第三十八話 ざわ……ざわ……

 ゲームはポーカーに決まった。

『鎖の蛇』は表でも裏でも賭博に広く関わっているので、ヴィンセントの隠れ家には大なり小なりプレイルームが用意されている。

 備え付けのプレイルームで、さっそくゲームが始まった。


「では、カードを確認ください」


 ディーラーもすぐに調達できた。彼は新品のトランプをまずキリハに渡して確認させようとするが、彼女は首を振る。


「まずそっちから確認してくれ。あたしが確認した後にギラれたら困る」

「なるほど、用心深いな」


 ヴィンセントは感心した顔でトランプを確認した。

 そしてキリハに手渡すと、彼女は一枚一枚を丁寧に確認した。


「……トランプの柄にも、大きさにも、細工はないようだね……念の為確認するが、もしイカサマを見破ったら、その時点であたしの勝ちってことでいいね?」

「見破れたらな。ま、安心しな。あんたみたいな小娘にイカサマするほど耄碌しちゃいないさ」

「イカサマする奴はみんなそう言うさ」


 キリハの確認が済むと、さっそくゲームが始まる。

 ヴィンゼンドとキリハにカードが配られる。


「……さて? 最初の手番はレディーファーストで譲ろう。まさかいきなりオールインはしないだろ?」

「やってるのは脱衣ポーカーなのに、こんなに緊張感があるとはね……それじゃ最初は手堅く、靴一足ってところかな?」

「靴一足ね……まああんたの全存在をざっと10億エラとして……ま、50万エラってところかね」

「それでいい。それじゃ、あたしは二枚交換だ」

「俺は三枚だ」


 ヴィンゼンドはじっとキリハを見つめる。キリハもじっとヴィンゼンドを観察していた。

 どうやら最低限のプレイヤーではあるようだと、ヴィンゼンドは相手を認めた。

 自分の手札に集中するようでは三流どころかプレイヤー失格だ。賭博はあくまで人間と人間の勝負だ。カードを相手にするのは子供のおままごとでしかない。


「……それじゃ、あたしはジャケットを賭けるよ」

「ふぅん……なら俺は一億エラ賭けるか。さて、それに見合うのはどれくらいになるかなぁ?」

「いきなりレイズかい……いいよ。ならあたしの下着以外を全掛けだ」

「へぇ? 負けたらすっぽんぽん一歩手前じゃねぇか。いいのかい?」

「あんたこそ、あたしの裸を見たいなら、もっと男らしく大賭けしな」

「……いいぜ。なら二億追加だ」

「チェック」

「俺もチェックだ」

「ショーダウンです。ハンドオープンして下さい」


 キリハの手は7とJのツーペア。

 ヴィンゼンドの手札は4のワンペア。

 キリハの勝利だ。


「初回はあたしの勝ち。いいのかい? あと六億と九五〇万奪えばあたしの勝ちだけど?」

「まだまだこれからさ。さぁ、次のゲームだ」


 だがそれからのゲームはキリハの独壇場だった。

 ヴィンゼンドは負けとフォールドを繰り返し、賭け金はあっという間に半減した。


「なぁんだ。たいしたことないね」

「なぁに、まだまだ勝負はここからさ」

「そういう言葉を『負けフラグ』って言うんだよ……二枚交換」

「俺も二枚だ。さて、今回は何を賭ける?」

「そうだね……それじゃ、ジャケットと左右のブーツ一式で」

「へぇえ? いいのかい?」

「勝ってる時に張らなくていつ張るんだい?」

「違いねぇ。なら、俺は残りの金をオールインだ」


 ヴィンゼンドが残りの掛け金五億弱を全賭けすると、キリハの笑みがピクリと震えた。


「どうした? あんたのコールだ」

「……フォールド」

「ショウダウン。ハンドオープンを」


 降りてもカードを晒すルールなので互いの手札が晒される。

 ヴィンゼンドは5のワンペア。

 対するキリハは……ブタだった。


「……何で分かった?」

「さぁ、なぁ。それよりもさっさと脱ぎな」

「……分かった」

「おっと、ただ脱ぐんじゃねぇぞ。貴族のお嬢様のストリップなんてめったに見れるもんじゃねぇ。ゆっくりと丁寧に脱いでくれよ」


 さっさと賭け分の衣服を脱ぎ捨てようとしたキリハだが、ヴィンゼンドに言われて顔を顰めながらゆっくりと上着を脱ぐ。次いでブーツの紐を解き、これもゆっくりと足先から引き抜いた。

 誰かが「ごくっ」と唾を飲んだ。

 素肌が見えた訳ではないのだが、ジャケットを脱ぐとキリハのよく育った胸の豊かさがよりはっきり分かる。それに、膝下まで覆う長ブーツを脱ぐことで顕になった美脚。ピンと張ったふくらはぎから、きゅっと絞るように引き締まった足首、そしてしゅっと伸びるすねから爪先のライン……。


「……ふん。たかがジャケットと靴を脱いだだけなのに馬鹿な顔してるね。そんな面しといてみんな童貞なのか?」

「それだけお前さんが魅力的だってことさ」

「ちっ。まぁ、いい。次だ次。勝負はまだこれからなんだからな」

「そういう言葉を『負けフラグ』って言うんじゃなかったか?」

「っ……」

「じゃあ、勝負再開だ」


 そこからは、さっきまでと逆の光景が繰り広げられた。

 キリハの攻勢に、ヴィンゼンドはさっさとフォールドしてしまう。

 キリハの強気のハッタリに対しては、倍プッシュで相手の戦意を折りにかかる。


「オールインだ」

「……フォールド」

「ショウダウン。ハンドオープンして下さい」


 互いにツーペアだが、数字はキリハの方が強かった。だがキリハが降りた以上、手の強さは何の意味もない。

 手役の上では接戦だが、これまで以上にヴィンゼンドの圧勝であった。キリハの手の強さをほぼ正確に読み取っていたことを示すやり取りだったからだ。


「バカな……」

「さぁ、いよいよご開帳と行こうじゃないか」

「ぐっ……」


 キリハは嗚咽を堪えるように口元を引き締めて、胸元のボタンに手を伸ばした。すでに靴下や手袋はもとより上着も奪われ、いまブラウスを奪い取られた。いよいよ多くの男達に素肌を見せねばならなくなってしまった。

 汚い野次でキリハを煽っていた男たちだったが、キリハがゆっくりと肌着を脱いでゆくのに合わせて声を潜めていった。

 ブラウスの下から顕になる豊満な胸。かろうじて裾に隠れていた鼠径部。そのどれもが男たちの目を引きつけた。

 無論、裏街道に生きる男たちだ。女の肌など見飽きている。しかしそれを差し引いても、キリハの肢体はあまりに魅惑的に過ぎた。

 それは、ヴィンゼンドにしても同じだった。

 まるで童貞捨てたばかりの青二才だと自嘲しつつ、キリハの柔肌を凝視するのを避けられない。ましてや、あともう少しでこれが自分のものになると思えば、興奮した脳みそが心臓を蹴りつけるのを止めることなど出来ようはずもなかった。


「ぐ、ううっ…………あたしの裸じゃなくて、カードの方を見るべきじゃないのか?」


 身体を捩って胸元と股間部を隠そうとするキリハが憎まれ口を叩く。

 女を嬲るのは趣味ではないヴィンゼンドだが、いささか宗旨変えしたくなってきそうだ。


「ははっ、無茶言うなよ。そんなパイオツ見せられて平気な男がいるなら見てみたいもんだ。そうだろ、お前ら」

「へぇ、ボスの言うとおりで」

「そうだ、俺の寝室を念入りに掃除しといてくれ。なんせすぐに使うことになるだろうからな」


 意味ありげに笑って舌舐めずりすれば、健気に睨むキリハの切れ上がった瞳が潤んでくる。

 ヴィンゼンドは彼女を振った第一王子を嘲笑した。こんなに上等な女を捨てるなんてとんだタマナシだ。もっともバカな王子のおかげで、自分がこの上物を味わうことが出来るのだが。


「さて、そろそろ最終ラウンドってところか? なぁ?」

「…………」


 いよいよ憎まれ口も叩けなくなったらしい。涙目でこちらを睨むのが精一杯のようだ。

 その強気な顔がベッドの上ではどんな風に蕩けてくれるのか……。


「……一枚交換だ」

「俺は二枚だ」


 ディーラーがカードを配る。

 ヴィンゼンドのカードは良いとも悪いとも言えない微妙な手だ。

 ちらりとディーラーに眼をやれば、彼はほんの僅かに重心をキリハ側に寄せていた。どうやらあちらの方が強い手らしい。

 ――相手を見るだけじゃ、まだまだ足りないんだよ。

 賭場を運営する都合上、ヴィンゼンドは配下のディーラーたちと詳細なイカサマのサインを定めている。厄介な博徒が現れたとき、責任者であるヴィンゼンドが返り討ちにするためだ。

 そして今夜この勝負に用意したディーラーは、幸か不幸か、ヴィンゼンドの部下の中でもっとも優れたイカサマディーラーだった。

 驚くべきことだが、彼はすべてのカードを記憶している。プレイヤーがチェックしたトランプだが、常人にはわからないくらいささやかな感触の違いがカードの端に施されており、彼はその超人的な指先の感覚でそれを見分け、手役の強弱をヴィンゼンドに伝えている。

 あからさまなイカサマは使わない。イカサマと分からないイカサマは最早芸術の域だ。

 結局の所、このディーラーがヴィンゼンドの完全な味方である以上、ヴィンゼンドが負ける要素などなかったのだ。


「さて、それじゃあ――」

「オールイン」

「……あ?」

「オールインだ。あたしの全部をここで賭けるよ」


 キリハの宣言に、ヴィンゼンドは目を瞬かせた。


「……いいのか?」

「ああ、どうやらあたしの方が良い手みたいだからね」

「っ!?」


 確信たっぷりに発せられたセリフに驚きの声を出さなかった自分を褒めてやりたい。

 いつの間にか、キリハは胸を張り、ニヤニヤと笑いながらヴィンゼンドを眺めていた。

 大勢の男達の衆目にさらされた下着姿の小娘とは思えぬ、実に悠々とした姿だった。


「どうした? コールしないのか?」

「……フォールドだ」

「……ショウダウンです。ハンドオープンして下さい」


 キリハの手は、3のスリーカード。

 ヴィンゼンドの手は、2のスリーカード。

 僅差で――しかし圧倒的な、キリハの勝利だった。


「おおっ、ギリギリだったね。勝てて良かったよ」

「…………」

「じゃあ、次に行こうか?」

「……勝負も長くなってきた。そろそろディーラーの交代を――」

「それは負けを認めたってことでいいんだな?」


 すっと目を細め、キリハは鼻を鳴らした。

 嗤ったのだ。


「ディーラーを下げるってことは、ディーラーとイカサマしてたって認めることだ。そうだろう? そうじゃないか? んん?」

「…………」

「なぁに、違うっていうんならこのまま続ければいいだけだ。それだけの話だろ?」

「……カードを配れ」

「は、はいっ」


 ゲームは続けられたが、それからは完全に、完全無欠に、疑いようもなくキリハの独壇場だった。

 手役の強弱はもとより、イカサマで手にした勝負手はあっさりと躱された。完全にヴィンゼンドを、彼の部下のやり様を見破っていた。


「しょ、ショウダウンです……」

「どうした、そんなに汗をダラダラさせて? そんなんじゃカードが湿っちまうだろ? 手袋でもしたらどうだ?」

「い、いえ……」

「冗談だよ、冗談。ディーラーが手先の感覚を鈍らせたら話にならんもんな。そうだろ? 手先の感覚は大事だよな?」

「……っ!?」


 ディーラーの顔が青褪めていた。彼がキリハを見る目は、得体の知れない化物を見るようだった。

 鍛え抜かれた彼のイカサマが、完全に見抜かれている。その上でゲームを続けさせられているのだ。公開処刑も同然だった。

 ……結局。

 勝負はキリハがものにした。

 キリハは、最終的に身に着けているのはショーツのみ。胸元の大事な部分が髪でようやく隠れているだけのあられもない姿だが、まったく気にする様子なはない。

 滑らかな美脚を組み、肘掛けに頬杖をついて艶やかに笑っている。


「なかなか楽しかったよ、ヴィンゼンドの若旦那。まさかパンツ一丁になるまで追い詰められるとは思わなかった」

「…………なんで、分かった?」

「イカサマ博打で一番やっちゃいけないことはなにか分かるか?」


 キリハは得意げに話し始めた。呑気に鼻の下を伸ばしていたヴィンゼンドと、間抜けにもイカサマを全部見抜かれたディーラー、そして今更ながらに唖然とする『鎖の蛇』の構成員たちを、勝者の権利とばかりにニヤニヤと笑いながら。


「イカサマ師相手にイカサマをすることさ。イカサマっていうのはバレないからこそイカサマなんだ。タネが見破られたら怖くもなんともない。それどころか、積極的に利用されもする。ディーラーがあんたを勝たせようとする以上、どうしてもサインを出さざるを得ない。どれほど巧妙に隠そうとも、ね」

「………………」

「あんたは、イカサマ抜きの真剣勝負をするべきだった。そうすりゃ勝負は五分五分だったろうにねぇ」


 キリハはそう言うと、ばさっと髪を翻した。


「……胸が丸見えですよ、キリハ様?」

「別にいいさ、ジェラルド。見せて減るようなもんでもなし。いや、むしろ減ってくれたほうが良いのかな?」

「ああ……最近、さらに大きくなってきてますもんね」

「肩が凝ってしょうがないよ。けど大きいおっぱいもたまには役に立つ。みんなこいつに目が行ってたからね。クセもサインも読み取るのに苦労しなかったよ」


 ぽよんぽよんと自分の胸を弾ませながら、キリハはからからと軽やかに笑う。そこにはまったく、一欠片も、自分の裸が見られる羞恥心は見られない。

 自分たちがこの少女に弄ばれただけだったと、ヴィンゼンドも悟らざるを得なかった。

 小娘めいた恥じらいも恐れも全部演技。最初から、自分たちはこの少女の掌の上だった。

 イカサマ師相手にイカサマをするなとは、まさにその通り。

 この少女は、超一流のイカサマ師だ。

 博打勝負に持ち込まれた時点で、すでにヴィンゼンドは負けていたのだ。

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