ココロユレル

@Shiba_Ryunosuke

じゃあ午前10時、駅前で待ち合わせで

蝉がうるさい。


隣にいる海音は華奢な白い腕で手を扇いでいる。艶やかな黒髪がなびく。


「あっつぃ~」


海音は軽快さと苛々の混じった声を出すがあっさりと独り言になって消える。


「あ゛―」


気だるさしかない私の声が呼応する。汗がまとわりついて気持ち悪い。


いつもなら、冷房でキンキンになった我が家へ直帰したくなるだろう暑さだった。しかし海音と気長に話せばそんなことすぐに忘れられる。大木も歪んで見えるような炎天下の下、私たちは学校から帰宅する。


私たちは雰囲気で交際して間もない。もともとは共に野蛮な会話もするような友達の関係だった。だからあまりそういった実感がなく、成り上がりで付き合っていた、といってもいい。どちらが告白したとかも無く、なんとなく、もう付き合っているだろうという軽々しい感じだった。私は海音がこれについて良くは思っていないだろうなと自然に思っていた。


「花火大会が近所の神社で行われてるの知ってる? いつも独りで行ってたんだ。行かない?」


その日、毎年花火を見に行くほど花火好きだった私は、夏の風物詩である花火大会に行ってみないかと君を誘った。拙い誘い方だった。だから正直、ヘンな方に意図されて、断られるかなと思っていた。

しかし、海音はこちらを向き、勿論だと言わんばかりにうんと頷いた。ふわっと波打つ黒髪、目が合う。私は咄嗟に目をそらす。


「明斗、もともと花火好きだったもんね」


それはすでに楽しそうな、柔和な微笑みをしていた。遊び感覚で乗ってくれたのだと解釈していた。



たくさんの赤提灯が、中心部の大太鼓がある舞台に沿って並んで揺れている。集合時間3分前、ギリギリ間に合った。けど彼氏としては間違いなくアウトだ。


一方で、海音は集合時間を過ぎても来なかった。花火までにはまだ余裕があるが、もう10分の遅刻だった。これはとても珍しいことで、知り合った頃から海音は決まって10分前には集合場所に来てくれていた。だから私は自ずと、怒りよりも心配のほうが強くなり、行き道に何かあったのではないかと思索していた。もしも事故をしていたら。万が一ヘンな輩に絡まれていたら。私はいつの間にか、抑えられないほどに胸がざわざわしていた。一度、海音の家に行ってみることも考えたが、入れ違いになることを恐れ、辞めた。


雲行きも怪しくなってきた。天気予報は晴れだったのに。運の薄情さを恨んだ。みるみるうちに雲は空一面を覆いつくし、鈍色の暗雲へと変貌していった。やがて、ぽつぽつと雨が降ってきた。周りの人達が頭に手を乗っけて避難し始める。私も木の下に避難した途端、どこかで見たアニメのように土砂降りに変わってゆく。そして一層、海音が大丈夫だろうか心配になった。どちらにしても、その不安が描く風景は酷く憐憫なものでしかなかった。


しばらく集合場所の方を確認しながら、木の下をぐるぐると周っていた。もう周りには屋台を閉めているおじさんたち以外は誰もいなかった。


すると、遠くの方から走りながら弱々しくか細い手を振ってくる人影が見えた。それはまさしく海音だった。びしょびしょになった海音は化粧をしていて、青が基調で、赤の撫子が咲いた着物を着ていた。私にとってはそれが、いつも遊んでいた時とはまるで違っていて、印象的であった。また、それをびしょびしょにさせた雨が恨めしかった。


「大丈夫だった?!」


私は真っ先に海音を包むようにして庇い、雨のかからない、木の下に誘導した。海音は走ってきていたので、呼吸が乱れていた。私は近くの自動販売機で水を買い、海音に渡し、雨脚を見ていた。


「ごめん」


海音の肩がゆっくり揺れている。まだ息は整っていない様子だった。


「なんかあった?大丈夫?」


「ううん、ごめんね」


今にも雨の音にかき消されそうなほど脆弱な声。海音は泣きそうに笑っていた。そんな君を見て、私は、海音はいつも快活な少女だったから、君らしくない、と勝手に思った。いつもの溌剌な様子で、「ごめん!」とだけ言って、私が「もう花火見られそうにないな」とか言ってゲラゲラ笑う。そんな風景を思い描いていた。


「ごめんね、ごめん、本当にごめん」


「気にしてないよ、俺も遅刻したから。花火、今日は無理そうだけど、来週も隣の川西市であるらしいし」


遅刻は私なりの嘘だった。


私はなるべく陽気に振る舞おうとしたが、「来週」と私がいったとき、物憂げに笑っていた君の瞳孔が大きく揺らいだ。それからは思い詰めた表情で押し黙っている。私は返答が無いので、やはり何か事情があったのだと思った。


「ほんとに大丈夫?行き道で何かあった?」


「ううん」


「もしかして来週は、だめ?」


刹那、形だけ笑顔だった海音の顔が崩れてゆき、手で覆われる。


ぼろぼろと嗚咽が漏れる。


震えた声が発される。


「あさって、誕生日・・・


明斗、よく本読んでたから、しおり作って」


驚いた。私は、誕生日プレゼントを親に3年前貰って以降、全く貰っていないのもあって、まさか自分の誕生日にそんなことをしてくれると思わなかった。


海音は顔を隠していたが、輪郭を伝って涙が落ちるのが見えた。途切れ途切れに話しながらも、必死に呼吸を保っているのが分かった。


「しおり、完成しなかったの?」


「ちがう。なくなった。今日、家で支度してたら、置いてたはずのタンスに無かった」


―――探していたのだ。


きっと海音はしおりを探していて、遅れたのだ。


私は言葉を失った。そしてじりじりと胸の奥から罪悪感のような、自分では不可解なものが湧き出てきて、今にも泣き出してしまいそうになった。全く悲しくも、痛くもないのに。悲しいのは、今、目の前にいる海音であるはずなのに。ぐっと目頭が熱くなるのを堪える。


「いいよ、いいんだよ」


私は海音を包んだ。


止まない嗚咽。


「いいんだ、いいんだって」


「しおりなくすし、雨降るし、遅刻するし、」


「いいんだ」


より力強く抱きしめる。濡れているにもかかわらず浴衣の質感は上質だった。


きっと君はこの日のために浴衣を選び、自分では納得できないからといって色々な友達に相談したのだろう。


きっと君は、私が挟みやすいようなしおりを一生懸命考えて作ってくれたのだろう。


きっと君は、慣れないながらも試行錯誤して、時間をかけて化粧をしてくれたのだろう。


きっと君は。


「ありがとう」


抱きしめていた手は離れなかった。



今日は駅前で海音と集合してショッピングだ。


集合場所10分前、私は海音が到着するのを、ビルの隅からひそひそと見ていた。君は素晴らしく似合った衣装に、綺麗な化粧姿だった。


今日、私は遅刻をする。理由は寝坊だ。


これが君にとって望ましいものかどうかは分からない。むしろ、逆効果だろう。私は今日遅刻をすればあの時の罪悪感を償える気がしたのだ。私は己を馬鹿野郎だと思う。もっと別の方法があっただろうに。


時計を見る。10時5分。すでに5分遅刻している。


あともう少し待つか、いや、そんなに待たせても悪いからもう行こうか。悩んでいた。


「明斗、ここでなにしてるの?」


途端、全身が真上に吸い寄せられるようにビクリとした。


そこには眉をひそめている海音がいた。


バレた。


顔面蒼白。


終わった。


「ごめん!これは・・・」


嫌われる未来が容易に見えた。


私は急いで訳だけでも話そうとした。


しかし、海音は何かを察したかのように朗らかに笑って、言った。


「大丈夫だよ、私も遅刻したから」

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