第429話 ハンド (2)

後ろから飛んで来たのは、小瓶。

中には水色の液体が入っている。多分、スラタンが渡してくれたスライムの溶解液だと思う。相手は鎧なんて着ていないし、当たれば間違いなく大きなダメージを与えられるけれど、そもそも投擲というのは、なかなか当たるものじゃない。特に、こうして距離が有る時は、緩やかな放物線を描いて飛んで行く為、相手にとっては避け易い。


ピルテが十秒耐えて欲しいと頼んだのだから、これだけとは思えないけれど、何をしようとしているのか分からない。私の意識は、ギリギリ保たれているような状態だし、これで決められなければ、かなり苦しい事になってしまう。

でも、あまり不安ではなかった。ピルテは元々自分の意見を口にしない子だったから、ニルちゃんに触発されて口にするようになったとしても、自信が有る時以外は、口にしない。だから、ピルテがやれると判断したなら、やれるということ。


「そんな物が当たるかよ!」


嬉しそうに飛んで来る小瓶を見詰める曲剣使いと弓使い。


パリンッ!


放物線を描いて飛んでいる小瓶は、まだ相手には届いていないのに、ガラスが割れる音が響く。


「ぎゃあああぁぁぁぁ!!」


痛みに苦しむ声が、辺りに響く。


苦しんでいるのは弓使い。顔を抑えて屈む弓使いの顔が、真っ赤になっているのが見える。頭に血が上ってという意味ではなく、顔の皮膚が溶け、下の肉が剥き出しになっているから。


パリンッ!


その数秒後、放物線を描いて飛んでいた小瓶が、地面に当たって割れる。


ハンドの二人も、何が起きたのか理解出来ておらず、唖然としている。


パリンッ!パリンッ!


「ぐああぁぁ!」

「あ゛あああぁぁ!」


唖然としているハンド二人にも、ピルテが投げた瓶が当たり、内容物が頭にベチャリと張り付く。二人は頭部に感じる酷い痛みに、前屈みとなって悶えている。


先程の弓使いもそうだったけれど、飛んで来た瓶に全く気が付いていなかった。その理由はとっても簡単。見えなかったからである。


ピルテが投げたのは、二種類の瓶。

一つ目は、何もしていない普通のスライム溶解液。そして、もう一つが、内容物は同じだが、カラースライムの変色液を塗った瓶だった。周囲の状況に合わせて色を変える変色液は、投げた瓶を保護色に変える為、空中を飛ぶ瓶自体が見えなくなり、当たってしまったという事。

変色液を塗った瓶だけを投げた場合、物体自体が無くなるわけではない為、注意して見ていれば、影も出来るし、避けられる。しかし、上空に投げられた普通の小瓶に目を向けていた彼等は、本命に気が付く事が出来なかった。

変色液の塗られた、極端に視認性が悪い瓶が投げられている事に気が付かず、何が何だか分からないうちに、もう一度変色液を塗った瓶を、私の目の前に居るハンド二人に投げ付け、あっという間に戦況をくつがえしたという事。


「この…ぎゃあああああああぁぁ!」


このままでは私とピルテに負けてしまうと確信しているハンドの一人が、無理矢理にでも攻撃しようと私に向き直ろうとしたけれど、溶解液が目にでも入ったのか、顔に手を当てて両膝を地面に着く。


私は右手を水平に持ち上げ、シャドウクロウの爪先を伸ばす。


ドスドスッ!


伸びた爪先がハンド二人の額に突き刺さり、叫び声がピタリと止む。


これで、後は脇腹を怪我した曲剣使いと、ハンドの二人と同様に顔面を押さえてのたうち回っている弓使い。後は気を失っている大盾使いにトドメを刺すだけ。


朦朧もうろうとしつつある意識の中で、そう考えていると…


「お母様!!」


ピルテの叫び声が聞こえてくる。


焦った表情で私に向かって走って来るピルテ。


頭を逆に向けると、直ぐそこにまで曲剣使いが迫っていた。


脇腹から流れ出ている血はかなりのものなのに、私を道連れにしてやろうとでも考えているのだろうか。


振り上げている曲剣を見た時、これは間に合わない…と直感的に悟った。


今から防御態勢に入っても、待避行動に出ても、振り上げられた曲剣は、私に致命傷を与えるに違いないと。

諦めるのとは違う。どう足掻いても私にはどうする事も出来ない事実だと理解出来た。

付与型のシールドでも残っていれば、話は違ったかもしれないけれど…いいえ、どちらにしても……私は死んでしまう。


振り下ろされる曲剣を見ながら、不思議な程冷静に、私は今から死ぬのだと考えていた。


曲剣が、そろそろ私を捉えようとした時。


私の頬を撫でる風を感じた。


ギィィィン!!


甲高い、金属が打ち合う音が聞こえると、目の前に、クルクルした青髪が見える。


「はあっ!」


ザシュッ!ザシュッザシュッ!


その髪の毛が何度か動く。私を助けてくれたらしい。


「ハイネさん!」


クルクルした髪がこちらへと振り向くと、特徴的な丸眼鏡。スラタンの顔があった。


「お母様!」


私は後ろから、ピルテによって支えられる。


タンッ!


目の前からスラタンが消えると、足元には喉を切り裂かれた曲剣使いが倒れている。


「ぎゃあああぁぁぁ」

ザシュッ!ザシュッ!


見えなかったけれど、叫んでいる弓使いの声が途絶えた。スラタンがトドメを刺してくれたのだと思う。


まだ自力で立っていられる力は僅かに残っているけれど、痛みが酷過ぎて、時折意識が飛びそうになる。


「大盾の男から…情報を…」


「それは私がやりますから!」


追っ手は片付けたけれど、この戦い自体はまだ終わっていない。やれる事をやらなければと、動こうとしたのを、ピルテに止められる。

そこで、私の足から力が抜けてしまい、カクンと体が落ちる。


「お母様!!」


「ハイネさん!」


ピルテとスラタンの心配そうな声。


「直ぐに治療を!」


スラタンが私に手を伸ばそうとした時。


「ダメ!!」


ピルテがスラタンの手首を握り、止める。


「え…?」


止められるとは思っていなかったスラタンが、小さな声を漏らす。


「……詳しくは後で話しますが、私とお母様の血は、私達の種族以外の人達には毒なのです。ですから、触れてはダメです。」


スラタンを、魔族の争いに巻き込まないように黙っていたけれど、話す時が来てしまったのかもしれない。


「そ、そうなの…?でも種族って……ううん。今はそれどころじゃないね。

分かった。僕は触れないから、ピルテさんにお願いするよ。でも、かなり酷い怪我だ。出来る限り手伝わせて。」


「あ、ありがとうございます。」


私もスラタンにお礼を言いたいけれど、言葉が出てこない。


「まずは、これを抜かないと治療も何も無いから、引き抜かないと。横向きに寝かせて……多分、かなり痛むと思う。」


「お母様…」


ピルテの言葉に、私は小さく頷く。


右肩を下にして寝かされる。

直ぐにスラタンが私の前に来ると、布を巻いたような物を口元に持って来る。


「これを噛んで。」


私は素直に口を開いて、布を噛む。


「…お母様。いきますよ。」


もう一度小さく頷いてみせる。


「いきます!」


ズリュッ!


「ん゛んーーーーーー!!」


あまりの痛さに、自分の叫び声と共に、目の前が真っ暗になる。


ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー



その頃、シンヤとニルは…


「かなり数を減らしているはずですが…まだ出てきませんね?」


手当り次第に敵兵を殺し、数もかなり減らしたが、未だに敵部隊の隊長らしき者には出会っていない。


「私達に気が付いていないのでしょうか?」


「いや、そんな事は無いと思うぞ。この陣形は、直ぐ隣のパーティが襲われていた場合、情報を横のパーティに直ぐ流せる形になっているからな。

最初に敵を襲った時、敵が来たと叫んでいただろう。ああして情報を共有するんだ。」


「なるほど…だから帯のように広がって行くのですね。それでしたら、手当り次第に攻撃するより、間を攻撃して、情報の伝達網を途絶えさせた方が効率的に思えるのですが…?」


「本来ならその方が効率的だ。相手の部隊を孤立させつつ、殲滅していくという流れならな。

だが、今回の場合は、相手の頭を引っ張り出すのが目的だからな。情報を伝達してもらわないと。」


「なるほど…陣形というのは、なかなか難しいですね。長所と短所が有って、相性が有るという事ですね。」


「ニルは相変わらず理解が早いな。そういう事だ。

俺も詳しい事はあまり知らないが、この陣形に対しては、この陣形で対応…みたいな感じらしいぞ。」


「大人数を相手にする事は多いですが、大人数を動かす事は無かったので、全然知りませんでした。」


「俺もだよ。知識は多少有るから推測くらいは出来るが、どこかで学ぶ必要が有るかもな。

それはそれとして……敵の南側、左翼側はかなり大きく減らせたから、そろそろ隊長部隊が出てきてもおかしくはないんだが…」


俺とニルが居るのは、敵の左翼中央辺り。先程潰した部隊が、五人ではなく四人だった事と、一人が浅い傷を負っていたのを見るに、恐らくスラたんが一人削ったのだと思う。

そうなると、ここより左翼先端側は、既にスラたんが手を出している部隊となるし、まず間違いなくどの部隊も何人かずつ削られているはず。

手負いの部隊ならば、動きも鈍るだろうし、放置してもそれ程問題は無いだろう。寧ろ、問題はまだ元気な右翼側。北側の東から西へ湾曲して配置された部隊が、そのまま南下してくるはず。恐らくその中に隊長が居るとは思うが…更にその後ろに控えているであろうプレイヤーは、全く出てこない。出て来るつもりが無い…のか?


そもそも、この陣形を指揮しているはずの隊長は、これだけされていても俺達を無視している。普通ならば有り得ない事だし、あまり陣形についての知識が無いのではないかと思う。

つまり、この陣形にすると決めた者はプレイヤーだが、実際に陣形を指揮している隊長とは完全に別の者だと考えられる。


「ニル。」


「はい。」


「少し作戦を変えよう。」


「はい。仰せのままに。」


作戦内容を聞く前だというのに、即答するニル。

ただ、最近は疑問に思った事を色々と聞いてくれるようになってきたし、少しずつ変わってくれれば嬉しい。と言っても…ニルの俺に対する信頼は揺るがないし、こうして即答するのは、どこまでいっても変わらない気がする。


「内容を説明するぞ。」


「はい。」


「推測だが、ここまでの戦いで、この陣形を指揮している者は、恐らく渡人ではないのではないかと思っている。

つまり、プレイヤーは、全く別の場所で見ているだけ…という事も考えられるわけだ。」


「森の中には居ないという事ですか?」


「あくまでも推測だから、絶対とは言えないが、可能性は高いと思う。」


「という事は、渡人の者達を誘い出そうとする動きよりも、殲滅戦に切り替えるという事ですか?」


「殲滅してしまえば、追っ手の心配とかは無くなるが、どうにも嫌な感じがするんだ。」


「嫌な感じ…ですか?」


「ああ。そもそも、元々決められていた作戦だったとしても、敢えて、今村人達を襲う必要なんて有るか?」


「ザレインの損失を少しでも取り戻そうとしているですとか、そもそもザレインを奪ったのが、復讐心を持った者達が集う、村の人達だと考えたとかだと思っていたのですが…」


「ザレインの損失を取り戻そうとするなら、奴隷じゃ割に合わないと思うんだ。売れるかも分からない奴隷では、ザレインの代わりにはならないだろう。

ザレインを奪ったのが、あの村の人達だと考えたというのも、恐らくは違う。

そもそも、奴隷やそれに近いような扱いを受けて来た者達が、ザレインの保管庫を襲えるわけがない。

本気でザレイン絡みで相手が動いているなら、敢えてこの人数を持ち出すより、この人数でザレイン農場を別の場所に設置した方が建設的だろう?」


「それは確かにそうですね……」


「それに、俺達の事を知っていたハンドの事と、ポナタラで三人のハンドが死んだ時に居たであろう誰かが、ハンディーマンに情報を持ち帰った…と仮定すると……そもそも、この村人達を襲う作戦自体が、俺達を誘い出す為の作戦かもしれない。」


「目的は村の皆様ではなく、私達の方という事ですか?」


「ああ。そう考えると……ここで殲滅に動き出すと、俺達は北に向かう事になる、森の深い位置に向かって移動しなければならない。」


現在地は、村から見て南東側。村から俺達までの距離と、俺達から森の外までの距離が大体同じくらいの場所だ。

ここで、北から来る連中に対抗する為、北へ向かうとして、ぶつかるのは恐らく村の東から北東部分。そこから部隊を更に削ろうとするなら、ぶつかった地点から西へと向かう事になる。すると、丁度村の辺りに辿り着くか、少し村より北に移動していく事になる。

村人達が逃げ切れず、包囲網の中に居た場合、逃げるには包囲網の中心、つまり、俺達が誘い込まれているであろう村に向かう事になる。

最終的に、俺達を含めて、全員が村に戻るという事だ。


ここまでの話を聞いたニルが、ハッと顔を上げる。


「もし…もしですが、相手の渡人に、魔法が得意な者が居たとしたら…いえ、友魔との契約、それとは違うとしても、何か特殊な攻撃方法…例えば、ハンドの三人を殺した時のような、攻撃方法を持っているとしたら、一網打尽にされてしまいます!」


「この予想が当たっているとしたら、相手はかなり厄介な渡人だ。恐らく、大規模なクランか何かで、大きな部隊を動かしていたような奴だろう。」


「それは確かに危険な相手ですね…逃げますか?」


「いや。恐らく、逃げたとしても、どこかでぶつかる事になる。既に、相手側の半数近くを削っているし、この機を逃すと、更に大規模な部隊と戦闘する事になるかもしれない。そうなれば、次はもっと辛い状況に陥る可能性が高い。」


「敢えて罠に飛び込むのですか?」


「飛び込むのとは違うさ。そこに罠が有ると分かっているのだから、それを利用する事も出来るって話だ。」


「………誘い込めていると勘違いさせて、こちらが戦場をコントロールする…という事でしょうか?」


「そういう事だな。」


理解力の高さを賞賛して、ニルの頭を撫でてやると、やったと小さなガッツポーズをするニル。


「しかし、この作戦を実行するには、いくつか条件が有る。」


相手の作戦的には、もし、村人達が逃げてしまったとしても、それを援護している俺達を村に誘導出来れば良いというもの。

つまり、村人達はおまけ程度に考えているという事だ。元々、俺達を狙った計画。

ここまで大規模な戦場を用意するとなると、俺達相手に単独や少数では勝てないと判断している上に、ここまでの数と計画が必要だと判断されたという事になる。俺、ニル、ハイネ、ピルテ、スラタンの五人を相手取ると考えた場合、これだけのものが必要だと判断したのだ。

たった五人に対して百人とは、随分と過大評価だと思うかもしれないが、ポナタラで行った作戦の事を考えれば、妥当と言えるだろう。同程度の数の者達を、一夜にして殲滅させられたのだから。


この大規模な部隊に対し、俺達が今から攻撃と罠を張るとした時、いくつか考えなければならない事がある。


まず第一に、俺達の目的である村人達の安全だ。

この部隊を組んだプレイヤーを早々に退場させたいと思って行動するのは良いが、村人達の安全が脅かされるような状況になってしまったら、まさに本末転倒。それならば逃げてしまった方が良かったと言える。

つまり、村人達が、安全に退避可能な状況に有るのかの確認。これは絶対に必要な条件となる。


次に必要なのは、スラたんの存在だ。

ハッキリ言ってしまうと、プレイヤー複数人との戦いは、俺も勝てる自信が無い。

ここまでの戦闘を通して、相手のプレイヤーがどこかの大きなクランの、しかも幹部クラスの者だと予想出来た。これが正しいのだとすれば、トップクラスのプレイヤーか、少なくともそれに次ぐような実力の持ち主だろう。当然、複数人のプレイヤーが居るとしたら、同レベルか、近い実力を持っているはず。何人居るのか分からないが、俺とニルで一人ずつ相手をしたとしても、三人以上居た場合、かなり厳しくなる。

そして、その対処として、戦闘には参加させずとも、スラたんのスピードは実に有効な手札になる。

何せ、スピードだけならファンデルジュ界のトップクラス。いくら相手が強くとも、絶対に追い付けないだろう。挑発、逃走を繰り返してくれるだけでもかなり助かる。


最後の一つが、今回の作戦と、プレイヤーキルに関する知識の共有だ。


ファンデルジュには、プレイヤーキル、つまり、プレイヤーがプレイヤーを殺す事も有った。実際に、殺される側を体験した俺はよく知っている。

ファンデルジュがリリースされてからは、荒らし目的だとか、色々な理由でプレイヤーキルの話がちょこちょこ出ていたが、一年を過ぎる頃になると、ハードコアなゲームと認識され、プレイヤーキルはほぼ無くなっていた。死んだら全ロストという鬼畜仕様なだけに、プレイヤーキルは悪質な行為とされ、即時キャラ名が晒されたりしていたから、プレイヤーキルをしたとしても、得られるものより失うものの方が多いからだ。

ただ、中には、特別な理由でプレイヤー対プレイヤー、所謂PvPの構図になる事も有る。理由は私怨だったり、クラン内のいざこざだったりと様々だったが、ゼロではなかった。


プレイヤー同士の戦闘というのは、対モンスターとは全く異なり、完全な騙し合いとなる事が多い。

クラン内でPvPが行われる場合、決闘スタイルになり、どちらかが死ぬという事が無いように管理された状況が多かった。

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