死を招く模倣

小石原淳

第1話 疑われた元ものまねタレント

「叔父を助けてください」

 ノックに応答してどうぞと言うと、若い女性が風をお子さんばかりの勢いで事務所に入ってきた。今どき古風と言ってもいいセーラー服姿で、潤んだような瞳が印象的だ。

「殺人の容疑が掛けられているのですが、叔父はそんなことができる人じゃないんです!」

「あ、名探偵にご用なら、私ではなくあちらへ」

 デスクに着いたまま私は左腕を真横に伸ばした。出入り口からは見えないが、衝立に遮られる形で、そこには事務所の主がいる。

「し、失礼しました」

 顔を赤くした彼女はくるっと向きを九十度換えて、天馬てんまの席を見る。足を止め、もう失敗したくないという風に慎重さを露わにして尋ねた。

「探偵の天馬栄智えいちさんでいらっしゃいますでしょうか」

「ええ。そういう君はどこのどちらさん?」

 天馬は依頼人に応対しながら、私にお茶を出すよう合図を送ってきた。早速取り掛かる間も、二人のやり取りが聞こえてくる。

「私の名前は神田知子かんだともこと言って、高校二年になります。叔父は本名が神田達彦たつひこで、カールトンたいらの名前で芸人をやっていましたが、結婚を機に三十歳でやめています」

「ふた月ほど前に聞いた覚えがある。なるほど、あの事件か」

 私もすぐに思い出した。紅茶の時間を計りつつ、事件のあらましを思い起こしてみよう。大物芸能人と元若手お笑いタレントの格差婚として多少話題になった二人の間で起きた殺人だから、一時期、芸能週刊誌が事細かに報じていた。確度はともかくとして、状況はそれなりに詳しく分かっている。

 舞台はNにある別荘地の一角にある洋館。所有者は塩崎澪吏しおざきみおりで、この殺人事件の被害者でもある。往年のと形容するのは失礼に当たるかもしれないが、ベテランの域に入った女優だった。二度の離婚を経て、五十の大台に乗る前にと、カールトンたいらとの結婚に踏み切った。そしてカールトンは芸人をやめて、神田達彦に戻っていた。二人の馴れ初めや何が気に入ったのかは寡聞にして知らないが、殺人事件が起こるまでに何らかのゴシップネタが表沙汰になった記憶はない。

 事件は起きたのは、塩崎が恒例としていた一週間のサマーバーケーションのちょうど中日。多くの知り合いが彼女の別荘を訪れていた。総勢十三名だったとも十五名だったとも言われていて、はっきりしない。とにかく賑やかだったらしい。

 そんな状況にある別荘の一番奥にある自室で、大きなベッドの太い支柱に縄を結わえ、縊死していたとのことだった。両足を正座のときのように曲げ、すねが床に着くか着かないかぐらいの姿勢で、敷き詰められた絨毯の毛並みが深かったことから、数センチほど浮いているように見えたという。

 司法解剖の結果、死亡推定時刻は当日の午後一時から午後三時にかけての二時間。その後の証言により、これがさらに午後二時からの一時間に絞り込まれる。

 その証言をしたのが、被害者の夫である達彦を含む三名。話が少々ややこしくなるとすればここだろう。

 前日夕食後の歓談で、達彦は芸人時代から親交のあった女性歌手のA及び若手男性漫才師BとCを連れて、この日の午後から車で出掛けることになったという。

 昼食を済ませたあと、出掛ける準備が整った達彦は、出発直前に思い出したという風に塩崎の部屋に向かった。たとえ二人きりではなくても女性を連れていくときは断りを入れないと、不機嫌になるからというのが理由だった。そのことは業界では有名なので、歌手Aも漫才師の二人も嫌な顔はせずに達彦についていき、挨拶をするつもりでいた。

 ところが塩崎澪吏は当日の朝から調子が芳しくなかったようで、昼が済むとすぐに部屋に籠もっていた。閉ざされたドア越しに達彦が出掛けてくる旨を告げると、どうでもいいわという響きを滲ませた声で「どうぞご自由に。くれぐれも気を付けて」と返事があった。触らぬ神に祟りなしと、足早に去ろうとする達彦らに、「ああ、頼みたい買い物があるんだったわ」とある調味料の名前を言ってきた。達彦は苦笑いを浮かべながらも、「はいはい、分かりました女王様」と応じ、今度こそ出発となった。これがだいたい午後二時前後の出来事。後日の調べで、四人は達彦の運転する車で近隣の観光地になっている通りまで行き、いくつかの店に寄ってまた戻ったことが確かめられている。

 帰り着いてすぐに達彦は妻の部屋に向かい、言われた調味料を買ってきたことを報告する。が、返事がない。調子がよくないと訴えていた件が頭にあった彼は夫婦で互いに所有している合鍵を使い、ドアを開ける。そこで遺体を発見した。

 死に様は自殺でも他殺でもあり得る状況だと判断された。

 部屋の鍵が掛かっていた点を重視して、まずは自殺の線が調べられた。遺書の類はなかったが、部屋のCDプレーヤーが彼女お気に入りの曲を繰り返しを奏でており、さらに解剖の過程で塩崎が治る見込みのない大病を患っていたと明らかになったことで、自殺の可能性が一気に高まった。

 が、その一方で達彦が、格上で稼ぎもある塩崎に頭が上がらず、昔の仕事仲間にいつ捨てられるか怖くて怯えている等と愚痴をこぼしていたとの証言がぽつぽつ出て来た。妻の死で大きな金銭的利益を得るのは達彦だから、まあ動機もあると言える。だがしっかりとしたアリバイがあるため、警察も簡単には引っ張れないでいた。

「自殺で決着する流れだったのが、投書か何かでひっくり返ったんだ、確か」

 天馬が聞くと、知子は首肯した。私は二人の間にあるデスクに紅茶を置くと、再び自分の椅子に戻った。

「悪夢のようでした。いえ、今も続いている悪夢です。昔のテレビ番組の映像で、タレントの自宅を訪ねるコーナーに、叔父は出ていたんですが、そのときに本棚に推理小説がいっぱいあったことと、カールトンたいらの一番の持ち芸が声のものまねだったことが掘り返されて、澪吏叔母さんを生きているように見せ掛けたんじゃないかと」

「それがものまね殺人と呼称される所以になった訳だ」

 そう、投書が指摘したのは、アガサ・クリスティの某作品と同じトリックが使われたとすれば、神田達彦のアリバイは消え、犯行は可能だという点だった。ミステリに詳しくない向きにかいつまんで説明すると――実際の殺人は午後一時から二時の間に決行。その後、二時頃にA、B、C三人とともにドアの前に立った達彦は、さも室内の妻と会話しているようにふるまいつつ、実は妻の声も自分が声色を使って出していたというものである。


 つづく

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