第14話 父として 前編


「あちゃー…。」

 

 パパが空になった車庫の前で声を漏らした。

 

「ママ…乗ってちゃったね…」

 

 パパの声に応える様に、私もそう言うと、パパは肩を落とした。

 ペーパードライバーのママが、自分から車を運転するなんて…ちょっと考えられない。

 

(それほど、パパと私が出かけて欲しくないみたいね)

 

「パパ…やっぱり行くのやめよっか…?」

 

 ちょっと残念だけど、しょうがないよね…。

 

「…。」

 

 パパが私の後頭部を見下ろしている気配がしたけど、気のせいだと決め込んで顔を動かさなかった。

 

「ママ…怒らせたくないよ」

 

 ちょっと声が震えてしまったけれど、きっと気づきもしないでいしょ。

 

「はな」

 

(え?)

 

 脇腹に腕を回されたかと思えば、私の視界は地面から遠のいた。

 

「え?」

 

 思わず溢れた言葉は、思いの外大きく、パパの腕も大きかった。

 

 目線を上げれば、メガネが似合うパパのお顔

 

「…ぱぱ」

 

 胸の中のジクジクとした痛みが増す

 

「軽いな…。久しぶりだな…はなのこと抱っこするの」

 

 パパは目を合わせてくれないけれど、少し照れ臭そうに微笑んだ。

 その笑顔に、またチクチクと胸の痛みが増す。

 

「っ、そうだね」

 

(いまさら、何なの?)

 

 嫌いだ、パパなんて嫌いだ。

 

 前回も今回も、愛してなんてくれなかった癖に、いまさら何なの?

 

「今日は電車で行こう…着くまで抱っこしてあげるから」

 

 パパが落とさない様に、私をちゃんと抱き直す。

 

 身体年齢に…『3歳のはな』に引きずられて、目の奥が熱くなったから、とっさに俯いた。

 

「うん…。」

 

 涙声にならない様に、気づかれない様に…私はもう何も言えなかった。

 

 

 

 パパの足取りはゆっくりしていて、私を落とさない様にしっかりと抱っこしてくれる手は、本当に温かった。

 

 前回で、一度も与えられなかった温もりに、何だか苦しくなる。

 

 私の中の『3歳のはな』が、パパに抱き着こうとしているから、そんなことはさせないと、私は『3歳のはな』と戦う。

 

 

 私は、もう信じない。パパのこともママのこともユズルだって…。

 

 私を殺したのは、誰?あの人たちでしょ?

 

(いいわ…舞台が観れたら、もうこんな事にならない様、透明人間になったつもりでいれば良いんだもの…。)

 

 あったかい日差しは、背中をポカポカと照らした。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 この子を抱っこするのなんて、本当に久しぶりだ…。

 

 腕の中の小さな娘の軽さに、悲しい気持ちが胸中を占める

 

(ごめんな…)

 

 この子には、酷いことをしている自覚しかない。

 この子は悪くないのに…この子を恨まずにはいられない…訳がある。

 

 フワッと風に揺れた、色素の薄い茶色の髪も、溢れるくらい大きな瞳の茶色い瞳も…。

 

 幼いながらに端正な顔つきも…

 

 全くもって…俺にも、ママにも似つかない…共通点がほとんどない、、この子の存在を…。

 

 ふとした瞬間、憎んでしまう…俺がいる。

 

 この子も、それを察しているのか…わがままなんて一つも言ったことなんてなかったし…何より、この子は周りに対して興味がなかった…。

 

 先月、義母と義父に会いに秋田まで行く際に、泊まり込みでシッターを雇った。その時のシッターの話だと、はなはシッターの存在をないものとして扱い、シッターが用意したご飯も食べずにデリバリーを取っていたという。シッターからは、もう二度と私を使わないで欲しいと言われ、はなを病院で診てもらう様にも言われた。

 その話を聞いて、本当に後悔した…はなをそこまで追い込んでいた事実を見せつけられた気分だ。

 

 無理をしてでも連れていけばよかったと思う自分と、同時に連れて行かなくてよかったと思う自分がいた。

 

 秋田の義父母は…はなの事を、何度も殺そうとしていた経験もあることから、義父母の家に行く時は必ず、はなを置いていく。

 

 今回も、もし殺されそうになったら、俺は守れる自信がない。

 

 俺以上に、義父母のはなに対する『悪意』は強かったから…

 

「ぱぱ?」

 

 少し腕に力を込めた事で、はなは不思議そうにこちらを見上げた。

 

 はなと、最後に目があったのは…いつだろう。

 

 はなの茶色い瞳を見るたびに、はなは俺を見ていない事に気づく

 

「はな…仕事は楽しいかい?」

 

 太陽の香りのする、はなに向かいそう言うと、はなは顔を真っ青にした

 

「うん、楽しいよ」

 

 青い顔で、でも可愛らしく笑って見せるはなに、違和感を覚える

 

「はな…がんばるから…」

 

 伏せ目がちに応える娘に、何故か寒気がして、思わず足を止める。

 

 足を止めた俺に、はなは不思議そうに首を傾げコチラを見た

 

「…頑張らなくて良い…嫌なら…逃げて良いんだぞ」

 

 今まで、はなと親子らしい会話なんてしてこなかった…。それを避けてきたのは俺自身だったが…。

 

 夜、みんなが寝静まった頃に…はなのもとへ訪れ、頭を撫でる事しか…はなが寝ている時にしか、頭を撫でてしかやれない自分が憎い。

 

 まだ3歳なのに、この子をちゃんと愛せてあげられない…

 

 そして…

 

「ぱぱ…はなのこと…すき?」

 

  ちゃんと、愛してると伝えられない自分が…憎い

 

 ここで愛してると言ってしまったら…あの『出来事』を許してしまうと言う事だ。

 

「ごめんな…」

 

 震える声で、はなの顔を見ずにそう呟くと、肩に置かれた手がゆっくりと落ちた。

 腕の中のはなの体温が、急に冷たくなった気がして、抱きしめる腕に力を込めた。

 

 

(あんな事、なければ…な)

 

 

 この子は悪くない、それだけは言える。

 

 

 黙り込んだはなは、それから一言も喋らなかった

 

 舞台のコンサートホールに着くまで、ずっと無言で…チケットを買う際に、一度降ろしたはなは、抱っこを催促することもなかった。

 

 

 土曜の今日は、人が多くガヤガヤとしていて親子連れが多い

 

 はなへ手を伸ばすも、はなは手を握ることはなかった。

 

「はな…迷子になるぞ」

 

 後ろから声をかけても、はなは振り返らず迷いのない足取りで、メインホールへと向かっていた。

 

 人がごった返したこの場所で、3歳の子供が歩き回るなんて、いつ迷子になってもおかしくないし、危険だ。

 

 駆け足で、その背中を追いかける様についていくと、高校生くらいの少年たちがスマホを見ながら歩いていて、目の前のはなに気づいている様子がない。

 嫌な予感がして、声をかけようと口を開くも遅かった。

 一人の少年の足が、はなの体を弾き飛ばし、はなの体が宙に浮く光景が、スローモーションの様に視界が捉えた

 

「はなッ!!」

 

 手を伸ばしたが、無情にもはなの体は地面に叩きつけられ、小さな体はバウンドし、ぺシャっ、と横たわる

 

「うわ、やべっ」

 

 少年の焦った声、周囲の悲鳴が聞こえたが、なりふり構わず目の前の人だかりを押し除け、はなのもとへ駆け寄る

 

「はな…はなっ、大丈夫か!?怪我は!?」

 

 脳震盪を起こしていたら大変だと、無闇に触れてはいけないと、しどろもどろでいると、横たわったまま、はなは震えていた

 

「はなっ、どこか痛いのか!?」

 

 震えるほど痛いなんて、もしかしたらどこか折れているのかも…。

 

 サァーっと、血の気がひく。

 

 

「あははっ」

 

 突如響いた、場違いな小さな笑い声

 

「は、はな?」

 

 声の発信源である、はなに声をかけると、はなはコロンっと寝返りを打つ様にこちらへ向く。

 

「パパのそんな大きな声…はじめてきいたよ」

 

 可愛らしい顔を、くしゃっと顔を綻ばせ笑う娘に、胸がギュッとなる。

 大きな瞳を三日月にして笑う娘に、何だか無性に泣きたくなった。

 

「ごめん…ごめんな…」

 

 小さな頭を優しく撫でる

 

 毎晩、はなが寝た後に、撫でる様に優しく柔らかい茶色の髪に掌で触れた

 

「いいよ…。もういいの…」

 

 悲しそうに、諦めた様に笑う娘の顔は、3歳の子供がしていいような顔ではなかった。

 

 ゆっくりと立ち上がる、娘に俺は手を差し出す

 

(また、取ってはくれないだろうな)

 

 

 そんなこと思っていたけれど予想は外れ、小さな掌がちょこんっ、、と手に収まる。

 

「あの、大丈夫ですか?…すみません。」

 

 先程の少年が、顔を青くしながら泣きそうな顔でこちらに近づいてくる。

 

 少しお灸を据えてやろうかと、身を乗り出すが手を引かれ、意識がそれる。

 

 

「わたしもごめんなさい!ちゃんと前みてなかったの!」

 

 ごめんなさい!と元気よく謝る娘に、周囲の人だかりは安心したかの様に、また歩き出した。

 

「本当にごめんね…弟の舞台…初めてで…ちょっと迷子になっちゃったんだ。」

 

 申し訳なさそうに掌を合わせる、どんぐりの瞳の少年に、娘は笑顔で応える

 

「弟さん、今日でるの!?すごいねぇ!」

 

 キャッキャ、と笑うはなに、少し戸惑う

 

(あんな笑顔、初めて見る)

 

 父親の自分の前では一切見せない屈託のない笑顔に、ショックと衝撃が大きい。

 

 

「おとうとさんって、なんておなまえなの?」

 

 はなが珍しく目を輝かせながら尋ねると少年は、はなの目線まで屈み、ニコニコと答えた。

 

「素晴…。風間素晴だよ!」

 

「あ!やっぱり!」

 

 はなの声に、少年は首を傾げる

 

「ん?弟のこと知ってるの?」

 

「うん!知ってるよ!一回しゃべったことあるもん!」

 

(はなの友達…か?)

 

 はなに友達がいたことにも驚いたが、どこで出会ったのかも、何も知らない、自分に嫌気が差す。

 

「そうか!じゃぁ後で、一緒に楽屋まで会いに行くかい?」

 

「え!?いいの!?」

 

 キラキラと眩しい笑顔を携える娘に、デレデレと甘やかす少年。

 

「あ、でもお父さんの許可とってからね?」

 

 少年は、チラっとこちらに視線を向けると、会釈をしてきた

 

 はなもコチラに振り返り、伺う様にコチラを見る

 

「…ご迷惑でなければ、ぜひ」

 

 はなのキラキラとした瞳に敵わず、つい少年に対し頭を下げる.

 

 はなは嬉しそうに笑い、ありがとう!と俺にキラキラの笑顔を向けた。

 

「あ!そろそろ開演するから、席探した方がいいんじゃないかな?」

 

 スマホをチラッと見て時刻を確認した少年に、俺も腕時計に視線を移す。

 

「はな、そろそろ行こうか」

 

「うん!…お兄さん、さっき迷子って言ってたけど、どこの席なの?」

 

 

 少年は恥ずかしそうに頬をかくと、自身のチケットを確認して、指定先の番号を言った。

 

「D45だよ。」

 

 その番号に、手元にあったチケットを見比べる

 

 

「…奇遇だね」

 

 チケットに印字された、『D46』『D47』の番号を掲げてみせると、はなは飛び位上がる様に喜んだ。

 

 なんだか、ちょっと面白くない。

 

 でも、はなが喜んでいるなら、それでいいか。

 

 

 

「さあ、開演する…急ごう。」

 

 はなの頭をそっと撫でると、ほんの少しコチラに押し当てたかの様に感じたのは、勘違いかもしれない。

 

 

(連れてきてよかったな…。)

 

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