酒と拳の龍殺し ~狩猟生活を極めた男~

蒼色

STAGE 新川、裏山、草原、竜森

01 序章

本文


「よぉし、こんなもんかやぁ」


 丸い大岩の上に座る男の横には、酒の空き瓶と魚籠びくが置いてある。

 今しがた釣り上げた三匹の川魚が元気に跳ね回っていた。眼前に広がる清流ですくすくと育った、30cm超えのニジマッスルという川魚である。


 その健康的で分厚い身から切り出される刺身は、誰に言わせても歯ごたえ良し脂良しの高級品だ。大収穫と言えた。余りの元気の良さに大きな魚籠が揺れている。有り余るその活きや良し。


 そこらに落ちていた木の枝で適当に作った竿を置き、うんとひとつ伸びをする。男の靱やかな肉体は筋骨隆々として力強く、突き上げられた前腕から上腕二頭筋、三頭筋にかけては土嚢をぎゅうと絞り込んだかのように張り詰めている。


 その拳は肉刺まめだらけで、そこらじゅうが異常に隆起していた。歴戦の勇士の、それも拳法家の身体付きである。


 小指に嵌められた黒い指輪は、いまにもはち切れんばかりに窮屈そうにしていた。


  さて、と男が立ち上がろうとしたその時だ。


 5mほど先にある茂みが、まるで乱暴に掴んで振り払うかのように激しく揺れた。


 清流のせせらぎや鳥のさえずりなど、癒しの音色の集合場所であるこの男の周りに、まるで調和しない荒々しい息遣いが混ざり込む。


「おっほ、こいつぁ~」


  茂みからぬっ、と大きな鼻の穴が出てきた。


 次いで研ぎ澄まされた牙、禿げあがったいわおの様な額、つり上がった切れ長で鋭い黄色の虹彩に、縦の黒目。徐々に見えてきた大きく開かれた口からは涎がぽたぽたと垂れ、上気しているのか緑色の体よりほんのりと顔が赤みがかっている。


 遠目に獲物を見つけた捕食者の興奮が、その吐息から伝わる。


 身の丈1.5mほどの竜が一頭、のっそりと男の前に姿を現したのだ。


  ゲッゲッ、と鳴く二足歩行の竜は、鋭く黒光る鉤爪を地面にめり込ませ、頭が地面に擦れるほどの前傾姿勢で走り出す。


 最早その目には肉を喰らうという本能からくる欲望の色しか映らない。一気に5mの間を詰めるべく全力疾走を決め込んだのだ。


 そして男が立っている岩に向かって体当たりを食らわせ、落ちてきたところに深々と噛み付き、首を振り振り絶命させ捕食した。


はずだった。


 岩の上に男はいなかった。


 竜は大岩に全力で体当たりしてよろめいた。竜鱗と岩がかち合って発生した突然の衝撃音に、周りの木がなんだなんだとざわめき、鳥たちは飛び立った。


 強烈な一撃によって大岩には僅かにヒビが入った。体勢を立て直した竜はきょろきょろと辺りを見回し、小首を傾げて混乱している。


 獲物が消えた、獲物が消えた。俺の獲物が。


「可愛いやつめぇ。腹が減っとらんかったら、飼ってもよかったがぁ」


 男は今にも転びそうな覚束無い足取りで、竜の背後から近付いて尻尾をぎゅうと掴んだ。


 目を見開いて驚いた竜は一遍に身を震わせた。


 竜は素早く振り返って男を認識し、激高した。竜鱗だらけなのにも関わらず柔らかな半身をぐいと捻って噛み付いてやろうとするが、男に牙が届く寸前のところでそれは届かなかった。


 酔っ払った男のその千鳥足は、ある意味芸術的であった。


 急に脱力したり突っかかったり、膝がかくんと折れて上半身が沈んだり。全ては巧妙なフェイントと化していた。それはなぜか結果的に攻撃を尽く回避しており、功を奏しているのだった。


 勢いに任せた五回目の噛み付きを躱された竜は、形勢が逆転した事を知ると焦りだした。じわりじわりと忍び寄る、自身の生命の終わりを薄らと感じとれてしまったからだ。


 なんて事だ!


 掴まれた尻尾を引き剥がせない!


 同種の竜と縄張り争いをしたって、こんなことは無いのだ。


 この太く立派な尻尾の膂力で以て相手の噛み付きを振り払い、対峙して、また噛み付き合いが始まる。爪を出しても良いだろう。なのに、この男はなんだ、と。


 言葉にならなくとも、余裕の無い焦り顔にはその様にはっきりと書いてあった。暴力の格の差が、余りに一方的過ぎたのだ。


 六回目の噛み付きも虚しく空を切り、七回目の噛み付きなどは、最早逃げたい一心で放っていた。この竜がもし人だったらば、この時点ですでに涙目だろう。


 野生の竜は身の危機に非常に敏感である。だが、この個体は他より少し鈍感だったようだ。それは、生命を失うのに十分な理由だった。



  酔っ払った男は、意地の悪い笑顔を浮かべて遊んでいたのだった。


 その圧倒的、暴力的な筋力で尻尾を掴んで離さない。まるで万力で極限まで締め上げたかのように、竜の硬質な鱗に全ての指がめり込んでいた。



 普段温厚な彼は、酒を飲んだ瞬間から徐々にサディストへと変貌していく癖が昔からあった。果たして、酒に呑まれてトンでしまった時などは、ギルドの冒険者たちがそれなりの人数を揃えて鎮圧に向かわなければならないほどに厄介なのである。


 酒癖、と一言で済ませるには凶暴過ぎるものだった。


 まるで地面に打たれた極太の杭に繋がれた子犬のようである。

 男の腕の先で竜が暴れているが、その屈服させられた様子を見るにつけ、さながら散歩をさせるご主人様といった風情だ。


 ゲェッ、ゲェッ、と許しを乞うような情けない声で鳴く竜を一瞥すると、明らかに楽しみを見失った男は、腕を鞭のようにしならせて竜の腹部へと放った。


強靭な指が柔らかな腹部に突き刺さり、瞬間、バチンと強烈な破裂音が鳴り響き、電撃が迸る。


「これはぁ、三時のお酒の分ら。さあ帰ろっかな~」


 呂律がまわらないのはいつものこと。


 男は焼け焦げて絶命した竜と魚籠を担ぎあげた。


 彼の住処である山小屋へ向かって、木漏れ日射し込む新緑の獣道をふらふらと歩き出したのだった。


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