第二十九話  竜が如く

 竜退治に必要なものは?

 こう問われて安易に魔剣や聖剣と答えるものはドラゴンというものの強大さを分かっていない。

 ドラゴンの恐ろしさは数多い。鋼鉄以上に硬い鱗や、強力なドラゴンブレス。種によっては飛行速度や毒なども脅威だろう。

 だが、一度でも野生動物の狩りを経験したことがある者なら、ドラゴンのもっとも厄介な点を『デカくて速い』と答えることだろう。


 ――GURURURURURURURAAAAAAAAAAAA!!


 一本一本が大剣に等しい大きさの爪が振り下ろされる。

 ギリギリ躱すことの出来たキリハ(とジェラルド)だったが、ドラゴンの一撃が大地を穿つ衝撃で大きく弾き飛ばされて態勢を崩す。


「くっ……っ!?」


 続けざまの尻尾の追撃を転がって躱すが、その尻尾が大地を叩くと砲弾が至近距離で着弾したような衝撃がキリハを襲う。

 もはや受け身を取る余裕もない。出来るだけ力を抜いて多少の傷みを覚悟しながら転がって、意識が途切れないようにするのが精一杯だ。


「……こういうところはファンタジーだな!」


 この紅蓮竜。全長十五メートル超の巨体で、鍛えた人間と同じかそれ以上の速さで動いている。筋組織の張力や強度が常識的な数値から逸脱しているのだ。恐らく、無意識のうちに全身の筋肉や骨格、内蔵組織も魔力で強化しているのだろう。

 この巨体がこれほどのスピードで動いた時にどれほどの運動エネルギーを生み出すか、想像を絶する物がある。


「……武器より食い物や酒が要るな……!」


 日本神話のヤマタノオロチ退治にはじまり、巨大な存在を討伐するのに寝込みを襲うエピソードは数多い。あれらの神話が実は本当の話ではないのかとキリハは考え始めていた。

 何しろ、酔い潰して寝込みを襲うくらいしか攻略法が思い付かない。

 余波だけで身体が吹き飛ばされ、掠めるだけで致命傷な動きをする巨躯の化物。真正面から戦って致命傷を追わせるなどほとんど無理ゲーだ。

 酒や毒で動きを止めるのが極めて現実的な方法だと考えざるを得なかった。

 

「このっ! 神様舐めんなよこのボケトカゲがぁ!!」


 いつの間にか吹っ飛んで地面にめり込んでいたジェラルドが立ち上がり、青筋を浮かべてドラゴンを睨み付けた。手を合わせて印を組み、魔力を高めて呪文を唱えはじめる。


「――天地を支え生命を育む大いなる力よ。言葉に依りて生じ霊魂を生じさせし奇跡の運び手よ。創造者にして管理者たる我ジ@#$ェラ&*ル$+ドの名において命じる。水よ、集い絡まり、その怒りのカタチを示すが良い!!」


 空気から滲み出した水が集い、巨大な龍が形造られる。紅蓮竜を飲み込むほどの水の龍だ。


「すべてを呑み込め、《大地波濤す深淵の蛇(リヴァイアサン)》!!」


 轟々と渦を巻く巨体をくねらし水の龍が襲いかかる。

 紅蓮竜は自分を飲み込もうとする流水の化身へ正面から対峙し、その身体を覆う鱗を一際強く輝かせた。


 ――GYAOOOOOOOOORUUUUAAAAAAAAAAAA!!


 身体から吹き出す炎を巻き込みながら勢いを増す、特大のドラゴンブレス。

 キリハも聞いたことしかないが、火炎旋風という災害はまさにこういうものだろう。

 自然災害に等しいドラゴンブレスは、本来炎を掻き消すはずの大量の水をあっさり蒸発させ、あまりの熱量で生じた水蒸気爆発の衝撃すら空の彼方へと吹き飛ばした。


「………………だから嫌いなんだよ、ドラゴンってヤツはぁあぁああああっ!!?」


 ぽかんと放心していたジェラルドが涙目で絶叫すると、そんなもの知るかとばかりに紅蓮竜が尻尾を振る。

 目の前に迫ってくる赤い壁に顔を引き攣らせるしかないジェラルドだったが、飛び込んできたキリハの全力の横蹴りで辛くも逃れることが出来た。

 ただし、彼の頬がパンパンに膨れ上がったが。


「何するんですか!?」

「助けてやったのに何たる言いぐさだ。お前こそ、神様だってのに何をやってるんだ? それともやっぱり神様ってのはホラだったのか……」

「痛々しいセリフばっかり吐く拗らせた中二病患者を見るような憐れみ切った目で見るのはやめて!? 僕がこんなザマなのはあんたたち地球人のせいなんですからね!?」

「ん?」

「ドラゴンって奴は地球人が想像する『僕たちが考えた最強の怪獣!』の最たるものなんです。想像力を起爆剤に創った世界である以上、強い想像に裏打ちされた存在は強い力を持ちます。だから最強の想像から生じた『幻創種』ってヤツらは、僕ら管理者をも殺しかねない超危険物なんですよ!?」

「……つまりは自業自得じゃねぇか! 生産者の責任転嫁も大概にしろ!」

「こぶしでっ!?」


 結局役立たずで文句ばかりの自称神様をぶん殴って黙らせ、キリハはドラゴン――『最強』の願望を背負った幻創種に相対する。


「…………」

 ――GURURURURU……


 睨み上げるキリハを、紅蓮竜は嘲るような唸りを上げて見下ろしてくる。

 神すら圧倒する上位のドラゴンからすれば、どれだけ戦い慣れていようとキリハのような小娘など蟻同然。いつでも踏み潰せる虫けらでしかない。そう思っているからこその余裕だろう。

 事実、さっきの火炎旋風のブレスを吐かれたら、キリハがどれだけ速く遠くへ逃れようとしても無意味である。あっさりその長大で広範囲の射程に飲み込まれ、一呼吸する間もなく消し炭になるだろう。


「…………そうだよね。アンタにとっちゃ、あたしなんて虫けらみたいなもんだ」


 腹は立たない。当然のことを当然のこととして受け入れるだけのことだ。

 ……しかし。

 だからこそ、解せないこともある。

 自分程度の相手に、どうしてここまで時間を掛けるのだろう……?


 ――GURU? GUOOOOOOOOOOOOO!!


 怯えを見せないキリハに苛立ったのか、ドラゴンが威嚇の雄叫びを浴びせかけてくる。

 猫がネズミを嬲って楽しむようなものだろうか。

 この紅蓮竜にとって、キリハは無聊を慰めてくれる玩具なのか……。


「……いや、そうか。そうだな」


 キリハは苦笑した。

 今さらながら、自分の察しの悪さに呆れるばかりだった。


「自分で言ってたのにな。どれだけファンタジーだろうと、現実ってやつはそうそう変わりはないって」


 キリハは刀を鞘に収めると、軽い足取りで紅蓮竜へ向かって歩いていった。

 武器を収めて近寄ってくる人間の態度が腹に据えかねたか。最強のドラゴンが、矮小な人間に身の程を教えようと咆吼を浴びせる。


 ――GURUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!

「喧しい! この餓鬼が!」

 ――GURUUU!?


 怯えるどころか怒鳴り返されて紅蓮竜が面食らう。

 大きな目玉を白黒させるドラゴンに、キリハは腰に両手を当て、叱り付けるように厳しい顔をつくる。


「デカイ図体をして大声あげてれば皆が驚いてくれると思ってるのか? 勘違いも大概にしろ!!」

「なっ、なんつーことを……」


 命知らずな真似をするキリハをハラハラ見守るしかないジェラルドが青い顔をする。

 自殺志願者だってドラゴン相手にあんな真似はしないだろう。あっちはこちらの命をにぎっているのだ。怒らせて、どんな残酷な殺され方をするか分かったものではない。生きたまま丸呑みされて胃袋でゆっくり溶かされたり、おやつ代わりに手足を少しずつ齧られたりしたらどうするつもりだ。


『――不遜だぞ、ちっぽけな人間風情が』


 威圧感のある声が響く。ドラゴンの念話だ。

 明らかに苛立った思念に、ジェラルドは本格的に絶望した。


『我は三界に敵なく、七天すら焼き尽くす炎の化身ぞ。最も強く、もっとも自由なる存在ぞ。我がその気になれば、汝のか弱き身体などすぐにでも踏み潰せるのだぞ?』

「そうかい? ならやってみな」

『不遜な!!』


 ドゴンッと紅蓮竜の腕が振り下ろされた。ジェラルドは土煙をまともに食らって「うべべっ!?」と転がった。


『どうだ? 怖かろう?』


 すぐ横に巨腕を叩き付けられたキリハだが、その目はまんじりともせず紅蓮竜に向けられていた。

 キリハは脅し付けてくるドラゴンに対し「へっ」と鼻を鳴らした。


「怖い? 怖いわけないだろ? 不貞腐れた餓鬼の癇癪なんか」

『不貞腐れた? 不貞腐れた餓鬼だと!? この我がかっ!?』

「あんた、皆に怖がられて不貞腐れたんだろ? 勝手に怖がる奴らに腹が立ったんだろ?」

『……何を言う?』

「身体がデカくて力がある、しかもその顔だ。そりゃあ怖がられるだろうな。皆におっかながられてたら、そりゃあ不貞腐れもするだろうさ」

『…………』

「けどね、不貞腐れて暴れたって、余計に相手を怖がらせるだけだ。それじゃあ何の解決にもなんないだろ?」

『……知ったような口を叩くな。貴様程度に我の何が分かるというのだ?』

「分かるさ。あんたみたいな奴をたくさん見てきたからね」


 キリハは微笑む。同情するようで、憐れむようで、しかしそのどれでもない。理解しているという、それだけを示すかろやかな微笑だった。

 はみ出し者とされるような連中のことを、キリハはよく知っている。彼らは何気ないことで周囲から遠ざけられ、それに抗おうと暴れ回る。だが、彼らだって別に暴れたくて暴れるわけではない。『そういうものだ』という周囲の印象に引き摺られているだけだ。

 誰だって、好き好んで孤独になりたいわけではない。暴れてはいても、それはむしろ悲鳴のようなものだ。それ以外の人との繋がり方が分からなくて荒れてるだけ。

 ようするに、不貞腐れているだけだ。


「もう暴れる必要はないよ。あたしが、あんたが欲しいものをやるからね」

『……我の欲しいもの、だと?』

「一緒に飯を食おうじゃないか」

『ぬ……』

「一緒に馬鹿話をして馬鹿笑いをしようじゃないか」

『ぬぬ……』

「そんでもって……あんたに命令してやろう。あたしの言うことを聞け! ってね」

『!?』


 ぶるぶると、紅蓮竜の身体が震えはじめた。

 怒りか?

 いや、そうではあるまい――。


「それで、あたしはあんたを何て呼べばいいんだい?」

『……我に名はない』

「そうか。なら、あんたは今日からヒエンだ。『緋炎』……夕暮れ時のような色の炎、って意味だよ」

『ヒエン! 我はヒエン! 我は今日からヒエン!!』


 ――GRUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――――――!!


 歓喜の咆吼が響き渡る。

 喜びに身を振るわす紅蓮竜の姿に、ジェラルドは顔の造形が崩れるほど驚愕した。


「そんな……ドラゴンが……最強の幻創種であるドラゴンがこんなに簡単に……」

「言っただろ? どんだけファンタジーだろうと人間の……知恵のあるヤツの生き方はそうそう変わらない、ってね」


 どれだけ自由でどれだけ強くても……いや、自由で強いからこそ、だ。何者にも縛られないからこそ、誰かを求めている。

 自分の価値を認めてくれる誰か。

 まつろう自分の在り方を規定してくれる誰か。

 かすがい――縁(よすが)となってくれる誰か。


 ――GRUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOO!!


 喜びの雄叫びを上げるドラゴンを背に振り返るキリハの姿に、ジェルドは思わずぶるりと震えた。

 ――とんでもない人間を招いてしまった。

 慄き震えるジェラルドに、竜を従えた少女はニヤリと笑うのであった。

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