第514話 一時撤退 (2)

アンナから得られた情報から、もう一つ分かった事が有り、これが本題とも言える。

それは、ハンターズララバイの頭であるテンペストのバラバンタの居場所である。居場所と言っても、テンペストがどこに配置されているかというだけの話で、バラバンタ本人の容姿や居場所については、正確な情報を手に入れられなかったみたいだが、取り敢えず、現在地から北西方向に陣取っているらしい事は分かった。

それだけだとしても、ここまで何も分からなかったテンペストの事が分かったのだ。これはかなり有力な情報になるし、このタイミングでテンペストに関する情報を手に入れられたのは大きな収穫だ。


「もう一つ。これは今回の件にはあまり関係が無い事だと思うけれど…」


「なんだ?」


「アンナの記憶を読み取った時…水…のような物で満たされた容器の中に入れられている記憶が有ったの。」


「水……」


話を聞いて最初に思い浮かぶのは、俺がこの世界に来た時に、この体が入っていた容器である。スラたんと再会してから、色々と状況を確認し合った時に聞いたが、スラたんも、この世界に来た時は、俺と同じように液体に満たされた容器の中に入っていたらしい。


恐らくだが、あれはこの体と大きく関係している容器だろう。培養なのか、保存なのか…何にしても、俺達だけでなくアンナも同じような容器に入っていたとなると、この世界に住む誰かから産まれてきた普通の体ではなさそうだ。ホムンクルスという仮説が現実味を帯びてきた。


しかし、やはりハイネやピルテ達吸血鬼が見られるのは、血液が…つまり、この体が体験した事に限るようだ。

単純に記憶を見るという事になれば、向こうの世界での事が見られるはずだが、そうはならなかった。水に満たされた容器に入っていたという事は、まだアンナが体に入る前の記憶という事になる。それはつまり、アンナ自身の記憶ではなく、体の方の記憶という事になる。

要するに、アンナという人格が、その体に入る前に、既に体だけは存在していたという証拠だ。体がどういう状態だったのか等、詳しい事までは分からないが、誰かの意志によって、俺達はこの世界に呼び込まれた…という事だけは間違いなさそうだ。


「そうか…教えてくれて助かるよ。知っておいて損は無さそうだ。だが、今はそれについて考えるのは止めておこう。必要の無い話だからな。」


「ええ。そうね。

あの女から手に入った情報はこんなところね。」


「分かった。何よりテンペストの事が分かったのが大きいな。」


「パペットよりも、先にテンペストを狙いますか?」


「……それは、あの男から情報を抜き取ってからにしよう。」


俺は、声の届かない場所で縮こまるゼノラスに視線を向ける。


「な…なんだよ…」


俺の視線に気が付いたゼノラスは、怯えた声と表情で虚勢を張る。


「ハイネ。ピルテ。悪いが、また頼む。」


「ええ。任せておいて。」


「別に体力を使うわけでもないですから大丈夫ですよ。」


ゼノラスに喋らせる事も出来るが、奴隷の枷とは違い、スライムによる枷は、嘘を見抜く事が出来ない。正確には、嘘か真実かは、自分達で判断するしかないのだ。

ハイネとピルテによって記憶を直接確認出来るならば、敢えて手間を取る必要は無いだろう。二人の力ならば、わざわざ嘘か真実かを判断する必要も無いし、こんな奴に時間を割くのも馬鹿らしい。ハイネとピルテが了承してくれるのならば、二人に情報収集を任せたい。そして、二人は快く引き受けてくれた。ゼノラスの事は任せて大丈夫だろう。


「な、何をするつもりだ!僕に触れるな!」


「あー。僕から離れない方が良いよ。君の中に居る子が暴れ出すかもしれないからね。」


ハイネとピルテに詰め寄られて、逃げようとするゼノラスだが、それに対してスラたんが冷たく言い放つ。


「っ?!!」


事実、スラたんから離れ過ぎてしまえば、ピュアスライムの指揮下から外れ、スライムはモンスターとしての本能に従い、ゼノラスを体内から食い破る。とはいえ、ちょっと離れたくらいでは、指揮下から外れない為、この辺りで動く程度では問題にはならないのだが…それをゼノラスは知らない。自分が死ぬかもしれない境界線を、自らの身で調べようとは思えないだろう。

ゼノラスは逃げようとした体をピタリと止めて、こちらへと振り向く。


「そのまま体の中から溶かされて死にたいなら止めはしないけど……地獄のような痛みに襲われると思うよ?」


「こ…この……」


外道が!とでも言いたいのだろうか?自分の事を棚に上げて、よくそんな事を思えるものだ。詳しく見たわけではないが、ゼノラスのしてきた事に比べれば、可愛いものだろうに。

他人にされて嫌な事は、他人にするな。小学生でも知っている事なのに、この男には教養が無いらしい。


「や、やめろ…やめろぉ!来るなぁ!」


逃げたいのに逃げられない。そういう状況の奴隷達が持つ感情を、今、ゼノラスは感じている事だろう。


「折角隠れているのだから、大きな声を出さないでほしいわね。」


バキッ!

「ぐぁっ!」


無慈悲に殴られるゼノラス。

先に言っておくと、この男を生かし続ける気は一切無い。必要な情報が手に入り次第殺すつもりだ。だから、傷付けようとも、情報さえ手に入れば問題無い。

とは言っても…俺達も人間だし、この男がやってきたような事まではしたくない。それが出来ないから、痛みを多少与える程度だが…この男は幹部みたいだし、奴隷達の上でふんぞり返っていたから痛みに耐性など無いだろうし、直ぐに心が折れるだろう。


「や、やめ……ぎゃあああぁぁっ!」


ハイネが牙を突き立てて、噛み付き、生き血をすする。それも数秒の話だが、ゼノラスにとっては耐え難い数秒間だったらしく、目に涙を浮かべている。


「…………………」


バキッ!


「ぎゃっ!」


ゼノラスの血を飲んだハイネが、無言でゼノラスを一度だけ殴ると、俺達の方へと歩いて来る。


「見る記憶を選べない事をここまで恨んだのは初めてね。」


ハイネは、ゼノラスに見えないようにこちらを向いたまま眉を寄せる。


ゼノラスの過去に触れるわけだから、何をしてきたかを鮮明に見る事になる。必要な情報以外の方が圧倒的に割合としては多いだろうし、頼んでおいてだが、酷な事を依頼してしまったようだ。


「辛いなら口を割らせるぞ?」


信憑性には欠けてしまうが、ゼノラスの過去を見るのが辛いならば、本人の口を割らせて情報を喋らせる事も出来る。


「……いえ。私が見るわ。」


「お母様。私も」

「ピルテは駄目よ。」


ハイネは、ピルテの提案を途中で遮る。


「あんなものを見るのは一人で十分よ。」


ピルテも、吸血鬼族として生きてきたのだし、戦闘や拷問に近い事もやってきた。それでも、ハイネが止めるという事は、ゼノラスの過去は、それだけ残酷な光景なのだろう。


「で、ですが…」


「私は長く生きているから、色々と見て来たわ。だから、それなりにこういう事にも慣れているのよ。でも、慣れて良い事ではないわ。こういう光景を見せない為に、魔王様はアリス様と手を取り合ったのよ。当然、私もピルテにはこういう光景を見て欲しくないのよ。

だから、今回は私の言う事を聞いてくれないかしら?」


「お母様……」


慣れていると言っていたハイネだけれど、先程ゼノラスに表情を見せないようにしたのは、嫌悪感で表情を隠せなかったからだ。ハイネだって慣れてはいない。それでも、やはりピルテには見て欲しくないのだろう。


「私が責任を持って情報を抜き取るわ。だから、後のことは任せて。」


ピルテの返事を聞く前に、ハイネはゼノラスの方へと戻って行く。

必要な情報が早く見られるように願うばかりだ。


ハイネが休み休みゼノラスから情報を抜き取っている間に、俺達は俺達で、今後の動きについて話をしながら準備を進める。


「テンペストを先に狙うのか、パペットのマイナを先に潰すのか…どっちにしても、また戦闘が長く続きそうだね。」


「…だろうな。ただ、相手もここまでされて黙って見ているつもりはないはずだ。そろそろ本格的に俺達を潰そうと動き出すと思うぞ。」


「つまり、残った連中が僕達の方に集まって来るって事?」


「全員ではないとは思うが、間違いなく人数を割いてくれるはずだ。

マイナという奴も、手下が次々と死んでいるのに出て来なかったし、既に逃げている可能性が高い。逃げたとするならば、間違いなくテンペストに助けを求めているはずだ。その為の組織だからな。

ただ、マイナの容姿、バラバンタの容姿、その他諸々、とにかく今は情報が必要だ。それを得られたら、どのように動くかを決める。戦闘は避けては通れないだろうな。それも…」


「激戦……だね。」


「ああ。」


「まさか、僕がこんな大きな戦闘に関わる事になるなんて、夢にも思わなかったよ。」


空に浮かぶ月と星を見上げながら呟くスラたん。

別に嫌味ではない。他意の無い純粋な感想だ。


「人生、一寸先は闇とは言うけれど、本当に何が起こるか分かったものじゃないね。」


苦笑いを浮かべるスラたん。


「俺達に付いて来た事を後悔しているか?」


「ううん。全然。」


今度は、屈託の無い笑顔で言うスラたん。


「もし、ここに僕が居なかったとしても、戦闘は起きていただろうし、この世界のどこかでは、いくつもの戦闘が起きていて、誰かが死んでいるかもしれない。それがよく分かったからね。

それは避けられない現実だし、僕がいくら見ないように生きていても、起きている現実は変わらない。

それはどこに居ても同じなんだ。」


現代日本に生きている人間にとって、戦争や殺し合いというのは、どこか遠い、別の世界の出来事のように感じられる。

でも、世界では、そういう事が確実に起きていて、誰かが殺し、殺されている。

ただ、それを知らないだけなのだ。


でも、この世界では、それがあまりにも身近な出来事として起きているから、見ないようにしていなければ、否応いやおう無しに視界に入ってしまう。


「それがどうやっても起きてしまう現実ならば、しっかりと目を見開いて、その現実を見て、それをどうにかしようと動く事こそ、本当に必要な事だと思ったんだ。

別に世界を救いたいとか、そういう大それた事を言っているんじゃないよ。

たった一人だけでも、僕の力で救えるなら、救いたい。でも、救いたいと思うなら、現実を直視しなければならない。

そして、直視しなければならないなら、僕は、シンヤ君達の近くで見ていたいと思っているんだ。」


「光栄な事だが、俺達だって自分達の信じるものの為に動いているだけだぞ?」


「その、シンヤ君達が信じているものが、僕にとっても信じられるものだったってことさ。

ゼノラスみたいな連中の側から見る世界でもなければ、神聖騎士団の連中が見せる現実でもない。色眼鏡の掛かっていない現実を見て、僕自身が、ここから世界を見るべきだって思ったんだ。

だから、後悔なんてしてないよ。寧ろ、感謝しているくらいさ。あのまま森の中で過ごし続けていたら、本当に大切な事に気が付けなかっただろうからね。」


「スラタン様…」


「あははー。ちょっと格好付け過ぎたね。」


そう言って照れ笑いするスラたん。

最後に照れ隠しで話を切ったけれど、スラたんの本音というやつだと思う。そんな事を考えてくれていたなんて、俺達としても嬉しい限りだ。


「…休んでいる間に、何か腹に入れておこう。」


俺としても、少し照れ臭くて、話題を切ったスラたんに便乗して話を変えた。


「っとその前に、一度体を綺麗にしないとな。」


流石に全身血だらけで食事するわけにはいかないため、魔法陣の光が漏れ出さないように注意しながら、全員の全身を洗い流す。

予想以上に血にまみれていたらしく、洗い流した水が、真っ赤を通り越して真っ黒になっていたのには驚いた。


一度さっぱりした後、俺のインベントリから出した、既に出来上がっている食事を適度に摂取する。

しっかりと洗い流したというのに、未だ鼻の奥には血の臭いが残っていて、あまり美味しい食事とはいかなったが、腹はそれなりに膨れた。

腹が減っては戦ができぬと言うくらいだし、やはり空腹状態での戦闘では力が出ない。美味しくはなくても、何か腹に入れておく事が重要である。


ゼノラスの見張りをハイネと代わり、ハイネも食事を摂った後、休み休み情報を読み取ってもらっていると、何度目だったかは分からないが、必要な情報を入手する事に成功した。

因みに、ゼノラスが叫ぶと見付かってしまうので、猿轡さるぐつわとして布を搾るように巻いて咥えさせておいた。


「シンヤさん。マイナの事が分かったわ。」


体を休めて少しすると、ゼノラスから離れたハイネが、嬉しそうな顔で近寄って来る。


「本当に助かるよ。それで、何が分かったんだ?」


「マイナというのは、どうやら人族の女みたいね。背はシンヤさんと同じ程度と、女にしては大きめね。一応容姿も確認出来たけれど…」


「なんだ?」


ハイネは少し考えるような素振りを見せて、言葉を止める。


「ゼノラスの記憶で見たマイナという女は、どうにもしっくり来ないのよね。」


「しっくり来ない…?」


「私の直感だけれど…ここまでの人数をまとめて、奴隷もこれだけの数が居るパペットの頂点。それがマイナなのに、どうにも覇気を感じないのよ。普通、大きな組織のトップと言えば、普通の者達とは違った存在感みたいなものが有るものなのよ。

フィアーのガナサリスだって持っていたわ。隠そうとしても、隠せるようなものじゃないし、それが例え盗賊の頭だとしても、やはり人の上に立つ者には、特有の空気感が有るわ。でも、ゼノラスの記憶の中のマイナにはそれが無かったのよ。

あくまでも記憶を見ただけだから、私の勘違いという事も有り得るけれど…」


「代役…か。可能性は十分に有るだろうな。」


ゼノラスにさえ本人の姿を見せていないという事も考えられる。何せ、ゼノラス自体の戦闘力はかなり低いし、捕まる可能性を考慮して、代役に連携を取らせていたとしても不思議は無い。


「もしその女が代役ならば、結局、マイナ自身の事は分からなかった…という事になるわね。ごめんなさい…」


「ゼノラスが知らないならば、ハイネがそれを知る事が出来ないのは当然の事だ。謝る必要は無いさ。

代役の奴から本人に辿り着けるだろうから、無駄ではないさ。

他には何か分かったか?」


「ええ。その代役かもしれない女の動きについてになるけれど、ゼノラスも知っていたみたいよ。

私達とパペットとの戦闘が始まって直ぐに、その女が、渡人達とゼノラスに私達を消すように頼んでからの話よ。

アンナの記憶では、あの場を離れてはいないみたいだったけれど、ゼノラスの記憶では、援護を呼びに行くと現場を離れたみたい。」


アンナとシローが動き出した後に、ゼノラスが現れた。つまり、アンナとシローが現れた時は、近くに居たが、戦況が不利になりそうだと感じ、自分だけ逃げたという事に違いない。

何だかんだ言って、このゼノラスという男も、マイナの駒として使われていたという事だ。


結局、彼等は誰かの駒として動いていて、誰かを利用し、誰かに利用されるという構図を常に作り出している。

盗賊なんてそんなものではあるのかもしれないが、信用し、信用されているから互いの為に動ける俺達とは、根本的な原動力が全く異なる。彼等は、結局利用する事でしか他人と関われないのだろう。それは、酷く悲しい事のように思う。


「アンナの行先は間違いなくテンペストだろうな。」


「私もそう思うわ。」


「となれば、パペットにもう用は無い。敢えて近付く必要も無いだろう。ここからはテンペストを狙って動くとしよう。マイナらしき者を見付けたら、ついでに相手すれば良い。」


…と言える程甘い相手ではないだろうが、俺は簡単な事のように言う。


「そうね。それが良いと思うわ。

でも、気になるのはパペットの生き残った連中の動きよ。」


随分と数を減らしたのは減らしたが、未だパペットの手勢は数百人居る。今は逃げた俺達を探しているところだが、テンペストとの交戦に入ったと知り、そこにマイナも居ると分かれば、挟み撃ちの状態を作り出す為に動く可能性が高い。


「テンペストはハンターズララバイのトップに君臨する盗賊団だから、人数もパペットを上回るはずよ。それだけでも大変なのに、後ろから数百人が挟み撃ちに来るとなると、私達に対処出来るか怪しいわ。」


出来ないとは言わないハイネ。実際、上手く立ち回る事が出来れば、俺達だけでも、暫く耐える事は出来るだろう。ただ、それでは、結局のところ先程までの戦いとあまり変わらない。無理に突っ込んで敵陣の中で戦う事になれば、いくら体力が有っても足りない。


「回り込んで挟み撃ちにされないように動くのはどうかな?」


「相手もそれくらいの事は考えているだろうし、回り込まれたらそれなりに対応してくるはずだ。

それに、挟み撃ちも怖いが、パペットの連中がテンペストと合流して、より大きな集団になるのも怖い。俺の切り札も、万能というわけではないからな。」


「そっか…パペットの連中が厄介だね…」


「ああ。ただ、その厄介な連中が、俺達を追ってくるという事は、街に向かわないという事だ。街に向かっている連中も引き戻そうと動いているはずだし、当初の目的である、街から敵を遠ざけるという作戦は達成しつつあると言える。踏ん張った成果は確実に出ているさ。」


「倒れそうになるまで戦った甲斐は有ったって事だね。」


「ああ。」

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