敗北



「ごめんなさいなんて、言わないで下さいね?」


 土下座三秒前の俺に先んじて、回復したミルシェが先手を打ってきた。両腕を交差して胸を隠し、泣きそうな俺を慰めてくれる。


「うう、しかし……」


 しかし、しかしである。

 俺は朝になるまでミルシェのおっぱいをいじくり回してた。220分どころではない。結局は俺が条約を破る事になってしまった。

 はい、生おっぱい。最高でした。最高の幸福だったがために、俺の浅ましさも天井知らずというもの。

 壁に貼ってある条約文書が俺を睨んでくるようだった。パタパタと、窓から吹き付けてくる風が羊皮紙を揺らし無言の罪状を突きつけてくる。


「あっ……!?」


 そしてその紙は壁から剥がれ、窓から飛んでいった。

 もう俺には付き合いきれないと言わんばかりに、風と共に去る。慌てて手を伸ばすが、あっという間に牧場の彼方に消えてしまった。


 ついに条約にすら見捨てられてしまったワケか。泣きたい。


「気にしないで下さいって! 私も、えと……勉強になりましたし!」


 しかしミルシェは側にいてくれた。手ブラしたまま慰めてくる彼女が、天使でなくてなんだ。

 ちなみにミルシェが天使なら俺は迷える子羊……否、生ゴミである。


「勉強って……例えば?」


「え!?」


 訊かれるとは思ってなかったのだろう、ミルシェは目を見開き言葉を詰まらせる。俺を気遣い咄嗟に嘘を付いたのは明白だ。彼女の優しさが染みるってもんだ。


「えっと……そうですね、お、男の人がおっぱい吸う時って、あんな顔になるんだー……とか?」


 もういっそ殺してくれよ。


「すっかり朝ですね……もう少ししたらお仕事にいかないと……」


「!? いや、ミルシェは休んでてくれ! 今日の仕事は俺が全部するから! あ、いや、ちょっと待っててくれ、一度第二騎士団の本部に行って挨拶してこないと……」


 一晩中おっぱいを触られていた少女に仕事をさせるなど正気ではない。まともな睡眠だって取れているはずも無く、ミルシェが被った身体的、精神的ストレスは計り知れない。


「平気です! 何故かは分からないけど、凄く元気なんです!」


 だというのに、彼女は晴れ晴れした笑顔を向けてきた。汗で栗色の前髪を額に貼り付けてはいたが、血色もよく目の下に隈なども無い。見た目は健康そのものの顔色だ。


「そんなワケないだろ!? そもそもミルシェ寝てないじゃないか!」


「いえ、何度か気ぜ――……寝てましたし、眠気も全然無いんです!」


 今気絶って言いかけた! しかも何度も気絶したって事は、何度も起きたって事だ! そして俺は気を失っているミルシェに気付かず、延々とおっぱいを貪り続けて……うわあああああああああ!


「お仕事に行く前にお風呂に入らないと……ムネヒトさんの匂いがします」


 頭を抱える俺に、追い討ちをかけるように呟くミルシェ。いや、ホント、せめて千回くらい殴ってくれませんか?


「あっ、む、ムネヒトさんも、お風呂に入った方が、いいです、よね……?」


「………………え……?」


 しかし一万回殴られるよりキツイ事実をミルシェは突きつけた。

 ミルシェは顔を真っ赤にして俺を……というか、俺の腹の下を見ていた。釣られて恐る恐る視線を落とす。

 俺はミルシェのおっぱいに一晩中むしゃぶりついていた。だが、最後の一線は越えていない。

 その証拠に彼女は上半身は裸だが、寝巻きの下を穿いたままだ。

 俺も同様であり、ズボンも下着も一切脱いでいない。


 そう脱いでいないのだ。それでいて、ミルシェが異常に一目で気付く程の変化。


 かつてミルシェが風呂に乱入してきた時は、倒れた俺を彼女が介抱し服を着せてくれたが、今は違う。

 あの時はテントですか? となっていたが、あれが可愛く思えるくらいの醜態が此処にあった。

 極上の女体に触れながら、俺はの期待と本懐を裏切り続けた。その報いは恥で返された。

 詳しくは言えない。ただ一言、


「殺せーーーーーーーーー!」


 ベッドシーツにくるまり、大声で懇願した。


「えええ!? ちょっと、どうしちゃったんですかムネヒトさん!?」


「一生のお願いだ! 殺してくれえぇぇぇ!」


 ほとんど哀願だ。

 黒歴史における不滅の金字塔が生まれてしまった。殿堂入り間違いない。生涯忘れ得ない最低最悪の失態。

 許されないことでは有るが、いっそ襲い掛かってしまった方がまだ男らしさに救いを与えることが出来るのではないか?


 だが俺のおっぱい愛は子孫繁栄の本能すら上回った。

 死にたい。こんなに死にたいと思ったのは、マジで生まれて初めてだ。

 おまけにミルシェ相手に見られた。今までのやっちまった過去を全て合わせても、到底及ばない強烈なやっちまった感。

 死刑を求刑します。弁護士は要りません。


「ムネヒトさん! 死にたいだなんて言わないで下さい! 私は気にしてませんから!」


「俺が気にしてるんだぁぁぁぁ! 殺せえええええええ!」


「お風呂に入ってさっぱりしましょうよ! そうすれば忘れますから!」


「無理だ! 忘れるわけない! 殺してくれ! いやもう自分で命を断つぅぅー!」


「殺しませんし、死なせません! 一緒にお風呂に行きましょうよ!? 何なら洗ってあげますから! はいこれ、新しいパンツとズボンです!」


「ごろぜえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 もうヤダ! もう此処から一生出ない! 灰屋宗人はコーポムネヒトのシーツになります! 未使用のまま押入れに仕舞って下さい!


「ムネヒトさん……」


 優しく呼びかけられ、そっとシーツから顔を出す。眩しさを自覚する前に、再び暗闇に支配された。

 ミルシェが胸の中に俺の頭を抱いたのだ。両頬側頭部をしっとりと柔らかい膨らみに挟撃され、一瞬息を忘れる。


「良いんですよムネヒトさん、悪くても」


「みるしぇ……?」


 ぎゅうと、押し付けおっぱいの深遠へと誘うミルシェ。しかし進めども進めども底には辿り着かない。

 柔らかくて温かくて甘酸っぱい香りとで、俺の何もかもがトロトロになっていきそうだ。トクントクンと穏やかに耳を打つのはミルシェの生命活動の音。


「全部、許してあげます。貴方の良いところ、悪いところ、ぜんぶぜんぶ、私は全部受け入れます。だから何も心配しないで……私に甘えて下さい」


 眠気など全く無いのに、これだけでストンと眠りに落ちてしまいそうになる。

 沁みるような優しい体温と声とで、俺のちっぽけな道徳観念が消えていく。所詮俺の価値観など、ミルシェのおっぱいの前では些細なことということか。


「あぁー……善悪の彼岸に到達するー……」


「ふふふ……何処ですかそこ。私の胸の中にはありませんよ?」


 ニーチェの書ではなく、ネーチャンの乳で到達してしまう。おっぱいとは正に人間の原点にして究極なのでは?

 それから数分間、ミルシェのおっぱいの中で二度寝寸前のようにまどろんだ。言語が無い時代に最高と言う感情を、ご先祖様達はなんと表現したのだろうか。

 いや、どうでもいい。ただ、ミルシェが愛しくてたまらない。

 夢のような心地だが、夢なら覚めなくてはならない。

 俺は自分でも感心するほどの意志力を発揮して、ミルシェから離れる。

 恥はかき尽した。しかし妙に心地が良い。心は澄んだ水に満たされているような清廉と静寂に溢れ、脳は水晶のように冴え渡っている。


 まさに一つ一つの細胞が生まれ変わったのだ。これが悟るということか。

 もはや何があっても動じない。遂に俺はマジモノの神になってしまった。


「……ありがとうミルシェ。さあ、風邪を引くといけない。とりあえず服を――……お?」


 ・


【ミルシェ】


『神威代任者』

『絶対乳域特級保持者』


 トップ 105㎝(M)

 アンダー 65㎝

 サイズ 3.4㎝

 16年11ヶ月28日物


 レベル 8

 体 力 1,108,181,818,875,564,808/81

 魔 量 115,799,768,765/34

 筋 力 61

 魔 力 18

 敏 捷 39

 防御力 60

 累積経験値 815,500,887,365,906,694,003,338,7999

 右乳首感度 37 (ハイヤ・ムネヒトに対してのみ99)

 左乳首感度 38 (ハイヤ・ムネヒトに対してのみ99)


 ・


「ぎゃああああああああああああああああああ!?」


 神になったと思ったが、特にそんな事はなかった。


 み、ミルシェの! ミルシェのおっぱいがまた大きくなってるー!? 昨日まで102センチだったのに、たった一晩で3センチも膨らんだってのか!? マジかよ、Mカップ!? マジかよのだぜ! 女の子の神秘ぱねぇ!


 いやいや違うって。もっと別に見るべき箇所は別にある。

 そう乳首の感度だ! 驚きの99! なにカンスト!?

 カッコの前にある数字は常のミルシェのソレ。しかし俺の場合のみ99。俺が触れたときだけ、ミルシェは……!

 なんだこの気持ちは! これが栄光ってヤツか!

 南極点に到達した偉大な探検家チームや、オリンピックで優勝した超一流選手はこんな気持ちにだったに違いない! アイアム金メダァァァァル!


 だからそれも違う。

 体力、魔力、累積経験値がとんでもないことになっていた。少年漫画みたいにインフレしてる。ミルシェが在り得ないほど元気だったのはそういうワケか!?


 そして、称号。


「み、みみみみみミルシェ……ちょーっと、良いかな?」


「え……? あ、はい……もう……」


 ステータスを再確認しようと彼女に向き直る。するとミルシェは何か勘違いしたのか、おっぱいを隠していた両手を恥かしそうにゆっくりと退ける。

 世界が空気を読んだらしく、窓から最初の朝日が差し込んできて彼女の裸体を照らす。


「――……」


 心臓が停止しなかったことこそ幸運と呼べる。

 圧倒的豊かに実った乳房にはシミの一欠けらも無い。ブラなどしていないというのに、前に大きくせり出していた。あれだけの柔らかさを誇りながら、全く垂れていない。

 むしろブラという檻から解き放たれた事により、堂々と自由を謳歌していた。あそこだけ反重力魔術が働いているといっても俺なら信じる。

 3.4センチの乳房の中心は色付く前の桜の様に淡く、触れることに恐怖すら覚えてしまう程の神聖さと純真さを放っていた。

 特異点の先端は、彼女が少しだけ気にしているという恥かしがりや的な形状に戻っている。その慎ましさに、俺の方が逆に恥かしくなってくる。


「だから、見すぎですよ……」


 顔を曙光と羞恥に染めたミルシェは、それでも自分の乳房を隠さない。腕をお腹付近で交差させ、豊穣のおっぱいの何もかもを見せてくれる。

 本来隠さなければならない何もかもを惜しげもなく、だが恥かしそうに微笑みながら。


 これが私のおっぱいですと、琥珀色の瞳が言っていた。

 貴方が愛した、貴方のおっぱいです、とも言っていた。


 自然、俺は手を合わせ深く拝んでいた。涙を拭く余力すらない。全身が感謝を叫んでいる。


「ありがとうミルシェ。(あと、ありがとうおっぱい)俺はお前に出逢えて本当に幸せだ」


「べ、別に拝んで欲しかったわけじゃないんですけど……あ、あれ……?」


 その時、ホロと零れるものがある。琥珀色の瞳から零れた朝日色の涙だった。


「!? どうした!? やっぱりどっか痛いのか!? よし今すぐ『乳治癒』を使ってだな……いや、ココはポーションで……」


 ミルシェは涙を拭きつつ頭を横に振った。


「違います、違うんです……ただ……なんか、ホッとしちゃって……不安だったからでしょうか? 実は、ムネヒトさんは、私のことなんて、何も思ってないかもって……」


 殴られたような心地だった。

 メリーベルと話したときも思ったが、俺が誰かの好きに値する人物なのかは何時になっても不安だ。

 バカか俺は。

 俺一人だけが不安だったなんて思い上がるな。ミルシェも不安だったんだ。けど彼女はそれを乗り越え、戦うことを決意した。

 なんという強さなんだ。


 ケジメをつけなきゃいけない。もはや彼女の為に素敵な旦那様を用意してやるとかなんとか、そんな事を言うレベルじゃない。


「ミルシェ! 俺と――」


「あ、責任とって『結婚して下さい』とか『自首します』とかは無しですからね?」


「――結こ……え?」


 先手を打たれ、今度こそ俺の脳は完全に停止した。

 え、ミルシェって俺のことが好きなんじゃないの? モテない男のイタい勘違いだった?

 もしかしてコレって『一回エッチしたくらいで彼氏ヅラしないで下さいよぉ(笑)』ってヤツ?

 そんなことミルシェに言われたら大号泣してしまうけど。

 肌を合わせた事に舞い上がって、俺を好きだという少女にプロポーズして、それが実は勘違いで敢え無く玉砕。

 別の意味で死にたくなってきた。俺、またやっちゃいました……?


「勘違いしないで下さい。こういうコトの責任を取るとかいう理由で、言われたくないだけです」


「……?」


 彼女は下着をせず、寝巻き(ノーブラパジャマとか最高です)のボタンを留めながらそう言った。

 えっと、どういう意味だ?


「今回は……えっと、私がムネヒトさんにケンカを売っちゃったってことです! リリミカやレスティアさんにヤキモチを妬いちゃって、わ、私だって、構ってもらいたくて……そのぅ……」


 彼女は俺の纏っていたシーツを手繰り寄せ、手の中でモジモジしだした。要領を得ない彼女の言葉に、俺は困惑を深くするばかりだ。

 シーツがこれ以上無い位までくしゃくしゃになったところで、ミルシェはまた口を開く。


「――ムネヒトさんは、きっとコレからも色んな女の子の力になると思うんです。たくさんの、お、おっぱいを触ったりするんでしょう。でも、それが、なんか! 私は、面白くないんです!」


 今日は朝焼けでもないのに、ミルシェの顔は真っ赤だった。


「だからですね! ムネヒトさんがずっと忘れられないような事をしようと思ったんです! 私が一番の特別になってやろうって、そう思って、ムネヒトさんに勝負を挑んだんです!」


「……――」


「最初の話に戻りますが、責任感とか罪悪感で好きだなんて言って貰いたくありません。これは、女の子の意地です。だからいつか――」


 まっすぐ向いた琥珀色の鏡に俺の姿が映った。


「いつか、心の底から私の事を好きになってもらいます」


「……――」


 俺は天を仰ぐ。完全に負けた。

 悪徳男爵も第一騎士団も神獣も退けた。だが、ミルシェに完敗した。

 タイラント・ボアの角よりも遥かに強力な一撃だった。まったくもって、やられた。


「一つ、おとーさんとおかーさんの事についてお話しておきます」


「ん?」


「おとーさんは『自分がミルフィに一目惚れして、牧場で住み込みで働くようになった』って言っていますが、それでは半分なんです」


「半分? まだ何か裏話があるのか?」


「おじーちゃんとおばーちゃんに、住み込みで働かせてくれと頼み込んだのは、おとーさんだけじゃなくて、おかーさんもでした」


「……!」


「これ以上は言うまでもありませんよね?」


 そうミルシェはイタズラっぽく微笑んだ。

 バンズさんがミルフィさんに一目惚れしたというのは紛れも無い事実なのだろう。だが、それが全てではなかったのだ。

 ミルシェの母、ミルフィさんはどうだったのかなんて言及するのは野暮の極みというもの。


 つまりミルシェは、押せ押せなバンズさんと押せ押せなミルフィさんの間に生まれた少女という事になる。


 俺は俺の勝手な憶測で、ミルフィさんを奥手な女性と予想しミルシェもそうだと決め付けていた。ミルシェはバンズさんのやり方を踏襲し、無理に迫ってきたものと思っていた。

 とんでも無い勘違いだ。

 遺伝のみが性格を決するとは思えないが、二人の愛情を注がれたミルシェが両親の影響を多いに受けたのは疑いようも無い。


 この牧場で草食動物だったのは、俺と牛達だけだったということ。


「参った……完敗だ」


 これは俺の人生における最大の敗北だ。完膚なきまでに叩き潰されてしまった。

 俺はミルシェに相応しく無いと今でも思っている。彼女には他に見合う男がいるはずだ。

 しかしだ。いざそんな男が現れてたとき、俺は二人を祝福できるだろうか?

 だったら、俺がミルシェに相応しい男になればいい。彼女が好きになって良かったといってくれるような存在になれば良いんだ。

 今でも怖い。でもそれで良い。誰よりも器の大きな男になるってB地区のお披露目のときに誓ったはずだろう。

 目の前が開けた心地だった。

 そうだ。俺だって、誰かを好きになって良い。


「……俺もだ。いつか、今日のお返しをする。絶対だ」


 ただし、負けっぱなしは男の沽券に関わる。恨みでも怒りでもないリベンジを、ミルシェにしようと決めた。

 この少女を俺に夢中にさせてみたい。


「――! はい……!」


 ミルシェは太陽のように笑った。

 この笑顔を守るためなら、なんだって出来る。


「あ。お返しの前にお風呂には行きましょうね?」


「……たまには、綺麗に終わらせてくれないか?」


 ・


 温泉はもちろん別々に入りました。

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