第478話 ヒョウドとコクヨウ (2)

「私は大丈夫です。一対一ではなく、二対二と考えて下さい。」


ここで必要な事は、キチガイとコクヨウを離して一対一の状況へ無理矢理発展させようとする事ではなく、素直に二対二の状況に対処する事。


相手は、二人で戦う事が必勝法と考えている為、私とスラタン様がどれだけ頑張って引き剥がそうとしても、二人は絶対に離れたりしないはず。単体として見れば、私にもスラタン様にも勝ち目が見えているのだから、それを阻止する為にも、離れられないだろうと思う。

絶対に離れないと思っている二人を、無理矢理引き剥がそうとしても、そう簡単にはいかない。そんな事に時間を割いてしまえば、相手の思う壷。それよりも、スラタン様と私で出来る限り連携を取って、二人の連携を上回る戦闘をするしかない。


しかし…特に、コクヨウの動きが実に面倒臭い。

私とスラタン様の動きを常に把握しながら、必要な時に必要な援護をキチガイに入れる。言葉で言う程に簡単な事ではない。特に、スラタン様のようなスピード重視の戦闘スタイルの場合、タイミングを間違えてしまうと、次の瞬間、自分が窮地に立ってしまうのだから。

そうならずに、この戦闘を上手くコントロールしているという事は、それだけの技術と才能が有るという事になる。

攻撃において、コクヨウの存在はそこまでの脅威とはならないけれど、戦場をコントロールして、的確な援護をする存在としては、これ以上無い程に脅威である。

スラタン様との戦闘において、付かず離れずで程良く戦うだけならば、それなりのスピードと戦闘能力が有れば何とか出来る。そもそも相手を殺すつもりが無いのだから、押せば引くし、引いても追わない。そんな…言うなれば追いかけっこみたいな状態なのだから、一瞬で距離を縮められないスピードと、スラタン様の足を止められる武器を持っていれば、後はそれを駆使して上手く立ち回るだけで良い。

向かって来る相手ならば、どこかで必ず互いの力がぶつかる瞬間というのが存在するけれど、逃げ続ける相手とは、そういう瞬間が一切生じない。それがどれ程やり辛い戦闘かは、想像しなくても分かる。


「僕が抑えておくべきなのに…」


スラタン様は、表情にも声色にも出していないけれど、自分が任された相手を御しきれていない現状を申し訳無く感じているみたい。

しかし、私はそんな事一切思っていない。もし、スラタン様が諦めずにコクヨウの事を追って下さらなければ、私は既に追い詰められていただろうから。

コクヨウの攻撃は、私とキチガイの戦闘を止める為に必要なものだった。でも、スラタン様が終始圧力を掛け続けて下さっていたから、少し無理をしての攻撃、つまり防ぎ易い攻撃になり、私は難無くその攻撃を防げた。それは全てスラタン様のお陰である。


「いえ。逃げ続ける相手を捕まえるのは戦うより厄介です。今のままでも十分に助かっております。

スラタン様は、このままコクヨウに圧力を掛け続けて下さい。私ではスピード負けしてろくな圧力を掛けられませんので。」


「……分かったよ。僕に出来ることは全部やるよ。」


「ありがとうございます。

私とスラタン様では、相手の二人程連携は取れません。ですが、相手の連携にも穴は有ります。」


「穴?」


「相手の二人の場合、連携と言うよりは、キチ…ヒョウドが自分勝手に動いて、それをコクヨウがカバーしている状態です。それでも隙はかなり少ないですが…」


「そこに付け入る隙が有るって事だね。」


「はい。簡単にはいかないかもしれませんが、必ず隙を作ってみせます。」


「それを見逃さないようにって事だね。

ヒョウドとの戦闘自体は大丈夫なの?」


「はい。ヒョウドはそれ程強くありませんので、大丈夫です。必ず仕留めてみせます。」


「それなら、僕はコクヨウを執拗に追い回してやる。」


「ふふふ。宜しくお願いします。」


私とスラタン様は、そこまで言葉を交わして、コクヨウとヒョウ…キチガイを見る。


二人も何か話をしているみたいだけれど、多分、コクヨウがキチガイに対して、落ち着けとかそういう事を言っているのだと思う。

コクヨウとしては、あまりキチガイが予測不能な動きをし過ぎると、戦況のコントロールが難しくなってしまう為、予測の範囲内で好き勝手にしてもらうのが一番良い。そうなるように、何かを言っているはず。


勿論、コクヨウとキチガイの話が終わるのを待つつもりは無い。


「行きます!」


「うん!」


私達が動いたのを見て、コクヨウが動く。


やはりコクヨウはキチガイから離れて、独自に動くつもりらしい。常にキチガイとの距離が一定以内になるようにして、どこからでも援護に入れるようにするのが役目といったところだと思う。


「さてと……私は私のやるべき事をやりましょうか。」


ここまでの流れによって、コクヨウとキチガイの連携を崩す為に必要な方法は思い付いている。簡単に言えば、キチガイを暴走させる。それだけ。

コクヨウは常に冷静を心掛けていて、簡単には崩せないと思う。可能性が有るとしたら、キチガイの方。

ただ、簡単に暴走させる事は出来ない。確かにキチガイは狂っているけれど、コクヨウの援護の範囲内から出ようとする事は絶対に無い。自分がコクヨウと共に居る事が必勝法だという事を知っているから、どれだけ激怒していても、その一線だけは守り続けている。

それをどう崩すのか……鎧や剣に対して、異常な執着を見せているから、それを利用して激怒させれば良さそうだけれど、実際にどうやって激怒させるかが問題。


「………………」


ブンッ!ブンッ!


先程までは激怒していたはずのキチガイが、今は無言で剣を振って来る。コクヨウの言葉で頭が多少は冷えたらしいけれど…目からはイライラしているのが伝わって来る。


私に対する攻撃が、全然当たらない事にもイライラし始めているのかもしれない。どれだけイライラしても、当たらないものは当たらないのだけれど。


ズガァァン!!


目の端に映り込んでいるガナサリスとご主人様の戦闘音がここまで聞こえて来る。

パワータイプで手数の多いガナサリスは、私には少し荷が重い相手。

ご主人様もかなり警戒して戦っているみたいだし、かなり強い相手なのだろうと思う。こんな時に、ご主人様の盾になれないというのは、歯痒い気持ちで一杯だけれど、そのイライラは、目の前の相手に全てぶつける。


まずは、キチガイが怒りそうな事の中から、出来る限り激怒しそうな事を選んでぶつけてみよう。


まずは、土が付着しただけであれだけ怒ったのだから、それ以上に嫌がる物が付着させた場合、どれだけ自制が効かなくなるのかを試してみよう。


私は腰袋から、一つのアイテムを取り出す。正確にはアイテムではないけれど…


それは、真っ黒な一センチ程の小さな実。これは私が何かに使えるかも…と腰袋に入れておいた実で、小瓶に入れてある。

ただ、基本的には戦闘に使える類の物ではなくて……と説明するよりも、ご主人様が鑑定魔法で調べて下さった内容を知れば、どういう物が直ぐに分かるはず。その結果は…


【パトラルの実…真っ黒な小さな実。染色に使われる程に強い着色性を持った果汁が特徴。毒性は無いが、食用でもない。】


というもの。

今回、元々はハンディーマンを相手に、街の中をあちこちに移動するという予想で出てきた為、私が一人で移動して、その場所を誰かに示さなければならないような事態が起きるかもしれないと思って、このパトラルの実を入れておいた。

これならば、どんな物にでも、直ぐに色を付けられるから、文字にするなり、伝えたい人にのみ分かるように印にするなり、使い道は有るかと思っての事。

実際には、そんな事は無かったのだけれど…まさか、戦闘中に使う事になるとは予想していなかった。


このパトラルの実から出る果汁は、とても染色能力が高くて、手に付着したりすると、三日、四日程は色が落ちない。

そして、金属というのは、どれだけ綺麗に磨いたとしても、表面には小さな凸凹や穴が有る物で、着色性の強い物が付着してしまうと、色が抜けないと、セナとご主人様から聞いた。

それは恐らく、とても質の良い金属製の鎧でも変わらないはず。そして、青白い鎧や剣に、黒色はよく映えるはず。


私は、小瓶に入っているパトラルの実を取り出して、手の中に収める。

元々戦闘用のアイテムではないのだから、数は三つと少ないけれど、十分だと思う。


パトラルの実は、真っ黒な一センチ程の小さな球状の実で、水分が多く薄い皮をしている。触った感じはぷにぷにしていて、ラトの肉球に近い感触。


ブォン!


そんな事を頭の隅で考えながら、キチガイの剣を避ける。


流石に、私が腰袋から何かを取り出した事には気が付いているみたいで、かなり警戒させてしまった。

ここまでの戦闘で、光、音、爆発に毒煙と、色々なカビ玉を使って来たし、警戒するのも無理は無い。

でも、どれだけ警戒しても、私が持っているのは、言ってみればただの木の実。毒性も無いし、ただ色が着くだけの事。

でも、キチガイはこう思っているはず。

光、音、爆発、毒煙。色々と有る中で、危険なのは光と爆発だけだと。

音は恐らく兜の効果で打ち消されてしまうと思う。鎧と同様に、風魔法の魔具が使用されているのであれば、音を遮断する事も出来るはず。もし、それが不可能だったとしても、聴覚を暫く失うだけ。私とスラタン様の動きさえ見えれば、防具でどうにか出来る。毒煙は結局は気体に乗せられて飛んで来る物だから、これも鎧の風で弾けるから問題無い。

それに対して、危険なのは光によって視界を奪われてしまう事と、爆発によって破片が顔面に飛んで来るという事。この二つさえ防いでしまえば、どうにでもなると考えているはず。

そうなると、恐らく、キチガイは私が手に持っている物を投げようとした瞬間、顔を庇った状態に体勢を移行するはず。これならば、閃光によって視力を奪われてしまう事もなく、爆発の衝撃も受け止められるし、私の斬撃も通用しない。

そんな簡単に想像通りの動きをするのかと思うかもしれないけれど、攻撃があれだけ単純なのだから、防御も似たようなものなはず。素直に唯一攻撃が通るであろう顔を守ろうとするに違いない。

ただ……


ビュッ!!


キンッ!!


横から飛んできた小振りのナイフを盾で受ける。

当然、私がアイテムを使う前に、コクヨウは私を止めようとする。


「くっそ!また!」


「焦らないで下さい!!」


コクヨウが執拗にキチガイの援護をするのを見て、スラタン様が強引に攻撃しようとする。しかし、私はそれを直ぐに大声で止める。


「っ………」


スラタン様は、直ぐに自分が焦っている事に気が付いて、追い掛ける事に集中してくれる。


コクヨウが執拗に援護するのは、こうして相手の焦りを引き出す目的も絡んでいる。焦って攻撃を仕掛けて来ると、必ずそこには無理が生じて、その無理は隙に繋がる。そうして、作り出した隙を突いて一撃を与える。コクヨウはそういう戦い方。


やはり連携力で劣っているのは、痛いところ。

私とスラタン様の連携が完璧なものならば、私がどういう攻撃を防げて、どういう攻撃が防げないのかをスラタン様が正確に把握出来て、そこから導き出す戦法も一段上のものになるはず。当然、逆もまた然りで、私にもスラタン様の事は分からない部分が多い。

互いの限界値とか、反応速度みたいな細かい情報の擦り合わせが出来ていないから、そういうところで僅かな反応の差とか、無駄に反応してしまう状況が発生してしまっていて、スラタン様が焦りに駆られる原因になってしまう。


でも、ここで焦りは禁物。


確かに状況は良くない。ううん。悪いと言える。でも、私とスラタン様にも必ず勝ち目が有るはず。

戦いの流れの中に有るはずの勝負を決める点で、必ず流れを掴む。それが出来れば、一気に流れはこちらに傾くはず。


それにしても、コクヨウは、てっきりガナサリスの方を中心的に援護するのかと思ったけれど、見向きさえしていない。私とキチガイの戦闘は、傍目に見れば私が不利だと思うはず。実際に、隙さえ有れば攻撃していても、未だ掠り傷一つ付けられていない。

だとすると、勝負の行方が分からないご主人様とガナサリスの戦闘に手を貸す方が建設的に感じる。私はご主人様が負けるなどとは微塵も思わないけれど、苦戦するのは間違いないし、今直ぐにでも盾となる為に馳せ参じたいくらいなのに…

私とご主人様の連携を嫌って、私の足止めをしている…という事ではなさそうだし、ガナサリスと渡人は完全に別の勢力だから…というのも違うと思う。それならば、最初からこの場には来ていないだろうから。ガナサリスとの関係も、対等に見えたし、助けたくないという事も無いとすると、やはりキチガイの性格が問題なのかな?

これ程怒りの沸点が低い男もなかなか見ない。しかも、それが演技ではなくて本気なのだから、目を離せないという事かもしれない。

もし、それ程に不安定な精神状態ならば、思っているよりずっと簡単に暴走させる事が出来るかもしれない。


ビュッ!ビュッ!


「っ!!」


カンッ!キンッ!


コクヨウの攻撃が、かなり執拗になって来た。私の攻撃をどうにかして防ごうとしているみたい。


ブンッ!ブンッ!


それに合わせて、無言のキチガイが攻撃を仕掛けて来る。先程とは違って、それなりに落ち着いて剣を振っている分、隙を狙い難いけれど、思った通り、コクヨウの狙いもかなり雑になっている。スラタン様が追い掛けている以上、コクヨウは私に対して、致命的な攻撃は繰り出せない。そして、コクヨウは、私に攻撃を仕掛けると、必ず一瞬スラタン様から意識を外す事になる。その間にスラタン様ほコクヨウに近付いて来る為、コクヨウは、私への攻撃を終えた瞬間、絶対に逃げる為の行動を起こさなければならない。そして、そのタイミングは、私がキチガイに攻撃を仕掛ける絶好の機会となる。


「ヒョウド!下がるんだ!」


「………………」


コクヨウの言葉を無視して、キチガイは私に正面から向き合う。


自分の防具と武器に絶対の自信が有るから、私の攻撃を全て真正面から潰してやろうという感情が表情に出ている。

そこまでの自信が持てる防具や武器を持っていれば、確かに強気に戦闘を進める事が出来るだろうと思う。でも、物に頼り切った戦い方で勝てる程、私達は弱くない。


「下がるんだ!!」


ビュッ!!


カキンッ!


コクヨウが、ジリジリとキチガイに近付く私に対して、また投げナイフを飛ばしてくる。

しかし、目を瞑っていても止められる程の甘い軌道。スラタン様との距離が近過ぎて、私に意識を向ける時間が極端に短いに違いない。


私は投げナイフを盾で受け止めると同時に、右手に持っていたパトラルの実を投げる。


真っ黒な球状の物体を前に、キチガイは顔を覆い隠す。


「予想通り過ぎですね。」


ビチャビチャビチャッ!


左腕、腹、右足に飛んで行ったパトラルの実が鎧に当たると、気の抜けるような情けない音がして鎧に黒い果汁をたっぷりと付着させる。


「……は、はは。はははは!」


自分の鎧に黒いシミが出来た事に気付かないキチガイは、私の使ったアイテムが不発だと思ったのか、声高々に笑い出す。


「ははは!僕のシェリーにはどんな攻撃も効かな………」


そこでやっと、自分の鎧に起きた事を認識したキチガイが、黒いシミを見て動きを止める。


「シェリィィィィィィィィィィィ!!!」


そんな叫び方が有るのかと聞きたくなるような言葉で叫ぶキチガイ。


自分の鎧に付着した黒い果汁を手で触れると、果汁は取れるどころか伸びてしまって、手の方にも色が移ってしまう。少し考えれば、それくらい分かりそうなものなのに、やはりキチガイはキチガイという事なのかな。


「うあ゛あ゛あああぁぁぁぁぁ!!!」


遂には、キチガイの両目から涙が流れ出して来る。

まさかそこまで絶望するとは思っていなかったから、予想外のダメージに私もビックリしてしまう。

他にも鎧を汚す手を色々と考えていたけれど、これで十分みたい。


「僕のシェリーがあぁぁぁ!!」


「おい!ヒョウド!落ち着け!」


「うあ゛あああぁぁぁぁぁ!」


完全に正気を失ったキチガイが、何を思ったのか魔法陣を描き出す。


敵が目の前に居るというのに、あまりにも無防備。

当然、私は一気に近寄って攻撃を繰り出す。


ギィン!


しかし、キチガイは自分の顔を、剣を持った腕でガードしながら、魔法陣を描き続ける。防御力を利用して、私の攻撃を防ぎながら魔法陣を完成させようとしているらしい。


「そんな事はさせませんよ!!」


ギィン!ギィン!ギィン!


私は魔法陣を描こうとする手を何度も斬り付ける。


魔法陣は、少しのズレによって魔法が発動しなくなってしまう繊細なものだから、私の攻撃による衝撃で、魔法陣を描く線が歪んで、消えて行く。


いくら私の攻撃力では防御を突破出来ないからって、目の前で魔法を発動させようとするなんて、どんな思考をしているのかと聞きたくなる。


「邪魔をするなああぁぁぁぁっ!!」


ズガァァン!


魔法陣が完成させられない事に苛立ったキチガイが、全力で剣を振り下ろすけれど、力任せの一撃なんて簡単に避けられる。


ギィン!


間髪入れずに顔面を狙った一撃を放つけれど、そこだけは守りが徹底されていて、腕でガードされてしまう。でも、これで良い。


ギィン!ギィン!ギィン!


視界を塞いだキチガイに対して、諦める事無く攻撃を繰り返し、反撃が来る前に下がる。

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