世界史A
校舎の屋上の欄干に凭れて、夜の街を見下ろした。
高層ビルが立ち並ぶ合間に、列をなす街灯の明かりと、明滅する信号機たち。沢山の車が往来するヘッドライトが、さながらどこか水が流れているようにも見える。
スカートが風に靡き、春も半ばの香しい夜気が髪の間を通り抜けていく。
空を覆う宵闇と、街頭の明かりと、ヘッドライト。なんとなしに目を流しかけ、ふと気がついた。合間に小さくチラチラと炎が爆ぜるような光が瞬いている。
「ギ……魔法、シ、少ジョ……二人……グギ……」
絞り出すような苦し気な言葉が右隣から聞こえた。光の瞬いている方へフォーカスすると、なるほど確かに、高層ビルの合間を踊るように舞う人影が二つ。一方は青、もう一方は橙色の光を身にまとっている。
縄張り争いだ。
ありがとう、そう小さく口にしながら、右隣に――中空に浮かぶぬいぐるみを優しく撫でる。ぬいぐるみはビクリと身を震わせ、手から逃れようと身もだえするものの、叶わない。
ぬいぐるみ――魔法少女に変身させる力を持つ、正義の魔法生物である『シャルロット』を、すでに僕は支配下に置いている。
一般に、魔法少女になる力を得た少女が変身できるのは一日に一回のみ。しかし、洗脳術式でシャルロットを操っている僕なら、その制約はもはや関係ない。
ひとしきり撫で終わると、僕はシャルロットから手を放し、そのまま前方に差し伸べた。右手首には漆黒のバングル。手のひらを上方に向けて大きく開いた。一瞬の間ののち、バングルの宝石が瞬き、光が溢れ出る。
光――いや、闇が。
今空を覆っている宵闇――それ以上に暗い闇色の炎が宝石から躍り出た。炎はしばらく中空を揺蕩い、やがて手のひらの真上に向かって次第に凝っていき、一振りの剣を形作る。ゆらゆらと炎が揺れるさまをそのまま形にしたような剣――フランベロジュ。宵闇を押し固めたかのように暗く、昏い漆黒の刀身。
柄を握る。瞬間、僕の体を闇色の炎が包んだ。剣を形作ったのと同じようにして炎は次第に凝り、やがて炎が収まりきると、僕の服は、制服のブレザーから闇色のゴスロリ調のドレスへと変わっていた。前方に差し伸べた腕は、ドレスと同じく闇色の手甲に覆われている。
闇色のドレス。闇色の手甲、足甲。
剣を右に払う。刀身の描く軌跡が漆黒の炎となって中空を焦がす。
変身はできるだけ戦場に辿り着く前に終わらせておくのが僕のモットーだった。「さぁ、行こうか、シャル」ぬいぐるみを左手で抱え、僕は地面を蹴る。
*
魔法少女の存在目的は、町の平和を脅かす化け物――『
『歪み』は、人々の負の感情によって街のあちこちに出現するので、魔法少女に変身する力を得た者は、人知れずそれを倒して街の平和を守る使命を負う。だから――そう、基本的に、魔法少女同士が互いに争う必要はない。
僕は空中に足場を作りながら、二人の魔法少女が縄張り争いをしている方へと高速で駆けていく。今、青のほうが橙を撃ち落とし、橙がビルの壁面に叩きつけられた。橙はそのまま変身が解け、直後に魔法生物が展開した緊急離脱術式により、光に包まれてどこかへと転移した。縄張り争いは青が勝利を収めたのだ。
我知らず、唇の端が笑みを描く。
基本的に、魔法少女同士が争う必要はない。
しかし一方で、『歪み』を倒すと『スコア』や、稀に特殊な力を持つ魔術具が得られる。特に、倒した『歪み』が強力であればあるほど、またそれを倒した人数が少なければ少ないほどに、得られる『スコア』は増加するし、魔術具も強力なものになる。そのような背景もあり、いつしか魔法少女たちは町の区画ごとに縄張りを主張しはじめ、やがて各々が縄張りの中で狩りを行う暗黙の了解ができあがった。そのため、出現した『歪み』が別の区画へと移動したりすると、出現地の魔法少女と、移動先の魔法少女との間で諍いが起こることもしばしばだ。
今夜のそれも、おそらくはそれが原因だろう。
だが、原因など、もはや僕には何の関係もなかった。
青も橙も、おそらく縄張り争いに夢中で気が付かなかったのだろう。戦っている場所が、既に青のものでも橙のものでもなく、僕の縄張りへと入り込んでいたことに。
*
……違うな。
板書をただ書き写すだけの機械になりながら、僕は妄想の内容に若干の修正を加える。
孤高の戦闘狂で、圧倒的な力を持ち、広大な縄張りを占有する。そんな魔法少女も格好いいけれど、なんとなく僕の理想と駆け離れているように思え、没入しづらいところがある。
僕なら、そう――。
*
ゴォォン、と、まるで鐘を鳴らすような音が辺りに響いた。落下の勢いを載せ、更に魔術で強化した踵落としが、クラスAの『歪み』の巨大な手甲を陥没させ、その軌道を地面へと修正した。
衝撃、次いで轟音があり、アスファルトが破砕される。
そのさまを視界の端に納めながら、僕は地面に着地した。青と橙の魔法少女を『歪み』から守るような位置。
チラと背後を見やると、橙の魔法少女は既に地面に倒れ伏し、青のほうはちょうど彼女に駆け寄ったところだったようだ。
「任せて」
僕の言葉に、青の魔法少女が泣きそうな表情で頷いた。青の魔法少女が橙を抱きかかえるのを視界の隅に見送って、僕は『歪み』に向きなおり、更なる強化魔術を詠唱し始める――。
*
いい感じな気がする。
ふと時計に目をやると、授業はもう終わり間際だった。手元のノートを確認すると、授業の内容はまるで覚えていないものの、とりあえず板書自体は大丈夫そうだった。あとはこれをテスト前に詰め込めば、中学の頃と同様、おそらく大丈夫だろう。この授業が終わればようやっと昼休みだ。
小学生の頃から社会は苦手で、いくら授業を聞いても内容がまるで頭に入ってこないので、社会の授業中は格好の妄想時間になってしまっていた。
今回も例に漏れず授業時間を丸ごと妄想に費やしてしまった。内容は、自分の中でここ最近トレンドになっている魔法少女モノである。
僕は川瀬さんの方を伺った。
僕は黒だ。川瀬さんは何色だろうか。
川瀬さんは、もし魔法少女になるなら何色なのだろうか。
なんとなく白な気がする。あまり前に出て戦うことを好むようなタイプには見えない。後方で回復魔法や支援魔法を使うタイプか、もしくは遠距離から援護射撃してくれるような感じかもしれない。ことによると、弱化魔法や、あるいは……。
僕は頭を振った。頭を振り、川瀬さんと背中合わせで戦っているイメージを振り払った。現実の人物を勝手に妄想の登場人物にしてしまうのは、なんだか悪い気がしていた。それに、悪い悪くないは別として、相手からすれば、自分をネタに妄想されているなど普通に気持ち悪いだろう。僕は気持ち悪い人だが、そういう気持ち悪い人ではありたくなかった。いや、一瞬でも思い描いた時点で既に気持ち悪い人なのだが……。
あと数十秒でチャイムが鳴る。僕はため息をついた。
ぼんやりと川瀬さんを眺めていると、僕の視線に気づいたように、川瀬さんも僕の方に視線を向けた。
一瞬、視線が合わさる。
互いにすぐに目を逸らした。次いでチャイムの音が響く。先生が授業を終える旨を告げ、告げ終わると俄に教室は騒がしくなる。
また目が合ってしまった……。変な妄想をしたことが気づかれていたりしないだろうか。後ろめたい気持ちになって、ちらりと川瀬さんの様子を伺うと、川瀬さんはといえば、もう昼休みなのにも関わらず、なぜかノートに向かってゴシゴシと必死になって消しゴムを掛けていた。
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