第341話 ハイネリンデとピルテ

「そこまで引き止められても、離婚なさったのですね…」


「そうね…私としては、そこまで愛してくれたからこそ、離婚する決心が出来たわ。」


「私には、やはり難しそうです。」


「それで良いのよ。考え方は人それぞれだからね。寧ろ、だからこそ一緒に居て欲しいと思うのもまた正解よ。

元旦那が、最後まで折れなかったら、私も独り身には戻らなかったかもしれないからね。」


「デッカイ人ですね…俺も見習わないとな…」


「ええ。最高の男よ。」


「あんたには一生無理だと思うわ。諦めなさい。」


「冷たくないか?!」


「サザーナは、本当にアイザスには容赦無いですね。」


「こいつが、もう少しマシになればここまでは言いませんよ。本当に昔から最低な男ですから、私も言いたくないのに、言わされているんです。」


「言いたくないなら言わなきゃ良いだろう?」


「私が言わなくなったら、誰があんたの暴挙ぼうきょを止めるのよ。」


「暴挙て…」


「あんたの話は良いのよ。それより、今はピルテ様とハイネリンデ様の話を聞くわよ。黙って聞いていなさい。」


「俺のせいなのか?!」


二人のやり取りを生あたたかい目で見ていたハイネリンデが、話を進める。


「そんなこんなで、独り身になった私は、そこで初めて今の立場を目指したの。」


「吸血鬼と他の魔族との関係を円滑にする、橋渡し役ですよね?」


「ええ。お陰様で、アラボル様と話す機会があってね。そこからの付き合いよ。

当時は、私も子供を亡くしたばかりだったし、その事を考えないようにと、仕事に没頭していたわ。アラボル様に止められて、半強制的に家に帰らされた事も何度かあったわね。

その頃から何かに集中すると、自分の体の事も考えないところがあって、アラボル様に何度か怒られたわ。」


「アラボル様に……怖そうですね…」


「本気で怒ると怖いわよ。震え上がるわ。

でも、私に対してそこまで激怒する事は無かったわね。どちらかと言うと、心配とか、さとすような怒り方だったわ。」


「アラボル様らしいですね。」


「そうね。優しいお方だわ。

そうして、アラボル様との関係も、それなりに慣れてきた頃の事よ。

魔界の外にある、周囲の街や村に向かわなければならない事があってね。確か、魔界で使われている魔具の一つが、外に出てしまったとかで、回収に向かったのよ。」


「そんな事があったのですか?!」


「昔の事だから、今より規制が緩くて、どこからか、流出してしまったのね。

その事件があったから、規制が厳しくなったとも言えるけれど…とにかく、私と他数人で魔界を出たの。アラボル様も一緒だったわ。

その時はまだ、アラボル様も前線で働いていたから、現場に一緒に出る事も多くてね。」


「アラボル様の伝説は、今でも現場で語り継がれていますよ。

類稀たぐいまれなる戦闘センスで、他の追随を許さなかったとか。」


「実際に、アラボル様は凄かったわ。単純な戦闘力もそうだけれど、本当に凄かったのは、戦闘支援能力ね。」


「えっ?!そうなのですか?!

俺はてっきり、魔法でバーンと相手を薙ぎ払うのかと思っていましたが…」


「実際に、そういう事もあったわ。魔法一撃で、モンスターを巣ごと殲滅したりとか、敗戦確実と言われた戦闘で圧勝してしまったり等ね。」


「それですそれです!」


「話をすると、確かに華もあるし、凄い!ってなるけれど、それは魔力量の強弱だけで、意外と出来てしまったりするものよ。派手だけれど、そこに見習えるところは少ないわ。」


魔力量が多いだけで出来る事…それはつまり、魔力量の少ない者には真似出来ない事。その行為は、格好良く目に映るけれど、学べる事は意外と少ない。


「本当に見習うべきは、アラボル様の後方からの支援能力の方よ。

まるで、数秒先の未来が見えているかのような的確な魔法と戦況の操作。どちらも天才的で、アラボル様一人が後ろに立っているだけで、どれだけ劣勢の状況下でも、負ける気がしなかったわ。」


「ハイネリンデ様がそこまで言うなんて、本当に凄い方なのですね…」


「ええ。本当に凄い方なのよ。だからこそ、今の魔界にはアラボル様が必要なのだけれど…今は、その事は一旦置いて……私達は、魔具回収の為に、小さな村に向かったの。

五十人にも満たない人口の村で、何も無いような場所だったけれど、その村の近くに居る盗賊の者達が、魔具を持っているという情報を掴んでね。

人族や獣人族に見える格好をして村に行って、冒険者だと名乗ると、直ぐに盗賊の討伐依頼を受けられたわ。かなり困っていたらしくて、村からも何人か犠牲者が出ている状況だったの。」


「いつの時代も、盗賊というのは居るものなのですね。我々魔族にも、荒っぽい連中が多いですが、それとは違って、嫌悪感がありますね。」


「魔族はある程度の規制があって、それを守った上で暴れているだけですからね。

盗賊にはそんなものはありませんし、人の生を金に変えようとする連中です。嫌悪感を持って当たり前ですよ。」


「そういう訳で、私達は盗賊が居る場所へ向かったわ。ああいう連中は、何かあれば直ぐに移動するから、決まった場所には住み着かない。それで少し時間を要したけれど、こっちにはアラボル様が居たから、少しの時間で見付けられたわ。

私もアラボル様と比較してしまえば、弱者だけれど、盗賊如きに殺られる程ではないから、勝負は数分で着いたわ。いえ…数秒だったかしら?」


「ただの蹂躙ですね。そいつらは、盗賊に身を落とした自分を恨むべきですよ。」


「アラボル様の作戦を実行して、瞬く間に制圧してしまったから、自分を恨む時間も無かったと思うわ。」


「その魔具を手に入れてしまったのは、不運でしたね。そいつらも、ハイネリンデ様やアラボル様が襲ってくるなんて…」


「俺なら絶望で動けなくなるなー…」


「最初は私を見てニヤニヤしていたけれど、死ぬ時には怯え切った目をしていたのだけは覚えているわ。」


「ハイネリンデ様に、そんな目を向けて楽に死ねたのですから、寧ろ幸運だったかもしれませんね。」


「楽に死ねたかどうかは…何とも言えないけれど…まあ、自業自得というやつね。

盗賊の話は別に良いのよ。問題はその盗賊達に捕らえられていた村の女性達よ。

全部で十人程だったかしら。若い女性ばかりで、人族、獣人族、エルフの女性も居たわね。」


「…………………」


捕らえられていた。その一言で、ハイネリンデ達がその場に到着し、盗賊を壊滅させる前に、何が行われていたのか、それを想像してサザーナが強く拳を握る。


「俺も下町で育って、色々と見たきたけれど、そういうのだけは慣れないし、腹が立ちますね。」


「そうね。魔界の内と外では、感覚や常識が違うけれど、やはり嫌なものね。私欲を満たすだけの為に、抵抗出来ない女性をけがす行為というのは…」


「その者達が死んでいると分かっていても、憤りを感じます。」


「それは、きっと正常な反応よ。でも、起きた事は変えられないわ。

結局、捕らえられていた女性達の内、九人は奴隷という身分に落とされていたわ。」


「確か、人なのに、人として見られない身分…でしたか?」


「ええ。物のように扱われるのよ。

枷をされて、額に焼印を打たれるの。こんなマークの。」


ハイネリンデは、地面に指で砂時計のような形を描く。


「この模様が額に入っている者は奴隷として残りの一生を送ることになるの。」


魔族内には、種族間の優劣や、強弱が有り、いつも互いに上下を決める為の小競り合いが耐えない。

しかし、奴隷という制度は無く、どういう制度なのか、知らない者も数多く居る。

神聖騎士団との戦い等で、魔界の外に出ると、奴隷制度に触れる機会が有る為、そこで知る者も多い。

アイザスとサザーナは、魔界の外に出た事は無く、奴隷という存在を詳しく知らない。


「人の一生を奪うという事ですか?」


「簡単に言えば、そういう事ね。」


「死んだ方がマシですね…」


「そうとも限らないわ。中には、奴隷としてではなく、人として接してくれる者も居て、そういう者に出会う事が出来た奴隷は、ある意味一生安泰とも言えるのよ。」


奴隷という身分だけを聞くと、酷い制度だと思うものだが、人によっては、奴隷になった事で、食う物にも、寝る場所にも困らなくなった為、寧ろ幸せになったと言う人も居る。

そういう奴隷は、不幸になった者よりも圧倒的に少ないが、ゼロではない。


「その女性達も、村に戻って、その後は普通に暮らしていったという話を後々に聞いたわ。周りがその人達の事を奴隷として扱わなければ、奴隷という身分には落ちない…という事だと思うわ。

ただ、その時の経験から立ち直れなかった人も居たみたいだけれど…」


「悲しい事件ですね…」


「ですが、十人中、九人という事は、一人、その奴隷というものにならなかった者が居るのですよね?」


「ええ。それが、ピルテよ。」


「えっ?!」


「私は、その時まだ小さくて、両親が盗賊達に殺されたという事も理解出来ていないくらいの歳だったのです。」


「そんな……」


「大丈夫ですよ。そこまで小さいと、適当な雑用係くらいの事しかさせられないですからね。

奴隷にするにしても、魔具の枷が必要で、売るにしても、小さ過ぎる私に枷は勿体ないという事で、枷が着けられなかったのです。」


「焼印はされなかったのですか?」


「そもそも何故こんなガキを連れてきたのかと、怒鳴られていた様子だったから、見向きもされていなかったのだと思うわ。」


「お荷物になるしか無い程に小さかったという事ですね。恐らくですが、あのままお母様達が来なければ、どこかに殺されて捨てられていたと思いますよ。」


ピルテは淡々と当時の事を話しているが、壮絶な時期だったに違いない。それを思って、サザーナは眉を寄せる。


「でも、私の前には、お母様が現れて下さったのです。」


「そのままピルテ様を引き取ったのですね?!」


「ええ。小さなピルテを見て、周りに居た女性達に、両親を殺されたと聞いた時、直ぐに決心したわ。私がこの子を育てよう…とね。

人族だったし、最初はどうしたら良いのかサッパリで、自分の腑甲斐無さに悲しくなったものよ。特に、種族が違うから、体の強さも違うし、周りからは絶対に無理だと言われていたくらい。」


「そうだったのですか…今の状況を見ると、なかなか想像が出来ませんね。」


魔界の外に出たことの無いサザーナやアイザスは、人族の身体能力を知らない。

人族の子供を、吸血鬼の成人が軽く小突いた場合、簡単に死ぬという事さえ想像出来ないのだ。


「ただ、その時も、アラボル様だけはやりたいようにやってみると良い。でも、途中で投げ出すことは何があっても許されない。と言って下さったわ。

ピルテが大きくなるまでは、何かと気に掛けて下さったのよ。」


「そうだったのですか?!それは私も初耳ですよ?!」


ピルテが驚いて目を丸くしている。


「あら?言ってなかったかしら?アラボル様は、そういう恩着せがましいのを嫌うから、あまり言わないようにしていたけれど…一度も言ったことが無かったかしら?」


「言ってませんよ!?」


「それなら、アラボル様を助け出してから、お礼を言えば良いわ。」


「もっと早く言いたかったですよ!」


「アラボル様の事だから、お礼を言っても、止めてくれと手を振るだけよ。」


「そういう事ではなく、心持ちの問題です!」


「そういうものかしら?」


「そういうものです!」


「……ハイネリンデ様に、そこまで言えるのは、薄血種の中でもピルテ様だけですよね…」


「え?!私そんなにキツい言い方していますか?!」


「キツいわけではありません。本当の親子だからこそ、出来る会話って事ですよ。」


「本当の親子だと、私は思っていますからね。」


「私だって思っているわよ。」


ハイネリンデが、ピルテを見て、引き取ると決めた時、その心の内には、亡くした子供の事があった。

簡単に言ってしまえば、ピルテを拾ったのは、亡くした子供の代わりみたいなものだった。

しかし、愛情を注ぎ、種族の壁を越えて親子という絆を深めた二人は、いつしか本当の親子になっていたのだ。


「ハイネリンデ様も、ピルテ様も、多くの事を乗り越えて来られたのですね…私、感動しちゃいます。」


「そうね…大きくなったピルテが、自分も吸血鬼になりたいと言った時は、本当にビックリしたけれど…」


ハイネリンデに育てられたピルテ。親子の絆が深まっていけばいく程、母と同じ吸血鬼になりたいと思うのは至極当然の事である。


「怖くはなかったのですか?その…吸血鬼になるというのは、とてつもなく危険な行為だと思うのですが…」


「そうですね…お母様を説得するのに、莫大な時間を使いましたね。」


「娘が死ぬかもしれないのに、それを許せる母親なんて居るわけがないでしょう?」


「俺としては、ハイネリンデ様に一票ですね…やはり、大切な人が死ぬかもしれないという状況に自ら追い詰めるのは嫌ですね。」


「私も…ですかね…

しかし、結局ピルテ様は吸血鬼となっていますが、どのように説得したのですか?」


「ある日突然、ピルテが、私を吸血鬼にしてくれる人を見付けたと言ってきたのよ。」


「えっ?!つまり、ハイネリンデ様ではなく、他の人からという事ですか?!」


「そうなのよ。突然そんなことを言ってくるものだから、驚きのあまり、言葉を失ってしまったわ。

結局、誰かにそんな事をさせるくらいならと、私が吸血鬼化を行ったのだけれど、生きた心地がしなかったわよ。」


「あの時は他の手立ても無かったですし、文字通り死に物狂いでしたから…」


「それ程までに吸血鬼化したかったのですか?危険ですし、何かあれば、ハイネリンデ様が悲しみますよ?」


「吸血鬼族と人族の寿命は違い過ぎますからね…」


「ハイネリンデ様を一人にするのが嫌だったという事ですか?」


「どうでしょうか…お母様より先に死んでしまうのが嫌だったのか、お母様と同じ存在になりたかったのか…あの時の感情を言葉にするのは難しいです。

でも、後悔は一切していませんよ。あの時も、今も。恐らくこの先も後悔する事はありません。」


「あの時、私としては大事件だったけれど、結局ピルテは吸血鬼化に成功して、薄血種の仲間入りを果たしたわけね。

あんな思いは二度としたくないわ。」


「ピルテ様も、やる時はやるのですね…」


「お母様の娘ですからね。」


「ハイネリンデ様と、ピルテ様の過去には、そんな事があったんですね…」


「大まかな話だけれど、大体こんな感じね。」


「わざわざお話して下さってありがとうございます。」


そんな話をしながらも、ハイネリンデ達の、アーテン-アラボルを追う旅は続く。


アーテン-アラボルを追って魔界を出てから丁度三日。ハイネリンデ達は魔具の反応を追って、ある場所へ来ていた。


「この辺りは、強いモンスターの生息する地域らしいので、気を付けて下さい。」


「確か名前は…ホドバンド湿地だったわね?」


「はい。一応馬車は通れるとの事ですが、足場が悪く、戦闘になると、厄介な場所なので、出来る限り戦闘を避けて進むようにしましょう。」


「分かったわ。」


ホドバンド湿地は、Sランクの野生モンスターが出てくるような場所で、冒険者の者達も、余程の用事や依頼が無い限り立ち寄らない場所である。


「それにしても…こんな場所に、何故アラボル様が…」


アーテン-アラボルが強いとは言え、一人で出来る事に限界は有る。敢えて危険な場所に足を踏み入れる必要は無い。魔界からの追放というだけならば…


「少し急いだ方が良さそうね…」


「はい!」


バシャバシャッ!


馬が足を進める度に、湿地帯の地面から水飛沫が上がる。


暫く反応を追って湿地を走っていると…


「止まって!」


ハイネリンデの声が掛かると、即座にサザーナが馬車を止める。


「おかしいわ…」


「何が…ですか?」


「反応の向きが急激に変わったわ。」


「という事は…この辺りに…?」


ピルテの予想通り、魔具の反応は、湿地の中、彼女達の居る直ぐ近くから発せられていた。

但し、周囲には細長い棒のような草しか生えておらず、人影らしきものは見当たらない。


「どういう…ことでしょうか…?」


全員の頭の中には、最悪の状況が思い浮かんでいた。


追放と名のついた暗殺が行われ、その死体が、この湿地の中に横たわっているというものだ。


「反応を元に、直ぐに調べてみましょう。」


「…そうね。急ぎましょう。」


ハイネリンデ達は、足が泥まみれになる事も気にせず、反応の有る方向へと進んでいく。


「……やけに静か…ですね。」


「まだ全体から見れば入口付近のはずだし、モンスターも少ない。静かなのは良いこと…だと思いたいな。」


「そんな都合の良い話は無いと思うわよ…」


湿地の中でならば、必ず聞こえてくるはずの虫の鳴き声すら聞こえない。異常と言える静けさ。経験則で、こういう場合は大抵、良くない事が起きると、全員が気付いていた。


ズガガガッ!バシャァァン!!


突然の大きな音。四人の背後から聞こえてきた音に振り向くと、馬車が粉々に砕け散り、破片が飛んできているところだった。


「キィィィェェェエエエエ!!」


鼓膜が破れる程の叫び声。


グシャッ!!


破片を避けると、四人をここまで連れてきてくれた馬の二頭が、現れた何かの…一頭は口に、一頭は鋭い爪に捕まり、鳴き叫ぶのが見える。

馬は口や鼻から血を吹き出し、それでも牙や爪から逃れようと必死にもがいている。


「下がって!!バンシーよ!」


「こんな湿地の入口に居るモンスターじゃないですよ?!」

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