第6話
「望町さん、これいつものファイルです」
事業所に入るとピンクのファイルを渡される。この人は臼井さんといって気配り上手だと俺は判断している。ここで高卒認定試験の勉強をしているところだったが、パソコンを借りてウェブで検索をした。「男でもない女でもない」と昨夜出した結論を打つ。そこに、エックスジェンダーの言葉を見たとき頭に引っかかって思わずクリックをした。。
「男でもない、女でもない。真ん中の中性という立場をとる人々をさす言葉・・・・・」
胸が躍動するのを覚えた。よほど熱心に調べたのだろう、視線を感じて振り向くと臼井さんと目が合った。臼井さんはいつものようににこりと笑う。
けれどその答えが俺をさらに堕とした。はじめてのことで、絶大な自分の事実に頭が真っ白になる。勉強が手につかなかった。こんな時にいつも気にかけて声をかけてくれる臼井さんだったが、何も相談できなかった。
昼休憩、無料で支給される弁当を食べていると愛妻家の愛飢夫(あいうえお)でおなじみの利用者さんが声をかけてきた。
「どうしたんですか、望町さん。浮かない顔をして」
「ああ、手島さん。いやあ、人生いろいろですね」
「どうしたの、急に」
「やあ、いろいろです」
そうかー、手島さんは少し寂しそうな顔をしてくたびれたチェックのワイシャツを背に向けて自分の席に戻っていった。自分もため息を一つ浮かべて、飲み物を置いているコーナーへいった。小さな四角いテーブルの上にポットと緑茶と紅茶ティーパックがある。疲れていた俺は紅茶のほうを選んだ。ポットから給湯してパックをパタパタとさせる。紅茶の香りで少しは気がまぐれた。ただ戸惑いとそのヒビから入る光だけは消えなかった。その時から自分の中の性と向き合わなければいけなかった。それは俺に重たい爆弾を仕掛けた。
俺はこのことを誰かに吐き出したい衝動に駆られるのと共に、カミングアウトするという恐ろしさを抱いた。けれど自分に抱いたこの大きなものは収まりきるものではなかった。
それは自分が勝手に思えたし、無責任に見えた。
十五時に事業所は閉まる。終礼を終えると重たい体を引きずり公園に向かった。言い出せない俺に心配したじいちゃんばあちゃんはどうしたもんかと尋ねたりしたが踏み出す勇気はなかった。俺がこんなに、情けない人物だとは思わなかった。
家に戻ると散らかっただけの部屋が立ちはだかった。すべてを親のせいにする気はないがこの家が綺麗になったのを見たのは小さいころだけだった。スマホをなくし、家に残ったのは部屋に落ちた服と本棚に入った数冊の本。その場に落ちていた本を一冊手に取った。明治文学の新調した文庫本だ。本棚に戻した。
部屋の中で横になっているとき、ぼーと頭をよぎった考えがあった。俺はそこまでじいいちゃんばあちゃんに心を許してないのかもしれないことだ。じいちゃんばあちゃんだけじゃない、離れて暮らす恋人が俺にはいた。その恋人にさえ打ち明けられていない。それを俺は単純にそう捉えたのだ。寂しさがこみ上げた。俺はきっと誰も信用できないんだ。
その夜はやけ酒をした。飲みすぎて酔いを醒ましに例の公園へ出た。それでも酔いきれないで俺は何時間もそこにいた。深夜二十三時を回った時、となりに男が腰かけた。若い男だった。
「おいお前、中学生か? 」
ちっとも怖くなかった俺は、三缶目を開けて口に入れた。
「こうみえても二十歳だよ」
男の髪の色は茶色く、片耳にピアスを開けていた。俺はその男に兄ちゃんは何歳だいと聞いた。女の癖にじいさんみたいな話し方だなと言いながら俺と同年だということを打ち明けた。
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