第503話 ゼノラス

私が直感的におかしいと感じ取ったならば、そこには何かの見落としが有り、それを見落としたまま先に進めば、最悪死ぬ事になる。だから、直感は信じて、考える事を止めてはならない。


スラタン様も、ハイネさんも、ピルテも、私が動かない事を不思議に思ってチラチラこちらを見ている。あとはゼノラスを捕まえるだけというところまで来て、今更何を留まっているのか。そう聞きたいのは分かっている。


でも、ここで判断を誤ったら、私は多分、死んでも死に切れない程に後悔する事になってしまう。


私は周りを見渡し、自分の見落としを探す。


私が殺した戦闘奴隷が三人。血が地面に流れ出ていて、月の光を反射している。

周囲一体は草も無く更地で、ドーム型の石壁もいくつか壊れている。それを見るだけで、とてつもない爆発が有った事が分かる。

遠くには、その時に吹き飛んだであろう奴隷達の体の一部が散乱しており、見るも無惨な状況。


ご主人様の居たであろう辺りも、同じような……ううん。少し違うけれど、大爆発が有った事が分かるくらいには周囲がボロボロに………


待って。


ご主人様の居たであろう場所で起きたはずの爆発。

その爆発は、私達が居る場所の爆発跡と少し違う?


周囲に立っているドーム型の石壁が崩壊しているのは同じだけれど、こちらとは違って、石壁の破片が周囲に飛び散っていて、地面の草も残っている。

爆発の規模で言えば、同程度か、ご主人様の居たであろう場所での爆発の方が上なのに。


何で違うの…?何が違うの?


私は頭を回転させ続け、思考を加速させる。


石壁の破片が散らばっているという事は、恐らくドーム型の石壁で爆発が起きたという事だと思う。

石壁内に居た奴隷達が爆発して、耐え切れなくなった石壁が破裂した…?


ううん。違う。


もし、壁の中で爆発を起こすなら、奴隷なんて要らない。単純に爆発物を設置しておけば良い。

でも、そんな物が置いてあったとしたら、私達が石壁を破壊する可能性も高かったし、逆に利用される可能性も高い。そんな馬鹿な事はしないはず。


そうなると…爆発物が無いのに、石壁が破裂したという事になる。


爆発物が無いのに、壁が破裂するなんて事は考えられない。少なくとも、何かが起きて、壁が破裂したはず。


「………っ!!」


そこで、私は、やっと一つの答えに辿り着く。


私達が急いで正面突破をしなければなくなったのは、地面から吹き上がる炎の柱。あの魔法が有ったから。

もし、あの魔法を石壁の内部に吹き出すよう設定した場合、どうなるだろうか。


このドーム型の石壁は、出入口がたったの一つしか無い。そこさえ閉じてしまえば…ううん。閉じなくても、ドーム型の石壁内部に吹き出す火柱の勢いは、出入口から抜け出る空気よりも多く、内部の圧力を上昇させる。その上、ドーム内部の温度を急激に上昇させ、空気は熱によって一気に膨張する。

ドーム型の石壁は、分厚く、内圧に抵抗するだろうけれど、小さな出入口が一つの状態では、耐え切れなくなる。

そして、吹き上がる火柱と共に、ドーム型の石壁は破裂、爆発し炎と石壁の破片を周囲に吹き飛ばす。

もし、この予想が当たっていたとしたら、ゼノラスが逃げ込んだ先は…


「皆様!後ろへ!!」


私が焦った声で言うと、ハイネさん達は、疑問など挟まず、瞬時に駆け出し、私の後ろへと下がる。

私の言葉には、これ程の信頼が有ったのかと、自分でも驚いてしまった。

それ故に、私は絶対に間違う事が許されないのだという事も再認識した。


「どうしたの?!」


「あくまでも予想でしかありませんが…」


後ろへと回り込んだピルテが、何故下がらせたのかと私に聞いてきたのに対して、私の予想を話す。


「…そういう事か…確かに、その方法ならば、このドーム型の石壁が至る所に、等間隔で配置されている理由が説明出来るね。」


「元々拠点としてではなく、武器として設置されていたという事ね。」


「推測の域は出ませんが、あのゼノラスという男が逃げ込んだ先は…」


「ドーム型の石壁が無事な場所…だね。」


闇雲に逃げていたわけではないとしたら、誘い込まれていた事になる。

だとしたら、このゼノラスという男が、ただの駒という予想は外れていて、最初から私達をここに誘い込む事を目的に出てきたに違いない。つまり、ここまでに見せてきたゼノラスの表情や言葉は全てという事になる。


「チッ…」


そこまで思考が至った時、ゼノラスから舌打ちの音が聞こえて来る。


「もう少しで一気にぶっ殺せたのに、気付かれるとはなー…

予想通り、あの女奴隷が一番厄介だな。」


先程までのオドオドしたゼノラスの雰囲気が消え去り、まるで別人かのような振る舞いに変わる。どうやら、最初から全てが嘘だったらしい。


「まあ、実験も出来たし、取り敢えずは良しとするか。」


恐らく、戦闘能力が低いというのは嘘ではないと思うけれど、一切戦えないという程気の弱い男でもないと思う。


「まさか気付かれるとは思っていなかったな。どうして気が付いた?」


ゼノラスは私の方を見て聞いてくる。恐らく、自分が誘い込んでいるという事に私が気が付いたのが不思議らしい。


「僕の演技が下手だったからかな…割と自信が有ったのになー…」


私に聞いてきたけれど、答えを求めているわけではないらしく、自分で答えを探してブツブツと独り言を放ち始める。

これだけ余裕そうな態度を見せるという事は、多分、ゼノラスは一応の安全圏に居るという事だと思う。つまり、この周辺は既に敵の手の中であり、私達は罠にハマった哀れな獲物。


予想通り、周囲の石壁に隠れていたであろう敵兵が数人現れる。ただ、ゴチャゴチャと数が出てくるわけではなく、全部で十人。

人数は少ない上に、半数は奴隷だけれど、ゼノラスが安心するくらいだから、パペットの中でも精鋭と呼ばれるような連中に違いない。奴隷達も、間違いなく戦闘奴隷で、尚且つ、パペットに使われる事を良しとしている者達だと思う。恐らく、奴隷にしては高待遇で、生活に不自由をしない立ち位置を手に入れたのだろうと思う。そうでなければ、従順に盗賊の仲間をしたりはしないだろうから。

奴隷に対しては、かなり厳しい風当たりのパペットで、そこまでの待遇となると、かなり高い実力を持っているに違いない。

ただ、奴隷は自分の居る場所を自分では選べないとはいえ、こんな連中に自分の意思で付き従うというのは、どうにも悲しい気がしてくる。自分の居る場所で、より良い立場を目指すのは、奴隷として仕方の無い事だし、それだけが生き残れる道だというのも分からなくはない。でも、人としての尊厳を捨ててまで、こんな連中に付き従うなんて……ううん。私は、ご主人様に買って頂けたからそう思えるだけで、逆の立場ならば違ったのかもしれない。

本当に、奴隷にとって誰に買われるかというのは、生死の分かれ目と言っても過言ではない。あの時、勇気を出して、ご主人様に買ってくれと叫べた過去の自分を、褒めてあげたい程である。

誰に買われるのか、誰に付き従うのか、そんな本当に少しの差で、ここまで生き方が変わるなんて、奴隷の生き死には、本当に運次第だと思う。一歩間違えていれば、私と、目の前に居る奴隷は、逆の立場になっていた可能性も有るという事。

でも、そうはならなかった。私はご主人様に買われ、ここでスラタン様方と共に戦っている。たった一歩の違いかもしれないけれど、私が、その一歩のせいで、彼等に手心を加える事は無い。そして彼等もまた、私に手心を加える事は無い。


「ニルちゃん。」


ハイネさんは、私にどうするのか聞いている。自分達も戦うのか、逃げるのか、守るのか、攻めるのか。


「……ハイネさんかピルテが、ドーム型の石壁に穴を開けて下さい。出来る限り大きなものを。

私が闘えるスペースが欲しいです。」


戦闘の途中で爆発されたら困る。その範囲内に入らないように立ち回るには、少し場所が狭い。


「それなら、私がニルちゃんの援護に回るわ。ピルテ。周囲の石壁を破壊して回って。」


「分かりました。」


指示を出したものの、正直………かなりキツい。


相手が十人だからまだ良かったけれど、それでも十人居る。その十人は、先の戦闘での、戦斧使いや細剣使いのようなレベルの奴隷達だろうし、一斉に掛かってきたら…


「まだ終わってなかったの?」


ジワジワと陣形を広げて行く十人の奴隷達。その動きを目で追っていると、後方から声が聞こえて来る。


その声を聞いて、私の心臓がドクンと跳ねる。


女の声。


私が想像していた声とは違う。


今、このタイミングで後ろから聞こえて来る声は、後方での戦いを制した者の声であるはず。なのに、ご主人様の声じゃない。


恐る恐る後ろを振り返ると、そこには数人の戦闘奴隷を連れたアンナが立っていた。


息が苦しい。


何が起きているのかよく分からない。


ご主人様は?


いつものように、私達の元に颯爽さっそうと現れて、助けて下さるはず。

でも、辺りを見回しても、そこにご主人様の姿は無い。


「そっちは終わったの?」


「ええ。跡形も残っていないわ。一番厄介な奴が死んでくれて助かったわね。」


アンナという女とゼノラスが話し合っているけれど、何を言っているのか全然分からない。


「シンヤさんに何をしたっ!?」


ハイネさんが叫んでいる。


ご主人様に何を…?あの女が…?


思考が散り散りになってしまっていて、上手くまとまらない。


「何をしたって……ここは戦場よ。に決まっているじゃない。」


アンナの口から、殺したという言葉が聞こえて来た時、その単語だけがやけにハッキリと聞こえて来た気がする。


ご主人様が………死んだ……?


血の気が引くなんて言葉が有るけれど、今の私の状態は、まさにそれだろうと思う。全身の血色けっしょくが悪くなって、きっと真っ青になっていると思う。


「ご主人様…が……?」


私の中で、何かが崩れて行きそうになる。それが理性なのか、存在意義なのか、今の私に判断する事は出来ない。


簡単にこの女の言う事を信じようとは思わない。でも、もし……もしも、ご主人様が……そう考えると、足元がガラガラと音を立てて崩れ去って行くような感じがして、立っていられなくなる。


もし、本当にご主人様がこの世界から消えてしまったのだとしたら……


私がこの世界に残っている意味など有るのだろうか?


ご主人様に買われたあの時から、ご主人様のものであり、盾であり、剣である事が、私の全てだった。

ご主人様の居ない世界に、本当に何かの価値が有るのだろうか?


ううん。そんな世界に価値など無いし、未練も無い。


ご主人様は、私が生きている意味そのものであり、存在意義の全て。だったらいっそ……


その考えが頭を過ぎった瞬間。


「ぐっ!!」


「ニルちゃん?!」

「ニル?!」

「ニルさん?!」


突然、首元に走った感覚に、全身の感覚が鮮明になって行く。


苦しい。痛い。


私の反応を見て、スラタン様方が驚いている。

でも、それにすら反応出来ないくらいの苦しさと痛さ。


この感覚を私は知っている。


ご主人様に買われる前に何度か経験した事がある。


これは、奴隷がをした時に首輪が示す反応。


私の所有権は、ご主人様に有る。つまり、ご主人様の命令に背こうとした事で、首輪が締まったという事。


そして、ご主人様は、私に対して、首輪が反応するような命令はしない。


たった一つだけを除いて。


「自ら命を絶つような事はするな。」


ご主人様が私に対して唯一命令した内容。


たった今、私は自ら命を絶とうとした。それに反応した首輪が、命令違反だと認識し、私の首を締めたのだ。

どんな仕組みなのかは分からないけれど、精神に干渉する類の魔具という事だけは分かる。奴隷の首輪というのは、本心を決して隠せない物だから。


苦しくて痛い…けれど…………私はその痛みにしそうになった。


私の首輪が、ご主人様の命令に反応したという事は、ご主人様が生きているという事だから。


これもどういう原理なのかは分からないけれど、奴隷の登録者と枷は、命の有無で繋がっている。つまり、主人として登録された者が死ねば、その命令は無効となる。

主人が死ぬ時に、奴隷も死ぬという命令方法が有るくらいだから、登録者の心臓か魔力か…何かに繋がるような魔法なのかもしれない。多分、ご主人様が聖魂達と繋がれるように施された紋章や、スラタン様の手の甲に刻まれた紋章に似た原理だと思う。

何にしても、この痛みは、ご主人様が生きているという証拠である。


私は、枷の締まる痛みに歓喜しつつも、反省する気持ちで一杯になっていた。


自分のご主人様を信じられないなんて、従者として失格も良いところ。ご主人様よりも、敵の言葉を信じようとしたという事に他ならない。

私の首元に走る痛みは、まるでご主人様からお叱りを受けたかのように感じた。


『俺を信じろ。』


そう言われた気がした。


ご主人様が無事だと信じ切れなかった自分を、自分で殴り飛ばしてやりたかったけれど、首の枷がそれを代わりにやってくれた。


もう迷わない。


「くっ…かはっ!ゴホッゴホッ!」


そう心を入れ替えた瞬間、首輪が元の大きさに戻り、気管が開いて、空気が肺に流れ込む。


「大丈夫?!」


「はあ…はあ…はい…少し迷いが出てしまいましたが、もう大丈夫です。」


スラタン様の心配そうな顔に返答する。


「それと、ご主人様は存命ぞんめいしております。」


「「「っ?!」」」


相手に聞こえないように呟いた声を、スラタン様方は聞き逃さなかった。


「…間違いない…のかな?」


「はい。間違いありません。」


私はスラタン様の言葉に対し、首輪に触れながら答える。


忌々しいと思った事さえ有る首枷が与えてくる痛みを、これ程愛おしく思う日が来るなんて、夢にも思わなかった。


「ははは!それは朗報だね!」


スラタン様が高らかに笑う。


ゼノラスと後ろに居るアンナが、気でも狂ったのかと目を細めている。


「それさえ分かれば、僕達のやる事は決まったも同然だね。」


アンナがご主人様を殺したと思っているこの状況下で、ご主人様がここに姿を見せていないとなると、考えられるのは二つ。


一つは動けないくらいに大怪我を負ったという可能性。

でも、私は何が有っても、ご主人様を信じると決めた。きっと何とも無い顔で私達の前に現れて下さると。


そうだとしたら、もう一つの可能性が高い。

それは、死んだように見せて何処かに姿を隠し、私達の戦いを見ていて、相手の隙を見付けて一気に仕留める機会を待っているという可能性。

だとすると、私達のやる事は決まっている。


目の前の連中と戦い、私達に意識を向けさせ、ご主人様が隙を突くタイミングを作り出す。これしか無い。


皆様も同じ考えらしく、少しだけ明るくなった表情を見せている。

ご主人様が近くに居て下さる。それだけで、私を含め、皆様の心を支えてしまう。それが私のご主人様というお方なのである。


「行きますよ!!」


「僕ももう少し踏ん張らないとね!」


私が盾を正面に構えると、スラタン様は後ろのアンナの元へと走って下さる。

スラタン様は、既に走る体力も枯渇こかつしているはずなのに、アンナの注意を自分に向けさせる為に、疲れを隠せない体に鞭を打って動き回って下さっている。


「ピルテ!」


「はい!お母様!こちらはお任せ下さい!」


ハイネさんもピルテも、あと少し、もう少しだけと、気持ちを強くして魔法陣を描き始める。


「あーあー!嫌だねー!そういう熱血って言うの?無理無理!本当に気持ち悪い!」


そんな私達を見たゼノラスが、片手をプラプラさせて眉を寄せながら言ってくる。


「もうどう足掻いたって、勝ち目は無いんだってば。

全員倒れる一歩手前。対してこちらは数でも体力でも勝った精鋭部隊。闘える領域も制限されているし、こちらには魔法使いに…こいつが有る。」


コンコンと曲げた中指でドーム型の石壁を叩くゼノラス。


口調や態度、声色に至るまで、殺意を抱かせるという能力においては、超凡ちょうぼんと言える男だ。

でも、ゼノラスの言っている事は全て正論である。

確かに、この状況で私達側に立っていて、自分達の方が有利だ!なんて思う人はただの一人も居ないと思う。

誰がどう見ても、私達は、全員が全員倒れる一歩手前。

実際、死ぬ程辛いし、死ぬ程疲れているし、全身が痛い。普通ならば、勝てるなんて思えず、絶望している状況だと思う。


でも、それがどうしたというのだろうか。


これまで、私やご主人様が、相手を圧倒して、楽勝出来た事など殆ど無かった。

いつも怪我だらけだったし、ご主人様なんて、焼聖騎士ミグズとの戦いでは、腕が切り落とされる寸前の怪我だって負っていた。

そんな戦いばかりを経験してきた私にとって、辛くて今直ぐにでも倒れてしまいたい状態で戦うのは、最早当たり前みたいなものとなっている。

寧ろ、私が恩師ランカ様から教わった柔剣術の事を考えると、ここからが腕の見せ所とも言える。


私や、私の面倒を見てくれていたユラには、ついぞ出来なかったけれど、本来、柔剣術というのは、殆ど力を入れなくても剣技を出せるのである。

こうして言い切れるのは、ランカ様を相手に、私とユラの二人で立ち稽古をした時の事。

私とユラは連携を取ってランカ様に攻撃を仕掛けたけれど、文字通り、片手で撫でられただけで吹き飛ばされた事が有ったからである。

まるで痛みも無く、触れられた事にすら一瞬気付かない程だった。それでも、投げ飛ばされた時、もしこれが実戦で、ランカ様が真剣を持っていたら、私もユラも全身をバラバラにされていたかもしれないと心臓が縮み上がったのを今でも鮮明に覚えている。

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