思惑

 

「ダメ、ダメよ……ムネっち……ミルシェが、ベルんが……王都民が全員で見てるから……生クリームはそういう使い方はしちゃダメなの……デコレーションするにしても、そのプリンはダメなの…………あぁっ!? 私のドングリが、ホイップまみれにぃ……――ふガ?」


 揺れの少ない高級馬車の中で、リリミカ・フォン・クノリはようやく目を覚ました。しかし未だ事態が把握出来ていないようで、彼女はキョロキョロしている。


「……あれ? 『チキチキ! 第一回クラジウ・ポワアトリア乳比べ大会 ~ポロリしかないよ~』は?」


「なんですかそれ」


 妹の半寝言に返答したのはレスティアだ。リリミカとは反対側に座り、やや呆れた様子で彼女を見ていた。レスティアは腕を組んだまま溜め息をつく。


「お姉ちゃん……? 予選敗退したんじゃ?」


「せめて決勝まで残らせなさい。そうじゃなくて、いい加減目を覚ましなさい。そろそろ本邸に着きますよ」


 そこでようやく、リリミカは自分の居場所が色街の裏ギルドではなく、馬車の中であることに気付いたらしい。


「B地区じゃなくて本邸!? いや、それよりもムネっちは!? 一緒じゃないの!?」


「……結論から言うと、私達は追い出されました。しかも、今後は出入り禁止だそうよ」


 レスティアの言葉に、リリミカは姉と同じ色の瞳を大きく見開き椅子から跳ね起きた。


「追い出されたって……! お姉ちゃん、黙って言われるがままに出てきたの!?」


「落ち着けクノリ、状況が変わったんだとさ。まったく、もう少しでイイコト出来そうだったのに……」


 息巻くリリミカの隣からノーラが口を挟んだ。いつものように気だるげな目をしてパイプ煙草を咥えているが、何処と無く不機嫌そうだった。というかイイコトってなんだ。


「騎士団が……いえ、正確にはジョエルさんがムネくんを取り戻そうと動いているらしいわ」


 姉の口から出てきた意外な人物の名前に、リリミカはむしろ冷静になって口を噤んだ。


「……取り戻すって、なんか大袈裟な言い方ね。エッチなお店でボッたくられた団員を助ける、良い先輩なんじゃないの?」


 リリミカは言うが、彼女自身もそれだけじゃないと察している。単にムネヒトが色遊びで失敗し借金を抱えたというだけなら、四日も牧場を空けるわけが無い。


「勿論、そういう意図でムネくんを助けるというのが表向きでしょうね。ディミトラーシャが言うには、初日のうちに彼の身を引き取りたいという打診があったそうよ」


 第二騎士団の評判を落とさないため早急に手を打ったとも考えられるが、レスティアの考えは別だ。

 もしジョエル……騎士団がムネヒトの為に金貨81枚という大金を支払ったとして、それで全て元通りになるだろうか。

 残念だが、否だ。

 解放されたムネヒトに、ジョエルは『金を返せ』などとは言わないだろう。そうするとムネヒトは、彼に対して借りを作る事になる。


 つまり恩を買う。困った金だ。


 ならば何故、ジョエルはムネヒトに対してそこまで執着するか? それは、自分や妹のリリミカに対しても言えることだろう。理由は違えど、本質は同じだ。


 悪い言い方をするなら、彼を味方陣営に引き入れたいのだろう。


 レスティアはジョエルの事を王国の忠臣だと思っている。バンズやガノンパノラと考え方は違うが、彼は例え汚れ役を買ったとしても、ポワトリア王国の発展の為に尽力できる男だ。

 そうでなれければ、王宮騎士団になど成れるはずも無い。彼が王宮騎士団の一員であるという事実を知る者は、第二騎士団においては団長と副官である自分だけだろうが。


 ジョエルがいつムネヒトの戦力を知ったのか、思い当たる節が無いでもなかった。ムネヒトに渡したステータス隠蔽用の指輪だって完璧ではないし、直ぐに新しい物を渡しはしたが彼は一度その指輪を狩猟祭の折に壊してもいた。


 ジョエルをして、無視できないほどの価値や脅威をムネヒトに感じたのは疑いようも無い。敵対するより、味方にしてしまう方が良いだろうと判断したのも当然といえる。


「けど、そうはならなかった。『クレセント・アルテミス』がその取引を断ったから、未だにムネくんはあそこに居るわ」


 ムネヒトに多額の借金を背負わせたが、彼女達の目的は最初から一貫している。

 ハイヤ・ムネヒトを自分達のモノにしたいという底意は、いまさら推察するまでも無い。

 現役を退いた今でも、ディミトラーシャの名は王都で半ば伝説となっている。当然のように、レスティアやリリミカも知っていた。そして、彼女の身に何が起きたのかも。

 ディミトラーシャにかつて降りかかった不運を知る者は少ないが、皆無ではない。その一部にクノリ姉妹も属していた。


 故に今日、彼女の肉体を見て衝撃を受けた。同時に、それを為した者が誰かも悟った。


 同じ女である以上、どうしても理解してしまう。ムネヒトを手に入れたいという欲求は並大抵ではあるまい。

 結局、彼女らが欲しているのは金貨81枚ではない。ムネヒトを解放する気など、最初から無いのだろう。


「おっぱいマスターとジョエルさんがねぇ……でも何でその取引の事をお姉ちゃんに教えてくれたんだろ?」


「不信を煽る為だろ。『同じ騎士団のジョエルが副官に黙って動こうとしている』って、レスティアに告げ口したのさ。わざわざ教えたのは、自分達から意識を逸らせる為とも考えられるんじゃないか?」


 ノーラが過激な表現でディミトラーシャの腹の内を推察する。

 あり得ない話ではないし、出任せともとも言えない。レスティアがムネヒトの情報を、意図して隠蔽したことにジョエルが感付いた恐れもある。

 逆に彼がムネヒトについて何らかの情報を掴んでおきながら、レスティアに知らせていないという線も捨てきれない。

 いずれも相互の不信を煽り、その間隙に乗じて『クレセント・アルテミス』が漁夫の利を得ようとしている可能性がある。注意せねば。


 まとめると、ジョエルはムネヒトという怪物に恩を売りたい

 ディミトラーシャは、ムネヒトという奇跡を手中に収めたい。そう言う事になる。


 そこに、自分達までも金を持ってノコノコ出向いてしまったため、事態は更に複雑になっている。図らずも、クノリ家の行動が彼の価値を証拠立ててしまったのだ。

 せめて『クレセント・アルテミス』や騎士団の情報を集めてから行動すべきだったと、レスティアは軽く悔いていた。


「じゃあさ、その事をムネっちに教えるってのはどう? 事情を知ったら、自力で脱出するんじゃない?」


 姉の考えを聞いてリリミカはそう意見したが、レスティアは首を振る。

 ジョエルやディミトラーシャの思惑をムネヒトは一切知らないだろう。借金さえ返せば良いと、何も知らずせっせと金を稼いでると思うと不憫ではあるが、その無知は彼の身にむしろ猶予を与えている。


 自分達の思惑を知られた彼女達が、そのままムネヒトを見送るとは考えにくい。強行手段を用いてくる可能性が高まる。

 では、その強行手段とはなにか?


「ムネくんは何十名かの女性と関係を持つ事になるわよ? 彼の性格からして、抱いてしまった女の子を捨てて牧場に帰ってくると思う?」


 言わずもがな、おっぱいだった。ムネヒトの最大の弱点だった。


「だったら、違法営業でおっぱいギルドをしょっぴけば良いじゃない!」


「ムネくんが彼女達の胸を触ったのは恐らく事実なのでしょう。過去に罰せられた男達が数多くいる以上、あながち不当とも言えません」


 下手につつけば、ムネヒトの方が騎士団を退団させられる恐れがある。

 そして『クレセント・アルテミス』はそれを待っている節すらある。フリーになった男を、堂々と自分達のギルドに招くつもりなのだろう。


「で、でも! 今のままでも結局はジリ貧じゃない! 四日の間に誘惑されまくったに決まってるわ! もう一秒後には『わーぉ』ってなっても可笑しくないわよ!」


 リリミカの言い分も最もだ。むしろ、今まで堪えていた事が奇跡に等しい。

 ムネヒトの自制心を褒めるべきか、ヘタレさに呆れるべきか、ともかくよく我慢している。並の男なら初日で落ちているに違いない。

 とはいえ、何時までも耐えられる訳もない。

 だからこそ、リリミカとレスティアは金を集めて『クレセント・アルテミス』に乗り込んだのだが、睡眠薬で眠らせて追い出すという強引な手を使ってくるとは。


 事実上、彼女らはクノリ公爵家に弓を引いたと言う事になる。そこまでして彼が欲しいのかと、感心するやら呆れるやら。


「じゃあ、あと三日間ムネっちが我慢できるのを信じて、ジョエルさんに任せるの?」


 二人が設けたという一週間の期限……現在は残り三日……までは、騎士団側は動かないだろう。

 その後、ジョエルがどう動くかまでは分からないが、彼に何かしらの策があるのは間違いない。一週間後にムネヒトが解放される可能性も決して低くない。

 どちらかといえば騎士団側に類するレスティアとしては、ジョエルに賛成の一票を投じるべきだ。


「……でも、ムネくんにはあまりそういう事に関わって欲しく無いのよ」


 あるいはワガママかもしれない。

 王国の利益を考えるなら、彼を引き入れておくに越したことは無い。それに、あれほどの力を何時までも隠しておくのも無理だ。


 それでも、半ば本人の意思を無視するような事は避けたかった。

 ムネヒトが自ら進んで王国騎士を全うするというなら口を挟みはしないが、彼が騎士として大成を望んでいるかは分からない。

 かつてバンズがレスティアを助けながら国のゴタゴタに巻き込まれた事が、レスティアの心にささくれを作っている。

 彼の肩書きは、今のところ牧場の共同経営者というだけだ。後ろ楯など無いに等しい。


 ならば、クノリ家がそれを買って出ても良い。

 彼はそうは思ってないだろうが、ムネヒトには恩がある。その恩に比べれば、彼の身柄を護ることなどお釣りが出る程だ。


「ムネくんはバンズ達を……そして私達も助けてくれました。次は私達が彼を助ける番です」


 つまりこれは、ハイヤ・ムネヒトの争奪戦だ。


「だったら結局どうすんのよ。出禁されちゃったし、身請け金でも用意するの?」


「いえ、やはり此処は彼自身にお金を稼いで貰いましょう。言い訳の余地も第三者の介入もさせずに解決するには、それが一番です」


「だから、それが難しいんじゃない。すぐにお金を稼ぐ方法なんてあるの? やっぱり無理にでも身請け金を叩きつけるのが手っ取り早いでしょ」


「……上手く行く確率は非常に低いですが、既に一手打ってあります」


 クノリ印の身請け金でビンタは最終手段ですねと言って、レスティアは腕組みを外し、手に隠し持っていた魔導具――通信機を取り出した。


「……あれ?」


 そこでリリミカがレスティアの異変に気付いた。姉の身体……正確には胸付近を見て、不審に眉を寄せる。


「お姉ちゃん、今日ノーブラだったっけ?」

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