借金返済大作戦⑤


 その【ジェラフテイル商会】の扉は横の大通り【トラバース通り】に面しており、成人男性が三人で手を繋いでも、また肩車しても余裕で通れる程の幅と高さがあった。

 開け放たれたままのドアに近付くと、両脇に控えていた屈強な疑わしげな顔をして近寄って来た。

 恐る恐るクローディヌから貰った紹介状を見せると、二人の警備員らしい男は見事な敬礼を寄越して道を空けた。おみ足のサマサマだ。

 ちなみにハナは、裏にある馬車用の馬小屋へ置かして貰っている。ちらと見たが、一流商会は抱えている馬や馬小屋まで立派だ。


 一階のロビーもまた品位と風格に満ちていた。整然と並べられた椅子やテーブルを退かせば、そのままダンスホールに使えそうなほど広い。場にいる人々の服装から、ダンスホールというよりは巨大な銀行にも思える。

 場違い感があり、なんとなく肩身が狭かった。列を為している他の客を横目に、紹介状を持つ俺だけ別室へ案内されてしまったというのも、後ろめたくなる要因だ。


「お待たせしました。本日は【ジェラフテイル商会】に足を運びくださって、ごほ、ごほっ、誠に有り難う御座います……いや、失礼。少々風邪をこじらせてまして……」


 程なく俺が案内された一室へ若い男が入ってきた。如何にもビジネスマンといった風に、折り目の綺麗なスーツと完璧な営業スマイルを着込んでいる。


「聞けば、なんと貴方は『ポミケ』で販売予定のポーションのレシピを、ごほっ、当商会へご提供していただけるというお話ですが、それは本当ですか?」


 俺は頷いた。


「なるほど、『ポミケ』の開催前だというのに商会へ直接足を運んで頂けるとは、余程ご自分のポーションに自信があるとお見受けします。大胆不敵なお考え、御見それしました」


 そんな大した物じゃないので、恥かしさとプレッシャーで胃が痛くなってきそうだ。

 この従業員の言うとおり、俺のやり方はかなり特殊だろう。『ポミケ』で実績を上げ、商会にスカウトされてから売買や契約や結ぶのが一般的だから、俺は全くの逆だ。

 言うなれば、ドラフト会議を介することなく単身でプロ球団に赴き『俺と年俸○○億円で契約しろ』と直接交渉するようなものだ。身の程知らずも此処まで来れば良い愛嬌と言えよう。


 とはいえ、他に手が無い。

 何とか色よい返事を貰って『ポミケ』への弾みとしたい。目指すは、個人参加サークルではなく企業ブースの一員。レシピを考案した俺と【ジェラフテイル商会】でフランチャイズ契約を結び、ミルクポーションを『ポミケ』で大々的に販売したい。

 そうすれば売上の何割かは考案した俺の懐へ入る事になるだろうし、レシピの依託とも成れば著作権的な売上も発生する。


「ごほっごほっ……ではまずは、『ポミケ』の参加証を見せていただけますか?」


「え? あ、ああ。はい」


 名前を訊かれるでもなくそう言われ、俺はレスティアから貰った銅のドッグタグを彼の前に差し出した。


「ん、ブロンズ……?」


 ふと彼は俺のタグに目を落とすと怪訝な目をした。完璧だった営業スマイルに刃こぼれが生じたまま、タグを手に取り、裏と表をつぶさに確認する。


「もしかして、『ポミケ』は今回が初参加ですか?」


「え、ええ……今回が初めてです」


「……ああ! それでは貴方は、今までアカデミー大学院でポーションの研究をしていたとか、高名な薬師の元で修行を積んできたとか、そういう経歴をお持ちなのですね! なるほどなるほど、そういう事でしたら、初参加というお話も分かります! ブロンズランクも仕方無いでしょう!」


「い、いえ……俺……私は別に、そういった経歴は……ポーションは作り始めてまだ数ヶ月でして……」


 今度は完全にスマイルが消えた。唇の両端を持ち上げたまま、目だけが無表情になる。


「本当に? 『ポミケ』に出たこと無くて、アカデミー大学院を卒業したとかでもなくて?」


「…………はい」


「はぁ~~……」


 露骨に落胆の溜め息をつくと、持っていたドッグタグを放り捨てるように俺の前に転がしてきた。

 あまりに失礼な返し方にむっとするが、彼の表情はあからさまな点で俺より勝っていた。不平ありありと、半目で睨んでくる。


「居るんだよねー時々、君みたいなのがさぁ……」


「と……言うと?」


「アカデミーも出ていない。薬師へ師事もしていない実務経験も無い。多少ポーション製作の知識をかじった程度で、『ポミケ』に出ようなんていう身の程知らずの輩がさ」


「……たしか、特別な参加条件は無いはずだ」


「確かにね。でも、まず君程度の実力で出ようという輩はいないよ? とてもじゃないが恥かしくてね。あーぁ……せっかくの紹介状持ちだというから期待したのに、とんだハズレだよ」


 流石にカチンと来る言い方だった。

 とはいえ、彼の言い分には一理ある。所詮俺は独学程度の知識と経験しかなく、先のドラフト会議を例に出すなら俺は甲子園はおろか公式戦にも出ていない野球少年だ。実績など全く無い。


(けど、ここで諦めちゃ駄目だ)


 深呼吸し、ソファーで踏ん反り返ってる職員の顔を脳内で踏んづけつつ、懐から『松』『竹』『梅』の三本のポーションを出した。


「実は試作のポーションを持って来まして……」


「ふん、アピール用の試薬を持ってきていたのか。能力に見合わないが、中々殊勝な心がけじゃないか」


「(イラッ)ま、取りあえずどうぞ。実は新しいアプローチからポーションを作ってみたんです。良ければ味見してみて下さい」


 言うなればデトックス・ミルクポーション。しかも傷を治すポーションとしての効能も持ち、解毒もして、体力も魔力も回復させようというポーションだ。そして何より、美味しい。

 忍者が解毒のために炭を持ち歩いていたという話から、俺もそれに倣ってみた。体内にある毒を吸着させ、強制的に体外へ排出する。

 そんな事を掻い摘んで説明したが、職員の感銘は呼び起こせなかったらしい。再びクソデカいため息をつかれた。


「素人が考えそうなことだ。いいかい? これだけのポーションで、体から毒のみを完全排除するというのは不可能だよ。解毒ポーションを飲むのは、体内に侵入した毒を取り除くというより中和して無毒化するためさ」


「……」


「体内に入った毒は消化され、吸収され、最初の成分から変わるものもある。君は砂漠に混ざった砂金を、スコップをたった一回使うだけで完全に回収出来るというのかい?」


「……」


「それに、一度毒に冒された細胞は本来の機能を十全に果たせなくなる。どんな異常を引き起こすのかも、毒の種類によってマチマチさ。それぞれの症状に対応する解毒ポーションが必要になる。『上級』や『最上級』のといった解毒ポーションが優れているのは、精緻を極めたバランスによってあらゆる毒に効果があるからさ」


「……」


「しかもねぇ? 身体に良い薬草なんかを全部混ぜて最高のポーションが出来るのなら、薬師なんて職業は要らないんだよ。ごほっ、こんな事なら、休んで置けばよかった。頭痛が酷くなりそうだよ」


「……」


 正論でボコボコにされてしまった。

 そこまで言って喉でも渇いたのか、彼は俺の持ってきたポーションのうち『梅』の瓶を開封した。疑わしさをもう隠そうとしなかったが、一応味見はしてくれるらしい。


「一応訊いておくけどさ、このポーションはどの位の期間で作ったんだ?」


「……元になったポーションは三日くらいで……」


「三日!? 三日だって!? ――はっ、ノロすぎるよ。ウチが抱えている薬師達は上級ポーションを一日で何本も精製できるんだ。その弟子達ですら、三日も有れば下級ポーション程度なら軽く百本は作れるだろうね」


「……」


 職員はポーションをそっと口に含んで、それから一気に呷った。ポーションの味さえも通じなければ、もはや俺に勝機は無い。

 祈るような気持ちで職員を見ていると、その表情がやや和らいでいる。


「……ほう、味だけは良いじゃないか味だけは。肝心なのは効き目だが、あいにく自分は毒を患っているわけじゃないから、確かめようが……――はぅっ!?」


 彼の言葉を遮ったのはなんだったのか。急に見下すような表情が、真っ青な物に急変した。ぶわわっと脂汗が顔面中に浮き上がり、小刻みに震え始める。

 いぶかしんでいると、何か妙な音が聞こえてくる。氷と氷を擦り合わせるような、あるいは遠来の轟くような音だ。

 発生源は直ぐに判明する。彼のお腹からだ。

 なんとなく見覚えのある顔だ。それも他人ではなく自分のした表情……先日、ルミナス種を食べた時に――――あっ。


「んククふふふふぅぅぅん!? と、トイレぇぇ……くはぅッ!」


 見事な内股のまま、ヨタヨタ千鳥足で彼は部屋を出て行く。俺は部屋に一人取り残されていたが、職員を見捨てて帰るのもよろしくないので、椅子に座ったまま待っていた。


「俺、またやっちゃいました……?」


 たまには良い意味でこの台詞を使ってみたい。

 やがて30分ほど経っただろうか、げっそりした先程の職員がずり落ちかけるズボンを片手で抑えながら鬼の形相で入ってきた。


「まだ居たのか貴様ァ! 帰れ! 今すぐ帰れッッ! 私の目の前から消え失せないと、騎士団へと通報するぞォ!?」


 アカン不祥事待ったなし! それは勘弁! 俺こそがその騎士団ゆえに!


「し、失礼しました!!」


 俺は全身をバネにして部屋を飛び出し、外に向かってダッシュした。

 途中、体格の良いご老人がすれ違い様に声を掛けてきたような気もしたが、相手にする余裕も無礼を詫びる猶予も無かった。

 怪訝な様子で俺を眺める他の客を尻目に、俺は大きなドアをくぐってハナの待っている馬車小屋まで走った。


 モーゥ! モーゥ?


 心配そうに歩み寄ってきたハナの頭を撫でながら息を整える。


「……ごめん、駄目だったよハナ……」


 結果だけを伝え、繋いでいた縄を解く。


 モーゥ! も、モモモモーゥ!? モーッ!!


「そう言うなハナ、向こうだって仕事だ。慈善事業じゃない」


 俺の代わりに酷く憤慨してくれるハナを見て、逆に冷静になってきた。

 そう、慈善事業ではなく彼らにも生活が掛かっているのだ。商売である以上は利益を出さないとならない。リターンを見込め無い者へ投資するほど、甘くは無いだろう。


 とっておきの秘策も裏目に出てしまった。

『ルミナス草』の種を食べた皆から搾った牛乳を飲んでも、俺もメリーベルも平気だった。だが、彼があんな急激に腹を下したのは何故か?

 理由は、俺がぶっつけ本番で施したスキルのせいだろう。

 俺のスキルは全てがおっぱいに通じるものだ。つまりおっぱいを持つ者……哺乳類にしか効果を発揮しない。


 だがある時ふと思った。搾ったミルクに対してはどうだろうか、と。


 例えば『奪司分乳』で貯蓄していた体力や魔力、経験値などをミルクに含ませる事は出来ないかという考えに至ったのだ。

 結論から言えば出来た。

 試したのは今回のポーションが初めてだったので、どの程度の出来だったかは分からない。ただ、注ぎ込んだ体力、魔力、経験値などを併せたエネルギーの総量順に『松』『竹』『梅』と銘打って【ジェラフテイル商会】持ち込んだのだ。

 もしかしたら、従来のポーションに無いような効果を発揮するんじゃないかと期待したのだが、駄目だったらしい。

 一番少ない『梅』のポーションでああだったのだから、『松』『竹』がどれほどの副作用を起こすのか考えるだけで恐ろしい。


「やべぇ……置いてきちゃった……」


 取りに戻ろうかとも思ったが、今度こそ通報されては困るし、危険なポーションだと分かってるからもう捨ててしまったかもしれない。


「夢見ちゃったかなぁ……でも、あそこまで言わなくても良いじゃないか……」


 転がっていた小さい石をポカっと蹴飛ばす。怒りに膨らんでいた腹が萎むと、残ったのは何とも言えない淋しい感情だけだ。

 何十社も面接しその全てで不合格を喰らった就職活動時代を思い出し、なんとなく泣きたいような気さえする。

 手にある銅のドッグ・タグも寂しげに見えた。レスティアとクローディヌのせっかくの好意も、無駄に終わってしまった。

 万策つきた。一発逆転の手段はもう無い。


「帰ろう、ハナ……やっぱり真面目に働くしか無いかな……」


 ポーション界の風雲児に、俺はなれなかったよ……。

 俺とハナはしょんぼり肩を落としながら、牧場への帰路に就いた。


 ・


「君、紹介状を持った薬師が来たと聞いたのだが、今のがそうじゃないのかね?」


「あ、ベルバリオ会長! それが聞いて下さいよ! とんでも無いヤツでしたよ! ポーションじゃなくて、毒を飲まされたんですよ毒!」


 ちょうど商館へ戻ってきたベルバリオ・ジェラフテイルは、紹介状を持って来訪した薬師の存在を偶然耳にした。

『ポミケ』まで一週間に差し迫った時期でありながら、やって来た存在に興味が湧いて、どんな人物か見てみようと思っていたのが、面談はもう終わってしまったらしい。今しがた逃げるように走り去った金髪の青年がそれだったのだろう。

 応接室に残ったのは酷く憤慨した自商会の職員と、逃げ去った人物が置いていったらしい三本のポーションだけだ。うち一本は職員が飲んだと見える。


「しかし、毒とは穏やかじゃないな……。念のため検査を受けてきたまえ。ところで、名前は訊いたか?」


「まさか! 訊く価値もありませんでしたよあんなド素人! そのポーションも捨てておきますね!」


「……どんな人物であっても、一目でその真価を見極めるのは難しいといつも言っているだろう? 仮に本当に毒を持ってきたとするなら、騎士団へ通報する際に報告しなければならないだろうに……」


 憤慨する部下をやれやれと思いつつ、ベルバリオは残った二つのポーションを回収した。


「これは私が預かっておく。場合によっては何らかの証拠に――……ん? 君、風邪じゃなかったかね? 咳が止まっているようだが……」


「風邪どころじゃなかったですもん! 危うく死に掛けましたよ!? クッソあの野郎、次あったら覚えてろよ……!」


 未だ怒りの収まらない部下を宥めつつ、ベルバリオは手にした二つのポーションをもう一度見た。見たことの無い文字が書かれていて、広い知識を持つ彼にも何と読むのか分からなかった。

 レシピを暗号で書き上げる薬師も多く存在するからそれだとは思うが、ハッキリしたことは分からない。もしかしたら文字ですら無いのかもしれない。

 ベルバリオは未知に対する興味を引かれたが違う事を思い出し、その好奇心を忘れてしまった。


 あの日以来、未だ執務室から出てこない義理の娘の存在が頭をよぎったのだ。


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