異世界ホームレス共

 

 空の財布は人の心を傷付けると説いたのはタルムードだったか。

 読んだ時は「へぇー」としか思わなかったが、今は実感としてきもに刻まれる心地だ。

 金がない。ついでに飯もない、帰る家もない、行くアテもない、頼れる人もない、無いのクインテットである。


「寂しい……ひもじい……」


 肩を落としてトボトボ路地裏を歩く我が身のサマが、落伍者でなくて何か。

 野口英世先生も笑いながら握手を求めてきそうな理由で借金を抱え、オマケに追加の狼藉を働き、しかも仕事を放棄して逃げて来たのが現在のハイヤ・ムネヒト。

 そうです。私が人間のクズです。クズの中のクズです。


 一度は牧場に帰ろうかとも考えたが……。


 ・


『あっれ? ムネヒトさん、生きてたんですかぁ? てっきり牧草の肥料になったかと思ってましたよぉ』


『は? 誰よアンタ。私には、おっぱいギルドで女の子に乱暴するような友人なんて居ないけど?』


『はぁ……あそこまで御膳立てしてあげたというのに、何一つ事態が改善していないじゃないですか。これ程までに無能とは思いませんでしたよ』


『近寄るなゲスが。貴様など騎士でも男でも無い』


『モーゥ! モーゥ!(ムネヒト様は馬糞にも劣るクソ野郎様です!)』


 ・


「……立ち直れねぇ……」


 皆がそんな事を言うとは思えないが、どうにも気が重い。彼女達に見下げ果てた男と思われるのだけは……いや、既に思われてるかもしれない。

 そう考えると、B地区に帰るのが怖かった。


 また『クレセント・アルテミス』の皆にも会わせる顔が無い。

 罠に嵌められた怒りが少しは有る気もするが、俺も結局は皆のおっぱいを楽しんでしまった。記憶こそ曖昧だが、あの場に居た全員のおっぱいを欲望のままに蹂躙してしまった事だけは覚えている。

 俺はおっぱいに負け、自分の欲にも負けたのだ。この世界に来てから何の成長もしていない。

 それに、あの時に言われた「自分達を馬鹿にしている」というディミトラーシャの言葉がどうにも気になっていた。

 もしかしたら俺は、知らず知らずのうちに冒険嬢達の誇りを傷つけていたのではないだろうか。その答えが出るまでは、おっぱいギルドにも戻れない。


 せめてお金だけは用意せねばと思っているのだが金儲けなどホイホイ転がっているワケもなく、独り王都を徘徊していた。神様なのに異世界でホームレスやってますとか、どんな物語になるんだ。


「ん……?」


 冷たい風に紛れて、確かに女性の声が聞えた。加えて複数の男の笑い声も。

 瞬時に『乳分析』を発動させ、声の出所を探る。すると路地裏の方に赤い二つの光と十を超える青の光が見えた。ちょうど女を取り囲むような配置になっている。


「野郎……! 俺の前で女の子に乱暴しようとはいい度胸だ! ストレス発散の足しにしてやる!」


 考えるより早く俺は駆け出していた。仮にそうだとして、到底許せる事態ではない。不埒者には、俺の鉄拳と教えをくれてやらねば。


 間一髪の所で俺はカス共を蹴散らし、そしてリアという女性と出逢った。


 ・


 狼藉者達を縛り上げ、死なない程度に治療し、最期に経験値や体力魔力を根こそぎ奪う。全員、男としても冒険者としてもレベル1からやり直せ。

 後は路地裏に放置して俺達はその場を去った。

 騎士団を呼んだ方が良いんじゃないかと彼女……リアに言ったのだが、騎士団は駄目だと言う。どうやらワケありらしい。

 俺もワケあって騎士団には近付きにくかったので、おあつらえと云えばおあつらえだ。通りすがりの人に金を渡し騎士団への通報をお願いしておく。ちなみに金はリアが出してくれた。

 それから俺はリアから更に金を受け取り、彼女の新しい服を買ってきた。深夜でも開いている店があったのは助かった。


「……」


「……」


 現在、二人で安い宿の一部屋に居る。

 リアは騎士団に世話になる事も拒み、住んでいる家も明かさない。頑なに口を閉ざしていた。

 部屋は狭く、四隅には薄っすら埃も積もっている。傾いたクローゼットに隙間風が入り込んできそうなシャワールームと、薄いベッドがあるだけ。天井から一本だけ吊るされてる魔力灯も切れかけなのか、妙に弱いオレンジ色だった。

 粗末だとは言うまい。今の俺には屋根が有るだけでありがたい。

 それはともかく……。


「……そ、その、ツイてないよな。まさか一部屋しか空いてないなんて……あははは……」


「…………」


「…………」


 初めて会った女性と二人で一部屋なんて、ちょっと勘弁して欲しい。

 まだ二つ三つ会話を交わしただけだし、ましてやこのリアはクソ男共に乱暴されかかっていた。彼女にとって、密室で男と一緒にいるというだけでもかなりのストレスに違いないのに。


「……それじゃあ、俺はコッチの部屋を使うから」


 コッチの部屋というのはシャワールームだ。彼女を一人にして宿を後にするのは論外だが、かといって俺がずっと側に居るというのも不味い。

 何とか妥協案を申し出たつもりだった。


「……待って」


「――っと、なんだ?」


 急に呼び止められて少し驚いたが、会話する程には落ち着いてくれたらしい。


「……私に雇われる気は無い?」


「雇うって、俺を……?」


 彼女は小さく頷いた。なんの前触れも脈絡も無いセリフだったが、リアの現状から思い当たる仕事があった。


「もしかして、護衛とかボディガードとして?」


 雇われると言う事に関して、俺はやぶさかではなかった。正直、お金にも仕事にも困っているし、少しでも金子を稼げるのならソレに越した事はない。

 腕っ節になら多少の自負もあるし、先程のような連中がまた彼女の前に現れないとも限らない。

 しかしリアは、俺の返答に対し小さく首を振った。


「それは仕事の一部……具体的には、私のを手伝って欲しいの」


「事業を……?」


 もう一度リアと名乗った女性を見る。金細工のような髪をした、かなりの美人だ。歳は俺とそう変わらない。俺が見繕ってきた衣服は質素だが、彼女には滲み出るような上品さがあった。

 彼女の振る舞いや、深夜に一人で路地裏を歩いていた無用心な点から見るに、何処ぞの箱入り娘かもしれない。

 こういう女性を本当に一人で使いにやったとするなら、俺は彼女の雇い主にも説教しなければならないだろう。

 でも、きっとそうではない。気になるのは彼女の目だ。

 乱暴されかかり泣き叫んだこともあろうが、それだけでは説明出来ないほど下の瞼が腫れていた。何時間も泣き続けたように赤くなっていた。つまり、あのような事態に陥る前から何かしらの事情を抱えている。


 そして瞳。翡翠色の瞳が前髪の陰から此方を見たとき、背に形容しがたい感覚が走った。一番近いのは、恐らく戦慄だ。


「――復讐を、手伝って」


 ・


 泣いて泣いて泣き疲れて――アメリアはカラカラに乾いてしまった。枯れた心は、いとも容易く火がつくらしい。経験したことの無いような、ヒリヒリとした熱が彼女の腹の底に宿っていた。


 怒りと憎悪を糧に燃える、復讐への誓訳だ。


 自分が【ジェラフテイル商会】の利益を損なったのは事実であり、従業員達に疎まれるも当然だ。代表の座を下ろされるなら甘んじて受けようと思っている。

 だとしても、あの男――ルーカスは赦さない。彼には彼の言い分があるのだろうが、知ったことではない。

 ルーカスのした事を白日の下に晒し、正当な報いを受けさせるつもりだった。怨恨による報いは、審判ではなく復讐だという事をアメリアも知らないでは無いが、理性と感情の境界線は既に焼け焦げてしまった。

 大恩ある養父を害した彼を断罪しない限り、アメリアの心に平静は戻って来そうにない。


「復讐……?」


「……ええ」


 そして偶然、断罪に足る強靭な刃がアメリアの前に現れた。ムネヒトと名乗った、黒髪の青年だ。

 用心深いルーカスの事だ。ベルバリオを含め屋敷の者は皆殺しにして、証拠なども排除したのだろう。マトモな方法で彼を追い詰める事は困難だ。

 今頃は被害者となって【ジェラフテイル商会】に急を告げている頃だ。ベルバリオが殺された事やアメリアが生死不明で行方知らずに陥った事などを、涙など流しながら皆に訴えているかもしれない。


 ――悔しい。


 本当は今すぐに【ジェラフテイル商会】に戻り、何もかもをぶち撒けてやりたかった。

 しかし今のアメリアには何も無い。戻ったところで、何が出来るとも思えなかった。皆の前でルーカスを下手人として指差しても、狂人呼ばわりされるのが目に見えている。

 ルーカスに「養父を目の前で殺され気が変になってしまった」と言われてしまえば水掛け論だ。憐憫は集まるだろうが、それだけだ。

 ジェシナと再会出来れば最善だが、それも望み薄だろう。


「勿論、タダとは言わない。報酬は望むだけ用意するわ」


 だから武器が欲しかった。あらゆる理不尽を破壊しつくす、強力無比な武器が。


「――……」


 彼は黙ったままアメリアをじっと見つめてくる。

 復讐と聞いて、また望むだけの報酬と聞いて直ぐに頷かない彼を、アメリアはむしろ当然だと思う。

 此処で直ぐに了承するような人物が、マトモであろう筈は無い。黒髪の青年は一般的な常識の持ち主という事になる。

 自分を助けてくれた青年を利用するコトに対し罪悪感が沸いてくるが、それさえも強いて無視した。復讐が成った暁には彼が罪に問われないように全力で便宜を図るつもりだ。


 だが、もし失敗した時は――この青年は、自分と運命を共にしてしまうだろう。


「……本来は手付金や前金を用意すべきなのだろうけど、持ち合わせが無いの。だから――」


 それでも、何もかもを利用して復讐を為す。善意も罪悪感も金も――欲望も。


「だから、前金として、私を……この身体を好きにして。何もかも、貴方にあげる」


 ベッドから立ち上がり、アメリアは服のボタンをはずしていく。簡素なワンピースタイプの服は、それだけで足下に落ちた。薄明かりに、下着姿の自己が照らされる。

 死出の旅へ向かう路銀として、自分を彼に与える。先の男達の反応から見るに自分は異性として価値のある肉体をしているのだろう。ならば、この美貌は利用できる。

 アメリアは怖れにより震える指に力を込め、下着にも手をかけた。しかしそれより早く、ムネヒトは彼女に歩み寄りアメリアの腕を掴んでいた。


「本当に、好きにして良いんだな?」


「……っ」


 覚悟を問うような声色に、アメリアの心に一瞬だけ理性の光が戻る。しかし、それも一瞬。


「……二言は無いわ」


 恐怖も嫌悪も羞恥も、ベルバリオの仇討ちの為なら取るに足らない。何を捨てたって良い。

 自分の覚悟をぶつけるように、ムネヒトの瞳を自分の瞳で射抜いた。数秒にも満たない間、黒と翡翠は衝突していたが、それも終わる。

 ムネヒトが厳しい目つきのまま、口を開いたのだ。


「……良いだろう。じゃあ早速、俺の言うとおりにして貰おうか」


 彼の言葉が、純潔を奪う宣誓文のように聞えた。アメリアは目を瞑り、頷いた。


(ごめんなさい、お母様、お父様……)


 復讐のために進んで汚れる自分をどうかお許しくださいと、アメリアは心の中で懺悔した。流しつくした筈の涙が一筋、頬を伝う。消え行く道徳と処女が流した最期の涙なのだろうと、アメリアは痛感した。


 そしてアメリアは、ムネヒトの言うとおり身体で前金を支払うコトになった。


「コックとメイドさん。どっちが良い?」


「……………………はい?」


 そんなプレイがあるのだろうか?

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