狩猟祭⑨ 騎士達の決断(上)

 

「駄目だメリーベル、やっぱりここを通るしかないぞ。それとも、もっと北の方へ回ってみるか?」


 フィリップと別れた後、俺達は再び第二騎士団の皆が待つ上層へ向かっていた。向かっていたのだが思わぬ壁に遮られてしまった。

 文字通り、天然の壁だ。グランドキャニオンの如き絶壁がそびえ、俺とメリーベルの行く手を阻んでいる。百メートルはあるんじゃないか?

 本当はこんな困難なルートを選びたくはない。だがこの大森森の地形上、どうしてもロッククライミングみたいな事をしないといけない場所がある。

 狼煙での連絡を繰り返し、目的地へ向かう最短ルートを模索しながらやってきたのだが、今度の崖はどうしても乗り越えないとならないらしい。


「もう二日目の昼前、あるか分からない別のルートを探す時間も惜しい。仕方無い……ここをよじ登るぞ」


「あ~……やっぱりかー……」


 自分のおっぱいスキルに不満はないが、もっとこう、空を飛べるみたいなスキルが欲しい。風系統の魔術とかを勉強すれば覚えられるんだろうか。


「情けない声を出すな。命綱など無いが、ちゃんと登れるんだろうな?」


「それについては大丈夫。割と自信があります」


 実は牧場で毎晩密かに練習している。風呂場の男湯と女湯を分ける例の木壁だ。

 高くて分厚くてツルツルしているので掴まるところなど皆無。しかも登ろうとして分かった事だが、逆三角形のように若干反っているという凶悪なモラルの壁だ。

 俺はそれにアメンボのように張り付き、毎日よじ登る訓練を積んでいる。今では壁頂上の縁に指をかけて懸垂とかも出来るのだ。

 既に訓練はタイムアタックの領域にある。皆の筋力を借りている俺にだから出来る芸当だ。

 もちろん覗く為ではないし、神(俺のことではない)に誓って覗いていない。

 もし向こうの湯で何かがあれば、すぐに駆けつける訓練をしているだけだ。いちいち脱衣場から回っていくより一秒でも早く向かう為だ。本当だ。

 ともかく、それに比べればいくら高かろうがデコボコの岩肌など余裕も余裕。


「ほう、それは頼もしい。よし、私が先に登る」


 そう言うと、メリーベルは鎧を着たままだというのに軽やかに岩肌にしがみ付きスイスイと上へ――。

 つる、べちゃ。

 スイスイと登れなかった。ギャグのように落ちた。


「……」


「……」


「お、思った以上に岩が滑りやすい。気をつけて登れ」


「あ、ああ……気をつけるよ」


 軽く土埃を払い、再度アタックするメリーベル。今度は一歩一歩確かめるようにして足を掛けていく。

 つる、べちゃ。また落ちた。


「……」


「……」


「…………いかんいかん。鎧を纏ったままでは、登れるものも登れんな……よし、身軽になった」


 昨日の戦いで破損した鎧を脱ぎ捨てるメリーベル。

 グラビアアイドルみたいなメリハリと、体操選手のようなしなやかな肉体のラインが露わになる。背反する要素でありながら奇跡のような組み合わせに、どうしようもなくセクシーさを感じて内心ハラハラしてきた。

 だが俺がハラハラしているのはそれだけじゃない。言うなれば、高い木から下りれなくなった子猫を見守る気持ちだった。

 メリーベルは入念に準備運動をして、慎重すぎるほど慎重に岩に手を掛けた。歩むよりも遅いペースで、徐々に上へ――。

 つる、べちゃ。


「……」


「……」


「……まさか、登れないのか?」


「……私は登れなかったのか?」


 いや訊かれても。


「た、確かにこの手の修練は積んでいなかったが……私はこんなにも不器用だったのか……!?」


「あー……ほらまあ、誰にでも得手不得手は有るって。だから、あまり気にしなくても……」


「いいや! いざ本番になって出来ませんでしたじゃ話にならん! こうなれば、今この場で習得して見せる!」


 ダッと駆け上がるように岩にしがみ付いた。しかし、気合の百分の一も結果には反映されない。

 プルプルと震えながら崖にしがみ付く彼女の姿は……なんというか、シュールだった。


「どうだハイヤ衛生兵! いまどれくらいだ!?」


「全然で駄目です! いっそジャンプして飛び乗った方がまだ良いくらいです!」


「なんだと!? 気持ち的には既に十メートルは進んでいたと思ったのに!」


 いったいどこからそんな自信が出てくるのか。


「……なあ、やっぱり別のルート探したほうが良いんじゃないか? もしかしたらほら、獣道みたいなのが見つかるかもだし」


「……はぁ、はぁ……いや、さっきも言ったが、見つかるか、どうか、分からない道の捜索に、時間を掛けるのは避けたい。待ってろ、いま、ようやく、コツを掴んできたとこ……ぬぁっ!」


 つる、べちゃ。


「コツも岩も掴めてないよ。確かに見つかるとは限らないが、正直登る練習するよりも時間の有効利用じゃないか?」


「ぐ、ぅぅ……!」


 なんとなく新鮮な気分だった。普段とは全く逆で、俺がメリーベルの不出来を咎める側にいる。悔しげに俺と壁を睨む彼女の表情もかなり新鮮で、怒っているというより拗ねている感じだ。

 さて、どうしよう? メリーベルの成長のブレイクスルーを期待するか、諦めて回り道するか……。


「……そうだ、俺がお前を負ぶって登るってのはどうだ?」


 つる、べちゃ。


「あいたっ! はぁ……はぁ……ん? 何か言ったか……? しまった! ハイヤ衛生兵!」


 弾かれたようにメリーベルの方を見るが、すぐに別の存在に気付く。無数の黄色い点が星のように俺達の周りに点在している。人外の乳首反応……哺乳類の影だ。

 その正確な数を把握する前に、乳首の持ち主が茂みの向こうから凄まじい速度で現れた。


「あれは……ハンドレッド・チーターか!?」


 それは陸上モンスターの中でも最速級の存在であり、肉食の猛獣だった。地球に存在していたチーターと見た目も俊足さも似ているが、このハンドレッド・チーターは群れで獲物を狩る。その構成数は、名前負けしない。

 単独での戦闘力もフォレスト・ウルフを上回り、この群れに遭遇した冒険者が何人も犠牲になっているという恐ろしい相手だ。本来は森の中には生息しないはずなのだが、それは調べられる範囲のみだったということかだったらしい。

 俺の乳首レーダーに引っかかる前にその俊足で接近したきたのか!


「それにしたって何て数だ! 一匹の乳首の数が八つとしても……ええい! 割り算をやってる場合か! 来てくれ、メリーベル!」


 一匹二匹ならともかく、明らかに五十匹は超えている。とてもじゃないが、まともに相手などしたくない。


「乗れ! 背負って俺が登る!」


「背負うって……私をか!? それでこの崖を登るだと!? 正気か!?」


「正気も正気だ! 早くしないと追いつかれるぞ!」


 ハンドレッド・チーター達は茂みから矢のように飛び出ると、みるみる彼我の距離を詰めてくる。まさに猛獣の集中砲火だ。ばっちり囲まれていたらしく、前にも横にも逃げ道は無い。


「くっ……迷う時間は無いか! 頼んだぞ!」


「任せろ! 壁のぼりは得意中の得意だ!」


 メリーベルは剣を鞘に収め俺の背に回り、首の前に両腕を回した。人一人程度の重量など、ハナ達の筋力を分けてもらっている俺には何の影響も……。

 むにゅにゅん。


「あっ」


「……――って、ハイヤ衛生兵!? 何故しゃがんだままなんだ! 早くしないと追いつかれるぞ!? まさか立てんのか!?」


「もう既にィー!」


「はあ!?」


「あー! なんでもないです! よし、ちょーっと気合入れますんで! どっこいしょー!」


 俺は勢いよく立ち上がり(深い意味は無い)岩肌に飛びつくと、平地を走るのと変わらないくらいの速度でよじ登っていく。日頃の修練の賜物だ。

 ハンドレッド・チーター達が壁に飛びついたり上ってこようとするが、三メートルも行かない高さで一匹残らず地面に落ちる。

 二十メートルほど登ったところで下を見ると、チーター共が口惜しげに牙を剥き出して俺達を睨んでいるが、もはや負け犬の遠吠えだ。ネコ科なのに負け犬とはこれいかに。


「はー……間一髪だった……メリーベル、無事か?」


「そうかー……私はそんなに重かったのかー……いや、いいんだ。騎士として貫禄が出てきたと言う事にしておこう……」


 拗ねてる。


「違う違う! 全然重く無いって! むしろ軽すぎて心配になるレベルだわ!」


「いや、気を遣ってくれなくて良い……確かに同世代の婦女子に比べて身体が大きいとは自覚している……。だが贅肉では無い、筋肉とか骨格が平均以上のだけなんだっ」


 なんというかメリーベルも年頃なんだな……副団長とはいえ、十代の女の子にとっちゃ重要なことか。


「ともかく、しっかり掴まっててくれ。なに、頂上まで二分も要らない」


 デリケートな話題だし『俺が立ち上がるまでに時間が掛かったのは重さのせいじゃなくて別にあるんだよ』と慰めるわけにもいかないので、俺は黙々と登山に撤することにした。

 意識すると背中の柔らかい物体Oに神経を集中させたくなってしまう。心頭滅却。今の俺は登山のプロフェッショナルなのだ。


「ひゃっ!? ま、待ってくれ! あまり揺らすな!」


 ところが、スイスイと猿のように登り始めたところでメリーベルが待ったを掛けてきた。首の前に巻きついた腕に必要以上に力が篭っているような気もする。


「もしかして……高いところが怖い?」


 メリーベルの腕の力が増した。


「ばっ!? 誰が怖いものか! ただ、落ちたら死んでしまうだけだ!」


「それは誰でもそうじゃね?」


 だが休むような窪みはない。崖だって半分以下だし、下にはまだチーター共がしつこくたむろしている。だったらメリーベルの為にも早く登った方が良い。


「なるべく揺らさないようにするけど、この状態で空飛ぶモンスターにでも襲われたら絶望的だ。悪いが、出来るだけ我慢してくれ」


「……わ、わかった。しっかり掴まっておくから、早く頼む……」


 ぎゅうと、腕と脚が俺の身体に巻きつく。


「まひょっしゃ!?」


 メリーベルの肉体が密着し、俺の背中の形にアジャストされる。特に物体Oの形状修正が大きい。ノンワイヤータイプのブラなので、ダイレクトに柔らかさが伝わってきた。

 よほど強い力でしがみ付いているのか、彼女の心臓の位置が俺のソレに接近するようだった。いま、俺上半身裸になったら怪しまれるかな。


(バカか何を考えている! 今は登ることだけに集中しろ!) 


 煩悩を振り払い岩を掴んだ。命綱の代わりに、十指を石に食い込ませ進む。足も同様に、筋力に物を言わせひっかけを作成していく。今の俺は、平地を四つん這いで走れというよりも遥かに早いだろう。


「ひっ! ハイヤえいせいへい! もっとゆっくり……! ゆ、揺れる……」


 プルプル揺れてるのは貴女のおっぱいですよ! あと耳元でささやかかないでくれ! つーか、なんか良いニオイするんだけど!

 俺はプロの登山家! 俺はプロの登山家! いま登るべきは92センチ級の双子山ではない!

 しかし俺の精神統一を邪魔するかのように、微かに震えるメリーベルは自分の肉体を強く擦りつけてくる。収まりの良い場所、パイポジでも探しているのか、浮いては離れての微調整を繰り返していた。

 俺の背中はおっぱいの発着場だったのか。なるほど、確かにメリーベルはジャンボジェット級だぜ!


「お願いだから、もっと、静かに……おちる……」


「それは俺の台詞でもあるんだ! お、おチチるぅ……!」


 落ちるという割には、コアラのようにしがみ付きびくともしない。腕はチョークしてくるし、足は俺の腰にメキメキよ括れを作ろうとしてくる。しかし何よりおっぱいが凄い。背中が蕩けそうだ。

 崖よりもチーターよりもマウンテン・メリーベルが危険です。両手両脚で事足りるのに、ハーケン(自家製)が出現しそうだ。


「もう少しだ! 頑張れメリーベル! 頑張れ俺!」


「……ひつじが二十匹……ひつじが二十一匹……」


「こんなところで寝ようとするなよ!? 永遠に眠る羽目になるぞ!」


 副団長のポンコツ化が止まんないんだけど!

 いや、まあ……良いのか? ブツブツ呟いているが、腕も足も万力のように俺をホールドしている。もしかして、これが金縛りってヤツ?


『……ぅ、……――ちょう、副団長、聞こえますか! 副団長、ハイヤ衛生兵……聞こえたら、応答を――』


 不意にその時、第三者の声が背から耳の届いた。聞き覚えのある男の声だ。


「ひつじが――……アザンか!」


「通信機が復活した!? 圏内に戻ってこれたか!」


 よかった、これでまずは一息つける。とはいえタイミングが悪く、俺もメリーベルも取り込み中だ。アザンさん達には悪いが、もう少し待ってもらおう。


「少し止まってくれハイヤ衛生兵、私はアザンと話をする」


「え、此処でか? 登りきった後の方がいいだろうに」


「構わん。本当に通信機の会話圏内に戻ってこれたのなら良いが、偶然繋がった可能性もある。それに、この方が気が紛れる」


 ……メリーベルがそう言うのなら。

 メリーベルはもぞもぞむにゅむにゅと身体を動かし、器用に通信機に取りだし左手に持った。両腕は首にまき付いたなので、俺のうなじに口を付けるようににて会話を開始する。

 少し首がキマってるが、メリーベルに片手で掴まれなんて言えないので我慢しよう。おっぱいが密着して超気持ちいからじゃないぞ。


「……『メリーベルだ。聞こえるか、アジャン』」


 でもやっぱり怖いらしい。誰ですかアジャンって。


『副団長! 良かった、ようやく繋がった……でも、アジャンって仰いましたか?』


「『まさか。コチラの魔力分布が濃いから通信が不明瞭になったのだろう。いや、それは今どうでもいい。そちらの状況は?』」


『はっ! 軽傷者は何名か居りますが、行動に支障はありません。間もなく合流ポイントへ到着いたします』


「『……そうか、よくやってくれた。私とハイヤ衛生兵も、ポイントまであと一時間も掛からんだろう。その時に今後の方針を話そう』」


『……――』


 返って来たのは沈黙だった。最初は通信機が圏外になったのかと思ったが、そうではないらしい。


「『……その事なんですが副団長。誠に勝手ながら、自分達がジョエルさんとレスティア副官とで、今後について協議しました』」


 静かだが、何故かギクリとくる声色だった。メリーベルも同じように感じたらしく、静かに息を呑む。


『我々第二騎士団は……棄権すべきという結論に至りました』

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