帰郷

 一度だけ、地元に帰ろう。そう思えるようになったのはお盆休みの直前だった。同窓会の方には欠席すると伝えているから、わざわざお盆休みに合わせて帰る必要もなかった。けれど、お盆休みでないとならない理由があった。

 私たち、私と久嗣には共通の友人がいて、その彼女は、十年前に亡くなったのだ。彼女の名前は、雨嶺といった。私は彼女のことを忘れたわけではなかったけれど、故郷から離れてからはお墓に参ることもできていないし、彼女のことを思い返すことも次第に少なくなっていった。それは、あまりにも辛い別れ方をしたせいなのかもしれないけれど、私は彼女から逃げているのだ。彼女のいない世界で私はどうしようもない生活を送っている。きりきりとお腹を襲う痛みのように、そのことは私を苦しめているのだった。

 地元に帰省するにあたって、まず私は母親に電話をかけた。

「お盆にちょっと帰るから」

「そう、久しぶりに会えるわね。好きな食べ物、何かある?」

「お肉よりも魚、野菜ならトマト、果物なら――」

「苺ね」

「そう。昔と変わってないの、要するに」

 電話をかける直前にビールを呷ったおかげで緊張が解れて、思っていたよりもすんなりと話は進んだ。新幹線で帰ると言ったら駅まで車を出すと言ってくれたけれど、私は久しぶりに地元のモノレールに乗りたかったからそれを断った。あの頃とは勝手が違うわよなんて言われたけれど、私はきっぱり、

「それが良いのよ」

 とまで言ってみせることができた。

 お盆休みの前は仕事も忙しくなって、歩く人の流れもいつも以上に早く感じられたけれど、まだ私はその中の一人として生きていた。そこから弾き出されるのか、それとも自分から出て行くのかは分からないけれど、最後は自分の意志で決めたいと思った。でも、そうやって全てを自分で決めることができたならそれは幸せなことで、どうしようもなくなって出て行くしかないこともあるのだ。それは雨嶺の死が教えてくれた教訓の一つだった。

 私は、そうやって友人の死を貪ることで生きている。それが、生きるということなのだ。


 新幹線が緩やかに停車した瞬間、私は逃れられない運命の流れに飛び込んでしまったことをようやく悟った。生まれ育った故郷の土地を再び踏んだ瞬間、私の心を占めていたものは不安だった。プラットホームから改札まで歩く瞬間、家族連れの乗客が交わした言葉に独特の訛りを聞いて、少しだけ心が解れた。駅の構造は変わっていないのに細かな装飾品や駅ビルに入っているお店の配置が随分と様変わりしていたりして、奇妙な浮遊感を覚えた。知っているけれど、知らない場所。それは本当に奇妙な感覚だった。

 寄り道をせずにモノレールの切符を買いに行く。けれど、向こうで使っていたICカードがそのまま使えることを知って肩透かしを食らった。何だか、知っているはずのものがどんどんと生まれ変わっていて、例えば私が高校生だった頃はまだ切符の定期券を使っていたのだ。そのようにして都会化してく故郷にどんな想いを馳せれば良いのか、私は何も分からないままに停車していたモノレールに乗った。

 私の故郷のモノレールは環状線になっていて、西回りと東回りの二つの進行方向がある。この駅は時計に例えるとちょうど正午の位置にあって、私の自宅は四時の方向にあるから東回りで行かなければならない。もし通っていた高校へ行くとすれば西回りの方向だ。だから、私は通学をするときにはいつも東回りに乗って、帰りには西回りに乗っていた。

 そんなことを誰ともない誰かに解説するようにして頭の中で考える。昔からの私の癖だった。きっと、勉強を誰かに教えることで自分自身もその教える内容について詳しくなる、といった類の言葉をどこかで聞いて今も耳に残っているのだ。でもそれは間違いではなくて、説明に躓いたときには何か必ず理解できていないことがあるし、仮に自分がきちんと教えたつもりでもそれが分かりにくいこともある。だから、私は頭の中でいつも予行練習をしているのだ。

 私はいつも久嗣を練習台にして勉強を教えていた。でもつまらないのは、久嗣も自分でそれなりに勉強ができたことで、もっと要領の悪い誰かに勉強を教えたくてうずうずしていたのだ。そもそも私は、他人から何かを教えられることは好きではなくて、きっとそれはプライドが高いという言葉で済まされてしまうようなことなのだけれど、それに加えて私は他人に何かを教えることが好きなのだ。

 大学に通っていた頃は高校生を相手に塾で教えていたこともあるけれど、教職に就こうと考えたことは不思議となかった。言ってしまえばそれは趣味の領域で抑えるべき類のもので、仕事にしてしまうには私は気まぐれ過ぎたのだと思う。他人に物事を教えるには思っているよりも多くの労力を要する。実際に相手と向かい合う時間に加えて、準備と反省の時間が必要になる。何より、そうして教える物事を自分自身でも理解していないといけないのだけれど、自分に理解できるものなんてこの世界にはほんの少ししかないのだと気付いてからは、私は他人に物事を教えることをやめた。それで今は、他人と関わらなくて済むような地味な仕事をしている。他人と関わると、私の場合はどうしても競争したくなるようなところが――

「あっ」

 乗り過ごしたと気付いたときには、もうとっくにモノレールが発車した後だった。私の癖の欠点は、こうして頭の中で考えていることに夢中になり過ぎて周りが見えなくなることだ。そのことを何度か指摘されてきたけれど、やっぱり私の性格が災いして話を聞いてこなかったのだ。乗り過ごしてしまったと後で母親に言わなければならないのは癪だけれど、あの人はきっと私の嘘を見抜くから、正直に言ってしまわなければならない。いっそのこと、久しぶりの故郷の様子を眺めながら、もう一周してみよう。そうやって前向きに考えることができるのは、私の良いところだと思う。


 予定していたよりもずっと遅れて最寄り駅に着いたとき、見慣れているようでどこか記憶とは違う男性の姿に気付いた。久嗣だった。気が付いて駆け寄るほどの若さはもうなかったけれど、いつになく足取りは軽やかになっていたと思う。急に身体が重たく感じられたのは、久嗣の後ろに隠れて立っていた男の子の姿を認めた瞬間だった。

「久しぶり」

「久しぶりね。その子が……?」

「ああ、息子の永嗣だ」

 それは友人との久しぶりの再会だったのだ。足取りも軽やかになって寄っていくような相手ではない、ましてや妻子のある男性なのだから。私は束の間でもそれを忘れたことを恥じた。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 彼は、久嗣の若い頃によく似ていた。私の乗ってきたモノレールが発車するのを真剣な眼差しで見送っていたから、きっと乗り物が好きなのだろう。幼い頃の男の子はそういうものだという、漠然と抱いていたイメージによく合致していた。久嗣がこのくらいの年頃のとき、彼は乗り物が好きだっただろうか? そんなことをまた生真面目に考えそうになるのを遮断して、改札を出るまでの間に久嗣が出迎えてくれることになった経緯を聞いた。私の母親から大体の到着時間を聞いて、何だか落ち着かなくて息子と迎えに来たのだという。

「おばさんは迎えを断られたって言ってたから、勝手なことをしたかもしれないけど」

「気にしないで、ありがとう」

 近くのコインパーキングに停めていた車の後部座席に私は乗り込んだ。助手席には久嗣の息子が座った。二人きりで話せないことは残念だったけれど、これは久嗣なりの配慮なのかもしれない。長年の友人とはいえ、男女が決して広くはない車内で二人きりになるというのは、あまり好ましいこととは言えないかもしれない。それで彼の息子の出番になったのだろう。尤も、それが久嗣自身の発案なのか、それとも彼の妻の提案なのか、そこまでは分からなかったけれども。

 ハイブリッド車が静かに発進するのを感じたとき、今日は何だかそんな乗り物にばかり乗っているなと私は思った。新幹線もこの車も、その二つほどではないにしてもモノレールも、静かに前へ走り出すものだったから。

 私の暮らしていた家と久嗣の暮らしている家は隣同士になっていて、久嗣は昔からその家で暮らしている。多少リフォームをしたけれど、昔の雰囲気は残してあると久嗣は言った。私は何度も久嗣の家に上がっていたけれど、でもその区切られた空間の中に自分から足を踏み入れることはもうないだろうなと思った。私の強がりがそうさせるというのに、何だか切ない気分になるのだった。それが身勝手なことだと思いながらも、どうしても感情的に許容できないこともあるのだった。

 車で行けば五分から十分くらいの道のりは、短いけれど刺激的な旅路になった。よく見知っている建物が取り壊されて月極駐車場になっているというのはごく当たり前のことで、改装して新しい印象を与えられるお店や、見慣れないマンションが建っていたりした。覚悟をしていたというほどのことではないけれど、いざ自分のよく知る世界がいつの間にか変容してしまっているのを見たとき、妙に心細く感じさせられた。その変化を楽しむ余裕が無いわけではないけれど、今はそうした心細さの方が勝っていた。

 話が大きく盛り上がるだけの時間もないままに車を降りると、私はとうとう懐かしの我が家に向き合った。二十年近く過ごしたこの家に帰ってくるのは久しぶりだった。車のトランクからキャリーバッグを取り出してもらい、久嗣にはひとまずお礼とお別れを言った。

「こっちにはどのくらいいるんだ?」

「長くても一週間。まだちゃんと決めてないの」

「そうか。俺もお盆休みだからどこかへ行きたければ車を出すし、一度くらい一緒に食事でもしよう」

「ありがとう」

 一緒にする食事というのが久嗣だけを相手にするものなのか、それとも彼ら家族を相手にするものなのか、それが分からないままにとりあえずお礼を言った。私は何かを期待しているわけではないけれど、二人きりで話したいことは山ほどあった。

 それでも駄々をこねるわけにもいかないし、私はまず両親に帰省の挨拶をしなければならなかった。久しぶりの帰宅は、不思議と緊張感を伴うものだった。


「随分と時間がかかったのね」

 母がそう言ったとき、やはりこの人には敵わないなと思った。その言葉が別に嫌味っぽくなかったのと、わざわざ弁解する必要もなかったので、私は静かに笑ってみせた。

 リビングで待っていた父とも顔を合わせて、まずは大きな荷物を自室に持っていくことにした。それを手伝おうとした母の腕の細さとそこに浮かんだ血管に私は時の流れを見た。私は手伝いを断って、自力でキャリーバッグを二階まで運んで、久しぶりに自室へ入った。ベッドや勉強机などの大きな家具はそのままになっていたけれど、必要なものは全部持って行ったりしたから、殺風景な印象は拭えなかった。

「そのままにしておいてくれたのね」

 私の後を付いてきた母に向かって、私は思わず笑顔を浮かべた。

「いつか帰ってきたときのためにね。誰も生活をしていない部屋を綺麗に保つのはなかなかしんどいのよ。でも、それも今日になって報われたわ」

「ありがとう」

 私は正面から母に向かってお礼を言った。感謝を素直に伝えることは社会に出てから身に付いた良い癖だった。母は少し妙な顔をしていたけれど、考えてみれば母に真正面からお礼を言ったことなんて、幼い頃以来のことだったのではないだろうか。きっと母もむず痒く思ったのだろう。ただ、私はまた寂しい気持ちに囚われるのだった。母と共有できる時間は、もう数えるくらいにしか残っていない。

「桐乃」

 母が改めて私の名前を小さく呼んだので、何だろうと思って顔を近付けた。

「今、お父さんは下にいるから」

「うん」

「お父さんの前で言いにくいことがあったら今言ってしまいなさい」

 突然にそう言われてしまうと、普段なら湧き上がってくるような気持ちに蓋をされる形になったから、

「……今は思い浮かばないから、また別の機会に話すわ」

 と言っておいた。

 母もそれを素直に受け止めて、

「そう。じゃあ、下で待っているから。ゆっくり下りて来なさい」

 と言い残して部屋を出て行った。

 母は私の表情に何かを見たのだろうか。もしそうでないとすれば、珍しく帰省してきた私の抱えている気持ちを探ろうとしたのかもしれない。今はすぐに何かを言えるような状態ではなかったけれど、私の心の中に何かしらの波風が立っていることは間違いなかった。

 やはり、あの人には敵わない。


 母は多彩な料理を作るという人ではなく、作るものはどちらかというと和食が多かった。この日も煮魚とお味噌汁、それから大皿に盛り付けたサラダが出された。主食に汁物が付いて野菜がそこに足されるというのが定番だった。そのパターンというか、日常のあり方というか、そうしたものが年月を経ても変わらずに続いているということに驚き、また納得し、そして懐かしさを感じるのだった。

 ここに戻ってきてからというもの、私の心に響くような出来事があまりにも多すぎて、私の神経が過剰な反応を起こしているのか、それとも涙の扉の調節が利かなくなっているのか、うっすらと瞳を潤ませてしまった。食事の最中はさすがに涙を抑えることができたけれど、長旅で疲れてしまったからと言って、長話はせずに早々とお風呂に入った。実家のお風呂もまた昔のままで、洗面器が新しくなっていたり使っているシャンプーなどの種類が少し変わっていたりしたけれど、それでもやはり生活の連続性がそこに存在するのだった。都会の家の浴槽は小さく、それに比べて実家のお風呂は足を存分に伸ばせる余裕があって、涙をこらえていたのがいつの間にか鼻歌を歌っていたりした。

 脱衣所で身体を拭いながら、いつもとは違うボディソープの匂いを嗅ぐ。そういえば、この家に入ってから無意識に感じていたのは、生活に伴って生まれる独特の匂いだった。家や家具や服や肌、そういったものに染み付いた匂いを嗅いでいると、私も十年前まではその匂いに染まっていたこと、今ではまた少し異なる匂いを自分が発しているのだということなどについて考えさせられるのだった。人は肌や瞳の色、話す言葉で他者を区別しているのだけれど、匂いというのも大きな要素になるのではないか、そうすると私は、ありがちな表現だけれど都会に染まったよそ者なのだと、そこまで考えを突き進めてしまうのだった。

 この十年を、十年という長い年月を、私はいかに過ごしてきただろうか。生まれ育った街を出て、家族から離れ、幼馴染とも縁遠くなって、そうして何を得たのだろうか。そんなことを考えても虚しいだけだと思いながらも、私はまたもやそうした考えを進めずにはいられないのだった。

 涙を流すならベッドの中で。せめてそうしようと思っていたのが、一度涙が溢れ出したら止まらなくなって、私は若い頃のことを思い返していた。思春期に成長していく中で生まれる不安定な感情を、私はどのように乗り越えたのだろうか? それとも、私は乗り越えることなどできずに忘れてしまっただけなのだろうか? それを教えてくれるであろうたった一人の存在は、もうここにはいかなかった。

 私は、雨嶺のことを、自然と思い返し始めた。

 それは約十年前の高校時代にまで遡る。……

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