わんわん


「駄目です! 突破できません!」


 屋外から戻ってきた団員は、顔中に泥と汗を滲ませながらジョエルとアザンに報告した。金髪のメイドが一人歩み寄ってきて、戻ってきた男にタオルと冷たい水を差し出していた。

 自分達に構わなくて良いとアザンは言ったのだが、メイド達は是非にと言って聞かなかった。彼女達も訳も分からず閉じ込められて不安なのだろう、何かしていないと落ち着かないらしい。


「そうか、やっぱ無理か……」


 ジョエルは腕を組んで唸る。

 黒い半透明の壁は依然として屋敷とその周囲を覆っていて、何物も透過しなかった。槍で突こうが、剣で斬りつけようが、使える魔術を片っ端から使用してもビクともしない。

 二人目の金髪メイドから受け取った水を一口含み、舌に滑らかさを与えてから最年長の騎士は話し始めた。


「……ただの壁じゃないな。物理的でないのは間違い無いだろうが、普通の魔法とも思えねぇ……壁面のすぐ下の……地面はどうだった?」


「はい。言われたとおり壁根元の地面を掘りましたが、直ぐに壁に塞がれます。時間にして一秒未満、攻撃魔術などで穴を開けて無理に突破してみますか?」


 ジョエルは顎を摘み思案を巡らせる。


「止めとけ。万が一壁に挟まれて身体が千切れたりしたらコトだ。けど、そうか……」


 ジョエルはニヤりと笑い、ルーカスが話した事を思い出す。この全ては外界から隔絶されたと、彼は言っていた。


「どうやら、地面の下にまで壁が展開されているわけじゃ無いらしい。だったら脱出は簡単さ」


 言い切ったジョエルにアザンも他の団員も、屋敷のメイド達も怪訝な顔をした。


「簡単……? いったいどんな方法で脱出を……?」


「掘る」


「掘る!?」


 アザンの復唱に、うんと、壮年の騎士は軽く頷いた。


「展開範囲は、屋敷を中心に半径約100メートル。カーテンが下りて来たのは上からだったことから、恐らく上空100メートルは閉じていると考えても良い。だから、地面を掘って脱出するのさ」


「しかし、先程団員が調べた通り穴を開けても直ぐに塞がれてしまいます。今はあのカーテンが地表で止まっているとしても、地下にトンネルが出来てしまえば、其処まで壁が透過してこないでしょうか?」


「ありえるね。でも、その可能性は低い」


 ジョエルは其処まで言って、三人目の金髪のメイドから水を受け取り一息に飲み干した。


「うーん、美味い! メイドちゃん、この水は何処から吸い上げられているんだい?」


「え? えっと……確か、地下水脈から直接汲み上げていると伺っておりますが……」


 メイドは急に話を振られ驚いたらしいが、それでもはっきり答えた。


「水脈は地下何メートルくらい?」


「詳しくは分かりませんが……150メートル以上は間違いないかと……――!」


 そこまで言って、メイドも団員達もジョエルの言いたい事に気付いたらしい。壮年の騎士は、優秀な生徒を見守るような顔で笑い強く頷いた。


「そう。地下の隙間まで完全に塞がれているのなら、地下水なんて此処まで届かない。貯水槽式とか雨水方式じゃなくて助かったぜ」


 王都では地下水脈から汲み上げ濾過した物をそのまま使う場合と、汲み上げた地下水を貯水槽に一時保管して使う場合が一般的だ。降水量の多い地域では、雨を貯水して使う場合もある。

 大きな宿や共栄邸宅や後者の場合が多く、この屋敷の場合は前者だった。もし貯水槽式で、それが地上か地上から浅い位置に設置されていたのなら、ジョエルもまだ確信を持てなかっただろう。


「数ヶ月ここで寛いでくれってのは皮肉だったんだろうけど、暗にソレが可能だと奴は自白したのさ。食いモンはともかく、水と空気は確保できる環境にあったってことよ。どれメイドちゃん、屋敷に穴堀の魔道具かシャベルとかない? え、園芸用のスコップだけ? ま、しゃーねーか」


「なるほど……ですが、それってつまり、我々が脱出できるほど大きな穴を掘って脱出するってコトですか?」


「おう。場合によっちゃ100メートル垂直掘りしなきゃかもな。いや待てよ? 最初は小さい穴掘って、誰か一人が通信機で――」


「いや、待ってください! どれだけ時間が掛かるか分かりませんよ!? 土工用の道具も、人員もありません!」


「数ヶ月間よりはマシさ」


 団員の意見に対して、ジョエルの言葉は簡潔を極めた。受け取った小さいスコップを剣のように担ぎ、ポンポンと自分の肩を叩いた。


「俺だってホントは楽したいし寛いでいたいけど、それは考え付く全てのアイデアを試してからだ。やる前から無理を飲み込めるほど、俺達はお利口なのかい?」


 団員は息を呑んだ。ジョエルの皮肉めいた言葉は、だが皮肉以上の何かを持っている。

 アザンはやれやれと言った具合に溜め息を漏らした。昼行灯で酒好きでだらしないくせに、彼は王国騎士の在り方を誰よりも護り続けている。

 最近入団した新人達にはまだ理解出来ないだろうが、ジョエルと長く付き合っている自分達はそうではない。


「間に合うか、間に合わないかじゃねえ。一秒でも早く『ポミケ』に行くんだよ。遅ればせながら、俺達も今からでも参加しようじゃねえか」


 そして此処に居る団員達は皆、ルーカス追跡のために選りすぐられた第二騎士団の古株だ。ジョエルの無茶振りには、とうに慣れていた。


「……水系と風系の魔術が使える者はジョエルさんと行け。水で土を柔らかくし、風で掘った泥を排出するんだ」


 アザンがそう指示を出すと、皆は頷きそれぞれもアイデアを出し始める。


「庭にある木を削って、即席のシャベルを作成するっていうのはどうでしょうか? スコップよりはマシじゃないスか?」


「いや、いっそ地下水脈まで降りていって川下りってのはどうだ?」


「地下水脈の規模が分からんし、水棲モンスターが居るかもしれん。試すのは穴掘り作戦が失敗してからだな」


「魔力灯をご用意いたします。燃焼に空気を使用しない、水中仕様のが宜しいでしょう?」


「皆様が穴の下で酸欠にならないよう、呼吸確保用の魔道具も用意いたします。【ジェラフテイル商会】が管理する屋敷には、必ず置いてありますから」


 思い思い考えを述べる団員達に釣られたのか、回りのメイド達も集まって相談に参加し始めた。

 頼もしい連中だと、ジョエルはくっくっくと声を潜めて笑った。


「よっしゃ、じゃあ行くか。他に何か気づいたヤツは何でも言ってみろ。マジで何でも良いぜ? 例えば、この屋敷のメイドが全員金髪なのはルーカスの好みに違いない、とか」


 一頻り笑いあったあと、それぞれが行動を開始する。


『――では、ルー…………カスすら知らなかった地下の脱出通路を用いるというのは如何でしょうか?』


 何処からともなく声が聞こえてきたのは、まさにその時だった。


「おいおい誰だ? いきなり如何にも妙案的なのを言ったヤツは? スコップ片手のおじさんが酷く哀れじゃねーのよ」


 そう軽口は叩くが、ジョエルとアザンは先頭に立ち、団員達はメイド達を護るように陣形を構築する。一人がメイド達に視線を向けるが、彼女達は首を横に振る。メイド達とは別の誰かが、この屋敷に居るらしい。

 姿が見えないことから何処かに潜んでいるのか、あるいは自分達にすら感づかれないレベルの〈斥候〉職を修めた者か。

 団員達は弓の弦のように集中力を高めた。


『わんわん。私です』


「……」


「……」


 その集中力を削ぐような気の抜けた返答があった。しかも私ですとか言いながら声の主は姿を見せない。皆は顔を見合わせ「なに今の?」といった様子でヒソヒソ話をする。

 ジョエルがアザンを肘で小突きアイコンタクトする。お前が訊いてくれと目が言っていた。


「…………あの、今のは?」


 嫌そうな顔をしながらも、アザンは声に向かって尋ねた。

 誰だと訊くべきだったのかもしれないが、意味不明な事を無視できないアザンの、あるいは損なほど真面目な性格がまずそれを尋ねさせた。


『はい。閉塞的な空間ではストレスが溜まりやすいもの。ですから、軽快なジョークを飛ばして皆様にリラックスして頂こうと思いました。どうぞ遠慮無く笑って下さい』


 軽快……? 声の主以外の全員が首を傾げる。


「……妙な気遣い方をするんだな……」


『よく言われます』


 悪びれもなくのたまう。話が進まないと感じたアザンは、気抜けを感じながらも会話を続けた。


「そ、それで、君は何者なんだ?」


『今は名を明かせません。差し当たり、犬とでもお呼びください。わんわん』


 妙なギャグを飛ばしてくる女の声だった。


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