第381話 サプレシ草
「ご主人様…私は何かを間違えてしまったのでしょうか…?」
眉を八の字にしてしょんぼりするニル。
「いや。そんな事は無いぞ。」
俺はニルの頭をポンポンと撫でてやる。
「寧ろ、俺が悪いんだが…」
「ご主人様が悪い事など絶対に有り得ません!」
自信満々で言ってくるニル。
ニルよ…俺も人なのだから、悪い時もあるのだぞ…それも割と。
「ありがとうな。まあ、それについてはいつか話すよ。いつか……な。」
「??」
俺の掌の下でキョトンとするニル。
ニルにとって、俺という存在は主人であり、超人であり、救世主であり……とにかく、雲の上の存在のような意識が強い。それ故に、ニルの中には、俺が望む以上の距離に近付くという選択肢は無い。それは俺も分かっているし、いつかは、俺から動かなければならない事も理解している。
それでも、せめて、ニルの両親が無事かどうか、無事ならばどうしているのか、それくらいは把握してからでなければ、色々な意味で良くないと思っている。
俺の自己満足だと言う事も理解しているが、それでも、彼女を一人の人として見て、扱いたい。それは…俺の我儘なのだろうか…
「まあ、シンヤさんならいつか、必ず、何とかするわ。だから、ニルちゃんはその時を待っていると良いわ。」
「……はい…?」
何の話か分からないと言いたげな顔をするニル。ニルの中には、そういう発想が無いから、本当に分からないのだろう。
ハイネとしては、必ずを強調したように、俺の選択肢は他には無いのだから、時が来た場合は、しっかりしろよ…と言いたいのだろう。
なかなかのお節介だが……少しだけ、母の事を重ねてしまう。
俺の母親が生きていたならば、同じような事を言っていただろうか?
優しい母の事だから、静かに説得されていただろうか?
父にするように、尻でも叩かれていただろうか?
どうされたかは分からないが、きっと、ここまで俺が心を開き、開かれている相手に対し、責任を取れと言うはずだ。
ハイネの言葉を、母の言葉と重ねるように聞き、俺は大切に胸の内に仕舞っておく。
「それにしても、嫌という程雨が降るわね。」
帰ってから既に二時間程が経っているのに、外では未だ雨が振り続けている。
「スラタンの話では、この辺りは雨が降る事が多いらしいわよ。だから緑も多いとか。」
「植物にとっては、恵みの雨だもんな…緑豊かという事は、それだけ水分も豊富なのか。」
「言い伝えでは、ロック鳥は雨を呼ぶとか言われているし、あれが居るから雨が多いのかもしれないわね。」
「そんな言い伝えがあるのか?」
「ロックなんてそこらに居るようなモンスターじゃないから、ただの言い伝えよ。嵐と共に現れ、嵐と共に去ると言われているの。
ロックを崇めている村では、雨が降るとロック様のお恵みだと喜び、雨が去るとロック様に感謝すると聞いた事があるわ。」
この世界での農作物は、天候によって大きく左右される。ハウス栽培など無いし、街の場所によっては備蓄も少ない。その上、国という概念が無い為、元居た世界よりずっと大きな影響を受けるのだ。
そんな世界で、農作物を育ててくれる雨は、まさに恵みの雨と言える。そんな雨を
実際に天候を操る…なんて力を持っているとは思えないし、神々しい姿から連想し、雨を齎してくれる存在だと崇めていると言った方が正しいかもしれないが。
「感謝ねえ…信じるものは人それぞれだが…」
「色々なモンスターと戦ってきたシンヤさんには、モンスターはモンスターとしか見えないかしら?」
「まあ…正直に言うとな。ロックは間違いなくモンスターだ。恐ろしい相手ではあるがな。」
「シンヤさんや、スラタンが居た場所は、酷く現実的な人が多かったのね?」
「あー……」
俺とスラたんが同郷だと言う事が分かった以上、そこがどこかは分からずとも、同郷と呼べるような場所が存在する事は間違いないと分かる。ハイネはその場所の事を言っているのだ。
流石に、この世界を作った世界…なんて考えは持っていないとは思うが、少なくとも、オウカ島のような場所か、それこそ聖魂達の居る島というようなイメージくらいは持っているかもしれない。
「その場所の事には興味が有るけれど、聞かせてくれって言っているわけじゃないわ。
ただ、シンヤさんは、あまり神や、天の遣いというようなものを信じているようには見えなかったから。
それは、魔界の内でも外でも、とても珍しい事だと思ってね。
スライムの物を溶かす原理も、微生物によるもの…なんて発想になるのは、普通ではないわ。もし、街の人に聞いて、答えに行き詰まれば、きっと、神の御業とでも言うと思うわよ。」
「お母様の言う通りかもしれませんね……私でも、そう思っていたかもしれません。神が作り出した物だから…と。」
「シンヤさんも、スラタンも、きっとその答えに納得出来ないのでしょう?だから、考える事を止めない。
神の御業だと言ってしまえば、そこで思考を放棄していることになるものね。
考え続ける事が大切で、その先に色々な事を切り開く鍵が眠っている事を教えて貰ったわ。でも、あまり行き過ぎると……いつか、神を信じぬ者として、追われる事になるかもしれないわよ。」
「……そうか……」
この世界の根底には、神という考え方が染み付いている。それこそが絶対の正義であり、それを否定する者は全て悪である…とまではいかないかもしれないが、そういう連中が居てもおかしくはない。特に神聖騎士団のような連中には。
無神論も、あまり大きな声で言うものではないわけだ。ここまで気にして来なかったが、そういう注意も必要だと、ハイネが教えてくれているのだ。
「それもそうだな…あまり深く考えて来なかったが、これからは気を付けるとするよ。ありがとう。」
「ふふふ。良いのよ。たまには年長者として振舞わないとね。」
ハイネはウインクして笑ってくれる。もう何度も年長者として振舞ってくれているし、それに助けられている。
「そうだよな……説明の付かない事だって、色々と体験しているし、頭から神の存在を否定するのも間違っているかもしれないからな。」
転移に始まり、魔法、俺にとって都合良く働くイベントシステム……神の御業だと思えるような出来事は、既にいくつか俺の身にも起きている。
起きているならば、それについても考えるべきだ。神など居ないと切り捨てる事もまた、思考を放棄しているのだから。
少なくとも、この世界にとって、ファンデルジュの運営や、システムというのは、神に近い…というか、神そのものといった存在に違いない。俺達の想像する、全知全能、正義の象徴といった神とは違うが、俺達をこの世界に引き込めるだけの力を持った何かは、確実に存在しているはずだ。
ここまでこの世界で見て来た沢山の悲惨な光景が、神の御心だと言うのならば、俺はそんな神を斬り捨ててやると思っているが、居ないと決め付けるのは良くない。この目で見て、この耳で聞くまでは、神の存在を認めたくは無いが、居ると仮定して想像しなければ、後々痛い目を見るのは俺かもしれない。
「神と言えば……魔族と神聖騎士団は、信仰する神の違いで争っているんだったよな?」
俺はスラたんに話が漏れないように魔法で防音して話を始める。
「ええ。私達は、フロイルストーレ様を、神聖騎士団はアイシュルバールという神を信仰しているのよ。」
「何で信仰する神が違うだけで、全面戦争的な事になっているんだ?」
「神聖騎士団は、アイシュルバールこそが唯一絶対の神だと考えて、それ以外の神を崇める者達を、邪教徒として排斥しようとしているのよ。」
「想像通りといえば通りだが…神聖騎士団の考えらしい答えだな。」
「ただ単に横暴なのよ。私達の方は、別の神が居ても、自分達の信じる神を信仰出来ればそれで良いという考えだからね。」
「という事は、魔族としては、勝手に喧嘩を売られて、それに対処している…みたいな状況なのか?」
「そんな子供の喧嘩みたいなのとは規模が違うけれど、平たく言えばそういう事になるわね。」
ここまで見て来た神聖騎士団や、それに属する聖騎士等の兵士達。そいつらの事を見ていれば、大体の予想は出来たが……アイシュルバールを唯一神として崇める神聖騎士団が、邪教徒だと勝手に判断し、魔族や周りの者達を排斥しようとしている。という構図のようだ。それだけが神聖騎士団の目的とは思えないが、それが表面上の理由らしい。
「でも、そもそもの唯一神はフロイルストーレだったんだろう?」
オウカ島でエロジジ…もとい。ムソウに聞いた話では、この世界で最も栄えていたのは、魔族であった。それを証明する為の神殿も見付けたし、四鬼華もその一つだ。
どれだけ前の事なのかは正確に分からないが、神聖騎士団の発足よりずっと前から、フロイルストーレは信仰されてきたはず。つまり、後々に現れたアイシュルバールという神が、突然、唯一神になり、フロイルストーレは邪神だ!と言っている事になる。
素人目に見て、今まで信仰されてきた神が急に邪神だと言われても、信じる者は少ないように思うが…
長い年月を掛けてアイシュルバールという神を浸透させ、そういう教団を作ったとしても、フロイルストーレを信仰している世界に対し、弓を引く程に大きくなるのは、簡単な事だとは思えない。
「私は神聖騎士団の事を詳しく知っているわけではないから、神聖騎士団の方でどういう話になっているかは分からないけれど…神聖騎士団の連中は、アイシュルバールこそ唯一神だと信じて疑わない様子だと、戦争に参加した者達から聞いた事があるわ。」
「神聖騎士団から、血の記憶を読み取る事は無かったのか?」
「ここ最近までは、小競り合いが多かったし、読み取った所でそんなに大した情報は無かったみたいよ。」
「ハイネが読み取ったわけじゃないのか?」
「ずっと昔から小競り合いをしていたのだから、もう何度も試されているのよ。それでも、得られる情報なんて大したものじゃないわ。
ただ、世界的に戦争を仕掛けた事には、魔族の上層部もかなり驚いていたみたいだけれど。」
「それについての情報は持っていなかったと?」
「私はそこまで地位の高い場所には居なかったから、詳しい事までは分からないわ。でも、神聖騎士団がそこまでの力を持っているとは、誰も思っていなかったはずよ。」
「そうなのか?」
「私達は魔界を出て来てしまったけれど、魔界内の事については、出来る限り情報を受け取っていたわ。それも、黒犬から身を隠すまでだけれど…
最後に聞いた魔界の様子では、かなり慌ただしく動き回っているみたいだったわよ。」
「つまり……魔王や魔王妃、アーテン婆さんのあれこれと、神聖騎士団には関係が…無い?」
正直なところ、今回の魔王、魔王妃、そしてアーテン婆さんの事について、神聖騎士団の関与を疑っていた。
時期的に、神聖騎士団が動き出したのと、魔王や魔王妃がおかしくなったタイミングが被るからだ。その関連性を疑うのは当然だろう。
しかし、魔王がおかしくなった後の上層部が、神聖騎士団の動きに驚いていたとなると、少なくとも、その者達に神聖騎士団との繋がりが有るとは思えない。
「神聖騎士団との繋がりが有るかどうかを心配しているのね。それはよく分かるけれど、それだけは有り得ないと断言出来るわ。長く戦ってきた相手の事だから、私達魔族も、神聖騎士団に対してはかなりの警戒心を持って動いていたのよ。神聖騎士団の関与が少しでも疑われるならば、魔王様が気付いて、それとなくアラボル様に伝えていたはずよ。もし、弱味を握られていたのだとしても、神聖騎士団に入り込まれたりすれば、魔界がどうなるのか、分からない魔王様ではないわ。」
神聖騎士団は、長く魔族と戦い、小競り合いとはいえ犠牲者も多いはずだ。魔界への侵入に成功したならば、手段など選ばず蹂躙するだろう。それが分かっていて何の対処もしないとは思えない。
魔王が神聖騎士団の関与を疑っていなかったという事は、表でも裏でも、神聖騎士団の関与は無いと見て良いだろう。
何より、魔王がおかしくなってから、既に数年の時が流れている。それでも、神聖騎士団が魔族に手を出していないとなれば、今回の件に神聖騎士団は関与していないと考えるのが妥当だろう。
「神聖騎士団の行動理念は分かった。今回の件に関与していない事も理解出来た。だとすると……やはりランパルドとかいう連中が起こした事件なのか?」
「結局、それについてもアラボル様が追い出された事で、しっかりと調べ切れていないのよ…
当然、吸血鬼族がその後も調べてはいたけれど、どうにも尻尾を掴ませない連中らしくてね…今現在がどうなっているのか分からないけれど、私達が最後に聞いた報告では、まだ何も掴めていなかったみたいよ。」
「ハイネから聞いた吸血鬼の魔法は、そういう事にも使える物が多かったように思うが、それでもか?」
「吸血鬼族は、悪い意味ではあるけれど、魔界で有名な種族なのよ。その能力がどんなもので、どういう事に使えるのか…研究され尽くされているわ。元々、吸血鬼と他の魔族は争う関係にあったのだし。」
「それもそうか…」
神聖騎士団とは違い、少数でありながらも魔族を苦しめてきた吸血鬼族。いくら仲間になったとはいえ、その対処法については、多くの者達が覚えているに違いない。
吸血鬼族を知らない魔界外での戦闘では、かなり有用で使える吸血鬼魔法も、魔族相手に使う時は、策が必要らしい。
吸血鬼魔法は、効果が特殊であるものが多く、
「黒犬のせいで、魔界ともコンタクトが上手く取れないというのが、かなり痛いな…」
「黒犬の狙い通りなのが腹立たしいわね。もしかしたら、私とピルテも、魔界では死んだ事になっているかもしれないわ。一応、連絡を絶つ事は伝えてあるけど、あれから既に数年経っているからね…」
「真祖アリスは、ハイネ達を行かせて、上手くやってくれると信じているんだろう?」
「あくまでも、私達は探索部隊の一つでしかないわ。私達にというより、探索部隊全体に期待している…と言った方が正しいわね。」
「…………………」
ハイネの言っていることは間違いないだろうが、言葉にされると寂しい気がしてしまう。
「そんな顔をしないで。私達がアラボル様のその後について情報を入手出来た事に変わりは無いのだから、気にする事は何一つ無いわ。
それに、私達吸血鬼族の最終的な目標は、魔王様と魔王妃様の救出よ。それが成るならば、功労者が私達である必要なんて無いわ。」
ハイネの目に、嘘は無い。それは、横で聞いていたピルテも同じだ。
きっと、これはソロプレイヤーである俺には無い感覚なのだろう。忠誠心とでも言えば良いのだろうか。
もし、ニルが魔王達と同じ状況に陥っていたとして、ニルが救われるならば、その功労者が俺でなくても構わない。本気でそう思うが、ハイネ達のそれとは少し意味合いが違う。
俺の場合は、俺の手の届く範囲の人達…という条件が有るし、忠誠とは全くの別物だ。
ニルの、俺に対する感情の方が近いかもしれないが…それも少し違う気がする。
「そうか…まあ、そういう事には疎いから、ハイネがそう言うならそうなのだろうな。」
「急ぐに越したことはないけれどね…」
俺は防音魔法を解いて、今後の事について話をする。
「そうなると、ここでモゾモゾしているのは、やはり悪手かもしれないな…」
「でも、ザレインの事も気になるわ。」
「そこなんだよな…」
ガチャッ…
「それなら、どうにか解決するかもしれないよ。」
扉から出てきたスラたんが、嬉しそうな顔で言ってくる。
「サプレシ草、上手くいったのか?」
「うん。スライムの微生物を上手く生きた状態で取り出せたよ。」
「……ん?それは普通のスライムか?」
「うん!まあね!」
「何故、家の中なのに、普通のスライムの実験が出来るんだ?」
「えっ?!あー……今、外で少しね!」
「外で?少し?」
「えーっと……はははー…」
横を向いて目を逸らすスラたん。
「スラたん?部屋の中を見せてもらっても良いかな?」
「プ…プライベートというものが有ると思うんだよね!」
「だから聞いているんだろう?」
「うぐ……」
「これはやりましたね。」
「やったわね。」
「やりましたね。」
「だ、だってスライムを呼び出せるんだよ?!呼び出すでしょ普通!ねっ?!」
「普通は呼び出さないし、呼び出さないように言っておいたよな?」
「でも!僕の部屋の中だし、僕の家だよ!」
それを言われると弱いが…スラたんには、スライムを呼び出さないように言って、スラたんは呼び出さないと約束してくれたはず。
「約束…したよな?」
「ぐふっ…それを言われちゃうと……ごめんなさい……」
俺はスラたんとの約束を破った事が無い。
「とはいえ、ここはスラたんの家だってのも言う通りだしな…」
「私達は、目の前にスライムが現れなければ、別に大丈夫ですよ。」
「朝起きて、スライムが目の前に!なんて事にならなければ、スラタンの好きなようにして良いと思うわよ。」
どうやらハイネとピルテは、割と寛容な考え方らしい。間借りさせてもらっているというのもあるのだろうが。
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