25 落下

 落ちる。落ちる! 落ちているッ!!


 痛みか怒りかで叫ぶ怪鳥の声に聴覚を支配されながらも、俺は確実に落下を続けていた。

 といってもほんの数秒の体験――な筈なのにまるで永遠のように感じるのは、俺の脳が、防衛本能的にすさまじい速度で思考を回させているからに違いない


 このままでは数秒で地面に激突だ。暗闇によってどれくらいで地面に辿り着くかも分からない。このままでは碌に受け身も取れず、ぺしゃんこになってしまう。


(……ん?)


 視界に、ボヤっとした光の塊が見えた。遠くからでもはっきり分かるそれはどんどんと俺の方に近づいてきていて――


(違う、これは――ッ!)


 その正体を理解した瞬間には、もう脊髄反射で俺の身体は動き始めていた。

 しかし、それでも遅かった。


 俺は中途半端なまま、その淡い光の中へと跳び込む。


(痛ぁ……!!?)


 衝突による激しい痛みが全身を駆け巡る。

 しかし、痛いと感じられるということは生きている証だ。それに、腕も足も、千切れてはいない。


『大丈夫、デス?』


 ウチの声が頭に響く。

 しかし、俺はそれに返事をできない。

 否、返そうとしても声が形になることはなかった。


 先ほどまでの光景が嘘のような静寂の中で、俺はその光に全身を包まれていた。


(さすが、サニィ……でいいんだよな)


 まったく、なんとも、彼女は俺の想像を遥かに容易く超えてくれる。

 俺が落ちたのは地獄でもなんでもなく、妖精の泉だった。泉は思っていたより遥かに深く、落下の衝撃を全て吸収してくれる……いや、全ては言い過ぎか。

 水っていっても入水の姿勢を誤れば地面と殆ど変わらないくらい硬く押し返してくるので、全身に痛みが走る程度の痛みは残ったが、それでも生きている。


 そして、俺が泉に落ちられたのはおそらく偶然ではなく、サニィがそう狙ったのだろう。

 怪鳥がぐるぐると空を旋回するルートを確認し、速度と足を切り離した時の俺にかかる力を計算し、落下位置が泉になるように絶妙なタイミングと力で矢を放ったのだ。

 百発百中を超える超人的なコントロール――正直言って、以前のサニィでもここまでのスキルは無かった筈だ。そもそも、遥か上空を飛ぶ鳥の足を、そいつが掴んでいる物を無視して当てるってだけでも、神業だってのに。


『モノグサン、上がらなくいい、デス?』


 頭の中にウチの声が響く。

 水中では当然呼吸はできない。準備なしでの入水の割りに俺の肺にはしっかり空気が残っている。


 ただ、それでもいつまでも浮上しなければ、サニィ達は心配するだろう。ここに留まっている理由も――


(……あれ? なんだ、これ)


 何か、冷たい感じがする。

 光は暖かだ。そう感じさせる。

 しかし、この光から感じるのは冷たさだ。何かが失われていくような……


(失われていく……泉から、何かが)


 その仮定が形になったのと、俺が水上へと到達したのは同時だった。


「ギェエエエエエエエエエ!!」

「うぐっ!?」


 水面から上がった瞬間、怪鳥の激しい怒りを孕んだ咆哮が耳を打った。

 傷つけられたからか、獲物を奪われたからか――並みの冒険者であれば、その殺気を向けられただけで反射的に身が竦ませてしまうだろう。当然、同時に死も確定する。

 強い魔物はこういう、戦う権利を持たぬ敵をふるいにかけるような気迫を有しているものだ。ちっぽけな人間には抗うことさえ許してはくれない。


 まぁそれは、普通のちっぽけな人間に限った話だ。


「サンドラ、カバーッ!」

「うん……!」

「凍りつきなさいっ!!」


 怪鳥の殺気にも一切押されることのない闘志。

 敵がどれだけ巨大でも、強固でも、彼らの足が竦むことはない。


 空を飛ぶ敵にはスノウの魔術、そしてサニィの射撃が有効。

 そのため、レインとサンドラが敵の攻撃を防ぐ盾になる。怪鳥の攻撃は突進、岩石のような羽の発射、そして暴風。それらに細かく対処し、時にはスノウも防御に徹する。

 完璧なコンビネーションだ。


「こりゃあ、余計な支援は蛇足かな……」


 彼らは彼らの力で敵の攻撃を完封している。盾は2枚、または3枚。攻め手の1枚、スノウは防御優先で中々効率的にダメージを与えられていないが、こちらにはまだ1枚残っている。


「ふぅ……」


 静かに深く息を吐き、それでいてビリビリと肌が震えるほどの覇気を放つ、サニィが。

 その手には純白の弓を握っている。色こそベルのハンマーと同じ、全てを拒絶する白に変化しているが、そのフォルムは彼女と一緒に育ててきた愛用の弓と全く変わらない。

 やはり、安心する。彼女がああしてパーティーの後方に控えてくれているだけで。


 ふと、彼女の視線がこちらに向く。

 俺はまだ半身を泉につけながら、泉の縁に身体を預けつつ、口角を上げる。


「見せてくれよ。お前の、新しい力を」


 なんて、少し上からな感じもするが、それでも確かに見たい。

 一緒に育んできた、そしてその結果、彼女が辿り着いた境地を。


――大丈夫。任せて。


 言葉を交わさずともそう伝わってくる、全てを包み込むような真心が籠った微笑み。

 およそ戦闘にはそぐわないその表情は、しかし、これ以上なく確かな安心感を与えてくれた。

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