やがて神の意思を賜る者

 

 晴天の下、『ポミケ』は王都大通りでも稀な盛況ぶりだ。

 一応は整然と行、列を為し、それこそお盆年末の同好雑誌即売会のように薬師達がポーションを披露している。

 俺達は受付をした場所より更に内側付近で、ポーションを見て回っていた。会場となっているこの草原には場所でもランクがあり、より中心に近い方が上位のブースらしい。中心部に至っては、金タグ薬師達の独壇場だそうだ。


 この辺に居るのはブロンズ薬師が大半だが、シルバーもちらほら居る。彼らに与えられたスペースにもランクで差があるらしく、銀は銅に比べて倍近い面積を確保していた。


「いらっしゃいませー! こちらは今回からシルバーランクに上がった新鋭薬師、ブルショーの良く効くポーションだよー! お願ぁい、寄っていってぇー!」


「買ってくれたらぁ、サービスしちゃおーかなー?」


 広いスペース故に、猫なで声を上げる売り子の姿もチラホラいた。

 彼女らは派手なドレスや、何かモデルがあるらしい衣装、中には水着みたいな装備で何処のダンジョンに行くんだ? みたいな格好をしていた。

 目立つコスプレでアピールし、商品を取って貰おうという作戦は異世界でも有用らしい。彼女達の前には、ポーション見てるのか女の子見てるのか不明な客がゾロゾロ集まっていた。


 うお……! あのビキニアーマーきてるコ、おっぱいでっけぇ(Fカップ)……谷間に浮いた汗がセクシーや。スポーツドリンクと日焼け止めポーションを差し入れたら、汗とか拭かせてくんないかな痛たたたたたたたたたたた!?


「オリくーん? ナニ見てるのかなー?」


 コレットが俺のヒップをつまみ上げながら睨んできた。どうしてこう、女の人ってのは男の視線を察知出来んのかな?


「私なら、見るだけじゃ無くて……いろいろシて上げるんだけど……?」


「アアアアアアアメリアはまたポーション買っているのか!?」


 巨乳家庭教師系お姉さんの追及を華麗に躱しながら、俺は同行の助手を探す。

 一際目立つ容姿をしたアメリアは、すぐソコで薬師からポーションを購入している所だった。


「ありがと。早速頂くわ」


 彼女は受け取ったポーションを早速開封し、中身を飲み干した。コクンコクンと小さく喉を鳴らしてポーションを飲む様が、妙にサマになっている。


「……うん、美味しいわ。それに効能も中級クラス……短期間で、よく作ったわね」


「あっ! ありがとうございます! 従来の治癒薬にリンゴアップルの葉と、オレンジミカンの皮から抽出したオイルを加えまして、更に――」


 そう言われた若い金髪の薬師は、顔を赤くして自分のポーションを早口で説明しだした。レシピは薬師にとって財産というらしいが、美人の前では口が軽くなるらしい。


「へぇ、そんな工夫を……ところで貴方、馬は持っているかしら?」


「う、馬ですか……? いや、自分は特に……でも、馬に乗りたいっていうなら、知り合いに頼んで俺と一緒に――」


「そう、変なコト訊いてごめんなさい。『ポミケ』しっかりね?」


 アメリアは、その薬師にもう一度御礼を言ってからコチラに戻ってきた。その薬師は、次の客がやって来るまでだらしない顔でアメリアを見送っていた。


「どうだ? 件の薬師だったか?」


 純金色の髪が左右に揺れる。


「美味しかったけど……違うわね」


「そっかぁ……中々見つからないね……」


「なんで貴女ががっかりしてるの。簡単に見つからないなんて、最初から分かっていた事よ。さ、次に行くわよ次」


 特に落胆した様子もなく、アメリアは視線をキョロキョロとさせると次のブースへ足早に向かった。

 どうやらアメリアは、薬師の容姿で試飲するポーションを決めているらしい。ブロンズタグでかつ金髪で比較的若くて……馬を持っているとかどうの。その『美味しい~』のキッカケになった薬師ってのは、馬主でもあるのかね?

 それはともかく……。


「なあ、ちょっと休まないか? 俺もうお腹タプタプなんだけど……」


「あはは、私も……」


 最初は俺もコレットもアメリアと一緒に『美味しい~』のポーションを試飲していたのだが、ちょっともう無理だった。

 急遽決まった割に、ちょっと種類が多すぎる。『果汁ポーション』や『ミックス野菜ポーション』とかはまだ良いが、『唐揚げポーション』とか『ピザポーション』とかは何だ。食べ物に薬草がちょっと乗ってるだけじゃねえか。それ薬草じゃなくて薬味だろ。名前にポーションって付ければ良いってもんじゃないぞ。


 飲んで食べてを繰り返してるうちに、俺のお腹は既にいっぱいいっぱいだった。見ればコレットも苦笑いしながらお腹辺りをさすっている。

 まあ彼女の場合は腹部より、その上の部分がタプタプだった。お胸がおっぱいおっぱいだった。


「ん~? オリくんはー……ポーションじゃなくて、別のが飲みたいの?」


 ユッサ、と組んだ腕で何かが充填されている――少なくともポーションじゃない――膨らみを持ち上げ、上目遣いで妖しげな笑みを浮かべる助手(偽)。

 だから何でコレットは俺の視線に秒で気付くんだろう。


「だらしないわね。まだまだ始まったばかりじゃない」


「逆に何でアメリアは平気なんだ?」


「昨日の朝から水分を摂ってないもの。食事もスープなんかは控えてたし」


 ポミケガチ勢すぎるわ。


「でも、そうね……休憩をかねて薬草の販売でも覗いてみる?」


 そう言われて『ポミケ』には珍しい薬草なども並ぶ事を思い出した。森の奥やダンジョンで採れたもの、薬師業の傍ら自家栽培していた物の余りなどが出品されているという。


「お手頃な薬草の苗とかあるなら少し欲しいな……それに四年に一度の祭典、かなり珍しいのがありそうだ」


 アメリアは頷き、何処と無く得意そうな笑みを浮かべて見せた。


「ええ。今回はなんと、あの『ルミナス草』が出品されるのよ」


「なに、『ルミナス草』だって!?」


 ・


「『参加者の皆々様、大変お待たせいたしました! 本日の目玉、幻と名高い最高級薬草『ルミナス草』の登場で御座います!』」


 司会を務める男が、拡声魔導器マイクなど無くてもよく通りそうな声で人々の注目を集めていた。この時ばかりはゴールド薬師もブロンズ薬師も自分達の販促を中断し、幻の超高級薬草を一目見よう集まっているみたいだ。

 野外販売というから露店的な物を想像していたのだが、どこからどう見てもオークション会場だ。数など数えたくない混雑具合で、地面の草原が見えないほどの参加者や見物客で満ちていた。オペラグラスなどを携えているものも居る。


 司会者が発した『ルミナス草』という単語が広がると、客たちが作っていた雑談や喧騒が種類を変えた。

 いかにも大きな商会を抱えているといった男達や、金色のタグをぶら下げた老薬師などが一斉に目をギラ付かせる。真剣な顔で通信機を取る者も居る。

 あまりの迫真さに、軽い見物気分でやってきた事をちょっと後悔しそう。


 ぽっかりと空いた人間ドーナツの輪の中心に舞台があり、司会の男とスーツを着た屈強な男が十数名立っている。そしてソコに、厳重に厳重を重ねた金属製の箱が運ばれてきた。

 司会が目配せすると、筋骨逞しい男達が手分けして箱を開けた。


「おお――……!」


 箱が開け放たれた瞬間、俺の口からも周りの口からも感嘆の溜め息が漏れた。

 いつかリリミカが言った言葉、完全な『ルミナス草』なら一目で分かるという意味を俺はハッキリと理解した。


 光輝いているのだ。


 完全な『ルミナス草』は葉も茎も白色半透明で、精緻精巧を極めたガラス細工のように美しい。太陽の光を浴びてキラキラと虹色に輝いているだけでなく、自ら仄かな光を発していた。

 頂上に一輪の花が咲いている以外、造形は俺が自分で何十回と見てきた『ルミナス草』とほとんど同じだが、なるほど、確かにコレは一目瞭然だ。


「綺麗――……宝石みたい……」


 うっとりと、コレットは呟いた。まさに生きている宝石だ。

 美しいもの、比類なく素晴らしいものには人を惹き付ける魔力がある。ここは異世界だし、実際に魔力とやらが放出されていても不思議では無い。


「――完全な『ルミナス草』は決して枯れる事は無いの。一度完全形になれば、千切ろうが、劣悪な環境に置こうが、何十年経とうが、あの輝きを放ち続ける」


 故に光り輝くルミナス草と、アメリアは教えてくれた。


「大昔、エルフは結婚指輪の代わりに『ルミナス草』を贈ったというわ。自然を愛し、自然と共にあるかの種族に相応しい愛の語り方よね」


「生涯、失われないような愛を誓ったんだ……たとえ二人がこの世か居なくなっても、愛は輝きと共に残る、か。ロマンチックだな……」


「ふふふっ! オリくんって吟遊詩人だったの? おっぱいオヒネリいる?」


「……よくそうやって揶揄からかわれるんだけど……俺って、そんなクサイ事言ってる……?」


 あとオヒネリとか良いながら身体をひねるのは止めて下さい。おっぱいでシャツがねじれてエロイ事になってるから。マジで吟遊詩人目指しちゃいたくなるだろ。


「『薬師に限らず、耳にした者は多いであろう超稀少薬草! どうしたことか、今年はギルドにも王都の商圏にも全くといって良いほど出回らない! ですがご安心下さい、この『ルミナス草』は本物で御座います!』」


 滑らかな舌を回転させ、男は『ルミナス草』が偽物でないことを堂々と語る。セクシーなドレスを着たお姉ちゃん達が、数枚の鑑定書を両手にもって見せていた。

 プルンと張ったおっぱいに目を取られたので俺には分からなかったが、流石に偽物ではあるまい。


「『ポーションの材料にするのも良し、飾るのも良し、アクセサリーにするのも良し! どんな選択も貴方様の自由! ですが、全ては買ってからのお楽しみで御座います! まずは相場である金貨10枚からスタート!』」


「20枚だ!」「こっちは25枚だ! 25枚出すぞ!」「ワシは40枚じゃ!」「50枚!」「いや65!」「70!」「73!」「85!」「――!」「――! ……!」


 開始されてほんの数秒で俺の借金を上回ってしまった。雨後のタケノコのようにアチコチから手が上がり、どんどん値がつり上がっていく。

 最終的に、あの『ルミナス草』は金貨300枚で落札された。従来の相場の約30倍だが、決して赤字にはならないだろうとアメリアは言う。それ程までに質の良いポーションには需要があるのだ。そして、それを支える薬師にも。

 俺の自家栽培畑で取れたなら……とは思ったが、出来なくて良かったと思う方が強かった。あんな大金、俺には扱える自信がない。


 オークションの熱気を背に感じながら、俺達はもと居た『美味しい~』ブースへ踵を返した。


「さ、休憩は終わりよ。早く次のポーションを――……!」


 その途中で、何かにギクリとしたのかアメリアの足が止まった。


「あれ、どうした? ……――!」


 アメリアが止まった理由が俺にも直ぐ分かった。いつの間にか、先程のオークション会場の舞台にルーカスが立っていたのだ。


 ・

 ・

 ・


 項垂れたルーカスを、アザンとジョエルに同行していた騎士団員が取り囲む。既に打ち合わせした通り、ネズミ一匹逃さない陣容だ。


「再度詳しい事情を訊きたい。一緒に王都まで戻って貰う」


 アザンが目配せすると騎士の内から三人が前に出て、左右と背後から容疑者に近づく。ルーカスは抵抗らしい抵抗も無く、ただ俯いたままソファに身を沈めたままだった。


「拘束する。無駄な……」


「――この国に神が居ない理由を、お前達は知っているか?」


「……なに?」


 容疑の否定でも肯定でもない言葉が、ルーカスの口から零れていた。


「……女神を喚ぶとかどうとか、中々に興味深い話だけど、それは帰ってからか道中の馬車ででも話してくれよ。面白い話なら王宮が発行する公報誌に載せても良いぜ?」


 ジョエルがいつものように軽口を叩くが、その目が笑っていないことにアザンはすぐ気付いた。そして、ルーカスの目も笑っていないことにも。


「クノリ家初代当主、ユリ・フォン・クノリの為した偉業のせいさ」


 大人しく縄を受け入れながら、ルーカスは誰へとも無く語り続ける。アザンが話すのを止めさせようとするが、ジョエルはそれを制した。話している間は余計な抵抗もしないだろうと判断したらしい。


「なんだい? 初代ちゃんが神サマに唾でも吐いたっての?」


 拘束の手を休めることなく、ジョエルは話の続きを促した。


「それ以上の冒涜を犯したのさ。ヤツは神による奇跡の価値を失墜させた」


 抑揚の無いルーカスの声には、噴火寸前の感情が潜んでいた。

 ユリ・フォン・クノリの為した功績は、数も質も誰にも文句の付けられないものだ。現代の礎を創り上げた文明の祖。未だ雷名轟く、偉大なる大錬金術師。

 彼女のお陰で、王国は飛躍的と形容するのも謙虚過ぎる発展を遂げた。ルーカスもそれは認めている。


 しかし、それこそがユリ・フォン・クノリの罪だと彼は言う。本来は神のみが持つ叡智を彼女は奪い、踏みにじり世に広めた。

 奇跡を奇跡たらしめていた希少性や秘匿性は失われ、人の届きうる学問へと堕ちた。


 王国は、神を必要としなくなったのだ。


「……なるほどねぇ……ホントかどうかは知らないけど、それってそんなに悪い事かい?」


 ボサボサの頭を掻き毟りながら、壮年の騎士は溜め息混じりに言った。剣呑な光を湛えたまま、ルーカスはジョエルを見上げる。


「多分だけど、遅かれ早かれ文明ってのはきっと進歩したさ。かつては不可能と思えた事を今はフツーに出来るようになったってのは、人が歩み続けてきたことの証明だよ」


「その歩みはもうじき止まる。何百年にもわたる停滞を打破し、我々が次のステージへと進むには、一度原点へと回帰するべきだ」


「人様の限界を人様が勝手に決めちゃあ駄目だろ。アンタの言ってることは、人は神様の許可なく成長しちゃ駄目って事じゃないか?」 


「違う!」


 拘束具が腕や足を軋ませるのもいとわず、ルーカスは立ち上がり叫んでいた。


「皆が神を崇め、神を慕い、神を謳う! 統一された目標意識と篤信こそが真の発展を生む! 滅私に徹し、神意に従えば、誰もが繁栄を約束される国が出来るんだ! それを作ることこそが、私の使命なんだ!」


「だから、そりゃあ怠惰ってモンだろが。アンタは、人間ってのは神サマから餌を貰うだけの雛鳥だとでも言いたいの? 咀嚼されて飲み込みやすくなった未来なんざ、俺ぁ欲しくないね」


 ジョエルは拘束が完了したルーカスを立ち上がらせると、繋がっていた縄の端を強く引いた。


「続きは騎士団本部で聞くよ。神様に会った事も無いだろうに、まぁまぁ面白い妄想だったぜ?」


 ジョエルはそれで話を結び、アザン達に王都帰還の準備をするように指示した。通信妨害は未だに展開されているらしいが、屋敷を離れれば回復する筈だ。

 そうしたらまずは本部へ、次いで『ポミケ』開催場所で待機している副団長達に連絡する。それで終わりだ。


「…………ある」


「あん? 何か言ったかい?」


「私は、神に逢った事があると言ったんだ」


 眉を寄せ、団員は隣の団員達と顔を見合わせた。皆、ルーカスの真意をはかりかね困惑の表情を浮かべていた。


「君達のせいで計画が大きく狂ってしまったが……私にはあの御方の為に『ポミケ』でやることがある。だから、もういいかな……?」


 異様な光に満ちたルーカスの瞳を見た瞬間、アザンとジョエルの背を言い様の無い悪寒が走った。

 他の団員達も同様の感覚に襲われたらしく、一人が手に持っていた拘束具を強く引き、一人がルーカスの頭をテーブルへと押さえ付けた。


「何をするつもりかは知らんが、妙な気を起こすな! 抵抗すれば身の安全は保障できんぞ!」


 団員の腕の下から音階の狂った哄笑が響いた。


「……何もしないし、何も出来ない。、ここで終わりだよ」


「――! 直ぐに屋敷を出る! 『転移符』を使え!」


 切迫したジョエルの言葉を受け、団員は『転移阻害式』を素早く解除し、緊急離脱用の『中級転移符』を発動させた。

 しかし、瞬く間に発火現象を起こす筈だった符は皆の手元に握られたまま沈黙していた。


「ジョエルさん、外が!」


 騎士達が弾かれたように窓の外へ目をやった。今朝は確かに晴天で雲もまばらだった陽気が、どうした事か徐々に暗くなっていく。

 団員の一人が叩き割らんばかりの勢いで窓を開けると、異様な光景が広がっていた。


「これは――!?」


 漆黒のベールが上から下へ向かって屋敷のすぐ側を覆っていく。幻想的だが何処かおぞましいショーに、第二騎士団は言葉を失った。

 ジョエルは咄嗟に仲間に異変の無いこと、屋敷周辺に他の人影がないこと、また反対側の窓にも同じような光景が見えたこと、覆っている黒い帳はどうやら半球状であるらしい事を確認し、アザンへ鋭い視線を向けた。


「アザン、『上級転移符』ならどうだ?」


「駄目です! 発動しません!」


 用意できる最高級の『転移符』ですら離脱できない事実に舌打ちし、ジョエルは再び外に目を向けた。カーテンの向こう側には薄っらと従来の――という表現が果たして正しいかは不明だが、晴天が広がっていた。

 異常な事態は屋敷を中心にし、ジョエルの目測で半径100メートル程度の範囲内のみと思われる。


「無駄だ。現在、この地表全ては外界から隔絶された。何人も侵入出来ないし、脱出も不可能。そんな玩具ごときで、あの御方の力から逃れられるものか」


「おいおい幽閉かよ。つーか、お前も閉じ込められてんじゃねーか」


 苦笑いしながら、壮年の騎士はルーカスへ視線を向ける。

 もしこの男が何らかの脱出手段を持っているとするなら、それを見逃すジョエルでは無い。軽薄な口調を維持しつつ、ほんの僅かな情報も聞き漏らすまいと耳を澄ませているのが、アザンには分かっていた。


「君達は、体が複数欲しいと思った事はあるかい?」


 だがルーカスの口から発せられたのは、またしても関係の無いような言葉だ。


「私には数え切れないほどある。なんせ多忙の身でね……1日を一つの身体のみで乗り切るのが年々辛くなっていく。如何に優れた部下や同僚であっても、自分に代わる者は自分以外に無い」


「……なにが言いたい」


「先程も言っただろ? この私の仕事は終わりだ。後は残りの私に任せる」


 アザンの言葉に、頭を押さえられたままのルーカスは器用に肩をすくめてみせた。自分の言うことを理解出来ない愚か者に対し、蔑んでいるような溜め息も漏らす。


「今から『ポミケ』で歴史的な大事業が行われる。しかし残念だが君達は立ち会えない。代わりにこの屋敷を貸すから、ほんの数ヶ月間、存分に寛いでくれ」


 言い終えた瞬間、ルーカスの身体が突然消えた。


「は……!?」


 前触れも無く、音も無く。ルーカスの頭を押さえていた騎士がバランスを崩し、テーブルに手を着いた。彼の手の平の下にあった筈の頭が、今は影も形も無い。腕や足を縛っていた拘束具も役目を失い、床へと転がった。


「消えた……!? まさか『転移符』を使ったのか!」


「し、しかし、そんな気振りは微塵も……!」


 取り押さえていた団員達がどよめき、自分達の見た物が信じられないといった様子で騒ぎ始める。周囲を見回すが、怯えて震えているメイド達以外に人影は無い。

 仲間の言った通り『転移符』とはすぐ思ったが、発動時特有の発煙反応も無かったし、自分達が使えなかったという事実もある。更に注釈するなら、脱出が出来ないと判断したジョエルは、再び転移阻害を起動させていたのだ。


「落ち着け。一応、手分けしてルーカス氏を捜索するぞ。三人一組に分かれて、一組は屋敷内、一組は屋敷周辺を探せ。残りの一組は屋外に出てあの壁の調査だ。何も見つからなくても、一時間に一度は此処に戻って来い」


 ジョエルの指示を受け、アザンとジョエルを除く騎士九人は短い返事をし、慌しくもすぐに行動に移った。

 団員達の様子を横目で確認しながら、アザンとジョエルは思考に耽る。

 逃げる気が無い様に見せかけ、逃亡を図る例など過去に幾らでもある。そして、その逆の例も。屋敷内に潜んでいる可能性は皆無ではないだろう。

 しかし、ソレは薄いように思えた。


「……この私はここで終わりだと言ってたな……相手の言う事を頭っから信じるわワケじゃないけど、ルーカスに逃げるつもりは無かったように見えた」


「……はい。それに、後は残りの私に任せる、とも」


 仮にルーカスの言う事を真実だとするなら、彼は此処から出ておらず他に……恐らくは『ポミケ』に別のルーカスが居る事になる。

 どういう意味だ、本当にルーカスは身体を複数持っているとでもいうのか。

 ジョエルは唸りながら、ルーカスが座っていたソファや叩きつけられていたテーブルに目をやった。細心な目で観察するが、ソファにもテーブルにも床にも不審な点は無く、また魔道具でも無かった。


「ん?」


 ふと、床に落ちている細長い物を見つけた。ジョエルは手袋をはめ、指先にそれを摘んで持ち上げる。質量など何ミリグラムもないような代物、人の毛髪だった。


「髪の毛……ルーカスの、か?」


 彼が居た部屋なのだから、毛髪が落ちていてもなんら不思議ではない。しかし何故か、妙に気になったのだ。


「――――!」


 黙ってそれを見つめていたジョエルだったが、脳内にあった記憶と今の事象が一致する。過去、髪の毛を用いた魔術を行使していた者が居た事を思い出したのだ。音高く舌打ちし、ジョエルは立ち上がった。


「【神威代任者】だ! 神サマ製の尖兵が、『ポミケ』に介入してやがる!」


 ・

 ・

 ・


【ルーカス】

 トップ ―

 アンダー ―

 サイズ ―

 0日物(2時間23分)


(まただ……いや、今度は時間が遡ってる……!?)


 俺の『乳分析』からは、おっぱいを持つ限り逃れることはできない。いつだったかライジルとか云う若作りの魔術士も、その年齢を隠すことは出来なかった。俺の目はいつだって真実のおっぱいを見せてくれるのだ。

 それでも疑わずにはいられない。このスキルを信じるのなら、ルーカスは約二時間に生まれたばかりになる。


「急にすまないね。予定が変わったんだ。なに、すぐに終わる」


 突然現れた俺達のターゲットは、隣から話しかける司会者を無視して懐に手をやる。

 ハンカチでも取り出すような自然さで、彼は掌から零れんばかりの宝石やA4サイズ程度の羊皮紙を取り出した。


「『――――』」


 囁くとも、叫ぶとも異なる抑揚の欠いた声が宝石や羊皮紙に吹き掛けられる。

 変化は一瞬。ルーカスを取り囲むように幾何学的な模様が中空に出現した。円、三角、四角、六角、或いは俺の知らない文字など、様々な図形や言語が絡み合いながら何かしらの術式を幾つも展開していく。


「あれって――召喚獣……!?」


 慄然と呟いたコレットの呟きを後ろにして、俺は飛び出していた。

 見覚えがあった。二週間ほど前、魔石強奪犯の一員だった〈召喚士〉がオーク・ロードを召喚した時と似ている。


 ――けど、あの時よりずっと多い!


「くそ! 頼む! 退いてくれ! 退いて、退けって!」


 一つや二つではない。両手両足の指を足してもなお足りない数の術式が展開されていく。第二騎士団を待つという選択肢も、ルーカスが何者かという疑問も頭の隅へと押しやり、人ごみを割りながら舞台へ走る。


 だが遠すぎたし、遅すぎた。


 ルーカスを中心に竜巻が吹き荒れる。身体が僅かに浮いてしまう程の強風に思わず目を閉じ、たたらを踏む。


「――王国が誇る優秀な薬師諸君。本当にお疲れ様でした。貴殿らの躍進や貢献は、古い歴史として永く語られるだろう」


 風の中で、ルーカスの語りかける声が聞こえる。それは心からの労いと、別離を告げる言葉に他ならなかった。


「新しい歴史の為に君達を皆殺しにするけれど、構わないね?」


 次に目を開けたとき俺が見たのは、夥しい数のモンスターが舞台を席巻している場面だった。

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