第五十三話 遅れた頃にやって来るのは……

 王都第一軍は順調に王都へ向かって後退していた。

 だが順調であるがゆえに、指揮を執るオーランドは苦虫を噛み潰した。


「……魔族たちは、我々が王都に帰還するタイミングを狙っているな」


 王都内への収容のタイミングで総攻撃を仕掛け、そのまま市街へ雪崩れ込む考えだろう。

 連合軍――貴族の私兵の敗残兵たちをほどほどに残して収容させたのも策の一つだろう。王都への収容を少しでも手間取らせようというのだ。そうでなければ、ここまでに何度でも攻撃の機会はあったのに、それをしなかった理由が思い付かない。


「結局、連合軍はまったく役に立たないどころか、完全な重荷になってしまったな……」

「どうしますか、団長?」

「どうもこうもない。こうなったら一戦するしかあるまいよ」


 順調に後退した結果、すでに王都の外壁が視界に入る距離にある。あと一時間も移動すれば、先陣が外門に辿り着くだろう。


「ひと当てし、魔族たちを牽制する。その上で、出来うる限りの兵を王都内へ収容する」

「そうなると、殿で牽制する部隊は、捨て駒にならざるを得ないと思いますが……」

「やむを得まい。このままでは完全に我らの負けだ。王都が落ちれば、王国もどうなることか……」


 国王が王都を脱出して戦力を募るにしても、苦戦は免れないし、首尾よく勝利しても王国の負う傷は深いものになる。

 中央の統制力は弱まり、独立を企図する貴族も出るだろう。そうなれば他国も蠢動しはじめる。

 王国が生き残るには、なんとしても魔族を撃退せねばならない。撃退が無理なら、せめて膠着状態にせねば……。


「……私が殿を務める。貴様は連合軍の敗残兵と、第一軍の半数をなるべく速やかに王都内へ退避させろ」

「騎士団長が自ら殿を!?」

「この殿は必ず成功させねばならん。私がやるのが一番良い」

「団長閣下……」

「なに、すでに一度捨てた命だ。もう一度捨てるのもたいして違いはない」

「……どうか、ご無事で」

「無粋だぞ、副団長。こういう時は一言『ご武運を』といえば良い」

「……ご武運を」

「うむ」


 副団長を先に行かせると、オーランドは直下の王都騎士団を中心に、第一軍の半数で殿軍を再編成した。


「さぁ……もう一度命を懸けようか!」

『おおおおおおおっ!!』


 魔物のスタンピードに立ち向かった記憶も新しい王都騎士団が鬨の声を上げる。

 ぴりぴりと肌をさす旺盛な戦意に、魔王ヴァナルアーダは感心したように目を細めた。


「……さすがは第一軍、さすがはオーランド騎士団長。玉砕覚悟の殿軍に、あそこまで勢いを与えるか」

「いかが致しますか、陛下?」

「クルルエーラは魔導隊を率いて迂回せよ。できるだけ王都への収容を手間取らせ、隙あれば門を破壊せよ。クルルエーメ率いる戦士隊は我に続け」

「まさか陛下が御自ら戦うのですか!?」

「我は魔族を率いる者ぞ。この戦いは我の命によって成されしもの。兵を背負わずして、何が魔王か」

「陛下……」

「それにあの戦意旺盛な騎士団に、生半可な覚悟で立ち向かえばこちらが痛手を負う。我が先頭に立つことで、兵たちの意気を上げねばならぬ」

「……御意」

「陛下が前線に赴かれる! 皆気合いを入れよ!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!』


 魔族たちもまた歓喜の咆哮を上げる。

 魔王は魔族たちの王というだけの存在ではない。強力な魔物との戦いに魔族たちを率いる将軍であり、前線で戦う戦士でもある。

 魔王とは、戦士たちの王なのだ。

 魔族たちの誇りそのものと言える魔王と共に戦うことは、否が応にも彼らの胸を高鳴らせる。


「さすがは魔王陛下……姿を見せるだけで部下たちを奮起させるとは、相変わらずのカリスマよ」


 戦意を高める魔族たちを見て、敵ながらあっ晴れとオーランドも感嘆する。

 騎士団長の仕事には、名目上は王国民でありながらも外国のような扱いの魔族への対策――彼らが反乱した時の対応も含まれている。

 北方を視察して魔王の為人と実力に感心したオーランドは、『戦うことは控えるべき。魔族は戦士の気質なれば、義を以って付き合うべし』と報告している。

 魔王ヴァナルアーダは、歴代の魔王の中でもとびきりの実力者だ。そして、民を思いやる慈悲深き主でもある。魔族のために命を懸ける彼のために、魔族たちも命を懸けるだろう。彼の率いる魔族と戦うのは絶対に避けるべき事態だったのだが……。


「宮仕えの不自由さだな」


 最も戦いたくない相手との戦いに、オーランドも苦笑するしかなかった。

 そして対面する二つの軍の指揮官が、攻撃の開始を告げるべく剣を掲げ、


『――――突げ』

 ドグォバギャリュギャガァァァァアアアアアアンン!!


 進軍突撃の合図を告げる直前で、その号令が掻き消された。

 いくつもの轟音が一緒くたになった、凄まじい破壊音。

 それは丁度、本体の突撃に合わせて迂回進軍しようとしていた魔族軍の魔導隊のある辺りから鳴り響いた。


『グルォォオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 轟音とともに巻き上がった土煙が薄れると、赫々たる炎とともに精神を揺さぶる雄叫びが戦場に木霊する。

 それは、この世界の誰もが……否、あらゆる生物が恐れ、畏れながらも憧れを抱いて仰ぎ見る存在。


「……ドラゴン」

「紅蓮竜、だと?」


『グオオオオオオオオオッッ!!』


 紅蓮竜は、その赫い輝きを放つ鱗を煌めかさて首を掲げ、業ッ、と炎の吐息を吹き出した。

 魔族たちが長年かけてテイムしてきた北方の強力な魔物たちだが、最強種たるドラゴンの炎に焼かれては無事ではいられない。魔導隊が誇る魔物の群れがまたたく間に消し炭になってゆく。


「なぜ、紅蓮竜が……?」

「まさか、彼女が……?」


 突然現れて戦場を蹂躙するドラゴンに唖然とする双方の指揮官だが、かの紅蓮竜に対する知識がある分、先に正気に戻ったのはオーランドの方だった。


「後退! 後退だ! 敵が混乱しているうちに王都へ逃げ込め!」

「いかん! 逃がすな!」


 王都へ撤退を開始する第一軍を追撃しようとする魔族たちだが、その眼の前に赤い壁のごとく紅蓮竜が立ち塞がる。


『グルァッ!!』


 翼を羽撃かせた強風で魔族たちを怯ませ、巨大な尻尾が振るわれて吹き飛ぶ。

 前線が混乱し、とても第一軍を追撃できるような状況ではなかった。


「何故……何故ここに紅蓮竜などが……!」


 孤高であり自由であるはずの竜が人間を守るように現れたことに戸惑うヴァナルアーダだが、そのドラゴンの背に人影を見つけて息を呑む。

 無尽蔵に炎の魔法を垂れ流す紅蓮竜の背に乗れる人間など存在しない。存在するとすればそれは、紅蓮竜自身が自分の背に乗るのを許可したということになる。


「……竜騎士(ドラゴンライダー)、だというのか……?」


 亜竜ではなく、成竜に跨る正真正銘の竜騎士。そんなお伽噺のような存在が有り得るのか?

 だが、紅蓮竜に薙ぎ払われてゆく部下たちは現実だ。

 どれほど信じられなかろうと、蹂躙される魔族たちはれっきとした現実である。


「陛下! お下がりください!」

「陛下! 我が隊が殿を務めます! どうか、どうか御身は安全な場所まで!」


 部下たちが後退するように嘆願するが、ヴァナルアーダは彼らを押し退け、いまだ魔族たちを打ち払う紅蓮竜へ向かって行く。


「――紅蓮竜の主よ! 我が名は魔王ヴァナルアーダ! 戦場の慣例に従い、汝に一騎打ちを申し出る!」

「魔王様!?」

「陛下!?」


 魔族たちが悲鳴を上げる。

 一騎打ちは、文字通り騎兵同士の戦いだ。慣例に従うなら、相手は紅蓮竜とともに戦っても文句は言われない。

 ヴァナルアーダは、最強の代名詞であるドラゴンと一人で戦おうというのだ。


「陛下! どうかお下がりを! 我らが時間を……」

「ならん! これ以上我が民が……我が家族が傷付くのを黙ってみることなど出来ぬ! 我は魔王、我は魔族という一家の父ぞ! 父が子を守らずして、どうして平然としていられるものか!」

「……魔王様……」


 魔族たちが涙ぐむ。

 自分たちの長は、いつもこうやって自分たちの先頭に立つ。上に立つ者としては問題もある。だがそんな彼だからこそ魔族の民は彼を慕い、彼を敬う。

 自分たちの王は最高だ、と。


「はははははっ! いいねいいね、気に入ったよ! 格好いいじゃないか!」


 動きを止めた紅蓮竜から楽しげな笑い声が響く。正確にはその背にまたがった人物から。

 紅蓮竜の背に立ち上がった人影が、ひょい、と気軽い足取りで飛び降りる。かなりの高さだったが、その場で軽くジャンプしたような身軽さで着地し、その人物は改めて笑った。


「良い男だ! 良い男だよ、あんた。あたしはあんたみたいな男に弱いんだ」


 ヴァナルアーダは目を見開き驚いた。無論、魔族たちも同様だ。

 竜騎士などという存在自体が冗談じみているが、その人物がまだ若い女性――少女となれば、驚くなというのが無理な話だ。

 しかも、おまけに、かなりの美人だ。

 切れ上がり気味の双眸は意志の強さを感じさせ、繊細な面立ちと裏腹な野性味のある笑みを浮かべている。

 身に付けているのはいかにも冒険者らしい実用重視な革鎧だが、それでもその鍛えられしなやかに引き締まった四肢と、女性らしい柔らかなラインは見て取れる。

 他を圧する存在感、にじみ出る意志の強さは人によって好みが分かれるだろうが――魔族の感性では、極上の美女と言っていい。

 極上の女戦士だ。


「身体を張って子分を守る! 家族を守るために意地を張る! 実にいい親分だ! あたしは涙もろくてね。そういうのを見せられたら、応じないわけにはいかないねぇ」


 金髪碧眼の、少女と言うには迫力のありすぎる美女――キリハは、腰に吊った刀を引き抜き、気分良さげにニコニコと笑う。


「ヒエン、手出しするなよ。そこでじっとしてな」

『良いのか?』

「いいさ。自分が盾になることであんたから仲間を守ろうってのが、あの色男さんが一騎打ちを申し込んできた目的だ。あんたがじっとしてれば目的は果たせる。あっちに文句はないはずだよ」


 そうだろ? と微笑みかけられ、ヴァナルアーダは内心戸惑った。

 少女の言った通りだ。紅蓮竜が手出しを控えるなら、それでヴァナルアーダの目的は達成される。

 されるが、問題はこっちではなくてあっちの方だ。


「……一騎打ちだ。そちらが乗騎を用いても、余は異論を挟まぬが?」

「馬鹿お言いでないよ、色男。あんたみたいな良い男にダンスを申し込まれて保護者同伴じゃカッコがつかないだろ?」

「こう見えても、余は強いぞ?」

「あたしだってこう見えて、普通の女の子ってやつに憧れててね。普通の女の子はあんたみたいな色男に誘われたら、独り占めして味わいたいって思うもんだろ?」

「……変わった人間だな」


 ヴァナルアーダは思わず笑ってしまった。こうもあからさまに笑わされたのはずいぶん久しぶりだ。側近のクルルエーメが瞠目していた。

 だが、変わった人間と言わざるを得ない。

 魔族に偏見のない人間はこれまでもいたが、この少女ほど明け透けに好意を示されるのは初めてだ。こんなに気軽に冗談を交わすのも。


「――余はヴァナルアーダ。ヴァナルアーダ・グリアレス・アウィニデ・ドゥ・ヴォーバン。凍てつく冬の三日月の夜に生まれた最初の息子。魔王となってからは魔族を導く者(ヴァナルアーダ)の字名を名乗っている」

「……ご丁寧に有難う御座います。名乗りを受けまして、手前仁義を発します」


 少女は表情を引き締めると、刀を地面に突き刺した。そして中腰になって右の掌を差し出した。

 

「向かいましたる親分さんには、初のお目見えと心得ます。手前、生国は日本、住まいは東京品川で御座います。稼業、東京新宿に住まいを構えます、聖凰会の初代を務め、今は後進に跡目を譲った隠居者でございます。性は和泉、名は霧羽。御見知り置かれ、以後は熟懇に願います」


 雰囲気からして、何らかの儀礼に則った名乗りなのだろう。見たことのない挨拶だが、手慣れて堂に入っており見事なものだ。

 ところどころ聞き取れぬ部分もあるが、名前はたしかに聞き取った。


「キリハ、か。よろしく頼む」

「こちらこそ頼むよ、アーダの旦那」


 魔族たちが鼻白んだ。

 字名を愛称呼びするのは、彼らの流儀ではよほどに親しい者同士でなければ失礼に当たる。

 上位者が親愛の情を示すのならともかく、そうでないのなら家族――親子か兄妹か、もしくは夫婦でしか許されないものだ。

 魔族の流儀ではあまりに気安くて無礼になるところだが、ヴァナルアーダはキリハの呼び掛けを笑って受け入れた。


「アーダ、か。妹以外にそう呼ばれたのはどれほど振りか……ふふ、俺はよほど気を詰めていたらしい。そう呼び会える友すら作れないほどに……まさか一騎打ちの前に、これほど穏やかな心持ちになれるとはな」

「全力でやれそうかい?」

「ああ。程よく力も抜けた。いつでも始めよう」

「なら、やろうか」

「ああ、やろう」


 直後、キリハが大きく飛び退く。

 彼女が立っていた地面からは、無数の刃が生えている。


「余は火と地の二重属性。そして得意とするは、即座に武器を鍛造せしめる武錬魔法。我が視界に映る大地は、すべてが我が武器となる」

「そいつは剛毅だ」


 辛くも初撃を躱したキリハだが、着地するやいなやまたすぐに跳躍して大地から生成された刃を躱す。

 おそらく地面で蠢く魔力を察知しているのだろうが、凄まじい反射能力だとヴァナルアーダは感心した。

 さすがは竜を従える者。一筋縄ではいかない。


「これならどうかな――」


 ヴァナルアーダは大地に手を触れ、より念入りに魔力を注いで魔法を練る。

 そして彼の周囲に、鉄で出来た蛇が無数に鎌首を上げた。


「往け、鉄鎖の蛇よ」


 黒光りする蛇がキリハに迫る。

 大地から無制限に伸びて襲ってくる蛇に対し、キリハは避け、あるいはその素っ首を刀で叩き切る。

 だが蛇は自由に身を捻って再襲撃し、断たれた首はすぐに再生成されて何事もなかったかのようにキリハに噛み付こうとする。


「こいつは面倒――ちぃ!」


 身体をかすめる鉄の蛇を躱し続けていたキリハだが、何かに気付くと傷付くのを承知で無理やり跳躍した。足元からまた魔法で生成された刃が生えだしたからだ。

 変幻自在に操ることの出来る錬鉄の蛇――それに気を取られている相手への足元からの錬成刃の襲撃。まさかこれほどの魔法を同時に使えるなどと思われず、ヴァナルアーダの必勝の策であったが、


「これすら躱すか……だが、詰みだ!」


 跳躍中のキリハへと蛇をけしかける。鉄鎖の蛇に絡みつかれ、キリハは空中に雁字搦めにされた。


「二段構えか……念入りなことだね」

「ここまでさせたのは貴殿が初めてだ、キリハ殿」


 ヴァナルアーダは鉄鎖で縛られたキリハに歩み寄り、感嘆と申し訳無さを綯い交ぜにした顔で懇願した。


「……降伏して欲しい。けして悪いようにはしない。そなたほどの人物を殺すのは忍びない」

「おっと、そのセリフはまだ早いよ、アーダの旦那? だってこれは、あたしの望んだ状況だからね」

「なに?」


 ヴァナルアーダが疑問の声を漏らすと同時に、鉄鎖の蛇が砕け散った。

 力任せで拘束を引き千切ったキリハは、全身から擦過傷による血を流しながら、至近距離に近寄った魔王へと斬り掛かる。


「ぐっ……」


 とっさに生成した剣で防ぐヴァナルアーダだが、あまりに鋭く重い一撃に手が痺れた。


「あたしには属性だかってものがないらしくてね。あたしが出来る魔法は自己強化だけなんだとよ。けど、魔力そのものはたっぷりあるみたいだからね。こういう強引な真似も出来るのさ」

「人間の体には耐えられぬほどの強化魔法……強引な自己治癒で押し切るつもりか!?」

「ご明察!」


 流れる血がいつの間にか止まり、キリハは目にも留まらぬ動きで斬撃を繰り出す。

 至近距離で相対するヴァナルアーダには、少女の身体から亀裂が走るような異音を聞き取ることが出来た。強化しすぎた筋力に骨格が耐えられず軋みを上げているのだ。靱帯だって断裂しているかも知れない。

 戦闘種族と評される魔族の王たるヴァナルアーダも、キリハの戦い方には顔を青くした。

 いまのキリハは、全身が凄まじい痛みと疲労感に襲われている筈だ。破壊もそうだが、再生はさらに苦しい。また、治癒しようと疲労は残る。

 だが、キリハの動きは鈍るどころか加速している。

 おまけに、笑っている。

 楽しくてしょうがないという顔だ。あるいはこの興奮状態が、痛みと懈さを吹き飛ばしているのか……。


「ぐっ、ぬ、うっ!?」


 生成した剣が砕けた。

 すぐに新しい剣を用意するが、数合撃ち合うことですぐにまたへし折れる。力も技もあるが、何よりキリハが振るう刃はかなりの業物だった。

 いかに無数の武器を用意できると言っても、魔法で急造したヴァナルアーダの武器とは比べるべくもない。


「……こちらの懐に潜り込むために、敢えて捕まってみせたか。見事。余もまんまと騙されてこうして打ち合っているが……まだ余の方が有利だぞ!」

「そうかい? そう思うかい、大将?」

「如何に魔力量が多かろうと、身体の限界を超えた強化に、壊れた身体を無理やり治す治癒を全力で発動させ続ければ長くはない! そなたは白兵戦での短期決戦を企図しているのだろうが、耐えれば勝つのは余の方だ!」

「それは耐えられれば、だろ? アーダの大将ぉ!」

「耐えてみせるぞ、キリハァァアアア!」


 空を斬り、大地を裂く剣撃の応酬が続く。

 魔族たちは固唾を呑んで見入っていた。魔王たるヴァナルアーダがここまで苦戦することがそもそもない。懐に入られる前に決着がつく。彼らから見ても、ヴァナルアーダがここまで苦戦する姿は初めて見るのだ。

 はらはらして見守るのだが、それよりも彼らを驚かせたのは、


「……陛下が、笑っていらっしゃる……」


 剣撃に応じるしかない超接近戦を強いられながら、ヴァナルアーダは笑みを浮かべていた。まるで親しい者と茶飲み話でもしているかのような、ごく自然な笑みだった。

 王妹殿下が魔禍病に倒れ、魔族が苦しむ現状に胸を痛め、常に厳しい表情をしていた魔王陛下。彼が最後に浮かべた笑顔が思い出せず、魔族たちは胸を痛めた。

 自分たちはいつの間にか、主にして父たる陛下から笑顔を奪っていたのだと。


「……陛下! 負けないでください陛下!」

「勝ってください陛下!」

「我らが魔王陛下!」

「魔王ヴァナルアーダ様!」


「……愛されてるねぇ、大将」

「……ああ、余の自慢の部下、余の自慢の息子たちだ。それ故にこそ、余は負けられぬ!」

「上等っ!」


 二人の剣撃が更に速度を上げた。後先考えずアクセルを踏み込んだキリハに、ヴァナルアーダも負けずとギアを上げる。

 チキンレースだ。

 キリハの斬撃に、ヴァナルアーダの錬成剣が耐えられる時間がどんどん少なくなってくる。壊れる端から作るのではすでに間に合わず、ヴァナルアーダは常に武器を錬成しながら戦い続ける羽目になった。

 持久戦に持ち込めば勝てる……だがいつの間にか、魔王もまた短期決戦に引き摺り込まれていた。

 先に魔力の尽きたほうが負ける。あるいは、一合でも打ち損なえば。


「おりゃあああああっ!!」

「ぬおおおおお――ッ!?」


 ついに、キリハの斬撃が一合にて魔王の錬成剣を砕くようになった。

 ヴァナルアーダは未完成の剣で切り返されるキリハの刀を受けようとするが、不完全が刃では最早盾にすることも叶わなかった。


「せい、りゃぁああっ!」

「ぐっ、が……」


 逆袈裟の一撃が、中途半端な錬成剣を断って、ヴァナルアーダの胸を撫で斬った。

 致命傷ではない。だが極度の集中が途切れるには十分すぎる深手だ。

 胸を抑え、ヴァナルアーダは膝を突く。

 ちゃきり、剣先を突きつけてくる少女を、魔王は痛みを堪えて見上げた。


「いい勝負だったな、アーダの大将」


 キリハは、流れる血をぺろりと舐め上げながら笑った。

 最後の最後で、キリハは治癒を後回しにして、ひたすら身体強化に魔力を注ぎ込んで戦っていた。過剰な強化に耐えかねた身体が血を流し、少女の全身が血の汗を流したように赤く染まっている。

 だが、美しい姿だった。

 血に染まってもなお、いや、血に染まっているからこそ美しいのか。

 ――これほど美しい者に敗れるのなら納得できる。

 ヴァナルアーダは、自分でも驚くぐらい柔らかな笑顔で微笑み返した。


「……一つだけお願いしたい。余はもう歯向かわぬ。大人しく貴殿に首を差し出そう。その代り、余の部下たちが撤退するのを認めてくれないか?」

「……あんた、意外に卑怯な男だね? あたしが命を懸けた男の末期の言葉に弱いって、そういうのを察してお願いしているだろう?」

「ここまで斬り合ったのだ。そなたとて、余がこう言い出すのを察していたのではないか?」

「そりゃあ、ね……あんだけ濃い時間を共有したんだ。古女房並みに理解しているさ、あんたの気高さははね。もちろん、そんな願いされたら、あたしとしても断れないけどさ」

「……感謝する。さぁ、余の首を刎ねて殊勲となされよ。貴殿の武勲となれるなら、余もあの世の誉れと出来る」

「お待ち下さい!」


 魔族たちの中から、魔王の側近であるクルルエーメが飛び出し、キリハに向かって深々と土下座した。


「どうか、どうか陛下をお助けください! 代わりに自分の首を差し上げます! いえ、なんなら戦果として奴隷にしてくださっても構いません! いかなる扱いも受け入れます! ですからどうか陛下だけは……」

「クルルエーメ! 貴様、余の誇りに傷を付ける気か!? これは余から申し出た一騎打ちぞ! 約を違えることなど出来ぬ!」

「しかし、しかし、魔王陛下……」

「おまけに、貴様を身代わりにして生き恥を晒せと? そのような恥知らずな真似をするくらいなら自分で首を括るわ! 余に臣を、子を見捨てろと言うのか!?」

「しかし!」

「控えていろ、クルルエーメ! 我が身はすでにキリハ殿にお任せしたのだ。貴様の出てくる余地などないわ!」

「ヴァナルアーダ様……!」


 深手の痛みを感じさせないヴァナルアーダの叱咤に、クルルエーメは滂沱の涙を流した。

 このような状態になってまで誇りを失わぬ主を誇らしく思う反面、言いようのない悲しさが去来する。


「……いらぬ節介をかけた。さぁ、キリハ殿――」

「陛下! いけません陛下!」

「竜騎士様! どうか我らの首でお許しを!」

「我らの魔王陛下をお助けください!」


 魔族たちは一斉に武器を捨て、クルルエーメを習って土下座した。

 一兵残らず自分の助命を懇願する部下たちに、ヴァナルアーダの胸に怒りと慈しみが同時に湧き上がる。


「お前たち……」

「くくっ……あ――――っはっはっはっは!! いいなぁ、あんたたち! あんたたちみたいな気持ちのいいバカはほんとうに久しぶりだ! あはははははははっ!!」


 呵々大笑し、キリハは刀を鞘に収めた。


「うん、惚れた!」

「……なに?」

「あんたに惚れたよ、アーダの大将。良い男だ。いい親分だよ、あんたは。こんなの見せられちゃ、惚れないわけがないだろう?」

「ほ、惚れた……? い、いや、待て、待ってくれ……急にそんなことを言われても……」


 突然の告白に、ヴァナルアーダは顔を赤らめた。

 魔王としての職責に、魔禍病に倒れた妹の看病。それらに忙殺された彼に、女性と親しくする時間などあるはずもなかった。

 こうもはっきり『惚れた』と言われ、上手く受け流すようなスキルを、この魔王は所持していなかった。


「いいものを見せてもらった。後はあたしに任せときな。なに、悪いようにはしないよ。その証拠に、一人も死人は出しちゃいないだろ?」

「……なに?」


 混乱したままのヴァナルアーダが、戦場に倒れ伏す魔族たちに目をやる。

 慌てた兵たちが急ぎ駆け寄って戦友たちの安否を確認すると、「生きているぞ!?」と声を張り上げた。


「魔物の群れはともかく、兵士に死人が出ると纏まるものも纏まらなくなるからね。ああ、怪我くらいは大目に見てくれよ?」

「い、いや……生きていればなんとでもなる……」


 多少の怪我なら魔法に秀でた魔族ならいくらでも治せる。死なない限りはあまりこだわらないのが、良くも悪くも魔族の流儀であった。


「ヒエンもご苦労さま。で、縛りプレイはどうだった?」

『なかなか新鮮だったな。我も、あまり混乱は望ましくない。リッタニアに新しいケーキをご馳走してもらう約束もあったからな』

「……もしかしてこの戦の功労者は、あのショタ侯爵令嬢なのか?」

「…………」


 ヴァナルアーダは呆然とキリハを見つめた。

 介入してきたからすでに、場を収める算段をしていたのだ。もしかしたら、自分が一騎打ちなど申し込まなくても、収める手段があったのかも知れない。いや、あったのだろう。

 それを放棄してヴァナルアーダとの一騎打ちに応じたのは……。


「……余も惚れた。何という女だ……なんという……」


 負けた。

 不思議と敗北した自分が喜んでいることを、魔王は清々しく笑って受け入れた。

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