料理男子、恋をする

まさみ

第1話 出会い




夜と深夜の間の時間、佳亮(よしあき)は二泊三日の出張から定時後のミーティングという長時間労働から漸く解放されて家に帰る途中、マンション近くのコンビニに寄り道をした。不景気のあおりを食らったコンビニには、余分な買い物をする人はいない。中途半端な時間である所為もあるだろうけれど、店内は寂しいものだった。


本当は、帰ってちゃんと自炊したほうがいいのだろう。でも今日は本当に仕事で気力を使い果たしてしまったし、今から帰ってお風呂に体を沈めるのが精一杯だ。夜中に空腹を感じないように、重すぎず軽すぎないメニューを選び、籠に入れた。


(あ、牛乳切れてたんやった)


ふとレジに向かおうとした一瞬で、出張前に片付けてしまっていた冷蔵庫の中身を思い出して、それもあわせて籠に入れる。会計をしよう、と思ったとき、黒いコートの背中に先に並ばれてしまった。


レジカウンターに差し出された、お弁当とビールの缶、それから経済新聞。「八百七十六円です」というお店の人の声に対して、黒い背中の人はポケットから財布を取り出した。


(えー。今時、コンビニの買い物くらい、電子マネーでスマートにいこうや)


籠を持ったままの佳亮が背後で待っているというのに(もう一人の店員は、店の奥に行ってしまっているようだった)、その人は小銭入れを漁っている。ちゃりちゃりっと音がして、どうやら細かい硬貨を探しているようだった。


「あ」


一円玉の軽い音が床でした。丁度目の前に落ちたそれを、目の前の人が屈むより先に膝を折って拾ってやると、佳亮はその人に手渡した。


「あ、どうも…」


声は甘めのテノールか、それより少し高音。背は180センチ程はあるだろうか、羨ましい(佳亮は166しかないから、背丈に関してはコンプレックスの塊だ)。肌は白く、目深に被ったニット帽と口元まで覆っているマフラーの間にある瞳がやけに涼やかだ。前髪は重くて、分けている。襟足は眺め。髪色はこがねに近い茶色で、店内の照明に良く映えた。多少よれている感じがして、着ているコートの真っ黒なインナーも、真っ黒なアウターに真っ黒なインナーでボトムも黒のダメージジーンズなんてちょっとどうかと思うけど、それを補って余りある美貌の持ち主だと思った。


先刻(さっき)支払いに悪態を付いてしまった気持ちが、ちょっと押しやられる。人の第一印象というのは、なるほど顔からの情報が大きいのだなあ、と昔読んだ新聞記事を思い出してみたりした。


佳亮が拾ってやった一円玉までレジへ出してしまうと、黒いコートの人はビニール袋を受け取り(レシートは受け取らなかった)、ちょっとこっちを振り向いて会釈をしてきた。


(あ、いい人)


いいえ、気にしないで、のつもりで、佳亮もちょっとだけ手を振ってみた。直ぐに店員に声を掛けられたので、それはほんのちょっとの出来事だった。





部屋に戻るとジャケットを脱いだ。何気なくそのまま部屋のカーテンを少し開けると、狭い道路の向かいに建っているマンションの一室が、今まさに電気が点いたところだった。


(あ。葉っぱの部屋や)


佳亮が気づいた部屋のベランダには、大きな観葉植物の葉がある。沢山というわけではなく、それ一本だけがにょきっとベランダから生えて見えるのだ。都会の単身用のマンションが多いこの地域ではベランダに植物が置かれているのは稀だ。それで佳亮の覚えも良いというわけなのだ。


(へえ。一緒くらいの帰りやったんや。お疲れさん)


帰宅時間が一緒だったことでなんとなく親近感を持ってしまい、そんな風にその窓を眺めていたら、不意にカーテンが開かれて窓が開いた。暗い夜の視界、部屋の逆光の中、ベランダに出てきた人を、佳亮は目を見張ってまじまじと観察してしまった。


多分、あそこで今、煙草に火をつけた人は、先刻コンビニで佳亮の前に並んだ、あの黒いコートの人だった。


ニット帽から覗いていた明るい茶色の髪の毛が、部屋のライトに当たって、その輪郭を分かりやすくしている。なにより、あのニット帽、あの真っ黒なハイネックは、間違いなく先刻の人だ。


(うわあ、…へえ…)


単身用のマンションが多いので、建物が別になると、途端に近所の人のことが分からなくなる。何故か都会の真ん中で知人に会ったような気分になって、少し心が浮かれてしまった。


(…ふぅん…)


そうか。あのきれいな顔の人が、こんな近くに住んでいたのか。


それは、洞窟で宝物を発見したときのような気持ちだった。やがてその人が煙草を吸い終わって部屋に戻ってしまっても、佳亮は窓辺から離れることが出来なかった。




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