美術

 フィクションなどでは、性別が変わるとなると急に美少女になったり、ハイスペックな容姿になるのが通例だと思うのだが、現実では特にそのようなことはないのだった。男だったときに(自己評価で)並か並以下だった容姿の程度は、性別が変わっても特段上下することはなかった。


 現実は厳しい。


 男だった頃、同じく並か並以下の容姿の陰キャラ同士でつるんでいたのが、今となっては懐かしく思える。それまで通っていた高校はやめざるを得なくなり、新しく手配された通い先はあろうことか女子高で、僕が転入した五月には既にヒエラルキーとグループが固まってしまっていたから、もとより男だった僕が女子同士の会話に交ざれるわけもなく……必然、僕はぼっちとして一年過ごすことが確定してしまった。


 ――いや。


 僕は頭を振る。必然ではない。


 必然ではない。やろうと思えば、そう、たとえば今、教室の対角あたりで、円形にイーゼルを囲んで話題のアニメについて語らっている彼女ら――いわゆる腐のグループに混ざることだってできたはずだ。あるいはその少し手前で韓国の男性アイドルグループの話題に花を咲かせている女子三人に、四人目として加わることも。やろうと思えばできたはずなのだ。声を掛けてみればよかった。それだけの話だった。


 勇気がなかった。本当はわかっている。元は男だった負い目から、話しかけて拒絶されるのが怖かった。


 元は男だった、というだけで、どうせ彼女らと話が合わないと端から諦めていたのは僕自身だ。だからこそ、今僕がこうしてぼっちでいることは、ひとえに僕自身がもたらした結果なのだ。


 拒絶されるのが怖かった。そして今も怖い。


 *


 木炭で描いた下絵の上に、ようやくあらかた下色を塗り終わって、僕は一息ついた。鼻をかむと、ティッシュについた鼻水が木炭の粉で黒ずんでいた。油絵の具の匂いは独特だが嫌いではなくて、油壷にゴム状に固まった塊をなんとなしにティッシュでゴシゴシしていると、いつの間にか背後にいた先生に声を掛けられ、構図が良いと褒められた。


「篠崎さん、良かったら美術部来てみない? 今一年生ふたりしかいないのよねぇ……」


「えっ、あっ、……」


 仮入部として、一週間だけでもどう? そう尋ねる先生に、しどろもどろになりつつ、次いで、大丈夫です、と肯定だか否定だかわからない返事を返してしまう。


 美術部。


 良いかもしれない……転入当初の失敗をやり直せるかもしれない。何より、先生からスカウト――になるのだろうか――されたことに、心ならずも嬉しくなってしまう。


 なんとなく当たり障りのない感じ(と自分では思っている)でなんとか会話を終えると、先生は再び教室の徘徊に戻って行った。いつか美術部に入るのも良いかもしれない。既に所属している文芸部とは兼部することになるが、まあ名ばかりの帰宅部なので、そちらはおそらく大丈夫だろう。


 僕はフワフワとした心持ちで、美術部に入部する妄想をふくらませる。


 *


 川瀬さんが先生と話している。


 常に表情のないこけしのようだった川瀬さんが、そのときは気恥ずかしげに笑顔で、頬を紅潮させて楽しげだ。


 なんの話をしているのだろう。


 色を塗る手を止めて、楽しげに談笑する二人を眺める。……もしかすると。


 もしかすると、川瀬さんこそ、美術部にふたりしかいないという一年生のうち一人なのだろうか。


 嬉しそうな川瀬さん。先生から褒められているのだろうか。見れば、川瀬さんのキャンバスに描かれた静物画は、まだ色を付けだした段階にも関わらず、とても写実感があった。特に、銀色の缶に照り返した窓の光の表現……僕のものとはレベルが違う、そう一目でわかってしまう。川瀬さんは美術部員……なのだろうか。だとすると。


 だとすると、もう一人部員がいるのなら、――そう、それならば十中八九、既に川瀬さんとそのもう一人は友達なのだろうな。


 フワフワとした心持ちが、どこからか湧き出した不安で急速に萎えていく。二人が既に友達なら、僕が加わったら邪魔になるかもしれない。三人、というのは、経験的に不吉な人数なのだ。それは僕が男だった頃から知っていたことで、要は、三人のうち二人の仲が良ければ、必然もう一人はあぶれることになってしまう。


 *


 ――やめよう。


 筆洗液の壺に筆を突っ込んで、無心で筆を洗いながら、美術部には入らないことにしよう、そう決めた。


 美術部には入らない。仮入部もしない。


 そうだ、別段川瀬さんが美術部員でないとしたとて、既に二人が仲睦まじいと思われる美術部に、たとえ仮入部だとしても、無理に加わろうとすべきではないのだ。


 やめよう。


 僕は川瀬さんから視線を外して、そのまま窓の外に向けた。そろそろ六限も終わり頃で、空は薄暗くどんよりとしていた。それから程なく、チャイムが鳴る頃合いになると、俄に大粒の雨が降り出して、パタパタと地面を暗い色に濡らしていく。

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