第74話 迷いの森
アロリアさんが、捕らえられた旦那を救う為に色々と
結果から言えば、アロリアさんの旦那が
本来であれば許される行為ではないが、旦那を捕らえた貴族が、その土地の領主よりも位の高い貴族だった為、罪を問うことすら出来なかったらしい。
この世界に国というものがあれば、法が設けられ、もう少し抗う余地もあったかもしれないが……
結局旦那は亡くなってしまうのだが、その時に、バートと旦那が一つの約束を交わした。
それが、母さんを守るという事だった。
突然訪れた父の死にアロリアさんとバートは悲しみと怒りの中に居たが、元々細々と行商をやっていて貯金もそれ程無く、気持ちを整理するよりも明日の飯を買う為の金を稼がなくてはならなかった。
同じ場所で行商をやろうとすれば、また貴族の手に掛かってしまう為、各地を転々としながら行商をして、良い取引先を探していたらしい。しかし、女と子供だけの行商だ。簡単なはずがない。実際、それは二人の痩せ細った体型にも表れている。
各地を点々とし、食うものもなかなか食えず、その間にバートの気持ちは膨れ上がり、父との約束を守る事に使命感を抱いたらしい。
母を守る。それは外敵からという事に他ならず、守る為には強くならねばならない。強くなる為には剣術を覚える。とバートの思考が流れた事くらいは、部外者の俺でも分かる。
バートにとって、身勝手な貴族は敵以外の何物でもないと考えるのは
「だからおいらは強くならなきゃいけないんだ!母ちゃんを守れるくらい!」
「バート…そんな危険な事は止めて…」
「危険だから強くなりたいんだよ!」
「バート…」
俺の母もよく同じ事を言っていた。
俺の場合は父が半強制的に剣術を教えてきていたが、拒まない俺にも思うところがあったのだと、今では思う。
「正直に言うと、バートの気持ちはよく分かる。」
「じゃあおいらに剣術を教えてくれる?!」
「だが、アロリアさんの気持ちもよく分かる。」
「シンヤさん…」
剣術を使える様になり、誰かを殺せる程に強くなるという事がどういう事なのか…それを理解せぬまま力を付けてしまうのは、とても危険な事だ。地球よりも命の軽いこの世界では尚更だろう。
だが、アロリアさんとバート君の二人だけでは危険に対処出来ないというのもまた事実。俺達といる間は、護衛がついているようなものだから良いとしても、その後はどうするのか。二人の体は痩せ細り、自分達の食事もままならないというのに護衛を毎回
「そうだな…アロリアさんの許可もなしに剣術は教えられない。だが、簡単な護身術なら教えよう。アロリアさんでも使える簡単なものだから、二人にな。」
「そんなぁ!」
「俺やニルでは、剣を教えることも、教えないことも、この先ずっと一緒にはいないのだから責任を取れない。だから、教えるとしたら、それはアロリアさんが良いと言った時だ。バートをこれからもずっと見守りつ続ける母だからな。」
「………」
恨めしそうな顔で見てくるバート。だが、人を殺す技なんてそう簡単に教えて良いものではない。ニルのように他の道が無いならばまだしも、バートにはまだ他の道もあるのだ。
この世界では特殊な考え方かもしれないが…俺もここだけは絶対に譲れない。
「そんな目で見てもダメだ。どうしても教えてほしいというのならば、アロリアさんを説得しろ。」
俺がバートに出来る援護は、アロリアさんに護身術を教えて武術に対して多少でも触れてもらって、
「本当に私も護身術を…?女でも大丈夫なのですか?」
「むしろ、基本的に力の無い女性や子供にこそ覚えてほしい技だから大丈夫だ。嫌なら無理しなくて良いが、俺としてはお
「シンヤさんのお勧めというなら…よろしくお願いします。」
「バートはどうする?」
「おいらだって強くなりたい!だからおいらにも教えて!」
「分かった。それなら二人とも明日の朝から始めるから、そのつもりでいてくれ。」
「分かりました。」
「うん!」
二人が頷いたところで昼食を終え、俺は森へ、ニル達は野営の準備を始める。
「後調べていない事と言ったら…この木だよなぁ…」
真横に立っている怪しさ満点の木に目をやる。近付いても、触っても特に反応は無いが、傷付けたり、焼いたりした時はどうなのだろうか?下手な場所で実験したら、外にいるニル達にも危険が及ぶ可能性があるし、少し奥まで入ってから断斬刀を抜く。
「まずは軽く傷付けてみるか…」
断斬刀の切っ先を軽く木の幹に突き立てる。
ビュッ!
「っ?!」
傷付けた木の幹から、何かが顔に向かって勢い良く飛び出してくる。警戒はしていた為、直撃はしなかったが、飛んで行った何かは離れた地面に着地。地面に穴を空けている。
「…………お…おぅ…」
地面を抉る威力を避けれられなかったらと考えると背筋が凍る。
「い、一体何が飛んできたんだ?」
「……
自分の指に付着した樹液からとんでもない臭いがする。生ゴミと、
臭いを通り越してもはや痛い。目と鼻から
「うぉぇ!くさっ!いたっ!」
俺の持てる全ての力を動員して指先を地面に擦り付け、火魔法、水魔法、風魔法を駆使して樹液を完全に体から除去する。
「はぁ…はぁ…殺人的な樹液だぜ…」
顔面に当たった時の痛みより、あの臭いが鼻の近くに来た時の事を考えて身の毛がよだつ。痺れや痛みも無いし、毒は無さそうだが…それと同等以上の嫌悪感がこの木に生まれてしまった。
「こんな恐ろしい木だったとは…まだ臭いが鼻に残っている気が…」
樹液から離れて傷付けた木に戻り、幹を見てみると、傷口付近の皮が内側から破裂したように
「皮の下に樹液が圧縮されていて、少しの傷で破裂し、あの樹液が襲ってくる…って事か。ってか臭すぎる!
触れないでおいた方が良さそうだ。少なくとも俺は二度と触れたりしない。こいつの事は今後デビルツリーと呼ぼう。」
このヤバい木が先へ進めない理由では無いとは思うが、知っておいて良かった。無闇に切ろうとして全身にあの樹液を浴びたりしたら…汚水にダイブするより辛いと思う。
「後は…もしこの方向感覚がおかしくなる原因が魔法であれば…」
俺は森の奥に向かっていくつかの魔法を打ち込みながら進んでみた。当然デビルツリーに当たらないように細心の注意を払ってだ。
目に見えない魔法の障壁の様な物があって、それに触れることで魔法の影響を受けているとしたら、なにがしかの反応があるかと考えての事だったが、何もないまま砂浜に出てしまった。
何か無いかとその後も色々なことを試しつつ森を行ったり来たりしていたが、結局何も分からないまま日が暮れてしまった。
夕飯を食べた後、デビルツリーと名付けた臭い木の話と、これまで森の奥へと入る為に試した方法を
日が暮れて何か変わるかと期待していたが、暗い森は不気味ではあるものの、昼と変わった様子は無い。夜になったことで何かあったり、居たりしたなら、それがモンスターだとしても変化があれば、進展もあったと思うのだが、一切何も無かった。
明日どうしようか…とテントの中で考えていると、次第に瞼が重くなっていく。
眠りに落ちるか否かの
最初は別のテントで寝ているアロリアさんとバートが何か話しているのかと思っていたが、それとは違うみたいだ。
ニルが見張り役をしてくれているのだが、何も言ってこない。いつもならば直ぐに起こしに来るのだが…
変に思い外を覗いて見ると、ニルは焚き火の前で飲み物を片手に座っている。寝ている様子も無い。
テントから頭を出して気がついた。何かが聞こえてきているのはどうやら森の中。何の音か判断出来ない程に小さな音だが、確実に聞こえている。そうなると何故ニルは何も言ってこないのか…気になった俺はテントの外に出る。
「ニル?」
「ご主人様?どうかされましたか?」
「何か聞こえないか?」
「え…?えーっと……」
ニルも俺もその場で黙ると………やはり何か音がする。確実に森の中から聞こえてくる。
「……いえ。私には何も聞こえませんが…」
「何も聞こえない?」
「は、はい…何か聞こえるのですか?」
ニルが俺に対して、ましてやこんな状況で嘘を吐くなんて有り得ない。
「俺にだけ聞こえているみたいだな。」
「………」
ニルは盾と蒼花火を装備し、いつでも対処出来る様に身構えている。しかし、待てど暮らせどこっちに来る気配はない。
「ナイサール達でしょうか?」
あの豚の傷は結構深かったし、貧血状態だった。そんなに簡単には起きてはこられないはずだ。従者の二人にもあれだけ強く言ったし、こんなに早く来るとは考えにくい。
「少し見てくる。」
「何かあればすぐにお呼びください!」
「分かっている。」
音のする方向へと進んでいくと少しずつ音が大きくなっていく。
誰かの話声…?何と言っているのか全く分からないが、森の奥から話声のようなものが聞こえてくる。
話声のする方向へと向かっていくと、森の中に二つの
俺は二つの光を追いかけようと走り出したが、一瞬にして視界の中から
「はっ?!」
走って二つの光が見えた辺りに寄って行ってみるが、森の外に出てしまった。
聞こえていた話声も、もう消えていた。
「消えたな…」
「何かあったのですか?」
「……明るくなったらもう一度森の中を調べてみる。それまでは森に少し気を配っておいてくれ。」
「分かりました。」
念のため、周囲に殺傷力の無いトラップ系の魔法を仕掛けて、眠りについたが、何かが引っかかる事も無く無事朝を迎えた。
明るくなってから森に入ってみたが、特に何があるわけでもなく、幻覚でも見たんじゃないのかと自分を疑ってしまいそうになる。
森から戻ると、アロリアさんとバートが既に起きて朝食の準備を手伝っていた。アロリアさんはともかく、バートはまだ眠そうで立ちながら、うとうとしている。
「ご主人様。どうでしたか?」
「いや、何も無かった。確かに見たんだが…」
「そうですか…また今夜になれば現れるかもしれません。」
「そうだな。一先ず朝飯食って、二人に護身術を教えるか。」
「はい!」
朝食を摂り、腹が落ち着いた所で、ニルと共に二人に護身術を教える。
「本当に大丈夫でしょうか…?」
「相変わらずアロリアさんは心配性だな。痛い事はしないから、安心してくれ。」
「…わ、分かりました。」
「バートも飯を食って目が覚めたみたいだし、早速やっていくぞ。」
「お願いします!」
「うん!」
二人共真剣に聞いてくれている。その表情はさすがは親子だと言いたくなるくらいよく似ている。
「まずは説明して、その後、俺とニルで実際にやってみるから、よく見ていてくれ。」
ニルにはこの類の技は全て教えてあるから、説明は要らないだろう。
「女性や子供の様に、力も弱く、背の低い人は、基本的に男性には力では勝てない。それは分かっていると思う。」
「はい。」
「うん。」
「だが、逆に言えば、力で勝っている男性は油断している事が多い。どうせ勝てるから多少強引だったり雑に捕まえても何も出来ないだろう、ってな。
今から教える技は、そう言った油断を突くとより決まりやすくなる。」
「「ふむふむ。」」
「例えば、男性が女性に対して、正面から現れた場合、相手は掴みやすい腕を掴んで来る事が多い。
当然力で負けている女性は力で振り
俺は右手でニルの左手首を掴み取る。ニルが手を大きく振ったり引き寄せたりしてみるが、俺の手は解けない。
「そんな時、握られた手の、親指だけを反対の手でしっかりと握り、相手の腕の外へ向けて
ニルが俺の言葉通りに右手で俺の右手の親指を掴み外に捻る。
「いくら女性や子供とはいえ、親指一本では対処出来ず、相手はこうして肘を内側に回しながら体を傾ける。逆らうと痛いからな。
握られた手はこれで解放され、次はこの捻った腕を両手を使って更に捻る。この時、手の甲を相手側に曲げながら捻ると更に良い。
後はそのまま腕を捻れば、相手が勝手に膝をつくなり、体を横に倒すなりしてくれる。」
ニルは言葉に合わせて動いて、俺も最終的に片膝をついて止まる。
「ここまで出来たら、手を離して逃げるなり、顔面に膝蹴りをぶち込むなりしたら良い。」
「膝っ?!」
「さっきも言った通り、基本的には相手の方が強い。そんな時は助けを求めるなり、兵士の詰所に駆け込むなりするのが最も良い。そこに繋げる為の技だ。決して相手を倒そうとか、制圧してやろうなんて考えないように。」
「「わ、分かりました!」」
いつの間にかバートまで敬語になっておる。
「アロリアさんは俺を、バートはニルを相手に早速やってみようか。
本気で力を入れると、関節が抜けたり、折れたりするから、最初はゆっくり慎重にな。」
「「はい!分かりました!」」
当然ながら、護身術はこれだけでは無い。
後ろから
どれも体の構造を知り、どういう動きをすると、相手が痛がるのか、力が抜けるのかを基準に考えられている。
向こうの世界では、体術の心得がある者ならばほとんどの者が知っている事だが、こちらには魔法があるため、あまり進んでこなかった技術の一つだ。
「こういった技は、女性や子供にも使えるから、覚えておいても損は無い。もしもの時に使えれば、
「「ありがとうございます!」」
軽く汗ばむ程度まで練習した所で、今回は終わりにする。こういう事は反復練習をして、咄嗟の時に出せなければ意味が無い。つまり、一日に詰め込み過ぎても意味は無い。
こうして朝の訓練にアロリアさんとバートの時間を付け足し、毎日行う事になった。
その日の昼間は森の中だけでなく、海の中にも入って周囲をもう一度見てみたが、何も進展は無く、問題の夜になった。
正確な時間は分からないが、日付が変わろうとする頃だろうか。またしても森の中から声が聞こえてくる。
「やはり聞こえてくる。」
「ここはお任せ下さい!」
「任せた!」
今度こそと森の中へと走って入る。落ち葉を蹴散らす様に奥へと向かうと、昨日と同じ様に話し声と二つの深紅の光。
「今度こそ……っ?!」
足を踏み出した途端に視界の中から光が消える。
「どうなっているんだ…」
森の中を見ても、二つの光は見えない。しかし、耳を
「後ろ?!」
振り返ると、二つの光がフラフラと木々の間を抜けていく。
「ここが境界線って事か。いつの間に後ろを向いたんだ?」
考えているうちに話し声は森の奥へと入って行って声も消えてしまう。
「……あれは一体何なんだ?」
見た目としては拳大の光が喋っている様にしか見えない。光は僅かに揺らめいていて、
この世界にはアンデッドも居るし、人魂型のモンスターも存在するが、喋ったりはしない。
「魔法でも撃ってみるか…?いや、敵意を持つ存在には見えないし、いきなり攻撃は野蛮か…声でも掛けてみるか。」
独り言を喋っている間に、ニルが待っている野営地に戻ってくる。
「どうでしたか?」
「境界線の向こう側に居る存在みたいだな。何かは全く分からないが……明日も見えたら声を掛けてみようかと思っている。」
「大丈夫でしょうか?」
「危険な相手には見えないし、大丈夫だと思う。何かあれば速攻でここに戻ってくるさ。」
「…お気を付け下さいね。」
「ああ、分かっている。」
翌日。同時刻。俺はまたしても森の中へと入ってきていた。
「また聞こえる。」
境界線の奥で喋る二つの光。何を言っているか分からないが、もう疑う余地は無い。
「よし………おーい!」
聞こえるのか、俺の言葉が理解出来るのか分からないが…これ以上前には進めない。
「おーい!聞こえるかー?!」
声が届くように大声を出すと、二つの光からの声が途切れて、動きが止まる。
「………」
「………」
「おーい…聞こえている……のか?」
「………っっっっ!!」
「………っっっっ!!」
ブワッと二つの光が左右に別れると、森の奥へと物凄いスピードで飛んで行ってしまった。
「あっ!おい!待ってくれ!あ…」
思わず足を踏み出した所で完全に視界から消えてしまった。
「くっそ……俺のバカ…」
だが、反応からするに、コミュニケーションを取ることは可能だ。それが分かれば…
俺はその日から毎夜、境界線の近くまで行ってはその二つの光に声を掛けた。
最初の三日間は、今までよりも更に奥の方に隠れ、声を掛けるとピューっと逃げていたが、四日目、五日目と時間が過ぎていくと、俺への興味が出て、慣れてきたのか、少しずつ俺との距離が縮まってきた。それでも声を掛けると逃げてしまっていたのだが、十日目の夜。やっとコミュニケーションを取る事に成功した。
「おーい。もう逃げないでくれー。」
「………」
「………」
「お?」
少し離れた木の影にいるみたいだが、今日は声を掛けても逃げる様子が無い。
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