第二十八話  紅蓮竜

 ――『彼』は、苛立っていた。

 生まれたときより強力な存在であった『彼』に敵う魔物(もの)などほとんどいなかった。『彼』に匹敵するのは同族であったが、数百年もすると『彼』は同族の中でも際立って優れた個体に進化していた。

 何者も、『彼』を押し止めることなど出来ない。

 何者も、『彼』を支配することなど出来ない。

 何者よりも強大で強靭な『彼』は、この地上でもっとも自由な存在だった。

 なのに……『彼』は生まれてからずっと苛立っていた。

 ――何かが足りない。

 足りないのは分かっているのに、何が足りていないのかがわからない。それが何より苛立たしい。

 だから『彼』は足りないものを探し求めて地上を彷徨った。そのうち、『彼』は知恵持つ者たちから崇められ、畏れれるようになった。生物の上位種、生命の支配者、王種の中の王として。

 だが、どれだけ尊崇されようと、『彼』の足りない心を満たしてはくれなかった。

 苛立ちはどんどん強くなり、やがて『彼』自身でも持て余すようになった。

 だから、『彼』は微睡むことが多くなった。眠っている間は、苛立ちを感じずにすむ。夢現の狭間でなら、足りない何かが身近にあるような気がした。

 ……だから。

 微睡みを邪魔する不躾な音に叩き起こされ、『彼』は怒った。怒り狂った。

 寝床の森から這い出すと、無数の魔物と、無数の人間どもが居た。

 人間の誰かが、『彼』を見上げてぽつりと、


「……ドラゴン」


 と呟いた。

 そう、『彼』はドラゴンだった。

 天を衝く巨体。天に挑むかの如き鋭い角。天を掴むかの如き力強い両翼。

 そして、大地を睥睨する金色の両瞳。

 すべてが力強い造形で象られ、その躯を包むのは水晶のように煌めく赫い鱗。


 ――GRUUUUUOOOOOOOOOOOOOONNNN!!


 苛立ちをぶち撒けるようにに、『彼』は寝起きの咆哮を響かせた。


 ※    ※    ※


「そんな、まさか……紅蓮竜(ガーネット・ドラゴン)!?」

「知ってるのかジェラルド?」

「知ってるも何も、紅蓮竜ですよ紅蓮竜!? あの魔力で変質した属性鱗! ホンマモンの成竜じゃないですか!?」


 突如魔の森から姿を見せたドラゴンに驚愕するジェラルドに声を掛けると、彼は絶望した表情でキリハに説明する。

 この世界の竜は幼竜、成竜、真竜と成長してゆく。真竜は物質世界から解脱した半神みたいな存在なので、成竜が事実上存在する竜の最上位となる。

 青竜(ブルードラゴン)や黒竜(ブラックドラゴン)といった幼竜が天地の魔力を十分に吸収すると、鱗が変質して魔力を流すだけで魔法現象を発現する属性鱗という器官に変化する。もともと魔力の保有量も生成量も規格外な竜種である。つまり、生きているだけで魔法を垂れ流す歩く災害のいっちょ上がりというわけだ。これが成竜であり、青玉竜(サファイア・ドラゴン)や黒曜竜(オニキス・ドラゴン)などと呼ばれるようになる。


「紅蓮竜は『このいと』のシナリオだと最後の最後に出てくる裏ボスですよ。なんでこんなタイミングで…………あ」

「『あ』?」


 ガスの元栓を締め忘れたり戸締まりを忘れたりした時に出てくるような『あ』にキリハが眉根を寄せると、ジェラルドは汗をダラダラ流しながら歪に愛想笑いをした。


「……そういえばこの魔の森、紅蓮竜の寝床でした」

「この役立たずの穀潰し!」

「うらけんっ!??」


 間の抜けたツッコミを繰り広げるキリハとジェラルドだが、ほとんどの者はそちらに目を向けることも出来ず汗を流していた。恐怖や緊張もあるが、純粋に気温が高まったのだ。

 紅蓮竜は、その名の通り赤竜が成長した炎のドラゴン。紅蓮に染まった属性鱗が発する熱が空気を焦がし、その深紅の巨体を炎のように揺らめかせている。

 

 ――GURURURUUUUUUUUU……


 紅蓮竜が首を巡らす。

 竜に遭遇すれば、いかなる魔物も怯えて竦んで動きを止める。だが狂乱しスタンピードを起こした魔物は出現した紅蓮竜に構わず、我武者羅に騎士団と冒険者たちの防衛線へ突っ込んでいる。

 そんな魔物たちが君臨者の癇に障ったのか。紅蓮竜が苛立たしげな唸り声をあげると、その全身の鱗が眩く輝き出した。


「やばいっ!?」

「退避っ! 退避ぃぃ――っ!!」


 業ッ!!

 紅蓮竜、その名に相応しき赫炎が噴き上がる。

 属性鱗から吐き出された炎は周囲の魔物を焼き払い、一瞬で炭に変えた。

 自分を無視した不遜な魔物たちを始末して溜飲を下げた紅蓮竜は、今度は小癪にも炎から逃れた人間たちを睨め付けた。

 騎士も冒険者も、皆一様に凍り付いた。

 違う、と一目で分かったのだ。

 生き物としての強度……いや、存在の位が違う。

 この上位者の決定を受け入れるしか、脆弱な人間には許されていない。死の運命を受け入れた筈の彼らが恐怖で立ち竦むほど、紅蓮竜のプレッシャーは圧倒的だった。


「おらぁぁあああああああっっ!!」


 ――だから、誰が予想しただろう?

 まさかこのドラゴンに斬り掛かってゆく少女がいるなどと。


「ちっ、硬いね……っとぉ!」


 一足飛びにドラゴンの背中に駆け上がって斬り付けたキリハだったが、失敗するや否や全力で飛び退いた。

 直後、さっきまで彼女が居た場所で豪炎が噴き上がる。

 辛くも炎の洗礼から逃れたキリハが着地すると、ドラゴンがその首を巡らせた。正面から彼女を見下ろす大きな両目は、気のせいか驚きで見開かれているように見える。


「驚いたか? 驚いてくれたかね?」

「なっ、なななっ、何やってるんですかアンタはぁああああっっ!!?」


 いきなり紅蓮竜に斬り掛かったキリハにジェラルドが詰め寄る。


「ドラゴンに喧嘩打ってどうするんですか!?」

「先にガン付けてきたのはあっちだろ? あたしの業界ではね、ガン付けられたらその時点で喧嘩がはじまるんだよ」

「そんなヤクザな理屈聞いてねぇえええっ!!」

「どっちにせよ逃してくれる感じじゃないんだ。誰かが囮にならなきゃならないだろうが」


 キリハがくいっと顎で示す方へ目を向ければ、魔の森から魔物たちのおかわりがやってくるところだった。


「このドラゴン相手じゃあっという間に全滅だ。そしたら魔物の群れに時間稼ぎできるヤツが居なくなる。誰かが囮になってこいつを引き付けなきゃならんだろうが」

「そりゃそうですけど……」

「――それを、そなたがやろうというのか?」


 いつの間にか、キリハの側に騎士団長のオーランドが近寄っていた。

 訝しげな顔をする騎士団長に、キリハはひょいと肩を竦めた。


「もともとあたしはソロの冒険者だからね。逃げ回るだけなら一人の方が便利だろ?」

「……愚息が迷惑をかけた事を詫びる。あの馬鹿が騒がなければこんなことには……」

「こういう時は武運を祈る、だけでいいよ。湿っぽい話はあの世でいくらでも出来るだろ?」

「……武運を祈る」

「はいよ。ほんじゃ、ま、はじめますか」


 キリハはじっとこちらを睨む紅蓮竜を見上げ、にぃっと威嚇するように笑い掛けた。


「さぁ、追い掛けっ子をしようか、赤トカゲ!」

 ――GUUUUURUUUUOOOOOOOOOOOOOOOO!!


 雄叫びとともに叩き付けてきた尻尾を躱し、キリハはドラゴンに『べぇ』と舌を出して走り出した。

 馬鹿にされていると分かるのだろう。紅蓮竜は一声鳴くと両翼を羽撃かせて飛び上がり、小癪にも自分から逃げ延びようとする二人の人間を追い掛けた。


「何で僕までぇぇぇええええええええええっっ!!」

「死んでも死なないんだろ? 道連れにするにはちょうどいいじゃないか」

「死ななくても痛いのはいやぁぁあああああっっ!!」

「だったら結界でもバリアーでも電磁障壁でもなんでもいいから防いでおけ!」

「ちっくしょおおおおっ!! ゴッドバリアーじゃぼけぇえええっっ!!」


 マグマの如き濃密な炎を必死に防ぎながらキリハに引っ張られていくジェラルド。

 涙目の執事が張った障壁で自分の攻撃を防がれ、紅蓮竜が苛立ったように咆哮する。


「見たか赤トカゲ! クッサイ口臭しやがってこのウドの大木が!」

「此れ以上怒らせないでホント!?」


 挑発しつつキリハとジェラルドはドラゴンを引き付ける。

 勇敢な少女と、少女に付き添う忠義な執事を見送り、オーランドは束の間黙祷した。


「……態勢を整える! 勇敢な冒険者の覚悟を無駄にするな!!」


 オーランドの発破に、竜に恐怖していた戦士たちが気合を入れ直す。

 そしてスタンピードの第二波へと、彼らは涙を流しながら向き直った。

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