不審な影

 身体と顔を洗った泡を固定式の方のシャワーで洗い流し、入浴を終えたケイトは、イライザにバスローブを着せて貰った。


 浴室の入り口の正面右にある、背もたれのないドレッサーの椅子にケイトが腰掛けると、イライザとセシリアはタオルを使い、2人がかりで濡れた髪の水気をとる。


 その間に、ケイトはドレッサー中央に積んである、論調の違う夕刊3紙の内、中道寄りの物を取ってその1面を見た。


 紙面には、3週間前に南山岳州の州都で発生した、貴族系経営者宅襲撃テロ事件の続報が大々的に報じられていた。

 それ以前に3件発生していたため、関連性を見いだす専門家の記事が左下辺りに載っていて、次は首都である可能性を示唆していた。


 ちなみに1面左下の4分の1は、北海岸州選出の代議士の子爵が起こした、マフィア絡みの汚職事件への批判記事になっている。


「ねえイライザ。貴族系経営者の家への襲撃事件って、何か分かってる事あるの?」

「報道にある以上では、抵抗しなかった使用人は無事である事と、犯行グループが『世界平民救済党』と名乗っている事のみ、ですね」

「ありがとう。……それにしても『世界』って、やけに大きく出たわね」

「そういうものでございますよ。西方の果てにある国にて、私は世界統一を掲げる武装勢力を目に致しました」

「なるほどね」


 あまり面白くなさそうに頁をめくったケイトは、2面に掲載されている代議士汚職事件の詳細記事を同じ様な顔で読んでいく。


「一応、家の警備を強化しておいて頂戴」

「すでに、使用人各員へ武装の強化を行っております。また、顔なじみの傭兵を手配する準備もすでに整えておりますが」

「じゃあお願いして頂戴。ちなみにいつ来るの?」

「はい。現時点で連絡した場合、明日の夕方には到着するかと」

「分かったわ。……悪いわね、わざわざ手をかけさせて」

「いえいえ。お嬢様の安全のためでございますから」


 鏡越しに視線を合わせて話した2人は、フッ、と同時に微笑みを浮かべた。


「それはそうと、どうして下級貴族ばかり狙うのかしら。テロリズムなら、もう少し有名な所を狙うものじゃあないの?」

「となると、個人の怨恨が動機という線が考えられますね」

「でも、全く接点が無いのよね。全員」

「なるほど。もう少し探りを入れられますか?」

「件の組織の本当の目的ぐらいは知りたいわね」

「承知いたしました」


 そう答えたところで髪がある程度乾ききり、ヘアケアのためのオイルを塗った後、イライザはケイトの腰の辺りまである髪の編み込みを始めた。


「……あれ」

「ん? どうしたのセシリア」

「何か心当たりでも?」

「――あっ、いえっ、その……。有る様な、無い様な……?」


 要領を得ない事を言うセシリアは、被害に遭った家の名前をボソボソつぶやきながら、必死に思い出そうとして脳みそをフル回転させ、冷や汗をだくだくとかき始めた。


「思い出したらで良いわよセシリア」

「はい……。申し訳ありません……」


 目がぐわんぐわんしだしたので、見かねたケイトは優しくセシリアを制止した。



                    *



 その翌朝。


 公安警察筋から、『世界平民救済党』の構成員が首都で目撃された、という情報がもたらされた。


「しかしまあ、仕方が無い事だけれど、下手に出かけられないのが厄介ね……」

「目下調査中ではありますが、相手もなかなか尻尾をつかませない様で」


 家に缶詰となってぼやくケイトだが、元から決算期が近いせいで、これでもかとある書類に目を通し、サインし続けなければならないのは変わらない。


 タクシー会社運営に加えて直近に立ち上げた、貧困層に教育を施す慈善団体関係の書類もあるため、結果かなりの激務となっていた。


「ボギー姉妹にも、これが終わったら会いたかったのだけれど……」

「警察の方々の働きに期待いたしましょう」

「ええ」

「せめてお手紙を書かれますか?」

「そうね。なかなか電話も出られないものね。じゃあイライザ、便箋とって頂戴」

「はいー」


 ケイトから見て右側の壁にあるチェストから、イライザはシンプルな黄色い便箋を出した。


「――はい、こちらイライザ」


 ちょうどそこで、外庭を見回っていたデボラから、正門周辺に不審な動きをする人物がいる、と無線が入った。


「なるほど。ではもうしばらく見張りをお願いします。他の者を準備させます」

『ラジャ』


 いつものゆるい表情が無くなり、鋭い目になったイライザはそう言うと、総員に厳戒態勢へ速やかに移行する様に通達した。


「お嬢様」

「ええ」


 ケイトは作業の手を止めて、デスクの一番下に入っている、防弾ベストを着てヘルメットを被った。


「ひええ……」


 ほうきで部屋の隅を掃除していたセシリアは、そのやりとりを聞いて顔を真っ青にして震え上がった。


「大丈夫ですよ。私がいる限り、お嬢様にもあなたにも指1本触れさせませんから」


 ガタガタ小刻みに揺れている、セシリアの頭をそっと撫でたイライザは、彼女のヘッドドレスを外してケイトと同じ装備にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る