ミルシェ、襲来

 

 ムネヒトは走った。彼の生涯においても最高の速度が出てきただろうと後に回顧する。

 ほぼ恐慌状態の彼が向かった先は、既にムネヒトの故郷になりつつあるサンリッシュ牧場のB地区だ。

 違法薬物取引、第一騎士団、神獣タイラント・ボア。そして、まさかの裸の騎士団長。色々な意味で密度の濃い十日間だった。

 波乱の非日常から平穏な日常へ帰還するため、彼は無意識の内にB地区にある我が家まで逃げてきたのだ。


「あ~……ビビッた……」


 彼の言うコーポムネヒトに飛び込んで、安堵の溜め息を漏らす。

 大手を振って牧場へ凱旋……などをしたかった訳では無いが、まさか駆け込み寺のように帰って来ることになろうとは。

 日付が変わるまでにはまだ間があるだろうが、ほぼ誰もが寝静まった夜中だ。レスティア、リリミカは久しぶり自宅へ戻っている。バンズもミルシェももう休んでいる時間だ。

 皆に会えないのは残念だが、仕方ない


「……また風呂に行くか……」


 汗と冷や汗に気付き、彼は再び着替えを手に取った。

 動乱の日々はこれで終わり、明日からは穏やかに過ごせるだろう。

 もう自分を脅かす存在はあるまいと、あらゆる障害を撃退した彼は完全に安心していたのだ。


 だがその潜在意識下での認識が油断だった。

 様々な緊張感から解放され、弛緩しきったムネヒトに最大級の驚異が迫っていた。


「…………」


 それは王国でも最大級の胸囲を持つ一人の少女だった。

 ムネヒトがバタバタと慌ただしく帰って来たことをミルシェはすぐに察していた。

 リリミカもレスティアも居ない。バンズはぐっすり夢の中だ。つまり千載一遇の好機。

 ミルシェは先日購入したバトル・ランジェリーを手に持ち、本日二度目となる温泉へ素早く向かった。途中、温泉に向かう彼と遭遇しないようにタイミングを見計らうことも忘れない。


 イヤらしい女だと思われてしまうかもしれない。拒絶されてしまうかもしれない。

 しかしだ。このまま、数多く居る女の子の一人になってしまうよりは良い。あの心優しい……悪く言えば意気地も甲斐性も無い青年に、自分という存在をガツンと叩きつけてやりたかった。

 いつまでも勘違いとか一時的な病気とか言って取り合わない彼に、ミルシェは我慢の限界に達していた。


 時が来たのだ。


 ・


 倒れこむ俺を、我が城のベッドはバフンと受け止めてくれた。

 やがて十日ぶりのマイ寝具だ。途端、自覚していなかった疲れが泥水のように溢れてくる。


 結局、メリーベルにも団長にも挨拶らしい挨拶も無いまま牧場に帰ってきてしまった。かなり失礼な行為に当たるのは間違いない。今すぐ戻って謝罪すべき案件だ。


 でも勘弁して下さい。ある意味タイラント・ボアより怖かった。


「今日は……このまま寝てしまおう。明日早起きしてから、また本部へ……」


 先ほど温泉にも入ったし歯磨きも済ませた。明日は早朝から牧場にでてハナ達のおっぱいを存分に搾ろう。それから改めて本部に行ってメリーベルに……。


 コンコンコン。


「……ん? どうぞ」


 控え目なノックでも静かな夜には良く響く。

 俺が返事すると予想と全く同じ人物がドアの向こうから現れた。ミルシェだ。


「お邪魔します。お疲れなのに、ごめんなさい……」


 ラフな寝間着に身を包んだ彼女は、申し訳なさそうに部屋の中へ入ってきた。手には甘い香りの湯気が立ち上る……ホットミルクに蜂蜜とチョコレートを溶かしこんだドリンクを二つ持って居た。


「いや平気だ、気にすんな」


 ベッドから起き上がり、彼女を出迎えた。俺がミルシェを拒む理由など皆無だ。疲れてるとは言っても、ミルシェの姿を見たら急に元気になってきた。

 懐かしい……というほどの時間は経ってはいないが、十日間ぶりの彼女の姿は俺の郷愁と安心感を同時に掻き立てる。

 ミルシェは微笑み、ホットチョコレートを机に置く。


「お帰りなさいムネヒトさん。大会の優勝、おめでとうございます」


「……ありがとう、ただいま」


 彼女のシンプルな迎えと労い。これだけで、狩猟祭で頑張ってきた甲斐があったというもの。

 素直にただいまと言える相手がいるという幸福は、どんな財宝にも勝るだろう。

 取り敢えず座布団でも出そうとするが、ミルシェはそれより早くベッドの淵に座った。俺の隣に、だ。


「騎士団のお仕事って、どんな事したんですか?」


「え? あ、ああ……まずは王都の巡回をしてだな。何といきなり違法薬物の取引現場に出くわして――……」


 やけに素早い行動に些か疑問を持つが、特におかしい事では無いはず。

 それにベッドに二人並びで座るというのは、俺にしても憧れのシチュエーションなので特に指摘はしなかった。


 それからミルシェは俺の十日間に耳を傾けた。

 俺もあった事を思い出しながら人に聞かせることにより、記憶が整理されていく。

 ミルシェも実に良いリアクションを取ってくれて、話し甲斐があった。

 タイラント・ボアに刺された事を話すと、真っ青になって俺の服を剥ぎ取ろうとしてきたが、まあそれは良い。


 やがて十日間の事を話し終え、残り少なくなっていたホットチョコレートを飲み干す。最後まで色んな事があったなぁ……。

 一息つくと、ミルシェが空になった自分のカップを見ながら何やらモジモジしている事に気づいた。


「……えっと、ミルシェ?」


 なんだろう、妙な予感がする。

 俺の呼び掛けにミルシェは答えない。体の前で組まれた手がカップをもてあそんでいる。

 自然、腕を寄せる形になるので挟まれるように強調されたおっぱいが凄い。第二ボタンまで外されているからか、ミルシェ渓谷がありありと見える。

 こんな遅い時間に風呂に入ったのだろうか。上気した肌と半渇きの髪から漂うボディソープかシャンプーの薫りが、俺の鼻をからかう。


「……あの、ミルシェ?」


 急に居たたまれなくなってきた。ミルシェと二人きりなんていつ以来だろうか。思えば深夜に若い男女が密室で逢瀬なんて、言葉にすればいかがわしさしかない。

 ましてや俺は十日間もおっぱいに触っていない。

 メリーベルに関しては敢えて数に入れないが、例の日課もハナ達とも全く触れ合っていなかった。

 途端に乳欠乏を自覚し、目の前のたわわな果実に瞳も心も奪われそうになる。

 腹を空かせた狼に肉を見せつける行為は危険だ。自分の精神的秩序を回復させる意味でも、ミルシェに貞操観念の何たるかを言って聞かせねば。


「――ミ」


「おっぱいを」


「ルシ、は?」


 呼び掛けたタイミングで割り込みが入る。

 ミルシェの口から飛び出したのは、俺の人生指針となる物だった。

 困惑が俺の脳ミソでコサックダンスを踊っていると、ミルシェは勢いよく振り向いた。


「今日は、私の、おっぱいを触って下さい!」


「……――ん!?」


 おっぱいを触って下さい? ばっちこい……いやいや待て待て。何で急にそんな話に!?


「あの条約が発令されてから、やがて三週間ですよね?」


 こちらが何か言う前に、まるで畳み掛けるようにミルシェは身をズイと乗り出す。


「へ? あ、ああ……そうだな」


 謎の迫力に思わず仰け反ってしまった。

 あの条約とはつまり、クノリ姉妹が此処に引っ越してきたときに締結した【第一次ポワトリア王国和乳条約】のことだろう。ミルシェは今までいろいろな意味でノータッチだったのに、急にどうしたんだ?


「リリとレスティアさんとは、ほとんど毎日してたんですよね?」


「う……うん、まあ……」


 皆で条約を結んだこととはいえ、不貞を咎められる気分だ。ここ十日ほどは騎士団の仕事で出来なかったけども。


「24時間につき10分までですよね?」


「お、おう。それは間違いなく守ってきた」


 実際は10分でもギリギリだ。俺の理性の為にも3.14分位に変更出来ないだろうか。


「……三週間、ですよね」


「あ、ああ……」


 最初と同じ質問が繰り返された。


「だったら――……」


「だったら?」


「だったら、私はその三週間分を、今から使います」


「あえ?」


「210分、いえ……今日を含めて220分。私のおっぱいを、ムネヒトさんに、預けます!」


 ……。


「いや駄目だ!」


 約三時間半をおっぱいを揉み続けろと!? 無茶を言うな!

 俺は良い。例え疲労困憊であっても、おっぱいがあれば完全復活できる。タイラント・ボアの時にそれは証明された。正直、三時間だろうが三日間だろうがどんと来い。


 しかし、可能か不可能かのみを課題にするワケにはいかない。

 それだけの時間ミルシェパイと触れ合ってみろ。ミルシェへの負担もさることながら、俺の理性がどうにかなってしまう。

 しかも、おっぱいが不足しきっている今の俺に対してだ。兵糧攻めされ空腹に苦しんでいる兵士を一気に叩くような、残酷で効果的な戦術だ。


「なにより、条約違反だ! 一日に10分までの約束だろ!?」


「いいえ! 条約違反なんてしていません! 次の日に持ち越してはならないなんて、一行も書いて無いはずです!」


 真っ赤になった彼女に言われ、俺はベッド近くの壁に張ってある【第一次ポワトリア王国和乳条約】の羊皮紙を凝視する。


 ・ハイヤ・ムネヒト(以下、甲)はミルシェ・サンリッシュ(以下、乙①)、リリミカ・フォン・クノリ(以下、乙②)、レスティア・フォン・クノリ(以下、乙③)らの乳房(以下、乙乳おつパイ)について最大限の努力を誓訳する。

 ・甲、及び乙双方の合意の上でのみ、乙乳への行為が認められる。

 ・甲が乙乳へ接触する際には、乙①~③は衣服を纏うものとする。

 ・上記が困難な場合は、甲の視界を目隠し等で隠すこと。

 ・甲が乙乳へ接触する時間は24時間に付き10分までとする。

 ・甲と乙①~③の関係については秘匿する。

 ・また、条文、加盟者を追加する際には全員の合意を得ること。


(しまった……!)


 確かに何処にも書いていない。

 24時間に付き10分までとは記載されているが、それを貯蓄し運用してはならないという制約は無かった。

 ミルシェは決まりを破ったわけではない。決まりを利用し掻い潜ったのだ。


 更に言うなら、仮に違反だとしても彼女を強く咎める事は出来ない。

 条約が書かれた紙は、牧場の権利書やいつかの決闘のように『証明プルーフ』で作られた不可侵の誓約書では無く、ただの羊皮紙。


 つまりこのおっぱいに関するルールは、理性という薄氷の上に作られた物でしかない。

 まるで、いつか誰かが破ることを期待していたかのような脆さだった。


(俺の大マヌケめ! なんで気が付かなかった!?)


 十日前、王都で買い物したときのリリミカの言葉を思い出す。いわく、ミルシェは何かを企んでいると。

 あの時はそんなバカなと一笑に伏したが、ミルシェはこの事態を狙っていたと云うのか!? 一体いつから? まさか、最初から!?


(反省はあとだ! なんとか! なんとかして言い逃れしないと!)


 条約違反していないからといって、それを飲み込むわけには行かない。破滅が分かりきった決定など下せるものか。

 ミルシェは自分が異性にとって、どれだけ魅力的な存在かを自覚していない。

 まさかまた黒いウネウネか!? それとも今度こそお酒!?


「ムネヒトさん……」


 吐息混じりの声……ウィスパーボイスというんだったか? でジリと身を寄せてくるミルシェ。火に炙られるような感覚が俺の肌に走った。


「お、おチチつくんだミルシェ……! 一時的な感情で先走るとえらい事になるって、前もももももも……!」


 座ったまま後ろに下がろうとして、トンと壁に背中をぶつける。ポジショニングでも負けてしまった。なんてこったい。


 おっぱい。近づいても駄目だ。一メートル突破。なんて顔をしてるんだ。102センチ。落ち着け。おっぱい。ミルシェ。絶対柔らかい考えろ。何日ぶりのおっぱいおっぱい。冷静におっぱい。なって。おっぱい。断る口実をおっぱい。おっぱい。おっぱい。脳みそからひねり出しておっぱい。この場のおっぱい。をおっぱい。ミルシェは将来おっぱい。イケメンでおっぱい。おっぱい。おっぱい。お金持ちで性格もおっぱい。良くて。浮気なんてしないおっぱい。一途な男とおっぱい。おっぱい。幸せおっぱい。におっぱい。


 駄目だー! ミルシェのおっぱいで頭がいっぱいだー!


「……私、頑張ってくれたムネヒトさんに御褒美を上げたいんです。それとも……私のおっぱいじゃ、嬉しくないですか……?」


 あ、無理だコレ。

 この十日間で俺にも肉体的、精神的な疲労が蓄積していたのだろう。理性の起動が遅く弱い。

 途端、ありとあらゆる思考が吹っ飛び、俺の世界はミルシェ一色になった。そして。


ミルシェのおっぱいに一晩中溺れた。

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