本物は誰だ

砂鳥 二彦

第1話

 僕は今日、彼女にフラれてしまった。


 彼女が言うには、僕に愛層が尽きた、そうだ。確かに僕は愛らしさなどとは程遠く、どちらかと言えば無表情となじられる方が多かった。


 だけどそれは彼女も良く知っていることだ。初めて会った図書館でも、僕はただ彼女の話を聞いて、好きな本について相槌を打っていただけだ。


「話しているのが楽しい、それだけでアナタが好きになった」


 告白したのも彼女が先だった。もし彼女が言わなければ、僕から言い出したかもしれない。けれど、彼女の方が先だった。


 何もかも、彼女が中心だったのだ。


 そんな時、僕は不意に変な噂を耳にした。


「自分の大切な人が、ある日別の誰かにすり替わっている。そして大した理由もなく、目の前から消えてしまう」


 僕はその噂が彼女のことを指しているとは思わなかった。けれどもそれがキッカケになって、彼女にまた会いに行こうと思ったのだ。




 僕は彼女のアパートに来ていた。


 アパートはよくある2階建ての、扉側が通りからも見える構造になっていた。壁の色は橙色(だいだいいろ)で統一され、扉は茶色、階段はそのままの銀色だ。


 僕は2階に上がり、3つ先の彼女の部屋の扉の前に辿り着く。


 僕は扉のノブを回してみるが、開かない。鍵が掛かっている。


 だけど大丈夫だ。僕は彼女の部屋の合い鍵を持っている。なんてことはない。鍵は正しく合わさり、僕は彼女の部屋に入った。


 部屋は昼なのに暗かった。スイッチを探って押してみるも、明るくならない。仕方なく僕は靴を脱ぎ、1番近い窓のカーテンを開いた。


 カーテンを開けると、太陽光が僕の目を眩(くら)ませる。そして部屋は明るくなり、彼女の部屋の様相を明るみに出した。


 彼女の部屋は整っていた。散らかった様子はないし、汚れた様子もない。


 僕は畳の上に立ちながら、彼女を思い出す。部屋で過ごしたこと、彼女の好きなSFの話を何時間でも聞いたこと、一緒に寝た初めての夜のこと、別れた時のこと。


 どれも鮮明に頭に浮かぶ。忘れたくないし、忘れない。


 そうだ。僕は彼女が好きなのだ。


 だから彼女を探さないといけない。


 何故ならば、彼女はここ数日大学に出ていないからだ。理由は近しい友人も知らないという。


 彼女は失踪した。少なくとも、僕はそう思った。


 彼女の家族についての情報は大学に聞いても教えてくれなかった。大学の事務員も「ちょっとした旅行じゃないかしら?」と取り合ってくれなかった。


 そんな時に、あの噂だ。誰かが誰かに入れ替わるなんて馬鹿な話、信じてはいない。でも彼女に何かあったのではないかと、心配になってきたのだ。


 僕は悪いと思いながらも、彼女の痕跡を探る。


 畳の上の引き出し付きの机を見ると、埃が積もっている。僕が触るとくっきりと跡ができるくらいだ。


 僕は机の上を探ってから、引き出しを開けてみる。だが、大したものはない。まるで身辺整理されてしまったかのようだ。


 僕が諦めて、引き出しを戻していくと、1番上の引き出しの重さに違和感を感じた。


 僕は引き出しの底を叩いてみる。すると、底は思ったよりも薄い。


 慌てて1番上の引き出しの底をひっぺがえすと、閃(ひらめ)きは当たっていた。これは二重底だ。


 偽の底を剥がした場所にあったのは、普通の写真だった。


 なぜこんな場所に写真を隠した? と、僕は訝(いぶか)しがりながら、写真を見る。


 写真には2人の仲のよさそうな姉妹が映っていた。左は僕の彼女、右は彼女によく似た別の人だった。


 僕の彼女は短い髪で、明るい顔をしていたのですぐにわかった。うっすらとした唇、細めの眉毛、儚(はかな)げな切れ目、懐かしいとさえ思える彼女の顔だ。


 それに対して、左の別の人も彼女に似ていた。けれども髪が長く、暗そうに俯き、右の首筋に大きなほくろがあるので見分けられた。


 これだけ似ているのだ。もしかしたら一卵性の双子かもしれない。


 だが、僕は彼女から双子がいるなんて話は1つも聞いていない。初耳だ。


 そんな時、誰かが扉を押す音が聞こえた。


「誰かいるの?」


 僕は扉から見えないのをいいことに、咄嗟(とっさ)に押し入れに隠れてしまった。


「扉が開いていたわ。誰かいるんでしょ」


 その声は、僕の彼女のものとよく似ていた。僕は安心して返事をして押し入れから出ようとした。


 しかし、あの噂が僕の行動を止めた。


「誰かいるんでしょ! 早く出てきなさい! 警察を呼ぶわよ!」


 彼女の声はとても焦っていた。いつもの大人しさに比べると、まるで別人のようだ。


 単に不法侵入されたから慌てているのかもしれない。それでも、僕は彼女が本当に彼女なのか、疑った。


「ここに靴があるから分かっているわよ。出てきなさい。早く!」


 僕は靴を脱いで上がったことを思い出して、顔を覆う。これでは探してくださいと言わんばかりだ。


 ――ミシッ。


 彼女は部屋に入ってきた。床がきしみ、彼女がどのあたりにいるかは音で分かる。


 トイレを見て、風呂を見て、台所を見て、畳の上に上がってきた。


 おそらく彼女は机の上を確認しているのだろう。そして――。


「出てきなさい!」


 押し入れが開けられた。


 僕は声が出そうになった。けど、僕はまだ見つかっていなかった。僕がいる左下の押し入れは開けられていないのだ。


 次、次押し入れを開けられれば必ず見つかる。


 僕は自分から出ていくかどうかを、逡巡(しゅんじゅん)していた。


 ――プルルルルッ。


 そんな時、電話が鳴った。僕のものではない。彼女の携帯だ。


 僕は思い出す。彼女の着信音は普通の電話の受信ではなく、月光と呼ばれる曲だったはずだ。


「はい、私よ」


 僕は彼女の話を盗み聞きした。


「……アイツは部屋にいないみたい。だけど、近くにいるはず。……見つけたら……処分して。これ以上待てないわ。入れ替わった以上は殺さないと」


 殺すと言った。入れ替わった以上、本物は殺すというのだろうか。


 僕は戦慄(せんりつ)して、動けなくなった。


 しばらくして、彼女らしき人は部屋を出ていった。


 僕はたっぷり半刻か1時間ほど経ってから部屋を出た。


 靴はまだあったので、監視されていないか十分に気を付けて外に出て、僕は走り出した。


 走って、走って、走って、気づけば大学の近くに来ていた。


「おう、○○じゃないか。久しぶり」


 僕は呼びかけられたのを驚いて、後ろを振り返る。そこにいたのは同じクラスの国本だった。


「どうした。何か急いでるのか?」


「いや、急いではいないよ。国元こそどうしたの?」


「大学の講義が終わったから出てきたに決まってるだろ。お前こそ、ずっと講義に出ないでどうしたんだ? 皆心配してたぞ」


「いや、それは」


 僕は国元に言い訳をしようとして、視線を逸らした。


 その時、僕は見つけた。遠くで背を向けて彼女が歩いているではないか。


 あの短い髪、間違いなく彼女だ。


「おい、○○――」


「ごめん、ちょっと黙ってて」


 僕は国元を黙らせると、彼女の後を追った。


 これから彼女が何をするか、何をしているか。そして本物かどうか。探らなければならないからだ。


 僕は小走りで彼女らしき人に近づいて、尾行した。しばらくすると、彼女は携帯電話を取り出し、耳に当てた。誰かと電話しているらしい。


 僕は彼女らしき人の一挙手一投足を見守っていたが、突然彼女らしき人は角を曲がって路地に入ってしまった。


 僕は彼女を見失ったことに動揺しながらも、時間を置いてから急いで角を曲がった。


 ――トンッ。


 僕が角を曲がった瞬間、何かが胸を押した。


 それは彼女だった。僕に抱き着く形で、僕に寄り添っていたのだ。


「ずっと探していた」


 彼女はそう言った。ああ、間違いない。彼女は彼女だ。こんな優しい言葉を僕に向けてくれるのは、彼女くらいだった。


 そんな彼女の姿をみると、彼女の首筋に目が合う。


 そこには大きな黒点が、なかった。


 僕から彼女が離れると、僕の胸から何かが抜き取られる。


 僕が胸を触ると、その手に赤い液体がついていた。


「何だコレは」


 僕は動揺しながら後退する。これはどういうことだ。


 彼女の首筋にはほくろがなかった。なら彼女は本物だ。じゃあ、なんで僕は刺された? 彼女は本物ではないのか? 僕は裏切られたのか? 騙されたのか? じゃあ、彼女は本物じゃないのか? 偽物で、化け物で、何か別の生き物なのか?


 僕は混乱していた。


 そんな僕に解を与えるかのように、彼女は声を荒げた。


「妹の敵よ! 1年、1年かけてやっと見つけた! もう逃がしはしない。この化け物!」


 僕が化け物? あり得ない。それはない。嘘で偽造で欺瞞だ。僕は違う。違う。違う。いや、違わない。本物だ。本物だ。本物だ。僕は本物だ。嘘じゃない。そうだ。そうだ。そうだ。正しい。僕は正しい。間違っているのは彼女で、僕じゃない。


 僕は胸の傷が火傷のように熱くなり、スローモーションで塞がっているのを見ていた。


「急所を指しても戻るなんて……この化け物!」


 彼女はまた僕へ抱きつくように接近して、手に持ったナイフで刺した。何度も何度も刺した。


 そうしても、僕の傷は瞬時に塞がり、全く傷がつかなかった。


「何だコレ。何だコレ。何だコレ」


 僕は狼狽(うろた)える。これは違う。違わない。嘘だ。嘘じゃない。ダメだ。ダメじゃない。


 そうだ。またやり直さなければならない。彼女は彼女じゃないんだ。今日は何もなかったんだ。また最初からやり直さないといけない。彼女を探さないといけない。やり直す。やり直すんだ。僕は初めから、1年前から、彼女の妹を黙らせる前から、国元を黙らせる前から、探しに行かなければならない。


 僕は表通りに振り向いた。


 そこには行く手を遮るように別の影が立っていた。


「よう、僕」


 男はボサボサの髪で髭が伸び放題だった。手には丸い電動チェーンソーを持ち、僕を待ち構えているようだった。


 顔はよく見えない。だけれども、僕にはわかった。


 彼は、僕だ。


 僕がそう直感した途端、僕の視界は電動チェーンソーによって真っ二つにされた。

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本物は誰だ 砂鳥 二彦 @futadori

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