第358話 トラップ (3)
誰かをライバルとして競争心を抱くのは、自分を高める事に繋がるし、良い事の方が多い。それが誰彼構わず…となると問題だが、ニルに限ってそんな事は有り得ない。
ニルは奴隷という立場を本能的に刷り込まれており、いつも他人より自分を下に見る癖のようなものがあった。しかし、ライバル心というのは、自分と対等だと思える相手にのみ抱くものであり、それをニルが感じるという事は、少しずつ、ニルの心にも変化が現れているという証拠だろう。
悪くない…いや、かなり良い
「負けたくないって感情は大切だ。成長の糧になる。その気持ちを大事にした方が良いだろうな。」
「そうなのでしょうか…?モヤモヤしてしまって、自分が嫌な人間だと思ってしまいます。」
「気持ちは分からなくもないが、それが人というものだと俺は思うぞ。」
「……分かりました。でも、やるのであれば、絶対に負けませんよ!」
「はは。そうだな。その意気だ。」
ニルの意気込みを聞いた後、俺とニルで、非殺傷系のトラップについて考える。
「無力化するだけならば、セナの作った鉄球ボーラも使えませんね…」
「あれは対モンスター用に作られたものだからな。基本的には人に使うと大怪我では済まない事になるだろうな。そもそも、ボーラってのは戦闘中に一時的な行動阻害を起こさせるものだから、トラップとしてはなかなか使えない。」
「罠に掛かっても、時間さえあれば簡単に脱出出来てしまうということですね。そうなると、自力では脱出出来ないトラップが必要ですが…何を使いますか?」
「そうだな……」
工房に出された素材を見ながら、腕を組んで考える。
「そういえば……これとは別に、面白いキノコを、小人族から貰っていたな。」
先日小人族から送られて来たキノコやカビ玉の中に、無力化するだけのトラップに丁度良い物が入っていたはず。
「えーっと…これじゃない…これじゃない……これだ。」
インベントリから取り出したのは…
【ネンチャクキノコ…胞子が強い粘着性を持っており、衝撃によって破裂すると周囲に飛び散る。】
「ネンチャクキノコ…ですか?」
「ああ。少し調べてみたんだが、キノコの傘の中に入っている胞子がトリモチの様な粘着性の胞子らしくてな。トリモチよりも粘着性や強度が段違いに高いがな。つまり、一度張り付いたら、引きちぎったり、斬ったりするのがなかなか難しい。無理というわけではないが、焦って動けば、動く程絡み付いて抜け出すのが難しくなる。」
「それだけでも生け捕りにするには最適な物に聞こえますね?」
「実際に、生け捕りタイプのトラップとして優秀だと思うぞ。ただ、衝撃で破裂するという特性は変わらないし、四方八方に胞子が飛ぶのも変わらない。胞子だけを取り出して、上手くトラップとして落とし込む必要は有るだろうな。」
「殺傷する為に作ったトラップと同じような形で、石槍の代わりに、胞子を塗っておくというのはどうですか?」
「うーん……」
想像してみると…ハエ取り棒という言葉が思い浮かんでくる。
「いや。それだと、胞子が付着したとしても、一面にだけだし、簡単に抜け出せてしまう。俺達が近くに居るならば良いが、ずっと見ているわけにもいかないからな。出来る限り抜け出せない構造の方が良いだろう。」
「それもそうですね…そうなりますと、全く別のトラップを作るとして…」
「問題はどういうトラップにするか…だよな。」
「色々と作ってみて考えてみましょう。実際に作ってみると、想像していた物とは違った感じになるということが分かりましたからね。」
「そうだな。よし。口より手を動かしてみるか。」
という事で、俺とニルは、ネンチャクキノコを上手くトラップに落とし込めそうな物を考えては作り、考えては作りを繰り返し、あっという間に昼となる。
「沢山作りましたね…」
「色々と作ってはみたものの、実際に使えそうなのは一つか二つくらいだな…思っていたよりずっと難しいな。」
「ですね…」
ピルテには負けないと息巻いていたニルだったが、自分で納得出来る結果ではなかったらしく、少し暗い顔をする。
「元々専門外の事をやろうとしているんだから仕方ない。考えが煮詰まってしまったから、一度昼食を挟んで、もう一回挑戦してみよう。」
「は、はい!」
ニルの頭をポンポンと撫でてやると、擽ったそうに笑いながら返事をしてくれる。
工房を出ると、ピルテとハイネが椅子に座っていた。どうやら寝起きらしく、二人の髪が少し乱れている。
「あ、おはようございます……おはようございます?」
ピルテは寝惚けているのか、自分の言葉に首を傾げる。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい!お陰様で完全復活です!」
「それは良かった。直ぐに昼食を準備するから、少し待っていてくれ。」
「シンヤさんが昼食を作るの?」
「そうだが…変か?」
「いえ。そんなことは無いけれど…」
女の奴隷を連れている男が、自分で料理するという事はまず有り得ない。ハイネ達も、魔界を出て十年。その辺りの常識については、それなりに把握しているらしい。
「俺はニルの事を奴隷とは思っていないからな。
街中では目立たないように、奴隷として扱う事もあるが、それ以外で、そんな事はしたくないんだ。」
「そうなの?」
「はい。ご主人様は、私の嫌がる事は絶対になさりませんし、申し訳なくなる程に大切にして頂いています。街中で奴隷扱いされる事なんて、本当に
「最初に会った時から思っていましたが、お二人の関係は、本当に珍しいですよね。」
「こんな主人ばかりなら、世の中の奴隷達も、もう少し生きるのが楽になるのにね。」
「私は本当に恵まれています。」
「とはいえ、俺がすべての奴隷を救えるわけではないし、そういう問題は無くならないからな…」
「一人でもそういう人が居たなら、奴隷の子達も希望が持てるのではないかしら?いえ、それはその子達にとっては、ただの絶望なのかもしれないわね…」
「難しい問題だ。身分の問題ってのは、そう簡単には取り除けないさ。
不可能だとは思っていないが、長い年月と根本的な意識改革が必要になるからな。」
オウカ島の一件で、身分の問題が大きく変わる瞬間を見たが、大陸から見れば本当に小さな島の意識を変えるだけでも、あれだけの事象が必要だったのだ。
元々俺が居た世界でも、身分や人種の問題は絶えず有った。一人、二人が問題提起したところで、焼け石に水なのかもしれない。
「まあ、それは俺達で話し合っても、解決の糸口さえ見えないだろう。それより、今は昼飯だ。」
「私もお手伝いします!」
ニルが直ぐに俺の方へ寄ってくる。
「私もよろしいですか?!」
ピルテも寄ってくる。
ピルテとしては、単純に自分が出来る事を手伝いたいと思っての事だろうが…ニルの闘争心に火が着いたのが分かる。
「ああ。それなら二人に手伝ってもらおうかな。」
「はい!」
「ありがとうございます!」
「私だけ待つのも忍びないわね…」
「そんなに人数が集まると、動き辛くなるから、ハイネは待っていてくれ。」
「そう?それならお言葉に甘えさせてもらうわね。」
「何からやりますか?!」
「そう焦るなって。」
早く早くとせがんでくるニル。雛鳥に餌をやる親鳥の気持ちとは、こういうものなのだろうか…
闘争心に火を着けられたニルと、素直に頑張ってくれるピルテと共に、俺達は昼食を作る。といっても、凝った物は作れないし、大した物ではないのだが…
当然、そんなところで優劣など付けられず、ニルは不完全燃焼気味だったが、昼食自体は美味しく出来上がり、しっかり食べた後、トラップの作製に戻る。
「へえ…かなりしっかりした工房ね?」
今回はハイネとピルテも交えてトラップ作りをするので、二人が工房に入ってくる。
「ニルも手伝ってくれてな。割としっかりした工房だろう?」
「ええ。本当に凄いわ。流石はニルちゃんね。」
「は、はい!ありがとうございます!」
「それで…これが作ったトラップですか?」
「ああ。素人の作った物だから、あまり期待しないでくれよ。」
どういう意図で作製したのかを伝えつつ、作ったトラップを見せていく。
「最初に作ったっていう振り子のトラップは、単純だけれど、効果は一番期待出来るわね。これなら何人かは引っ掛かるでしょうね。
でも、それ以外のトラップは、どれも実用的とは言えないわね。そうね…即時使えそうなのは、これとこれ…くらいかしらね。」
俺がさっき使えそうだと言っていた二つを示して言ってくるハイネ。
「お、お母様…そのような言い方は…」
「頑張って、頭を捻って作ったのは見て分かるわ。確かに大変な事だと思うし、この短時間でいくつも形にしたのは凄いと思うけれど、シンヤさんもニルちゃんも、努力を褒めて欲しいわけじゃないわ。ここで言葉を選ぶより、ハッキリと言わなければ、怪我するのは私達なのよ。」
「ハイネの言う通りだ。ピルテの気遣いは嬉しいが、今は遠慮の無い意見の方が嬉しい。ピルテも気付いた事があれば、何でも言ってくれ。」
「そ、そうですか……気付いた事と言いますと…これらのトラップは、生け捕りを目的に作られているみたいですが、全く傷を付けないように捕らえようと考えていませんか?」
「まあ、生け捕りだからな。それに、トラップを巡回する事になると思うから、傷を付けてしまえば、失血死してしまうかもしれない…と思ったんだが。」
「確かに、仰られる通りなのですが、単純に捕らえるだけでは、上手くいかないかもしれません。」
「ああ…そうか。確かにそうだな。」
「ど、どういう事でしょうか?」
俺は何となく言わんとしていることが分かったが、ニルは?マークを頭の上に乗せている。
「こちらの、殺傷力の高いトラップの仕掛ける位置は、正門から出入りする者達を標的にしていますよね?」
「はい。」
「正門から出入りする連中は、ノーブル内でもそこまで地位が高くはない連中です。ですので、自分達の本拠地に赴く時、一人で来る者も多いと思います。護衛を伴うような権力は持っていませんからね。」
「あっ!そういう事ですか!
一人で行動する者達ならば、一人が死んでも気付かれませんが、北の方から入る者達は、ノーブルの重役。護衛が居れば、一人を捕まえたところで、護衛が助けて終わりです!」
「はい。ですので、生け捕りにするとしても、もっと別の角度から、護衛も含めて動けなくするような罠が必要だと思います。」
「そうですよね…何で気付かなかったのでしょうか……うー!悔しいー!ですー!」
ニルには珍しく、悔しいと声に出している。いつもならば、黙ってフツフツと腹に溜め込むところなのだが、余程悔しかったらしい。
「え、えっと…」
そんな取り乱したニルを見て、ピルテが困惑している。
「ははは。すまないな。」
俺はニルの頭に手を置いて、気持ちを落ち着かせつつピルテに詫びる。
「どうやら、ニルはピルテにライバル心を抱いているらしくてな。」
「ご、ご主人様?!」
俺が言うとは思っていなかったのか、ニルは顔を真っ赤にする。
しかし、こういうのは言わずにいると、ピルテとしては嫌われているのでは…と思えてしまったりして、要らない誤解を招いてしまう事もある。それならば、いっそ伝えた方がお互いにギクシャクせずに済むというものだ。
「ニ、ニルさんが私を…ですか?」
「みたいだぞ。」
「そんな…恐れ多いと言いますか…光栄と言いますか…」
ピルテにしてみれば、戦闘力で圧倒的に勝る相手が、自分をライバル視してくれているという事になる。
「そ、その……えーと……」
ニルはチラチラとピルテの顔と床を交互に見て言葉に詰まっている。
「ニルさんが私をそんな風に見て下さっているのは、本当に嬉しいです。私はニルさんよりずっと弱いですからね。ですが、ニルさんが私をライバルだと思って下さるのであれば、ライバルに相応しく、己の持てる全力でお相手させて頂きます。それこそが、ライバル…ですよね?」
「っ……」
ニルとは対照的に、ハッキリと言うピルテ。負けないとまでは言っていないが、負けたいとも思っていないはずだ。
ニルにライバルだと言われたからには、それに相応しい態度で、正々堂々と勝負に挑む。それこそが礼儀だと言いたいのだろう。
「私も………私も全力でいきますから!負けません!」
正面から堂々と言われた事で、ニルの腹も決まったようだ。
「若いって良いわねー。」
「ハイネだって肉体年齢は若いだろう?」
「肉体だけ若くても、精神的な部分が追い付かないわ。」
アーテン婆さんより長生きしているような女性なのだから、今更燃え上がる事もなかなか無いのだろう。
「でも、ピルテにとっては、かなり良い刺激になると思うわ。アイザスとサザーナという、友と呼べる子達を亡くしてしまってから、初めて出来た対等の相手だからね。
やり過ぎないようにだけ見ておけば、互いに成長するはずよ。本当に、シンヤさん達と出会ってからというもの、これまでの十年が嘘のように至れり尽くせりね。」
ピルテとニルがバチバチと火花を散らしているのを、温かい目で見る俺とハイネ。
「って、和んでいる場合ではなかったな。ハイネとピルテは、色々と助言をしてくれ。俺とニルで実際に物を作っていくから。」
「分かったわ。それじゃあまずは…」
という事で、それから数日掛けて、様々なトラップを作り、ハイネとピルテの調べてくれた位置に仕掛けておいた。
「上手くいくかしら…?」
「どうだろうな…ここはノーブルの本拠地から見れば目と鼻の先だし、この辺りの森については、向こうの方がよく知っているだろうからな。トラップがバレてしまう可能性も十分有るからな。」
「一応、吸血鬼魔法でトラップに視覚妨害を施しておいたけれど、勘の良い奴は気付きそうなのよね…」
「その時はその時だ。直ぐに俺達の仕業だと気付かれる事は無いだろうし、その時また考えれば良い。」
「それもそうね。問題は情報を持っている奴が上手く捕えられるか…ね。」
当然だが、人がよく通る位置には、トラップを仕掛けていない。掛かっても直ぐに他の者に見付かってしまえば、騒ぎになるからだ。
少しイレギュラーな場所に設置してある為、罠に盗賊が掛かるまでには、それなりの時間が必要になる。何かの拍子でいつもは向かわないはずの道を進み、トラップに掛かる。そういう状況になるまで待つしかない。
一応、そういう状況に陥り易いように、いくつか仕掛けは施してあるものの、気付かない者には気付かないような仕掛けであり、確実性に乏しい為、忍耐力が必要になってくる。
それからは、毎日二回。俺とニル、ハイネとピルテで別れてトラップを巡回する事にした。常にトラップに付きっきりの方が良いのだが、人が居れば気配がしてしまう。餌に食いつかれるまでは、なるべく近付かないようにしなくてはならない。
こうしてトラップを設置、巡回し始めてから、何度か罠は作動したものの、全てモンスターによる作動だった。
ある程度、モンスターが興味を持たないように工夫はしてあるが、それでも興味を持つモンスターや、偶然通り掛かったモンスターが掛かる事もあった。
結局、初めて成果が出たのは、一週間が過ぎてからだった。
その日も、いつものようにトラップの巡回をしていた。すると…
「ご主人様。」
「ああ。やっとだな。」
殺傷系のトラップに引っ掛かかり、全身を石槍に貫かれた男が、地面に血溜まりを作って息絶えているのが見える。
「掛かりましたね。」
「やっとだな。」
ハイネとピルテの話では、一ヶ月や二ヶ月くらいは成果が出ないかもしれないと言っていたから、少し安堵出来る。
「それにしても、こうして見ると、本当に凄い威力の罠ですね…」
熊手の先端部分、つまり石槍部分は、根元まで男の背中部分から突き刺さり、胸部へと突き抜けている。
突き抜けた先端部分は予想通り破損しているが、血に一度濡れた後、乾いたのか、赤黒い膜が張っている。
「死体を調べてみよう。何か分かるかもしれない。」
「はい。」
一応、死体とはいえ男だし、俺が男の身体検査を行う。
「持っている物は特に何か情報が得られるような物じゃないな。」
「やはり重役の者でなければ、必要な情報は手に入りそうにありませんね。」
「そうだな………ちょっと待てよ…これってタトゥーか?」
俺が男の袖を捲り上げると、上腕に『Σ』の形をした
「この男の趣味でしょうか?」
「いや…どうだろうな。」
この世界では、あまりタトゥーの文化が根付いておらず、体にタトゥーを入れている者は多くない。居ないというわけではないが、そんな所に使う金など無い事が多い。贅沢な遊び程度の認識だ。
目の前で死んでいる男は、身綺麗にはしているが、金持ちという感じには見えない。
「何か意味が有るのでしょうか?」
「まだ何とも言えないが…もしかしたら、何か意味が有るのかもしれない。覚えておくとしよう。」
「分かりました。」
俺とニルは、罠を新しい物に変えて、痕跡を消し、死体を運び、城からは見えない場所で灰にし、その後、自分達の拠点に戻る。
「私達の方は今日もハズレだったわ。」
「こっちは一人掛かっていたぞ。」
「えっ?!本当ですか?!」
「思っていたよりずっと早く成果が出たわね。」
「トラップの位置が良かったんだろうな。」
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