第192話 修練

嘲笑ちょうしょうたずさえたエロジジイに腹が立ち、意地でも動かしてやろうという気になる。


「ぬぐぉぉぉぉぉおおおお!」


コロ……


一ミリくらい転がった。


「ほう。これは驚いた。」


「いやいや。たったこれだけ転がっただけだが…」


人差し指と親指で小さな隙間を作る。


「それでも、初心者にしてみれば凄いことなのじゃよ。人より神力が強いのかもしれんのう。」


言われてみれば、サクラにそんな事を言われたような…


「これは物凄い事になるかもしれんのう?上手く扱えるようになれば…じゃが。」


目を細めてまたしても嘲笑うムソウ。


「くっ…腹立つ…絶対驚かせてやる。」


「ぬひひひひ。」


ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー


その頃、ニルは…


「セナ様。ニル様。こちらへ。」


私とセナはランカ様に案内してもらい、まずはセナが刀を打つ相手に会いに来ていた。


ランカ様が声を掛けると、三人の女性鬼人族の方が走ってくる。皆、ランカ様とは違い、藍色あいいろはかまを身に着けている。


「こちらはセナ様とニル様です。大切なお客様なので、無礼の無いように。」


「「「はい!」」」


「セナ様のご要件であなた達を呼び付けました。

今回、セナ様が、三人の武器を売って下さいます。」


「えっ?!女性の方ですか?!」


「私聞いたことある!東地区に居るって噂の女性名匠よ!」


「凄ーい!」


女性ばかりの道場なので、飛んでくる歓声が全て黄色い。

私はちょっとこういう明るすぎる…というのか、キャッキャしたのは苦手かもしれない…

どうしたら良いのか分からなくなってしまうから。


セナはそうでもないみたいで、普通に受け答えしている。たまにちょっとだけ職人らしいところが出て、その度に格好良いと騒がれていた。


かく言う私も、綺麗だ綺麗だと褒めちぎられて、それでまた、どうして良いか分からなくなり、すると、可愛いと褒めちぎられてしまう。


嫌な気はもちろんしないけれど…余計にどうして良いか分からなくなっていく…


「ほらほら。ニル様が困っていらっしゃるから、そこまでにしなさい。」


「「「はーい!」」」


「セナ様が、三人の事を知りたいと仰られたので…」


「うちは、刀を打つ相手の癖や戦い方を見て、それに合った子を作るから、何も知らない…では打てないの。だから、三人の事を教えて欲しいの。」


「そんな事までしてくれるの?!」


「えっと…うちはこれが普通だと思ってたのだけれど…」


「普通じゃないわよ!そうですよね?!師匠!?」


「そうですね。こういった…言ってしまえば量を作る仕事だと、同じ物を三本作る。という刀匠の方が多いですね。」


「えっ?!そんな仕事をしたら、父に殴られますよ?!」


ランカの言葉に、心底驚いている様子のセナ。


「父の口癖の一つでしたが…刀は持つ者の命と同価…という言葉があります。

うちが打った刀が、その人に合わず、もし、その人がそれを原因にして怪我や、命を落とす事になれば、うちが殺したのと変わりません。

そんなのは刀匠とは呼びません。

今回、ダンジョンに残されたゴンゾーの命を最後まで守ってくれた子を見て、改めて思いました。

うちが打つ刀は、一つとして、これくらいで良いか…という出来にはしません。」


「…職人のかがみですね。」


「そんな大層なものではありませんよ。

これくらいで良いか…ではなく、これで本当に良いのか?と、常に自分を疑っております。

まだまだですよ。」


「ふふふ。それがかがみだと言っているのですよ。

私は目が見えません。ですが、その代わり、目に見えぬものが見えます。その目が、セナ様を賞賛しょうさんしております。」


「目に見えぬもの…ですか?」


「はい。セナ様の声色や、仕事に対する情熱。妥協だきょうを許さない心根。

そういったものです。

実際に目で見るより、ずっと確かで、隠すことが出来ないものです。」


目に見えないからこそ、隠すことが出来ない。

ランカ様には嘘は通用しないという事なのかな。


「ふふふ。私の意見などより、今は刀の話ですね。三人はセナ様としっかり打ち合わせして、満足のいく武器を打ってもらいなさい。」


「「「はい!」」」


セナはそれから三人との話し合いに移った。


「さて。それではニル様。」


「はい!」


「こちらへ。」


ランカ様の案内で、私は道場へと向かう。


他の建物は派手な装いなのに対して、道場は暗く地味な色合いで、しっかりした創り。


木々の放つ匂いが心地よい。


「ニル様。まずは、私の教える剣術について、お話しておきます。」


「はい。」


ランカ様は、道場の真ん中に向かい合うように正座で座り、私が座るのを確認した後、話を始める。


「まず、私が教えているのは、じゅう剣術と呼びます。」


「柔剣術…」


「名前の通り、柔らかい動きを必要とし、円の動きを基本としております。と言っても…言葉で語っても分からないと思いますので、それは実際に動きを見た時に学んで下さい。」


「はい。」


「柔剣術は、簡単に言ってしまえば、四鬼の中でも、最も難しいと言われている剣術です。」


「難しいのですか…」


「はい。正直に申し上げますと、簡単に体得出来る剣術ではございません。

この剣術は、力の弱い女性が、男性を相手に勝つ為の剣術なので、その分、扱いが非常に繊細せんさいで、相性があります。」


「はい。」


「ただ、私の見立てでは、ニル様には合った剣術だと思います。」


「本当ですか?!」


「はい。ニル様は、あまり喋らず、しかし思慮しりょ深く、常に色々な事を考えていらっしゃる方だとお見受けしました。

身の上は分かりませんが…人の感情の動きを敏感に察知する能力に長けているとも思います。これは武器になります。特に、柔剣術においては、必要不可欠な素質です。」


「私の…能力…?」


確かに…ご主人様にも何度か言われた事があるけれど…

奴隷という身分で、人の顔色を常に伺ってきた。それは生き残る為に必要な事だったし、必然的に身に付いた事。

でも、ただ臆病おくびょうで、卑屈ひくつなだけの能力が、本当に武器になるのかな?


「ふふふ。疑問ですか?」


「え、あ…はい。」


常に考えている…という言葉の後に考え込んでしまった。恥ずかしい…


「そうですね…ニル様は、その力を、臆病が故に…と思っていらっしゃるようですが…」


凄い…何でもお見通しみたい。


「臆病なのは、決して悪い事ではありません。

臆病であるという事は、言い換えれば、常に警戒し、相手をあなどる事が無い、という事です。

人は傲慢ごうまんな生き物です。

力を身につければ、その分、自信が付き、相手を侮るようになっていきます。どんな事でも、常に自分の力を疑う事。これは口で言う程簡単な事ではありません。

それが出来るという事は、とても凄い事なのですよ。」


自分の事を凄いと思った事は一度もない。


「そうですね…実際に感じた方が早いかもしれませんね。」


そう言うと、ランカ様が突然、尋常じんじょうではない殺気を放つ。


ご主人様の殺気を直に受けた事は無いけれど、多分、それに匹敵する密度の殺気。


一瞬で場の空気が凍り付き、私は咄嗟に後ろへ跳び、小太刀を抜く。

座った姿勢のまま攻撃してくるなら…


「ふふふ。でしょう?」


しかし、次の瞬間には、その殺気が嘘のように消えて無くなり、微笑を携えるランカ様。


「普通、突然殺気を向けられると、硬直するか、声を上げるか、良くて身を逸らす程度です。

しかし、ニル様は飛び退き、小太刀まで抜いて私の次の動きを予測し始めていました。

それは、ニル様が常に警戒し、常に自分より相手が勝っていると考えておられるから出来る事です。

相手を侮っている者には決して出来ない反応なのですよ。」


「………」


ご主人様が、この方に教えをえと示して下さった理由を一瞬で理解した。ううん。させられた。


強いどころの話ではない。


多分、私では手も足も出ない。本気で殺し合いになったら、数秒ももたないと思う。


一度息を大きく吸って吐いた後、ランカ様の前に座り直す。


「しかし…この力が、剣術の役に立つのですか?」


「大いに役に立ちますよ。そうですね…例えば、相手の呼吸、感情、そんなものから相手の次の動きを予測する。これは、どんな戦闘でも行うものです。」


「はい。」


「それがより高次元の戦闘ともなれば、より短い時間で、より多くの情報を読み取り、処理しなければなりません。」


「はい。」


私が戦闘で感じ、考えている事を一としたら、ご主人様は十…ううん。百くらいの事をやっている。


「ニル様のその力は、こういったを、より高いところで行う為に必要な力なのです。

そして、私の教える柔剣術は、この力を極限まで高める事で、よりその真価を発揮するのです。」


相手の読みや予測を、上から叩き潰すのが、ゲンジロウ様の剛剣術。

その読みや予測をさせる前に終わらせるのが、シデン様の速剣術。


言ってしまえば、その正反対に位置する剣術という事…かな。


「当然ですが、そもそもの身体能力によって相手を圧倒する剣術と比較すれば、難易度は高くなります。」


「それで、体得が難しいと仰られたのですね。」


「そういう事です。

動き自体もかなり複雑なので、それも難しいと言われる原因ですが…ニル様は既にシンヤ様の剣術を少し習っていらっしゃるようですね。」


「そこまで分かるのですか?!」


一回も小太刀を振っていないのに…


「足運び、小太刀の握り、呼吸…とても洗練されたを感じました。」


「その…この剣術は…」


「大丈夫ですよ。その剣術を壊すような事にはなりません。」


「…良かったです…」


「ふふふ。本当にシンヤ様がお好きなのですね。」


「えっと……はい……」


「ふふふ。」


自分でも顔が真っ赤になっている事が分かる。

耳が熱いよう…


「ニル様の実力はそれとなく分かりましたが…やはり一度打ち合ってみて、正確に把握しておきたいのですが…」


「…分かりました。よろしくお願い致します。」


「はい。」


そう言うと、ランカ様が立ち上がり、そのまま片腕を上げて、指を天井に向け、掌を私に向ける。

顔は横を向いている。

目が見えないのだから、見る必要が無いのだと思う。


「どうぞ。」


「えっ?!あの!」


「その小太刀を使って頂いても結構です。」


舐められている…わけではない。

ランカ様は傲慢な方でもない。


ただただ、私とランカ様の間には、それ程の差があるという…。それだけの事。


全力で向かっても、刃は絶対に届かない。


「……行きます!!」


私は戦華せんかを構えてランカ様に走り寄る。


「はぁぁ!」


戦華を鋭く突き出し、足を踏み込む。


そこまでは分かった。


ダンッ!


次の瞬間、私は道場の天井を見上げて、床に寝転んでいた。


「な…何が…?」


「終わりですか?」


「っ!!もう一度お願いします!」


「はい。」


「やぁぁ!」


私はもう一度ランカ様から目を離さないようにして、戦華を横に振る。


次はランカ様の動きを見る事が出来た。


ランカ様の前に出された手が、しなやかに動くと、振られた私の腕に絡み付き、それと同時に、私の踏み込んだ足の裏側から、ランカ様の足が絡み付く。


すると、体はくるりと回転し、先程と同じように天井を見上げて転ばされる。


凄い…ご主人様も似たような、泡沫うたかたという剣技を使うけれど、あれより柔らかい。

ご主人様の動きが水のように流れる動きなら、ランカ様の動きは空気。

触れたことにすら気付けない程に柔らかく流れ行く。


しかも、怪我が無いように、受け身を取らずとも、痛みさえ無いように転ばされている。


「ふふふ。ここまでにしておきましょう。実力は分かりました。」


そう言って手を差し伸べて下さるランカ様、


「ぜ、全然触れられる気がしません…」


「これが柔剣術の基礎となる動きです。覚えても、損にはならないと思いますよ?」


損どころか、得しかない。


「よろしくお願いします!あ…押忍!あれ?返事の時だけだったかな…?」


「ふふふ。ここでは押忍は使っていないので、普通で良いですよ。」


「はい!」


「それでは、道着をお渡しして…早速始めましょうか。」


「はい!」


私がランカ様に渡された道着に着替えて戻ると、門下生の女性達が道場に集まって来ていた。


「きゃー!凄い綺麗な人が居るわ!」


「何あの髪!銀色!綺麗!」


「ねぇねぇ!名前は何ていうの?!」


「え、えーっと…」


慣れない道着に袖を通して、大丈夫か気になっていたけれど、それが吹き飛ぶくらい、周囲に人が集まってくる。


質問攻めにあっているところ、ランカ様が正面中央に歩いてくる。


すると、皆が言葉と動きをピタリと止めて、一斉に整列する。


「師匠!よろしくお願いします!」


「「「「よろしくお願いします!」」」」


「はい。よろしくお願いします。」


女性しか居ないとはいえ、相変わらずこの光景にはビックリする。


この一糸いっし乱れぬ動きは、大陸ではまず見られない。

それに付いていけないから、ソワソワしてしまって、隅っこでモジモジするしか出来ずにいると…


「ニル様。こちらへ。」


「あ、はい!」


急いでランカ様の横に走っていく。


「今日から暫く、皆さんと共に過ごす事になりました。ニル様です。無礼の無いようにお願いします。」


「「「「はい!」」」」


「そうですね…ユラさん。」


「やった!!」


ランカ様が声を掛けると、茶髪のショートヘアを後ろで一つに縛り、ぱっちりした目に黒い瞳。見るからに活発な性格の女性が拳を高々と上げる。

セナが武器を打つ予定だと言っていた内の一人。


「まだ何も言っていませんよ?」


「あー…」


「相変わらずですね?」


「ご、ごめんなさい…」


ユラと呼ばれた女性がしゅんとしながら前に出てくる。


「ふふふ。それがユラさんの良いところですよ。」


「ありがとうございます!」


一瞬で復活した。


「ニル様。今日からこちらのユラさんが、ここでの生活については教えますので、分からない事があれば、ユラさんに聞いて下さい。」


「はい!」


「アタシはユラ!さんとか付けなくて良いからね!」


「はい!よろしくお願いします!」


「くー!近くで見ると更に可愛いなぁー!」


「え、えっと…」


「ユラさん。ニル様を怖がらせないで下さいね。」


「うっ…」


ユラが注意を受けると、後ろの皆が笑いをこぼす。

嘲笑とは違い、もっと明るい笑い。


「にははー。またやっちゃったー。

そう怖がらなくても良いからね!分からない事はアタシが教えるから何でも聞いて!」


「はい!ありがとうございます!」


「それでは、本日も始めましょう。」


ランカ様が号令を出すと、それぞれがそれぞれで動き始める。

何をすれば…と思っていると、ユラが早速私に何をするのか教えてくれる。


「練習は、まず、体をほぐすところから始まるんだよ。

ほぐし方はそれぞれだから、自分の好きなようにすれば良いんだけど…アタシと一緒にやろうか!」


「はい!」


ユラはそう言うと、丁寧に説明しながら体をほぐしていく。


「うんうん!そうそう!そうやって…って体柔らかっ?!」


「そ、そうですか?」


開脚して体を床にペタンと倒しただけなのだけれど…


「普通、いきなり出来る事じゃないよ?」


私の場合、ご主人様が、柔軟じゅうなんは大切!と教えて下さっていたから、当たり前にやっていた。

皆出来るものだと思っていたけれど…


「ご主人様が、柔軟は怪我を減らすからと…」


「うんうん!体が柔らかいってだけで、痛めることはかなり減るからね!

それより…ご主人様って言うと、シンヤ様…だったかな?」


「はい。」


既に話が皆に広がっているみたい。


「奴隷…だっけ?ニルは物扱いされて嫌じゃないの?」


ユラは歯にきぬ着せぬタイプみたい。

ズバズバと聞きにくい事を聞いてくる。別に隠すことでも無いし、私としては話したくない事でも無いから気にしない。


「物扱いはされていませんよ。ご主人様に会えなければ、そんな人生だったかもしれませんが…服も、靴も、武器も、食事も…人並み以上に与えて下さっていますから、申し訳ないと思う程です。」


「大切にされているんだね?」


「は、はい…」


その通りなんだけど…ちょっと恥ずかしい。


「ニルが満足ならアタシから言う事は無いね!良いご主人様に巡り会えて良かった良かった!」


「はい!」


「よーし!柔軟はこれくらいで良いかな!

次は、動きの練習に入るよ!」


「はい!」


「えーっと…ランカ様から説明は受けたかな?」


「柔剣術は、円の動きを主体としている…でしたよね?」


「正解!

円の動きって言っても、なかなか伝わらないから、アタシがやる事を真似してみて!」


「分かりました!」


そう言ってユラが始めたのは、手足を使った動き。


足を左右に半円を描くように動かして進み、戻る。

同時に手も円を描くように動かす。


「これが柔剣術の動き全てに通じる基本の動き。」


「は、はい…」


「最初は難しく感じるかもしれないけど、慣れれば簡単だよ。」


「が、頑張ります。」


暫くその動きを練習した後。


「次は組手くみてだね。」


「組手…ですか?」


「今の動きを使って、無手むて、つまり、武器を持たずに相手と攻防を入れ替えて練習するの。」


そう言って道場の中を指差すと、他の人達が二人一組になって、互いの攻撃を受けたり流したりしているのが見える。


「最初はあんなに速く無くて良いから、確認しながらやってみよう。」


「はい!」


私はユラと向き合って見様見真似みようみまねで組手をやってみる。


「む、難しい…」


「にはは。最初は皆同じだよ。」


「もう一度お願いします!」


「よし来た!」


組手が一段落する頃には、少し汗ばむ程度に体が温まる。


「ニルは飲み込みが早いなー。」


「そうなのですか?」


「普通はここまで動けないからね。

これなら次に行っても大丈夫そうだね。

ランカ様がアタシに任せたって事は…使う武器は薙刀なぎなた?それとも…盾かな?」


「盾です。」


「なるほどね。確かにこの島で盾が使える人って少ないからなぁ。」


「そうなのですか?」

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