森の住人

十文字心

森の住人

ここにくるのは何年ぶりだろうか。

懐かしさのあまり、涙が込み上げ目頭が熱くなってくる。

大好きだった高台から望むこの景色。

古き良き日本の田園風景。

子供だった頃の私や友人を、優しく包みこんでくれていた深緑の森。

時が経った今も変わらず、森から流れてくる心地よい風や名も判らぬ野鳥の囀ずりは忘れていたあの頃の記憶を鮮明に呼び覚ます。

上司に気分が悪いことを告げ、少しこの場で休ませてもらうことにした私は日陰にあるベンチに座り目を閉じた。



※※※


『放課後またさ~いつもの場所に集合~』


「わかったよ~!」


私達の放課後には、決まって集まる場所があった。通称"いつもの森"。

今考えるときっと、森と呼ぶには小さい雑木林だったのだろうが、私達の背の何倍もあり、様々な生命の住処として生い茂る木々の大群は、あの頃の私達には、"森"として認識されそれに非を唱える仲間はいなかった。


小学生時代の私の日課は学校から帰宅するとランドセルを部屋に放り投げ宿題もせずに直ぐ様、家を出て必死に自転車をこぎ、誰よりも早く森の入り口に到着してそこで友達を待つこと。そしてノロノロと到着してくる仲間達にいつもこう叫ぶのだ。


『みんな遅いぞ!何分待たすんだよ~!』


必死に自転車をこいで1番のりをしたヤツにだけ与えられる特権。それが友達を上から見下す台詞とは、思い出すだけで、恥ずかしくなってしまう。ちなみに私の家が特段森に近かったというわけではない。

ただ私は一番になりたかった。

メンバーが集合すると、"あの池"を目指して自転車を走らせる。ここで言う"あの池"も、森と同様できっと農業用の溜め池や堰の類いであったはずである。

"あの池"の側には、小さな家が建っていた。最終の目的地はその"小さな家"。そこには名前も知らぬお婆さんが一人で住んでいた。

何故こんな場所にたった一人で?今考えると疑問にも思うが、子供だった私達にはそんな事など、どうでも良いことであり、誰一人として、お婆さんにここに住む理由を聞くヤツなどいなかった。

私達が来るとすぐにお婆さんはニコニコと笑顔を浮かべながら"いらっしゃい"と、歳を重ねた者が持つ、張りはないが柔らかい言霊を発して迎え入れてくれる。そして、私達が来るタイミングを分かっていたかのように用意された冷えたジュースとスナック菓子を出してくれるのだ。

名前も知らない人に食べ物や飲み物を貰うことなど、現代では考えられないことではあるが私達は皆、お婆さんを信頼していた。

出されたジュースを飲み、菓子を食べている子供達の姿を眺めながらお婆さんは誰に聴かせるわけでもなく真剣に何かを語っていた。大人となった今、何の話をしていたのだろうと思うが、あの頃の私達はお菓子やジュースに夢中で"人の話を聞きなさい!"と命令されているわけでもない、お婆さんの話を覚えているものは多分いないだろう。



時は過ぎ、中学進学とともに森の仲間たちはバラバラの道を歩み始めた。

私は親の仕事の関係で、慣れ親しんだ街に別れを告げ、地方の見知らぬ街で新しい生活を始めることとなる。そして私は慣れない新しい土地に馴染もうと日々の生活に追われているうちに"いつもの森"の事も"あの池"の事も、そして池のそばに住むお婆さんの事も、

頭の片隅から完璧に消えてしまっていた。


挫折することもなく学業に専念し大学を無事卒業した私は不動産業の大手と呼ばれる会社に就職することができた。主に都市開発や過疎地の再開発を手掛ける部署に配属され、最初の3ヶ月は新人研修などであっと言う間に過ぎ去った。夏になる頃、私は会社の先輩数名に付き新しく開発をする現場の見学に、行く事となった。それがまさか、小学生時代に毎日のように通っていた思い出深いこの武蔵野の地とは…。

ぼーっと昔の事を思い出していたが視察を終えた上司達が戻ってきた気配に目を開ける。

まだ顔色の悪い私の様子をみて、今日はもう

直帰でいいとの指示をくれた。

その日私は、普段は飲まない缶ビールを一本だけ買って帰宅すると飲んですぐ魔法にかかったように深い眠りに落ちていた。



※※


ん?ここはどこだ?

私の回りには幼少期の仲間達がいて中央に

いるお婆さんが何かを話そうとしている。

昔々の懐かしい光景。

私は食べ物やジュースを口に入れることはせずに、お婆さんの話を聞いてみることにした。お婆さんの前に座り目を見つめ話の続きを待つ素振りをみせる。


「おや?あんたは私の話を聞いてくれるのかい?嬉しいねぇ。いいかい?この武蔵野の森にはね~、妖精がいるんだよ、この綺麗な自然を守る妖精がね!だからね、これだけは覚えておいてほしいんだよ…人間が自分達の欲の為に、この森を破壊してみな?きっと天罰が下るからね!」


耳に飛び込んできた妖精という単語に、私以外の仲間達もお婆さんの話に興味を抱き気づけば皆、食べる手を止めて話を聞いている。いつもの柔らかな表情とは違い、真剣な眼差しで呪文を唱えるかのように話を続けるお婆さんの姿に私達は黙って頷くことしかできなかった。


"お婆さん、ご馳走さま~そろそろ帰るね~また明日来るからね!"

お菓子やジュースを堪能しお婆さんに

別れを告げる仲間達。

その言葉を聞きながらニコニコと

手を上げ送りだしてくれたお婆さん。


翌日、いつもの様に来てみると、そこにお婆さんの姿は無く、机の上には人数分の冷えたジュースと、スナック菓子そして白い紙に書かれた手紙が置いてあった。


「やっと話を聞いてくれたね。いつも来てくれてありがとう。私の役目はここで終わりさ。お前たちと過ごした時間はとても楽しかった。もう思い残すことはない。最後に…自然を大切にしてくれよ!護れるのはお前たちみたいに若くて未来ある人間だけなんだから。婆さんからの最後のお願いだよ。」


どれくらい眠っていたのだろうか?

私は涙を流している顔の感触で目が覚めた。

あぁ、そうだ、全て思い出した。

あの日私達はお婆さんと約束したのだ。


陽が登り、準備をしていつもより早めに

家を出た私は会社へ辞表を提出した。

きっと親には後で怒られるだろう。

でも、全てを思い出した今、あの頃の自分を裏切るようなことはできない。


"武蔵野の森の開発には、断固として反対!"


前日視察に訪れた時に目にした看板を思いだし、私は"いつもの森"へ行ってみることにした。最寄り駅で電車を降り、森を目指し歩き始める。すると小さなプレハブの建物の前に、プラカードを手にした大勢の集団を見つけた。


「人間のエゴで自然を破壊するな!」

『豊かな武蔵野の自然を未来へ残せ!』


プラカードには、地元民達の森への想いが

率直な形で書いてある。

皆、ただこの森を自然を護りたいだけ。


私はその集団の前で、歩みを止めた。

年齢層もばらばらな集団。かなりの年配の人も居れば、学生らしい姿も見える。私くらいの若者の姿も、けっこう見受けられた。


その時まさかの出来事が起きた。


私の名前を呼ぶ男性が現れたのだ。その男性の顔を見て、私はすぐに思い出した。

武蔵野の森で子供の頃を一緒に過ごした、

大切な仲間だった。私に駆け寄ってきた男性に続き次から次へと懐かしい顔が集まる。

皆がお婆さんとの約束を覚えていたことに驚き、そして嬉しさのあまり涙が溢れ出す。


お婆さん、聞こえていますか?

私達の仲間は誰一人として、

貴方の言葉を忘れていませんでしたよ。

貴方との約束の為に、私達は今日も

声を張り上げ歩き続ける。


「ありがとう」


そう聴こえたような気がして空を見上げると、一羽の青い鳥が私たちの上空を円を描くように飛び森の中へと消えていった。

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