第343話 ホドバンド湿地

酒場の男達から聞いた話をまとめると…


ホドバンド湿地には、かなり前からバンシーが住み着いており、湿地へ入る者の行く手を阻んできたらしい。

小さな街で、特に特産品と呼ばれるような物も無いこの街には、ランクの高い冒険者も居らず、ホドバンド湿地には近付くな。という定説が出来ているとの事。

稀に、護衛等の依頼で、他の街からやって来る冒険者も居るが、要人でもない者の護衛をするのは、良くてAランクの冒険者達。この街に来たところで、バンシー相手に戦える実力は無く、依頼を受けないか、受けても逃げ帰って来るのが普通という事。


湿地には、他のモンスターもわんさか居て、Aランクのモンスターが多く、かなり危険。

他のSランクのモンスターが居るという情報は無いが、そもそも人が寄り付かない為、居てもおかしくはないらしい。


「あの湿地に行くつもりなのかい?悪い事は言わないから止めておきな。」


「どうしても行かなければならない理由がありまして…ですが、お気遣い感謝致します。気を付けますね。」


そう言ってニコッと笑うピルテに、酒場のおじさん達はデレデレ。


「ピルテちゃんに食い物持ってこい!俺が奢る!」


「それじゃあ俺はハイネリンデさんに酒を奢るぜ!」


俺が奢るコールが止まず、そんなに食べれないと断るまで続いた。


追い出した冒険者達は……ああいう連中は執念深い事も多い為、少し心配していたが、後日男達は逃げるように街を出たと聞いたらしい。


酒場での一件を終えたハイネリンデ達は宿に向かう。


「………っ?!」


宿に着いて、ハイネリンデとピルテが泊まる部屋の扉に手を掛けようとして、から漏れ出てくる気配に気が付く。


「ハイネリンデ様。」


すると、中からハイネリンデを呼ぶ声。

その声に聞き覚えは無かったが、ハイネリンデの名前を呼んだ上に、様付けとなれば、魔族の誰かだと分かる。


カチャッ…


静かに扉を開くと、膝を床に着け、頭を下げている吸血鬼の男。

ピルテの部下の一人で、ハイネリンデも何度か見た記憶が有る。


「魔界の外ですので、こうして部屋で待っていた事をお許し下さい。」


「気にしないわ。」


「感謝致します。」


ピルテが扉を閉めたのを確認し、ハイネリンデが口を開く。


「何か報告があって来たのね?」


「はい。」


部屋で待っていた男の話を聞いてみると、どうやら魔界で、アーテン-アラボルの噂が広がっているとの事。


内容はいくつかあるが、その多くは魔界追放の件。


何が起きているのかという憶測が飛び交っており、魔王付近の者達には、かなり混乱が生じている様子らしい。一般市民は今のところ変わらない様子みたいだが、上が混乱していれば、それが下に伝播していくのは当然の事。それも時間の問題だという。

そして、最近になって、魔王妃が少しずつおかしくなりつつあるとの事。魔王の次は魔王妃を狙ったというわけだ。


「魔王妃様まで…」


「早くアラボル様を見付け出して、魔界に戻らなければならないようね…」


「現在、アリス様が何とか魔王様の行いを抑えていますが、どこまでそれが続けられるか分かりません。」


「分かったわ。出来る限り早くアラボル様を見付け出して、魔界に戻れば良いのね。」


「はい。その為ならば、使える人員を全て投入する事を許可するとの事です。」


「そこまで仰って下さったのね。」


「それ程までに危険な岐路に立っているとお考えの様子でした。」


真祖アリスの読みとしても、このまま状況が悪化すると、魔界全体が危機的な状況に陥ると考えているという事に他ならない。


「分かったわ。それならば、出来る限りの人数を、この街から全方位に展開するわよ。

アラボル様の行方が、少し離れた場所にある湿地から途絶えたの。」


「分かりました。こちらで部隊を編成して、この近辺を中心に、捜索を開始させます。」


「頼んだわよ。私達は湿地の痕跡を調べた後、そのまま南へ向かうわ。

情報共有の為の人員も何人か用意して、定期的に私の元に来るように伝えておいて。」


「承知致しました。」


ハイネリンデの言葉を受け、吸血鬼は窓から外へと出ていく。


「急がなければならない理由が増えたわね…」


「魔王妃様まで狙われるとは……護衛の者達は何をしていたのでしょうか?」


「………もしかしたら、そういう問題では無いのかもしれないわね…」


「どういう事ですか?」


「魔王様も、魔王妃様も、そんなに簡単に魔法を掛けられるような方々では無いわ。

それがこうもあっさりとなると、何かそうしなくてはならない理由が有ったのかもしれないという事よ。」


「弱味を握られている…とかでしょうか?」


「そうね……政治を行っている魔王様に、そういったものが一切無いかと考えると、そんな事は無いはずよ。

そして、魔王様を返して欲しければ…と魔王妃様を脅すとかね。どういう経緯かは分からないけれど、単純に忍び込まれて襲われたと考えるのは違う気がするわ。」


「言われてみるとそうですね……」


「魔界にはアリス様も居て下さるし、その辺の事は任せましょう。私達はさっさと例の魔具を回収するわよ。」


「「「はい!」」」


一夜明け、翌日。


必要な物を更に買い足し、準備が完璧となったところで、四人はもう一度湿地へと向かう。


「今回はいきなり出てきたりしませんよね…?」


「前回は泥の中に隠れていたみたいだし、それさえ注意していれば大丈夫よ。」


「あんな巨体で泥の中に隠れるなんて、卑怯だぜ…」


「モンスターに卑怯も何も無いわ。食われた方の負けよ。」


「まあそれもそうか。単純明快で考えずに済むから悪くは無いよな。」


「その分、単純な戦闘力で劣る私とアイザスは、気を付けないと即死だけれどね。」


「ですよね…」


サザーナの言葉に、今にも四人を狙って飛び出してくるバンシーを想像したアイザスが、湿地の地面を見て首を振る。


「俺とサザーナは後方支援。それに集中…」


アイザスが自分に言い聞かせるように言葉を放つ。


歩き辛い湿地を進み、前回馬車が襲われた場所へと辿り着く。


「馬車の残骸は残っていますね。」


「バンシーは居ないみたいね。」


「常に同じ場所で狩りをしているタイプのモンスターではないから、湿地帯を移動しているのだと思うわ。

反応を追って先に進むわよ。」


酒場で聞いていたように、湿地に現れるモンスターは、危険なモンスターばかりで、一時たりとも気が抜けない。常に周囲に気を張り巡らせ、何か見付ける度に、慎重に進む。

モンスターが現れれば、ハイネリンデとピルテが前に出て、サザーナとアイザスは後方から支援する。


「街の人達が、この湿地には近付かない方が良いと言っていた意味がよく分かりますね。」


「モンスターの強さもそうだけれど、数もかなりのものね。」


湿地では、少し歩くだけで次々とモンスターが現れる。どこにそんな数のモンスターが隠れていたのかと聞きたくなる程。

しかし、役割分担した四人に対し、Aランク程度のモンスターでは歯が立たず、危険な戦闘はそれ程無かった。


そうして暫く湿地を進んでいくと、少し離れた場所でモゾモゾと動く影が見える。


「バンシーですね。」


何かモンスターを狩って、食べている最中のようだ。


「予定通りに行くわよ。」


「「「はい。」」」


まずはサザーナとアイザスが、軽く左右に広がり、常に射線が通るように位置取る。


ハイネリンデとピルテは、ゆっくりとモゾモゾ動くバンシーへと近付く。ただし、見付からずに近付けるのは、十メートルが限界。

湿地は地面に浅い水溜まりがいくつもあり、どうしても足を踏み出すと水音が鳴ってしまう。


ピチャッ…


ピルテとハイネリンデが、十メートルより更に近付こうと足を踏み出すと、水音が鳴り、それに反応したバンシーが後ろを振り返る。


ハイネリンデと目が合うと、ガパッと口を開く。


「今よ!」


右後方に展開していたサザーナの手の先から、緑色の光が放たれる。


「キィ…………」


バンシーは叫び声を出している動作をするが、声はハイネリンデ達に届いていない。

風魔法でバンシーの口周りを覆い、音を封じ込めたのだ。


「行くわよ!」


「はい!」


ハイネリンデとピルテが、同時に地面を蹴り、バンシーへと近付く。


二人の両手には、黒い影で出来た爪。


一応、適当な武器が無いかを、街で調べてみたが、バンシーに通用するような武器は無く、それならば魔法を使った物理的な攻撃の方が良いと考えた結果である。


「ピルテ!右からよ!」


「はい!」


バシャバシャッ!


ピルテがバンシーの右側へと走り込むと、足元の水が跳ね上がる。


「はぁっ!」


そのピルテに顔を向けたバンシー。

ピルテの派手な動きに釣られたらしい。しかし、攻撃を仕掛けたのはハイネリンデ。


ザシュッ!!


五本の爪がバンシーの肩口に当たる。


ブンッ!!


「っ!!」


ハイネリンデの繰り出した爪は、確かにバンシーの肩口に当たり、皮膚を裂いた。しかし、それだけに終わり、軽く血が出た程度。ダメージはほぼ入っておらず、バンシーの太く長い腕が振り回される。

体勢を低くして、腕を躱したハイネリンデ。しかし、そこに追撃の拳が振り下ろされる。


「ハイネリンデ様!」


ズバシャァァン!!


アイザスの叫び声を掻き消すように、バンシーの振り下ろされた腕が水と泥を吹き飛ばす音が響く。


水分を多く含んだ地面で、柔らかいとはいえ、攻撃を受けた地面が大きく陥没かんぼつし、そこへ泥水が流れ込んで行く。


「凄い破壊力ね…」


ハイネリンデは、体勢的に攻撃を受けるしかない状況だったが、アイザスの闇魔法、シャドウテンタクルにより、拳が振り下ろされるより早く後ろへと引き抜かれていた。


「気を付けてください。何度も上手く引き抜けるか分かりませんよ…」


「ええ。分かってるわ。」


ハイネリンデは、バンシーというモンスターが居る事を知っているし、街で、Sランクの中でも弱い部類のモンスターだと聞いていた。しかし、実際に戦った事は無く、どの程度のスピードで、どの程度の破壊力で…という事を肌で感じた事は一度も無かった。

そうなると、まずはどんな相手なのか、それを知る必要が有る。つまり、多少強引でも、攻撃を当てる必要が有ると判断した結果の行動だった。


「大体分かったから、次からは大丈夫なはずよ。」


「一応防御魔法は掛けてありますが、付与型の防御魔法は軽く消し飛びそうな威力です。あまり過信しないで下さい。」


「分かったわ。」


後ろから聞こえてくる言葉に、微かに頷くハイネリンデ。


「お母様!無事ですか?!」


「当然でしょう。あれくらいでやられたりしないわ。」


ハイネリンデは、アイザスの動きも計算に入れ、強引だが、傷を負わない程度に踏み込んだ。無傷で避けられる事は計算の内。

しかし、バンシーも流石のSランク。全身筋肉で出来た脳筋モンスターかと思いきや、ハイネリンデ達の動きを十分に観察している。

下手に四人の組む陣形の中に飛び込んで来たりはしない。

お互いに様子見の一合だったわけだ。


ブンッ!ゴウッ!


突然、バンシーが大きく腕を振る。


「まずいわ!皆!魔具を起動して!」


「キィィェェェェエエエエエ!!」


四人が耳元に両手を持っていくとほぼ同時に、バンシーの叫び声が放たれる。

腕を振って、叫び声を封じ込めた風魔法を力ずくで吹き飛ばしたのだ。

それに気が付いて、ハイネリンデ達は耳に装着した防音の魔具を起動する。

耳栓のような物で、バンシーの口元を覆った魔法を、自分達の耳に付与した状態になる。

当然、バンシーの叫び声だけでなく、他の音も消え去ってしまうが、それは仕方が無い。


互いの声も聞こえない為、ハイネリンデは手振りで、サザーナには隙を見てもう一度風魔法を掛けるように、アイザスには周囲の警戒もするように伝え、ピルテには自分の動きに合わせるよう指示する。


サザーナとアイザスは、ハイネリンデの視界には入っていないが、それでも頷く。


ハイネリンデがピルテに目配せすると、ピルテの右腕がピクリと動く。

いつでも動き出す準備は出来ているという合図。


バシャッ!


ハイネリンデが地面を蹴ると、水飛沫が上がる。


目の前のバンシーが右腕をハイネリンデに向かって突き出す。


人族は、戦闘を行う際、戦闘の状況を把握する手段として、その多くを視覚に頼っている。

それは五感が優れている吸血鬼族でも同じで、基本的には視覚を頼りに戦っている者が多い。

しかし、人族にも、吸血鬼族にも言える事だが、戦闘において、意外と聴覚、つまり音という情報も重要となっている。

視覚が情報の多くを占めている為気付き難いだけで、人は意外と音でも状況を把握しているのだ。相手の攻撃が迫る音、自分の攻撃が当たった時の音、周囲の草木や水が出す音。それらを無意識に感じ取り、周囲の状況を認識しているのである。

現在、ハイネリンデ達は、その大切な聴覚を失っている状況である為、最高のパフォーマンスが発揮出来ない。だからこそ、ハイネリンデは、サザーナに風魔法を再度頼んでいたという事である。

しかし、ハイネリンデ達はそれなりに訓練された兵士であり、こういう状況を想定した戦闘訓練も受けている。故にそこまで大きな戦力ダウンとはならず、伸びてくるバンシーの爪先をしっかりと左側、つまりバンシーの背後側へと避ける。

振り切ったバンシーの腕。チャンスに思える状況だが、ハイネリンデは、そこから更に後ろへと跳ぶ。腕を振り切った体勢でありながら、バンシーの目はハイネリンデを捉えていたからである。わざと突き攻撃を避けさせ、ハイネリンデの攻撃を誘い、それに合わせて攻撃をカウンターで当てようとしていたという事。それにハイネリンデが気付き、攻撃を行わず一歩引いたのだ。


「はっ!」


ザシュッ!


バンシーとハイネリンデの読み合いの間隙かんげきに、背後からピルテの攻撃。


ハイネリンデでさえ皮膚を切り裂くのがやっとであった硬い筋肉。しかし、ピルテは左腕の一部を穿うがつ。ハイネリンデの腕力よりピルテの腕力の方が強いからではない。先程まで、五本の爪だった闇魔法が、一つにまとまって槍のような形になって、破壊力を増したのだ。

ハイネリンデとピルテが使っているのは、シャドウクロウという上級闇魔法である。吸血鬼が得意とする闇魔法の一つでもあり、爪のような形態と、それらがまとまった槍のような形態が存在する。

爪の形態は、攻撃力は低いが、取り回しが良く、伸縮自在。これに対し、槍形態では、伸縮も出来ず、取り回しが悪くなるが、貫通力が高くなる。

とはいえ、あくまでも闇魔法であり、攻撃力自体はそれ程高くは無い。その上、直接シャドウクロウを狙われて攻撃された場合、割と簡単にシャドウクロウは破壊されてしまう。打ち合いに向かない魔法という事だ。


ピルテが穿った左腕から血が飛び、足元の水面に落ちる。


即座にピルテが後方へ回避すると、その目の前をバンシーの爪が通り過ぎる。

バンシーが盛大に叫び、周囲の水面がユラユラと波紋を立て、体に空気の振動が伝わって来る。しかし、ハイネリンデ達の鼓膜までは、その振動は伝わらない。


ハイネリンデがサザーナを見ると、丁度風魔法を完成させ、バンシーの口元へ発動させるところ。

ハイネリンデは右耳の魔具だけを解除し、それに合わせてピルテ達も片方の魔具だけを解除する。


消えていた音が戻ってくる。


「口は封じました!しかしまた直ぐに解除されてしまうはずです!」


「そうさせない為に、攻撃の手を緩めないようにするわよ!

アイザス!サザーナ!後ろから魔法を撃ち込んで!」


「「分かりました!」」


「行くわよ!」


ここから四人の怒涛の攻撃が始まる。


ハイネリンデとピルテが水飛沫を上げながら、バンシーの周りを回り、隙あらば槍型にしたシャドウクロウで攻撃を仕掛け、後方からは魔力量を活かしたサザーナとアイザスによる魔法攻撃の嵐。


バシャバシャバシャァァン!


たった今も、サザーナの放った上級風魔法、大風陣が水面を大きく弾き、水滴を飛ばしている。


しかし、バンシーも危険な魔法や攻撃を見分けて、上手く回避している。簡単に当たってはくれない。

ハイネリンデ達も、バンシーの攻撃をよく見て躱しているが、やはり水場という事で、足場が悪く、ヒヤリとする場面も何度かあった。


「ピルテ!合わせて!」


「はい!」


ハイネリンデがバンシーの方へと走ると、それを止めようとバンシーが腕を横へ振る。


バシャバシャッ!!


ハイネリンデは地面の上をスライディングするように滑り、腕の下を通り抜ける。


バシャッ!


そのまま地面を両足で踏み切ると、首元目掛けて槍型のシャドウクロウを突き出す。


ザシュッ!


バンシーはその槍先を首を傾けて避ける。首は貫けなかったが、頬を軽く抉り取る。


バンシーの白髪のような頭部の長い毛が、激しく乱れ舞う。


ブンッ!!


反撃しようと左腕を持ち上げるバンシー。しかし、その腕は振り下ろされて来ない。

アイザスの使ったウッドバインドが、振り上げた腕に絡み付き、攻撃を妨げているお陰だ。


その隙に、ハイネリンデがもう一撃、と足を踏み出そうとするが、バンシーの空いた右腕がそれを阻止せんと動き、ハイネリンデを横から薙ぎ払う。

しかも、ここまでの戦闘で、単純な腕振り攻撃では当たらないと判断したらしく、地表を微かに抉るような、横振り攻撃を繰り出す。

泥水を周囲に飛散させながら近付いてくるバンシーの左腕。

ハイネリンデは、後方に跳ぶ事で腕の攻撃を回避出来るが、全身に泥水を被る事になる。

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