第7話 雪と妻
「こんな結末、認めない!!」
私の眠りを覚醒させたのは、大きな怒鳴り声だった。
ぱちっ、と目を見開くと、目前には、人だかり。
その中心にいるのは、稲田孝作。
そこに詰め寄るのは、加藤俊平。
加藤俊平の、顔を歪めて怒鳴り散らす姿は、ドラマでも見たことがなかった為、すごく新鮮で、思わず凝視してしまう。
「こんな最悪な結末、演じられる訳ないじゃないか!」
台本を、力強く握り締め、唇を噛み、稲田孝作を睨むその姿。
(私が寝てる間になにが、あったの? )
ぼぉっ、といまだに覚醒しない頭で、眺めていると、背中に回っていた温もりに気づく。
「はなちゃん、おきた?」
優しい声が頭上からして、ふと見上げてみると…。
優しく微笑む、泉さゆりがいた。
(やっぱり、綺麗だなぁ)
憧れの女優さんである、泉さゆりのドアップに、思わず頬を染める。
「あ、あの、かとうさん、どうしたんですか??」
そろりそろりと加藤俊平に向けて指をさすと、泉さゆりは苦笑いしてから、私の頭を優しく撫でた。
「私が死ぬことになったの。」
「はい?」
にっこりと 笑う泉さゆりの言葉に、思わず間抜けな顔で聞き返す。
「『雪と蝶』は、ハッピーエンドではなくなったってことよ。」
憑物が取れたかのように、さっぱりとした物言いの泉さゆり。
「え、どうして…。」
困惑気味に尋ねると、泉さゆりはおかしそうに笑い、目線を遠く、稲田孝作に向けた。
「書きたくなったみたいよ。
傑作を。」
泉さゆりは、目を細めて笑い、また、私の頭を撫でてくれた。
撫でられるのは嬉しいし、泉さゆりは綺麗だけれど、それに反比例して、加藤俊平は怒り狂ってる。
(美形が怒ると怖いなぁ)
加藤俊平の美しい顔が、怒りに歪み、優しい声は、今は何処にもない。
それに、泉さゆりが死ぬって、どういうこと?
いまだに状況が掴み切れていない私に、泉さゆりは台本を差し出してきた。
「はなちゃん、『舞』として、この物語を最高の結末にして頂戴。」
今度は、困ったように笑う泉さゆりに、私は不思議と違和感を感じた。
(なんか、雰囲気が変わった?)
首を傾げながら、台本を受け取り、おもむろにページを巡る。
普通の台本よりかなり薄い。
結末のみの台本
新たに足された登場人物『舞』の文字に目が釘付けになり、食い入るように見つめる。
そして、台本のページを巡った。
⭐︎
「加藤さん、あなた、役者でしょ」
人に冷たい目で見られることなんて、初めてだ。
22歳から俳優としてデビューし、早10年。
それなりに数はこなしてきたし、知名度もそれなりだ。
バラエティやCM、ドラマや舞台にも幅広く出演してきて、ようやく今の地位を築いている。
周りの者は、みんな口を揃えて、俺を『成功者』と呼ぶ。
全てにおいて、俺は成功していると、思われているなんて、心外だ。
私生活では、からっきし『成功者』なんて程遠い。
25歳で、年上の幼馴染みと結婚し、7年経ったが、未だに子供はいない。
結婚する前から、子供はたくさん欲しいと豪語していた妻と、それに同調する俺の間に、赤ちゃんが訪れる事はなかった。
いろんな治療法を試したが、結果は変わらず、いつも妻は泣いていた。
そのうち、妻は病み、部屋に閉じこもり、私達の家は、子供部屋だけ無駄に多いだけの、人が住んでいるのかも怪しい、がらんとした一軒家となってしまった。
俺は家に帰るのが怖い。
仕事に没頭する度、知名度は上がり地位は高まり、周りからの称賛の声が湧く。
家に帰れば、シンとしたリビングに埃のかぶった家具達。
妻と出会おう物なら、まるで、俺が見えていないかのように、フラフラと素通りする。
言葉をかけても、聞こえてなどいないように、そのまま何の反応もしないまま部屋に閉じこもる。
『成功者』と称えられた、俺は、私生活では完全なる『失敗者』だ。
誰にも誇れる自信もない。
このドラマの出演を決めたのは、そんな暖かい家庭に憧れていたからだ。
台本を読み、最後の結末で、最高のハッピーエンドを迎える。
俺の知らない、『家族愛』が演じられる。
なんてことない、普通の家族。
俺が求めて止まないものを、このドラマにはあった。
だから、出演を決めたのに。
「こんな結末、認めない!!」
脳裏に過るのは、昔の明るく朗らかに笑う妻
このドラマの撮影中、なんども想像していた。
『雪』を妻と置き換え、まだ見ぬ子供と、俺で、幸せな家族になる。
そんな最終回のラストシーン。
最終回の台本は、そのシーンの部分だけ、擦り減るくらい読み、ずっと待っていた。
それなのに、
「こんな、最悪な結末…演じられる訳ないじゃないか。」
目の前が暗くなり、想像していた、家族の像にヒビが入る。
改変された新たな結末は、
『雪』の死からの始まりだ。
『雪』を妻に置き換えていた俺にとっては、到底耐えられるものではない。||到底耐え難い。
だからこそ、こんな結末を演じられない、
「役者なら、傑作を作りたいと思わないのかい?」
監督が呆れた顔でそう促すが、俺の意思は変わらない。
「加藤さん、そろそろ撮り始めないと間に合いませんよ!」
スタッフの焦ったような顔を目の当たりにしても、俺の意思は変わらない。
脚本家の稲田さんを見ると、いつものニヤニヤとした笑顔はなく、いつになく真剣な眼差しで俺を射抜く。
そして、おもむろに口を開いた。
「『雪と蝶』は、本来なら最後の最後で駄作になる予定だった。」
ぽつりぽつりと話し始める稲田さんの言葉に耳を疑う。
「なにを言って…。あんなにも素晴らしい結末だったのに。」
稲田さんは、俺の言葉を聞くやいなや、鼻で笑った。
「あんな、気持ちの悪いラスト、どこが最高の結末なんだ。」
「き、気持ち悪い?」
「ああ、心底気持ち悪いよ。
『雪』は、『幸せ』になったんだぞ。
『自分の子供』を忘れて。」
なに、を言って。
「『雪と蝶』の結末は、苦難を乗り越えた『雪』が、最後に家族と笑い合い、心底幸せだってオーラを全身で表現し、見せつける。
それが終着点だった。」
そう、その素晴らしい光景の一部になりたくて、俺は…。
「そんなくだらない結末、書くなんて、俺は本当に落ちぶれてたよ。」
ギロっとした目が眼鏡越しに俺を睨む。
「くだらない…?くだらないだと?」
俺の理想がくだらない?
ずっと、憧れ望んできた未来が?
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃。
「『雪』の子供は『舞』だけじゃないだろ。
『雪』は今まで1番大切に思っていた存在を忘れたんだ。
自分の意思で。
そんな結末が、本当にハッピーエンドだと思うか?
前までの台本はな、『雪』が自分の罪と『向き合わない』話として書いたんだよ。」
それがこの物語の真実だ。
そう告げる稲田さんの目は、親の仇に遭遇したかのような迫力で、すぐそこの机に置いてあった、台本を睨む。
「そんなの…」
言葉が出ない、
俺が思い描いていた家族愛が、偽りの物だったなんて、信じたくもない。
認めた瞬間、俺は俺でいられなくなる気がする。
ギリギリのところで張り詰めていた糸が、千切れてしまう気がするんだ。
だから、俺は認められない。
俺は、この結末を…
「おとうさん」
背筋が凍りついた。
悍しく、悲しい空気が辺りを満たす。
「おとうさん…。」
感情のない、幼い声。
頭の中で警報が鳴り響く。
振り向くな。そう叫ぶ俺自身の声。
「おとうさん」
操られたかのように、体の制御が効かない。
振り向くまいと、体に力をいれるが、俺の体は、その声の方へと向きを変えた。
はじめに、目に入ったのは。
真っ黒く塗り潰された瞳。
目の下は赤く腫れ上がり、汗がぽたぽたと、垂れ落ち、顔色は青白い。
ゆっくりと差し出された手の中には、赤く染まったタンポポ。
「おとうさん…。おかあさんが待ってる。」
そう言って、ギチギチと歯軋りをしながら、歪に笑う、
『入った』はなちゃん。
「っ!!」
やめてくれ、巻き込むな、その絶望を、俺に押し付けるなっ!、
思わず、背を向けると、はなちゃんの息を飲む音が聞こえた。
「おと、さん。ごめんなさい。
『舞』がおかあさんを、ころしたのっ、ごめんなさい。」
引きつった声で悲痛な声を上げる、はなちゃん。
危険だ。
あの子は危険だ。
あの子の世界に飲み込まれたら、最後…俺は俺ではなくなる。
だから
俺は…
「っ、いかないで、おとうさん。」
“「逃げないでよ!あなたっ!」”
「っ、、沙羅…」
脳裏に過る、妻の、沙羅の声。
どうして?
どうして、沙羅の声を思い出す。
どうして…どうして…
「っ、ははは」
どうしてかなんて、知っているくせに、認めない俺は、愚か者だ。
思わず、自分自身を嘲笑う
目の前のはなちゃんが、怯えたように震えた。
ごめんな、はなちゃん…怖がらせて…
君はこんなにも、俺に向き合ってくれているのに…。
本当はわかっていたんだ。
逃げていたのは俺自身だって…
幸せから逃げていたのは俺の方だってこと、ずっとわかっていた。
それでも、悪足掻いて認めなかったのは…。
まだ、『自分』を信じていたから。
どうして?、そう思うほどに、俺は、蓋をする。
いつだって、俺は自分自身に蓋をする。
何度も何度も、何重にも重ねた蓋は、もう乗り切らないほどの大きな山になって、俺はもう、何に蓋をしたのかも忘れてしまった。
とっくの昔に、俺は壊れていた。
妻から逃げ、子供から逃げ、架空の家族愛を求めて逃げ惑っていた。
蓋なんて、最初から意味がないと知っていれば、俺も妻も、傷つかなくて済んだのかもしれない。
不毛だ。
はなちゃんが醸し出す、この『絶望』は、俺が知っているものかもしれない。
この絶望を、1人歩かせているのは、俺たち大人だ。
誰も助けてはくれない、その場所で、君は一体、なにを思うんだい?
はなちゃんの笑顔がフラッシュバックする。
あの笑顔を消したのは、俺たちだ。
せめて、君のその絶望に寄り添えたら、君は救われるかい?
もし、そうなるなら、
俺も、君の絶望に混ぜてくれ。
君が蓋をしないように
はなちゃんが…
『舞』が助けを求めるのなら、俺は喜んで蓋を叩き割ろう。
ゆっくりと、歩み寄り、目線の高さにまで腰を下げる。
「ごめんな、『舞』。
おかあさんのところに行こう。」
小さく細い体は、とても冷たく、俺は泣きながら抱きしめた。
そして、俺たちは、『妻』の待つ病室に向かった。
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