしい。
ひょっとして、話題になっているのだろうか。
そう思って調べて見ると、本当に話題になっていた。
いくつかの記事は無遠慮にして不謹慎で不快だったのだが、我慢して読んだ。どうやら、こういうことらしいことが判った。
事件のしばらく後、相馬のものと思われるSNSのIDが見つかったのである。
徹底的に調べた暇人がいるらしく、投稿されていた写真や発言と事件報道を照らし合わせた結果、相馬のIDであることは確実らしい。どこまで信頼できる情報源かはともかくとして、始めたのは一昨年で、投稿の頻度も高くないから検証は難しくなかったという。
そして、相馬(らしき人物)の投稿からは、明らかに同居人の女性と交際していることが読み取れた。
羨ましいくらい楽しそうな
普段の投稿は、ほとんどが
けれども、終わりの方には深刻な雰囲気の話題が増えつつあった。
最後の投稿には、悩みが綴られていた。恋人に負担をかけるのが辛いと。
その後、事件が起きた。
心中として騒がれてもおかしくはない──とは思う。
どういう層が騒いでいるのか、ちょっと興味はあるが、とりあえず措く。
わたしは、あることを思い付いてしまった。
神田の同級生である、わたしだから思い付いてしまった解釈。
悪意に満ちた根拠を欠く想像だと思われるかもしれない。
だから誰にも言えない。しかし、わたしには推理を否定できない。
きっかけは、遺書に対して抱いた、些細な違和感だった。
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