第6話

 チーコが死んで、残された婿とふたりの孫はみんな家をはなれてあの家族はバラバラになった。もともと気むずかしい男ばかりが三人、女のチーコがひとり気をつかってなんとか男たちのあいだを取りもっていたようなものだったのだ。


 チーコがまん中にいてあの家族ははじめて家族だった。あたしはチーコぬきであの父子が話をしているところなんて一度だってみたことはない。あんなのは親子ではない。そうしてチーコが住んでいたあの家は婿にすぐ売りにだされて、いまではぜんぜん知らない赤の他人が住んでいる。

 

 婿のやつはあたしとはずーっと合わなくてあたしはあのヤロウが大ッ嫌いだった。地元ではだれでも知っているおおきなお役所ギンコウに勤めていて稼ぎはあったが、酒をのむたびチーコを殴ったり蹴ったりして泣かせていたのをあたしはちゃーんと知っているのだ。


 それにあのヤロウは恩を仇でかえすようなやつなのだ。あの家だってジイちゃんとあたしで金を工面してやって、チーコのためにと思って買ってやったのに、チーコが死んだらあのヤロウはあたしに相談のひとつもしないでとっとと売ッぱらって、孫たちとも喧嘩わかれのようになってどこかへいってしまった。


 ふたりの孫たちも、上の子は東京へ引っ越して、下の子は大学四年だったが卒業もしないで、目的地もきめず海外のどこだかへいってしまった。 あいつの学費や旅費はしかたないからあたしが全部だしてやった。


 チーコのあの家にべつの一家が住むようになったころ、近所のひとたちが、


「チーちゃんの旦那、長崎青森へかえったらしいわネ、生まれ故郷らしいからネ」


 などと言っているのをとなりのしおちゃんがスーパーでひょっと聞いたそうだ。


「むこうで、うんと若い後妻をもらったらしい」


 そんなことまで言っていたらしい。それを聞いてあたしは婿のやつにも、そんな話をべらべら喋っている近所の連中にも腹がたったが、


「うわさ話なんてネ、話半分できかなきゃだめヨ」


 ホホホとそう笑っているしおちゃんのほうがよほど賢いなァ、と腹から感心したものだ。


 しおちゃんとはここへ越してきて以来のつきあいだった。おたがい寡婦になってからはずーっと、女ふたり姉妹のようにやってきた。しおちゃんの家の庭は広さもつくりもうちとそっくりで、下の孫などは、


「どっちがどっちだか、わからない」


 とよく言っている。そのたびにあたしは、


「むこうは盆栽がないじゃないか」


 教えるようにそう言う。しおちゃんのところの庭はもともと土ばかりの、畑のような庭だった。だがジイちゃんが庭師にこしらえさせた自家の庭にあちらの旦那さんがえらく感動して、つぎの年におなじ庭師を呼んで自家のにそっくりまねてつくらせたのだ。


 まえの年のお返しということで、ぶどう棚はジイちゃんが手伝ってやってやっぱりじぶんたちで組みたてた。背のたかい南天の生垣があるところも自家とそっくりだった。ただ旦那さんは盆栽には興味がなくてジイちゃんがいくらすすめても、盆栽だけはやらなかった。

 

 しおちゃんは去年の夏肺の病気でたおれて、それからときどき、息をするのもつらくなるのだと愚痴のようにこぼす。しおちゃんの旦那さん――十年まえにからだをこわしてそれから三年も寝たきりの長わずらいをして死んだ――その旦那旦那さんも、しおちゃんとおなじで肺だった。


 旦那さんは最後のほうはみているこっちまでつらくなるほど苦しんだ。その旦那さんとおなじ病気だとわかってしおちゃんは気の毒なほどに萎れてしまった。


 このところ猫のやつが食ったものをよくもどす。二階はもうあがれないから掃除どころではなく埃まみれかもしれないのだが、一階のじぶんの身のまわりくらいは目につくゴミがあればあたしはすぐ拾うようにしていたのだが、うたた寝をしているときか便所にいっているあいだにでもしたのだろう、気がつくとこんもり、カーペットの上にねり糞のようなものが転がっていて、あたしはうっかり足でそいつを踏んづけてしまうことがあった。


「いつのまにやったんだヨ、しょーがないね」


 嫌味をいっても猫のやつはすました顔で縁側に座ってひなたぼっこをしていたりするのだ。餌がまずいのか? と思って上の孫にお願いしてべつの餌を買ってきてもらうことにした。あたしがちいさいころには信じられないことだが、老猫のための餌などというものがいまは売られているらしい。「十歳以上とか十三歳以上とか、人間よりこまかく分けられている」と上の孫も驚いていた。


 さっそくその餌を小皿へうつして、縁側で寝ている猫の顔のまえにもっていってやった。だがくんくんと鼻先をつけるようにして匂いをかぐだけで、あとは申しわけ程度に舌を何度かぴちゃぴちゃ垂らしてそれッきり見むきもしないのだ。


「ゼータクなやつだ、なんちゅうゼータクなやつだヨ」


 とあたしは年寄りの猫相手にぶつぶつひとり文句を言う。

 

 孫たちはあたしの家へやってくるたびにあのろくでなしの父親とはもう縁をきったようなことをぜんぜん気にもしていないように話す。だが上の子はやっぱり気にしているのだろう、


「親父は元気にしているかなァ?」


 きまってそんなことを洩らすのだ。この子は口数もすくなくてなにを考えているのかわからないようなところがあるが、チーコに似て性根のやさしい子なのだ。


 この子はこのあいだ、おなじ年頃の女の子を連れてきた。「結婚しようと思ってる」のだという。その娘は器量がよいとはいえなかったがおっとりした気のいい娘で、はじめて逢ったあたしの肩をずいぶん長いじかん揉んでくれた。もの静かで落ちついていて、あたしはこのふたりはよくお似合いだとそう思った。


 ところが下の孫のほうはまだまだコドモで、


「あんなやつは再婚したってどうせ酒のんで嫁さんにひでえことしているだろうヨ」


 などとじぶんの親父をひどく罵ったりするのだ。


 こいつは先月ようやく、六年もかかって大学を卒業したばかりのだらしのないやつだった。チーコが死んだときちょうど四年生で――それでも一年留年していたから五年生だったのだが――母親の死がショックだったのだろう、卒業もせず学校にのこって、「海外へいく」などと言いだしたのだ。


 そうして勉強もしないでぶらぶら遊びまわっていたのだ。学費のほうはあたしが面倒をみてやったから心配はなかったのだが。そのだらしないこいつもめでたく勤め先をみつけて今月から働いているのだが、あたしはこいつがまともに仕事をつづけられるのかそれが心配でしょうがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る