最高の恩返し

 

「ではアメリア様、行って参ります。明後日にはカタを付けて戻りますので、それまで滅多な行動はどうかご自重ください」


 秘書のジェシナは主人であるアメリアにそう挨拶する。あとはもう目的地へ発つだけなのだが、頭を上げた後でも彼女の隣を離れようとしない。

 アメリアにだけ分かる程度に、ジェシナは顔中に不安と不満を浮かべていた。

 というのも、急な案件が商会に飛び込んできたのだ。王都から離れた場所に居を構える商人からの話であるため、移動も考えると最低二日は掛かってしまう。

 古くから取引のある商人で、こちらもそれに相応しい人物で出向かなければならない。

 だが折り悪く、今は『ポミケ』の直前で誰も彼も多忙の身だ。しかも新評価部門を立ち上げるというので手隙の者は少ない。

 故にアメリアの秘書であるジェシナが、主人の名代として出向く事になったのだ。


「無理に急がなくてもいいわよ? せっかく小煩い主人から離れられるのだから、のんびり羽根でも伸ばしてくれば良いじゃない」


「羽根を伸ばすのでしたらアメリア様も一緒でないとなりません」


 冗談交じりに言ったのに真面目に返されてしまった。彼女のワーカー・ホリックにも困ったものだと、アメリアはフードの下で苦笑いを浮かべる。


「良いですかアメリア様? 何度も申し上げたように、知らない人に付いて行ってはなりません。美味しい食事があるからといって簡単に首を縦に振ってはなりません。一人で夜道を歩いてはなりません。出歩くなら商会の従業員と一緒に、せめて人通りの多い大通りをご利用ください。万が一の場合、逃げるときに『転移符』をケチってはいけません。そう言えば通信機の動力用魔石は確認なさいましたか? あと――」


「過保護過ぎるわよジェシナ。子ども扱いしないで頂戴」


 忠告を遮り、主人は口を尖らせた。

 出会ってから五年程になるが、ジェシナは昔からこうだった。今から五年前に出会い、元は凄腕の冒険者だったという事もあり、アメリアの秘書兼護衛に就いたのだ。

 就いたのだが、いつの頃からか妙に過保護になっていた。時には業務とは全く関係のない事にまで口を挟んでくる。

 ルーカスとの婚約を最後まで反対していたのも彼女だ。最も、今でも納得していないらしいが。


 何かにつけて姉風? とでもいうのだろうか、ともかく姉風を吹かせている秘書だった。アメリアに兄弟はいないが、真面目で口煩い姉を相手にしている気分になった。

 確かに年齢はジェシナが四つか五つは上だろう。しかし、アメリアの方がこの【ジェラフテイル商会】では古参なのだ。ならば立場的には自分こそが姉という方がしっくり来るような気がする。


「ジェシナ、試しにお姉様って呼んでくれないかしら?」


「――っ、いきなり何を仰っているのですか」


 秘書の眉間に皺が寄る。そんなにイヤかと、アメリアは内心で肩をすくめた。


「ともかく、私なら平気よ。今日中にはベルバリオ様も帰ってくるというし、それにルーカスだって居るのだもの」


「――カス様ですか」


を付けなさい。ほら、何時までもお喋りしていないで。早く戻ってくるつもりなら、早く出発しないとダメじゃないかしら?」


「……御意に。アメリア様、どうかくれぐれもご用心を」


 ジェシナは不平に口を閉ざし、もう一度小さく会釈して館から出ていった。


 ・


「――さて」


 仕事に戻るとしよう。新評価……美味しいポーション部門を立ち上げたのは、他ならぬ自分だ。やる事は山積みなのだから、テキパキと動かなければと彼女は頭を切り替える。


「ジェシナはもう発ったのかい?」


 そんな彼女の元に、一人の男性が歩み寄る。いつから居たのか、それはルーカスだった。アメリアは無意識のうちにフードを深く被りなおし、彼に向き直った。


「ええ、たった今。彼女の過保護っぷりにも困ったものね」


「確かに、少々行き過ぎてはいるね。アメリアに恩があるのは分かるけど、彼女も【ジェラフテイル商会】の職員だ。もっと、全体の利益に繋がるように動いて貰いたいのだけど……いつまでも君の隣に居るとも限らないしね」


 ジェシナが自分の隣から消える事は考えられなかったが、確かに正論だ。昨今、薬師やポーションの需要は高まる一方であり、それに比例し商会間での競争は激化するだろう。

 生き残るために、この【ジェラフテイル商会】も更に成長しなければならない。

 今でこそ王国一と持て囃されているが、遥か将来に渡って栄華を約束されている筈は無い。人材の育成と確保は、商いを営む者の永遠の課題だろう。

 ジェシナのように有能な人物を、何時までも自分の隣に縛り付けておくのは申し訳ないと思うのもアメリアとしては自然だった。

 今回ジェシナを一人で取引先に行かせたのも、そういう感情が無意識に働いた結果と言える。


「――そうだアメリア。例の『美味しいポーション部門』の件なら話を付けてきたよ」


「随分早かったわね? 急な申し出だったのだから、もう少し時間が掛かると思っていたのだけれど」


 いくら主催側の意見とはいえ、今から新しい評価部門を設けるとなれば良い顔はされまい。難色を示され、まず断れるものと思っていた。アメリアは、そこからどう交渉するかをルーカスと相談しようと思っていた。


「どういう訳か、急に『ポミケ』へ支援する団体が増えてね。君の云う『美味しい――』に是非とも出資させて欲しいと、むしろ向こうから言ってきたんだ」


「……向こうから?」


「ああ。そして彼ら一声で、あれよあれよという間に決まってしまった。些か拍子抜けさ」


 彼らと言う事は、急な出資元は複数と言う事だろうか。


「……渡りに船過ぎて少し怪しいわね。それで、その怪しい方々ってのは何者なのかしら?」


「君もきっと驚く。大物だよ」


 アメリアの当然の疑問に、ルーカスは意味有り気に口の端を持ち上げてみせた。


「カタスティマ商会、フェンザーラント侯爵家の【獣宝侯】、そしてクノリ公爵家さ」


 思わぬビッグネームに、アメリアは確かに驚愕した。いずれもアメリア個人としても【ジェラフテイル商会】としても無視できない相手だ。


【カタスティマ商会】とは【ジェラフテイル商会】と並ぶ王国最大級の商会だ。

 此方が薬師や治癒薬などへ力を注いでいるに対し、かの商会は冒険者達用の装備などを広く取り扱っている。

 数年前に当時の代表が暴漢共に殺害されたと聞いていたが、今ではその息子であるアザン・カタスティマが後継を勤めており、最近、ある商会の商圏をそのまま引き継いで規模を更に拡大したという。

 今までも『ポミケ』に出資はしていたが小規模なものだったはず。今回はどういうつもりだろうか。


 フェンザーラント侯爵家の【獣宝侯】、アドルフ・ジャン・ピエール・デュ・フェンザーラントもまた、業界の重鎮だ。

 彼は更に分からない。【獣宝侯】冒険者の支援や彼らが収集してくる素材をなほど好んでおり、『ポミケ』には食指を動かしていなかったはずだ。


 クノリ公爵家に至っては全く脈絡が無い。

 王国最大級の貴族である彼らのは確かに建国の礎を築いたとされているし、特にクノリの始祖は医学や薬学を興したと呼ばれる伝説の人物だ。

 その雷名ゆえに『ポミケ』や薬師達への影響を考慮して参加を自粛していたらしいが、いったい何事だ。


「兎も角、肩の荷が下りたよ。その『美味しい――』なんとやらは彼らに任せても問題ないだろう。僕らは今まで通りに業務を行うだけさ」


「……彼ら、自分達も審査員に加えるように言ってなかった?」


「よく分かったね。確かに、審査員に自分達の関係者を加える事が条件の一つだった」


 もしかしたらと、アメリアは思考を巡らせた。彼らも自分が追っている人物を探しているのではないか。

 在り得ない話ではない。むしろ『最上級治癒薬グレート・ポーション』を精製できる若い薬師が、今まで無名だった言う事の方がおかしい。

 アメリアの前を流星のように通り過ぎた存在を、彼らが知っている確率は低くない。


 ポーション作りにおいて、優先順位が低いはずの『美味しさ』がきっと唯一の手掛かりなのだろう。図らずもアメリアは、彼らと同じ探索方法に至ったらしい。

 だから王国の重鎮達は正体を突き止めるため『ポミケ』へ乗り込んで来たのだ。こじ付けだらけの予想だが、アメリアには辿り着いた結論が真実に思えてならない。


(渡さないわ……! 彼は私の、運命のお方なのだから……!)


 王国中の薬師が一同に集結する『ポミケ』において、たった一人の人物を探し当てるなど困難を極める。増してや『美味しさ』なんて曖昧な判断基準では。

 ポーションの味を知っているアメリアにはアドバンテージがあるが、それが自分だけの物と考えるのは危険だ。

 ならば少しでも有力な手掛かりが欲しい。それこそ件の薬師を表彰台などに昇らせず、参加の段階で先んじて独占契約を結んでしまう程の迅速さが望ましい。


 味覚以外に持ちうる手掛かりといえば、薬師の人相だろう。

 実際に面接した担当者と、走り去る姿を見かけたというベルバリオ。前者はともかく、後者のベルバリオには期待を寄せていた。

 一代でこの商会の礎を築き上げたベルバリオは、特に人の名前と顔を覚える事を得意としていた。ほんの数秒見ただけでも抜群の記憶力を誇り、商談の際には非常に有効だったという。

 名前を覚え、それを親しみを込めて呼ぶことこそが成功の秘訣だとも彼は言っていた。


 ベルバリオなら、きっとその薬師の顔を詳細に記憶しているに違いない。彼が多忙のなのはアメリアも承知しているが、何としても『ポミケ』まで引っ張っていって共に薬師を探さねば。

 その為ならサプライズがどうこう言っている場合ではない。ベルバリオに一切を説明し力添えを請わねばならないだろう。


「ああそうだ、アメリア。僕はこれからベルバリオさんと打ち合わせを行うから、君はこの商会に残っていてくれ」


「え……?」


 だがアメリアのそんな思惑に、ルーカスは横槍を入れてきた。


「す、少しだけでもベルバリオ様にお時間を戴いても良いか訊いて貰えないかしら? いえ、今からでも私自身が赴いてベルバリオ様とお話したいのだけれど……」


「駄目だ。僕だってベルバリオさんの貴重な時間を割いて貰っているんだから、君まで押しかけてしまえば迷惑だろう? いくら養父と娘の関係とはいえ、公と私のケジメはしっかりつけなきゃ」


 正論だった。本来、アポのない客と会えるほどベルバリオもルーカスも暇な身分ではない。


「それに君の言いたい事は大体予想できている。ベルバリオ様を『ポミケ』に引っ張り出そうというんだろう?」


 それも図星だった。


「何を考えているかは知らないけど、あまり我儘を言っては駄目だ。いつまでもベルバリオさんに頼ってりばかりじゃ【ジェラフテイル商会】の今後が危ぶまれる」


「――……」


「……すまない、厳しい言い方をしてしまったね。でも僕は、この商会を心から案じているんだ。それだけはどうか分かって欲しい」


 そう言われると、反論の言葉を持てないアメリアだった。正当性はルーカスにこそあるだろう。

 しかしだ。本当に『最上級治癒薬』を精製できる薬師が居るのなら、正論を曲げてでもベルバリオに交渉する価値がある。薬師と縁を結べれば、ルーカスが心血を注いでいる【ジェラフテイル商会】の利益にも繋がるはずだ。

 いっそ自分の身体の事を明かして、そのルーカスに協力を仰ぐのはどうだろうかとも考える。


(いえ、ココまで来たら意地よ。ルーカスの鼻を明かしてやるんだから……!)


 だがどうしても、アメリアはそんな気になれなかった。再三に渡って『最上級治癒薬』なんて止めておけと忠告してきた婚約者に、彼女は多少なり反感を持っていた。

 だから健康な身体になった姿を、どうだ! とルーカスに見せつけてやりたかったのだ。

 その時にはジェシナにも手伝って貰って、結婚式でうろたえる彼を参加者全員で笑い者にしてやろう。きっと笑顔の絶えない結婚式になるに違いない。

 そうして拗ねた彼と腕を組んでヴァージン・ロードを歩くのだ。ヘソを曲げていたルーカスも徐々に機嫌を直し、困ったような笑顔を浮かべるだろう。


 そしてベルバリオを、お父様と呼んでみたい。


 拾ってくれた薄汚い女が幸せになるところを、彼と天国に居るに見せてあげたかった。それが自分に出来る最高の恩返しだと、アメリアはずっと信じていた。

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