秘密の特別任務(上)
メリーベルとガノンパノラの仲は本来悪くは無い。
それでも今年の狩猟祭が終わるまで疎遠になっていた理由は、父に抱く劣等感によるものだろうと、現在のメリーベルは自己を客観視できる。
何もかもが実父に及ばないような気がして、彼の正面に立つことを無意識に恐れていたと指摘されれば、メリーベルはハッキリとは否定出来なかっただろう。
父親もまた、その娘の微妙な心情を少なからず察していて、接し方に惑っていた節がある。
不器用な親娘だと、今更ながら思う。
「――メリーベル」
「はい?」
メリーベルは昨夜からガノンパノラの家、つまり彼女の実家に帰って来ており、二人で朝食の席についていた。
やがて食後の紅茶とコーヒーを啜っていた時だ。不意に父親やメリーベルへ話し掛けた。
「彼はどうだ?」
父のいう彼を、娘は正確に察した。
「はい、真面目に働いてします。まだまだ粗い面はありますが、既にム――……ハイヤ衛生兵の戦力は、第二騎士団にとって重要な物になっています」
「ふむ……」
しかしメリーベルの回答に納得していないのか、ガノンパノラは無糖コーヒーを啜り、含みのある声で返事した。
「訊き方が悪かったな……彼
メリーベルは危うくむせるところだった。
持っていたカップを置き、彼女は努めて平静に返答する。
「……お、仰っている意味が分りませんが……私とハイヤ衛生兵の……何を?」
「ハイヤ・ムネヒトとの仲の事を訊いている。彼の住まいでは二人でどのように過ごしているんだ?」
「父上! ですから、この間のアレは誤解だと申したではありませんか! 私とハイヤ・ムネヒトは、その……まだ決してそういう関係では……」
「私としてはむしろ、そういう関係じゃないのに『この身を捧げます』と言った方が心配だがな」
ガノンパノラは皮肉を言ったわけではないだろうが、娘の身を案じる父としてはどうしてもそういう言い方になってしまうらしい。
ぐうの音も出なかった。彼の指摘はもっともだ。
恋仲でもないのに、女が男に対して身を捧げますなど何事だと思うはずだ。ましてや知り合って十日程度の男に。
とはいえ、メリーベルとしては冗談で口にした訳では無い。我が生涯の大事として神――ハイヤ・ムネヒトの元へと赴いたのだ。
彼に対しての不敬な振る舞いを詫びるためと、神恩へ報いるために、それこそ命すら捧げる覚悟だった。
だがまさか、要求されたのが命ではなく乳だったとは。カモフラージュにしても、それは少々どうかとメリーベルは思う。
自分は従者だし仕方ない。しかし、他の婦女子に対しては差し控えるべきではないだろうか。いや決して彼を独占したいなどと考えている訳では……。
「これは決定ではないが……」
などと悶々とするメリーベルに、ガノンパノラはまた言葉を投げ掛けた。
「ハイヤ・ムネヒトを、副団長直轄の衛生兵に据えるつもりだ。そして遠くないうちに、お前を第二騎士団の団長に、彼を副団長へと推挙しようと思っている」
急な話題転換にもだが、その内容も彼女を驚かせるには充分だった。
「! 私と、ハイヤ衛生兵をですか!?」
「意外か?」
「いえ、意外と言いますか、急な話で面食らったと言いますか……」
メリーベルはやや口ごもり、息を落ち着かせて自分の意見を言う。
「……私は、いずれ団長になるべく鍛錬を積んできたつもりです。しかし、彼はまだ入団して一ヶ月程度。些か性急な話ではないでしょうか?」
「確かにな。だが金や家柄で役職を決定するよりは、遥かに健全だと私は思うが」
今度は明確な皮肉を口にした。どのような輩の事を言っているのか問うまでもない。ガノンパノラは毒づいた自分を恥じるように一瞬顔をしかめた後、再び口を開く。
「……話を戻そう。現在、第二騎士団の人員が急速に増えているのは知っているな?」
「ええ、勿論」
「喜ばしい事ではあるが、それに伴い指導側の人員不足が目立つようになって来た。今はまだ何とかなっているが、これ以上になると少々厳しい」
メリーベルは苦い顔をして頷いた。
人員の確保が必ずしも人材の確保ではない。数を揃えても質が伴わなければ、それは烏合の衆と成り果ててしまうだろう。
人材育成の重要性は彼女だってよく知っている。
「彼も正規団員になった以上、後輩の育成をしなければならない。そのためにはまず、彼の実力の完成度を高める必要がある」
現在は新規団員達をゴロシュとドラワット、アザン、レスティア副官らが中心になり育成に励んでいるが、彼らは第二騎士団の主力だ。
またアザンは商会の代表、レスティアはクノリ公爵家の長女であり、あまり騎士業務にばかり時間を割くことは出来ない。
他の団員達も頑張ってはいるが、日に日に増え続ける新人達全てをカバーできるものではない。
身も蓋もない言い方をするなら、使える団員は喉から手が出るほど欲しい。
先程も言ったが、ハイヤ・ムネヒトはまだまだ騎士としては荒削りだ。しかし真面目な男で、戦力的には王都守護騎士団でも既に最強の一角に居るだろう。
当然だ、彼は神なのだから。
ムネヒトの正体を自分のみが知りえるという事に、少しばかり優越感が沸いていしまう。緩みかけた口元をカップで隠した。
「故に、彼を第二騎士団の中核を担う人材として鍛え上げて貰いたいのだ。それにはメリーベル、お前が適任だと思っている。現在、第二騎士団内で最も仲が深いのは、お前かレスティア副官だろうからな」
「……なるほど、お話はよく分かりました」
年月の長さが必ずしも親密さと比例するものじゃないことは、メリーベルだって知っている。
自分はB地区では一番の新参者だが、ムネヒトとの仲は悪くない。むしろ良い。うむ、仲良しだ。
「だからだ」
「?」
やや強い語気で語を継ぐ。
「ハイヤ君との仲が睦まじいのは結構だが、それが果たしてどの程度の段階にあるのかが問題なのだ。お前なら言わずとも分るだろうが、公私の混同は厳禁だ。仮に男女の仲に有ったとしても、それは変わらん」
最初の話に戻ってきた。いや、ガノンパノラにとってはこっちが本題だったのかもしれない。
ガノンパノラの言うとおり、上官と部下のケジメは大事であり現団長職の彼としても無視できる問題ではない。
しかし、父の目は団長としての追求というより、もっと別の感じがする。少なくともメリーベルにはそう思えた。
上官に対するものとは違うプレッシャーを感じながら、メリーベルは慎重に口を開く。
「……あれは言葉の綾というものでした。父上にはいらぬ心配をかけて申し訳なく思っております。ですがご安心下さい、彼とは――」
彼とは、なんだろうか。
何もないと誤魔化してしまえば、それはそれで妙な話だ。何事もないのに押し掛けたと邪推されてしまう。しかも意味深な台詞を残して。
神と従者の間柄と正直に話すのも無い――いや、早い。それはムネヒトとガノンパノラの間にも(私のような)強固な信頼が結ばれてからの事だ。話すにしても、神のお許しを頂いた後でなくては。
「彼とは……なんだ?」
「か、彼とは……」
父の圧力に押されながらメリーベルは必死に言葉を探す。
ガノンパノラはまだ誤解している節がある。決してやましい関係でないことだけは説明せねば。
嘘を言うとバレる可能性がある。自分はどうやら父に似て嘘や冗談が得意じゃないらしい。
いつか彼が神であることを明かし、祝福の一環で毎日左胸を触らせていたと知ったときに、また要らぬ誤解を招いてしまうかもしれない。
ならば事実を言いながらも、ソレをぼかす感じで上手く伝えてみよう。
「彼とは……身体の関係です」
親娘揃って遅刻するところだった。
・
「お早う御座います副団長、今日は珍しく遅かったですね?」
「ああ、お早うエリアナ……いや何、ちょっと父上と騎士団運営のことで話し込んでしまってな……」
第二騎士団の事務員、エリアナに挨拶を返すとメリーベルは弾む息を整える。まったく父上のせいで遅れるところだったと、やや責任の棚上げを内心でしていた。
キョロキョロと周りを見回し、話題の中心だった男がいない事に少し安堵した。
「そう言えば聞きましたか副団長? ハイヤくんの事なんですけど……」
走ってきたため弾みっぱなしだった心臓がもう一度強く弾んだ。
「ム――ハイヤ衛生兵がどうしたって?」
「ピヨピヨ。素直にムネヒトって呼んでも良いんですよ? みーんな、応援してるんですから!」
「ハ・イ・ヤ・衛生兵が、どうしたって?」
強めに言ったつもりだったが、エリアナはニマニマピヨピヨするばかりで堪えた様子も無い。こういう時の女というモノは手が付けられん。
「はい。どうも特別任務のため、通常業務をしばらく休むという事です」
「……なに? 私は聞いていないし、許可を出した覚えも無いぞ」
来ないと分かると急に胸の辺りがモヤっとするが、その感情の名前を彼女は知らないでいた。
「それが今朝決まったんですよ。ジョエルさんが許可を出したと仰っていましたが……」
メリーベルは首を傾げる。
昨日、盗賊と魔石の関係を話し合ったあと特に変わった様子も無かった。騎士としての急な仕事が入ったとするなら、自分の耳にも入るはずだ。ガノンパノラ団長にもだ。
「ハイヤ衛生兵がやって来て、そんな申請をしていったと?」
「いえ、ゴロシュさんとドラワットさんがジョエルさんに代理で申請していました。私も其処に居合わせた訳じゃないので良くは知らないんですが、何でもハイヤくんじゃないと達成できない依頼だそうで……」
ますます妙な話だ。余程、彼の手が離せない自体が発生したのか? 腕利きの冒険者では無いのだから、個別指名の依頼など騎士には滅多にこない。それは無論、個人としてではなく騎士団として対応するからだ。
もし本当に急務なら応援を派遣すべきだろう。
「気になるな……ゴロシュ達かジョエルさんは何処に居る?」
「二人なら、新人達を連れて王都見回りに行っています。そろそろ戻ってくるかと――」
外から若い男達の声が聞こえてきたのは、その時だった。
『ええーーっ!? 昨日、ゴロシュさんとドラワットさんと
『ばっ!? このボケ、声がデケぇよ! つーか娼館じゃねえっつの! 裏ギルドの一つに行ったんだよ!』
同音別種の沈黙が二人に降りた。
「――ぴ、ぴよ……」
「――」
『イヤイヤイヤ似たようなモンッスよ! しかもムネヒト先輩の方は、朝まで居たっていうじゃないですか! これもう完璧にヤってますって!』
「――……」
「――……」
エリアナは足音も無く仕事に戻っていく。メリーベルは気付いていないが、他の団員達もそそくさと持ち場に向かう。風に吹かれた木の葉のように、素早くて静かな退散だった。
『初めての裏ギルドで……しかも、あのクレセント・アルテミスで最後までヤっちまうんだから、ハイヤさんマジパネえよ! あそこの女をモノに出来んのは、一流って認められた男だけなんっしょ!?』
『ヤベエ! 神獣をぶっ倒した次は、女神も落としたんスか! ムネヒトさんって、体がメッチャ頑丈って話だったスけど、アソコも頑丈だったんスね!』
「だから声がデケぇつってんだろうがバカ! お前らも今度連れてってやっから、ちょっとマジで黙れ! 良いか? この事は副団長には絶対に言――」
「私が、なんだって?」
「「げえええええーー!?」」
新人三名ほどを引き連れたゴロシュとドラワットは、盛大に飛び上がった。
二人の驚きも無理ではない。本部のドアを開けた瞬間、火のような髪と目をした副団長が立っていたからだ。しかもその温度は灼熱と形容しても良い。
「それで……ムネヒトがなんだって?」
「――……」
「――……」
副団長の吐息はまるでファイアドラゴンのブレスだった。熱いのに寒気を二人にもたらす様なメリーベルの言葉に、二人は無言のまま視線を交わす。
同じ遺伝子を持つ双子だから出来る、一瞬伝心のアイコンタクトで全てを決し――。
「『
「あ、アニキィィィ!?」
雷速の如く駆け出そうとしたゴロシュの脚に向かって、メリーベルはミスリルショートソード――狩猟祭で折れたミスリルソードを打ち直した物――を鞘に収めたまま投げつけた。
短めの剣は脚にもつれ、ゴロシュはもんどりうって転がった。魔術発動直前に阻害したため、彼に大きな怪我は無い。見事という他ない手腕だった。
「巡回から帰ってきたばかりで疲れただろう、お茶を淹れてやるから本部でゆっくり休んで行け。そう、ゆっくりな……」
機を逃した二人を、少なくとも外見上はメリーベルは優しく労った。
しかしそれを見て言葉通りに受け取る者が居るのなら、それはきっと能天気な者に違いない。そして二人は、残念ながら空気を読む能力を人並みに持っていた。
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