第3話

「……あっちい」


 栗山がネクタイを緩める。


 ふたりは慌ててジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくった。なにせさっきまでは秋だったのだ。しかも冬はすぐそこで、柿沼などはセーターに下履きまで身につけていた。


「柿沼さん。あれ!」


 栗山が叫んだ。その視線の先に三輪トラックが停車していた。二百メートルほど離れた場所である。そしてトラックの向こうには見慣れない町並みが広がっていた。瓦屋根とコンクリートビルが融合した連なりに、赤や青、黄色の煉瓦造りの建物が大波のように覆い被さっている。


 秋の終わりからきたふたりの刑事は、この受け入れ難い現実に戸惑いながらも誘拐犯の姿を見逃さなかった。


 停車したトラックの荷台から、拉致した人々を下ろす三名の犯人が確認できた。まるで搬入する荷物のように、肩に担いでうらぶれた路地裏に人々を運び込む。


 車の座席に上着類を脱ぎ捨てて、ふたりは犯人たちを追いかけた。


 幌が無造作に開け放たれた荷台をちらりと確認して、オート三輪トラックを通り過ぎる。


「他に被害者は残っていませんね」


「誘拐されたのは実行犯と同じ数だけで間違いないだろう」


 路地裏を抜けた先には雑居住宅の集合体があった。色とりどりの屋根が溶け合うように密集し、上へ上へと積み重なっている。しかもその建物は増築中で、古くなった住居の上で真新しい建築材が輝きを放っていた。


「……なんだ、これは」


 柿沼の疑問に栗山が唸った。


「まるで、九龍城砦きゅうりゅうじょうさいですね」


「九龍城砦……」


「昔、香港に雑然とそびえ立つ巨大住居があったんです。香港へきた移民たちが建設したもので、小さい区画に多くの人間が住んでいました。その人口は三万人を越えており、人々はそれを九龍城砦と呼んだ」


「ああ、写真で見たことあるな」


 柿沼は、昔見た九龍城のイメージを思い浮かべる。


 外装を固める粗悪なコンクリート。多くの建物が持たれ合うことで強度を保っているという危うさがあった。しかし、貧しき人々にとっては生活のほとんどが賄える城であり、冷たい世間を圧倒するエネルギーをまとった要塞なのだ。


 それに比べると、目の前に屹立する建物は小綺麗である。瓦屋根の日本家屋に、煉瓦造りの洋館風。その間には庶民的な物干し台とトタン屋根が点在し、土台となる建物はコンクリートの団地という複雑な建築様式ではあるものの、全体としては落ち着いた印象があった。


 九龍城が異国なら、ここは昭和が凝縮された日本だ。


「でも、こんなでかい建物があるのになんで見えなかったんだろう」


 栗山が言った。


「どういうことだ?」


「さっき車から犯人たちを確認したとき、こんなでかい建物はありませんでした」


「そういや、そうだな」


「季節といい、町並みといいやっぱり変ですよここ」


 複数の靴音が近づいてくる。柿沼と栗山は通りに現れた二人の制服を確認した。


「お前たち!」


 小走りでやってきたのは、百八十センチの痩身と百キロを超える巨漢だった。


「ここでなにをしている?」


 痩身が見おろして言った。栗山がカッとするのを抑えて柿沼が前に出る。


「君たちこそ誰だ?」


「見て分からんか。警察だ、警察!」


 柿沼は眉をひそめた。上下グレーの制服は明らかに今のものとは違う。栗山も気づいたらしく、痩身ののっぽを見あげて言った。


「それ、懐かしの日本映画に出てきそうな制服だよな。コスプレで警察を名乗るのはいかがなもんかな!」


 ふたりの警察官もどきは一瞬訝しんだが、すぐに威圧的な態度で応酬した。


「公務執行妨害で逮捕する!」


 とんでもなく雑な対応だった。柿沼と栗山はベルトに装着した警察手帳に手をかけた。


「みんな、やめな!」


 ひときわ大きなダミ声が響く。


 柿沼と栗山が声の方を振り返る。


 視線の先に、中年の女が立っていた。

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