復活

 都会へ、あの場所へと帰るときが近付いていた。

 正直に言って、私は故郷での暮らしには何か飽き足りないものを感じ始めていた。お盆休みだからというのももちろんあるだろうけれど、時間の流れがどこか緩慢で、都会とは違って剣呑さがない。そう感じてしまう私は、あまりにも長く都会に身を置き過ぎたのかもしれない。今更になってここへ戻ってくることはできないのだと、改めて思い知らされた。

 そもそも、私は何を求めて故郷へ帰ってきたのだろう。昔の久嗣もいなければ雨嶺もいない、そんな場所へ。ひょっとすると失われた時間を取り戻そうとしていたのだろうか。もしそうだとすれば、その試みは失敗した。時計の針を戻したところで過去に戻ることはできない。そのことが、今になってようやく分かったような気がする。

 何かやり残したことがあるだろうか? もちろん、それはすぐに思い浮かんだ。私はまだ、雨嶺のお墓に参っていないのだ。けれど、そうしないことで責められる謂われはない。何故なら、私は雨嶺がそこで安らかに眠っているとは信じられないのだ。そんな気持ちでお墓の前に立つことは、あまりにも礼を失することだと思える。だから、私はこのままお墓へ参ることはせずに帰ろうと思った。


 その日は雨だった。

 私たち家族は母の運転する車で駅へ向かった。駅周辺の駐車場はどこも満車で、駅前のロータリーにようやく車を停めることができた。そのせいで両親とはそこで別れることになってしまった。

「お父さん、お母さん、ありがとう」

 私がいかにも尋常な言葉で礼を言うと、二人は顔を見合わせて笑い始めたのだ。新幹線の時間が近付いていたのでそのことを非難する間もなかった。けれど、とにかく本心からお礼を言えて良かったとそう思えた。父は私の肩を軽く叩いて激励してくれて、母は普段と変わらない様子でいたけれど、私が駅の中へ入っていき、姿が見えなくなるまでずっとそこに立って手を振っていた。名残惜しいけれど、私はそうやって両親と別れた。

 新幹線のプラットホームは上りの新幹線に乗る人でごった返していた。あちこちに大荷物が置かれていて、その間を縫うようにして子供たちが走り回っている。ふと、私の方に走り寄ってきた男の子がいた。永嗣くんだった。彼に腕を引っ張られて歩いていった先には、久嗣と瑞希さんが待っていた。

「みんなで見送りにきたんだ」

「ありがとう。瑞希さんも、ありがとうございます」

 私は先日のことをまず謝った。遅い時間まで私と久嗣が二人きりでいたことに、瑞希さんは特段の不満を抱いている様子ではなかった。久嗣を信じているのだ。そして、間接的にだけれど私のことも信頼してくれているように思えて、私はこの人になら久嗣を任せられると、妙に居丈高になったような気分でそう思った。

 私たちは新幹線が来るまでの時間を、沈黙がちに過ごした。あまりにも周囲が騒がしく、また立ったままだから落ち着いて話せるような雰囲気ではなかった。そこへ急に永嗣くんがトイレに行きたいと言い出し、瑞希さんが永嗣くんを連れていった。まるで計算されていたかのように、私と久嗣は再び二人きりになった。

「雨嶺、卒業式の日のことを覚えているか」

「ええ。私たち、卒業式になんて出なかったから、はっきりと覚えてる」

「今日もそうだが、あの日も雨が降っていたよな。偶然かな」

「どうでしょうね。私、もしも雨嶺がここにいてくれたなら、もっと良かったと思うことはよくあるの。きっと素敵な友達でいられたはずなのに」

 私はつい後ろ向きになるようなことを呟いてしまったので、一度深呼吸をして、次に言うべき言葉を探した。

「でも、私たちの友情は永遠よね」

「そうなってしまったみたいだな」

 会話は一度、そこで途切れた。

「なあ、あの夢日記はどうするんだ?」

 私は鞄の中に入れたままの夢日記のことを思い描きながらこう言った。

「あれは、しばらくそのまま持っていようと思う。これからどうやって生きていくかということも含めて、あちらで考えるわ」

「無理はするなよ。いつでも帰ってこられる場所があるんだから」

「ありがとう」

 私はお礼を言ったり謝ったりで忙しい日だなと自分でおかしくなった。それで思わずその気持ちが表情に出てしまった。

「久しぶりに桐乃の笑顔を見たような気がする。昔から、あまり笑わなかったよな」

「そうね。これからは一緒に笑い合えるような人を探さないと」

「……ああ、頑張れよ」

 新幹線の到着を知らせるメロディが流れ始め、私たちの会話はそこでおしまいになった。瑞希さんと永嗣くんはついに帰ってこなかった。私は久嗣にもう一度お礼を言うと、新幹線に乗り込んだ。車内もひどく混雑していて、自分の座席へ辿り着く前に新幹線は発車してしまった。故郷から切り離されたような気分になったけれど、今の私にはあの夢日記がある。それだけで、雨嶺が天使のように私の横で微笑んでいるような、そんな思いがしたのだった。

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