狩猟祭⑧ 戦う騎士達(下)
軽く自己紹介を終えた三人は焚き火を囲み、それぞれ現在に至った理由を話し合った。第一と第二での情報のやり取りは特に禁止されているわけでは無いが、双方の溝により忌避されている。
とはいえフィリップ自身、このような状況下で四の五の言ってはいられない。自分の置かれている
第二騎士団の副団長メリーベルと、衛生兵のムネヒトから訊いた話はフィリップを愕然とさせる。
「神獣タイラント・ボア……! そんな化け物がこの森に居たというのか!?」
信じられないと言いたいところだが、彼自身が証人だ。あの凄まじいモンスターはフィリップの経験した戦闘の中でも間違いなく最大の脅威だった。自分がどれだけ愚かな行いをしたのかと今更ながら背を寒くする。
「一対一で戦って生き残ったんだから、大したものですよ」
「……大したものだというのなら、第二騎士団のほうこそがそうだろう。自分は運がよかっただけだ」
ムネヒトへの答えは謙遜ではなく事実だと、フィリップ自身強く思っている。
最初から自分達はタイラント・ボアの敵ではなかった。それに藪を突付いて自ら手傷を負ったのだから世話は無い。
仮にA部隊全員が万全の状態で相対しても、勝てる到底思えない。だというのに、第二騎士団は彼の獣に明確な敵意を向けられておきながら生還した。どちらがより健闘したかなど子供でも分かる。
「しかし、部隊長に見捨てられ『転移符』まで奪われたのだから、幸運ともいえまい。大変だったのだな」
その辺りの内部事情は他の騎士団に言うべきことでは無かったかもしれないが、自分の内に沈殿する陰鬱を吐き出さないとどうしようもなかった。有り体に言えば、フィリップは誰かに愚痴を聞いてもらいたかったのだ。
幾分気持ちが軽くなった事を自覚しつつ、彼は第二騎士団の二人に頭を下げる。
「そっちだって大変だったのに変な話を聞かせてしまったな……助けてもらっておきながら、申し訳ない」
「困ったときはお互い様です。それよりフィリップさん、お腹減ってない? 実は俺達も朝食はまだでして、よければどうですか?」
「……なに?」
ムネヒトに問われて自身が空腹であることを思い出した。思えば昨日からまともな食事を摂っていないため、胃の中はほとんど空だ。口にしたものといえば中級ポーションや水、僅かに持っていた携帯食料程度。
ピークを遥かに過ぎた飢餓感は、フィリップにむしろ気色の悪い満腹感を与えていた。
「少しでも口に出来るならその方が良い。アレルギーは仕方無いが、好き嫌いは言うなよ?」
そう言ってメリーベルは、焚き火の中から人の頭ほどもある黒焦げの丸い何かを取り出した。ギョッとするフィリップを余所に、メリーベルは黒い球を手際よく半分に割った。
中から現れたのは充分に熱の通った麦粥だった。
側の部分は大きな木の実をくり貫いて作った簡易の鍋だったらしく、更にそれにたっぷり水を含ませた葉を何枚も重ねて、焚き火の中で蒸し焼きにしていたのだ。
細かく刻まれた鶏肉と麦を始めとした磨り潰した穀物、臭みを抑える為に天然の生姜も入っている。
湯気に混じった薫香がフィリップの鼻をくすぐると、停止していた内臓と唾液の分泌が活動を再開する。彼は無意識のうちに生唾を呑んでいた。
「ほら、熱いから気を付けてくれ」
「あ、ああ……しかし、良いのか? 自分は第一騎士団の……」
「第一だろうが第二だろうが腹は減る。酷く衰弱しているようだし、そんな人物を放って自分たちだけ食べるわけにはいかんだろ」
「遠慮しないで下さい。お粥の材料の八割は森で採れたもんですから」
フィリップは、荒く削られた木の皿と木のスプーンと一緒に麦粥を受け取った。自分の体調を慮ってくれたのだろうか、具は噛まずに食べられるくらいドロドロになっていた。
そっと匙で掬い、まだ熱いのを承知でフィリップは麦粥を口に含んだ。
「……ぅ、くッ……!」
「は!? おい、ちょっどうしたんすか!?」
まず熱さ、次に鶏の出汁に包まれた麦とプチプチと歯ごたえの良い穀物、摩り下ろされた生姜の風味が旨みとなって口いっぱいに広がる。小さく租借し胃に滑り落ちた瞬間、じんわりと温かさが体中に染み渡った。それを自覚した瞬間、フィリップは涙を流していた。
驚いたムネヒトにフィリップは首を振って応える。
「いや、違う……違うんだ……」
嗚咽だけは漏らすまいとフィリップは歯を食いしばる。限定的とは戦地で、しかも敵部隊の前でなんと情けないと自己を内心で戒めたが、涙だけは止めようがなかった。
この温かい麦粥は、空腹、不眠、疲労、そして第一騎士団への不信によりボロボロになっていた彼の精神を優しく癒していく。
「こんな、旨い粥は、初めて食べたよ……」
この質素な朝食は、昨日モーディス隊長が食べていた高価な食事より遥かに美味に違いない。
フィリップは二人に顔を見せないようにして、夢中で熱い粥を掻き込んだ。
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「フィリップさんは、これからどうするつもりなんですか?」
三杯ほどお代わりを貰い、食後の茶(これはムネヒトは森から取ってきた松の葉で淹れたらしい。何故か彼はココにも松があるんだと感心していた)を啜っていると、ムネヒトが尋ねてきた。
「フィリップで良い、敬語も不要だ。これからか、そうだな……」
この黒髪の青年がいくつかは知らないが、28である自分よりも若いだろう。下手すれば10代にも見える。だというのにあれほどとは末恐ろしい男だと、彼はハイヤ・ムネヒトという名前を記憶に深く刻む。
フィリップは深く息を吐き、メリーベルにもムネヒトにも聞こえるように口を開いた。
「……自分は予定通り本営に戻ろうと思う。俺は通信機を持っていないから元の場所に戻っても合流は出来ないだろうし、な」
残された部隊が気掛かりではあるが、あのモーディス隊長が神獣と遭遇し平静を保っているとはフィリップには思えなかった。なんだかんだと理由をつけ本営へ帰還している可能性が高い。
しかし、流石に自分一人だけで帰るとは考えにくい。フィリップがタイラント・ボアに挑む直前の記憶では、彼は無傷だったはずだ。負傷したわけではないのに部隊を見捨てての帰還は、職務放棄と敵前逃亡を糾弾される恐れがある。
貴族には自分より身分が下の者達からの声を聞かず、上の評価や醜聞ばかりを気にする者も居る。モーディスはそのタイプだ。
きっとA部隊全員で帰還し、遭遇した神獣の恐ろしさを本営のカロル副団長に割り増しで伝えるだろう。もしかしたら自分達の奮戦をアピールする為に、一人タイラント・ボアに挑んだフィリップを騎士の鑑などと持て囃しているかもしれない。
モーディスの名誉の為に褒め称えられるのは業腹だが、親兄弟の外聞が悪くならないのなら我慢しても良い。そもそも死んでいない。
「……ここで君らとはお別れだ。このお礼は後日必ずさせて頂く、では――……」
「待て、フィリップ」
辞去しようとした彼にメリーベルが一枚の紙片を手渡す。
「これを使え。単独で本営まで帰還するのは危険すぎる」
それは手に収まるサイズで表面には幾何学的な模様が書き込まれている。大会前、全員に配布された緊急帰還用の『転移符』だった。
「第二騎士団本営付近に出るだうが、レスティア副官とジョエルさんに事情を話せば悪いようにはしないだろう。それに御節介かもしれないが、卿の立場なら閉会式まで第一騎士団には戻らない方が良い」
メリーベルの忠告はフィリップの耳に届いていなかった。
「……何故だ?」
額にある傷跡を一撫でし、彼は呆然と尋ねていた。
「は? いや、だから一人で帰還するのは危険だと言っているだろう? この辺りのモンスターの生息分布だって不明だし、先程のランド・バードのように上層とは脅威が格段に違う。個人でここを抜けるのは自殺行為だ」
「違う、何故そこまでしてくれる? いや、何故そこまで出来る?」
フィリップにとって騎士団の上位者はそんな振る舞いをしない。モーディス、カロル、その他の爵位のみで騎士団上層部の椅子に座る者たちと、彼女の言動はあまりにかけ離れている。
フィリップはそのギャップを素直に呑み込めないでいた。
「言ってる意味が分からんな……ええっと?」
メリーベルは小さく首を傾げ困惑顔を浮かべている。その表情は年相応の少女の物で可愛らしいとすら思えてしまう。
明確な答えではなかったが、フィリップには充分すぎる解答だった。
彼女にとって苦痛に喘ぐ者に手を差し伸ばすのは自然なことなのだ。戦いとなれば自分が立ちふさがり剣を振るい、助けを求める声があるならば、まず助ける。そこに見返りなど求めない。
メリーベル・ファイエルグレイこそ、彼が幼き日に憧れた騎士の姿そのものではないか。
彼女こそが真の騎士だ――……!
そう確信した瞬間、フィリップはメリーベルの顔をまともに見ることが出来なくなっていた。自分の場所だけ重力が何倍にもなってしまったように彼は自然と地面に跪いていた。フィリップは知るはずも無いが、ムネヒトが得意とする姿勢だ。
「ええ!? おい、いきなりどうした!?」
「むぅ、なかなか見事な土下座……やるなぁ……!」
「何をワケの分からんことを言っているハイヤ衛生兵!? ちょっと止せ、なんなんだ一体!? 顔を上げてくれ!」
「恥を忍んでもう一つ伺いたいことがある! どうか、聞き入れて貰いたい!」
フィリップは顔を上げないまま、自分でも不必要と思えるほどの大声を出していた。
戸惑うメリーベルがもう一度顔を上げてくれというまで、彼は頭を下げ続けた。
「……――サルテカイツ襲撃の件だ。此方も第一騎士団で流布されている情報を全て公開する。何か知っているのなら、教えてはくれないだろうか!?」
・
パルゴア・サルテカイツとミルシェ・サンリッシュは将来を約束されていた。未だ正式な婚約ではなかったが、ここ数ヶ月のうちに話は纏まるだろうというものだったらしい。
そんな二人に悲劇が襲い掛かった。それがサンリッシュ牧場放火とサルテカイツ襲撃だ。
牧場に居たミルシェ・サンリッシュは賊達に暴力と凌辱の限りを尽され、その時のショックで当時の記憶を失ってしまった。
パルゴア・サルテカイツについては半ば廃人のようになり、もはや回復は望めないという。サルテカイツ家は事実上断絶だ。
真犯人たちは未だ捕まっていない。それどころか、当時サルテカイツ家に駆けつけた第二騎士団が裏で手を引いてたという噂もある。普段から第一騎士団を快く思っておらず、その出資元であるサルテカイツ家どころか、婚約者にすら魔の手を伸ばしたというのが第一騎士団上層部の見解だ。
サルテカイツ家への
許されざる悪逆非道の所業として、フィリップを含め義憤に燃えた者達が極秘裏に再調査へ乗り出したのだ。
だが、今にして思えば不可解なことが多かった。
まずミルシェ・サンリッシュへ話を聞くことが許されなかった事。フィリップ達にしても少女の傷を穿り返そうは思っていなかったが、最初からあそこまで厳命されるのは妙だ。
また、与えられた情報があまりに少なかった。
サルテカイツ家の屋敷から押収された様々な書類は王宮騎士団が保管している。許可さえ貰えれば自分たちでも閲覧は可能のはずだったが、それも上から固く禁じられた。
一刻も早く真犯人を見つけろと言ってくる割に上層部は非協力的だった。
フィリップは自分の持っている情報がもう信じられなくなっていた。
第二騎士団を完全に疑っているわけではなかったが、少女の尊厳を踏みにじり貴き一族を断絶へと追いやった犯人かもしれないと、無意識のうちに反感を抱いていたのは否めない。
そんな感情のうねりを狩猟祭には持ち込むまいと思っていたのだが、すっかり考えが変わってしまった。
メリーベルがそんなことするはずが無い。これほど素晴らしい騎士がそんな馬鹿な真似をするものか。
フィリップはそう確信し、固く禁じられていた第二騎士団への協力と情報公開を行ったのだ。結果、自分が処罰されようと構わない。彼は真実が知りたかった。
「なんということだ…………」
それでもメリーベルの口から発せられた言葉は、フィリップを驚愕させ落胆させるに余りあるものだった。
サンリッシュ牧場に火を放ったのは他ならぬサルテカイツ家であり、かつて国王より賜った牧場の権利書を強奪した。更にはそれを盾にしてサンリッシュの娘を自分の物としようとしたという。
おまけに王宮の役人と結託し税を不当に上げたり、牧場の営業を妨害したり、家畜を殺害しようとしたり、他国の武装集団と秘密裏に契約していたりと、汚泥もかくやという所業の数々を聞かされた。
それでいて第一騎士団はサルテカイツ家の潔白証明のために東奔西走している。喜劇だとしても、もっと上手いシナリオを用意するだろう。
(何が『錆付き娘』だ。錆びているのは自分たちの目の方であり、組織としては腐り果てているではないか!)
第一騎士団という組織の醜さと自己の見識の浅さに激しい羞恥を覚え、メリーベル達の顔をまともに見れなくなってしまった。口には出さないが、彼女らと比べて自分たちの何と愚かな事かと唇をかみ締める。
「第一騎士団としては信じられんかもしれないが、第二騎士団ではそれを真実としている。他の話を聞きたければ、レスティア副官にも話を通しておくが……」
「いや、充分だ……」
いずれ詳しい話を伺うべきと感じていたが、今はこれだけで限界だった。確かに第一騎士団としては真っ向から否定するような話だったが、フィリップはメリーベルの話に偽りは無いと直感している。真実はいつだって不都合なものなんだなと、深く肩を落とした。
「……短気を起こすなよ、ハイヤ衛生兵」
「大丈夫です、もう色々と終わった話なので……まあ、良い気持ちはしないな……」
聞けばこの衛生兵はサンリッシュ牧場に住み込んでいて、管理者の一人という。彼にとっては第一騎士団の話こそが荒唐無稽の極みだったに違いない。この青年もまた関係者の一人だというから当たり前だ。
「サルテカイツ家襲撃の再調査は打ち切る。仲間達にもそう伝達する」
フィリップもこれ以上茶番に付き合うつもりなどなかった。無益に費やした時間を嘆いても仕方無い、これから出来ることに目を向けるべきだ。
「……いいのか? 上の者達も黙ってはいないだろう?」
「構わない。まずは信頼のおける仲間たちのみでサルテカイツの悪行を裏付ける捜査を行い、証拠が出揃ったところで中止を訴える。その時に第二騎士団の助力を頂けると嬉しい」
幸い、上層部は口先だけで自らは動いていない。自分達がどのような仕事をしているのかも知らないのではないだろうか。そう思うと普段恨めしく思っている上の怠惰っぷりも、だいぶ溜飲が下がる。
「勿論だ。こちらからもお願いする。いい加減、痛くない腹をくすぐられるのは鬱陶しかったからな」
「俺も呼んでくれたら行くぞ? 下らない嘘を並べた連中は俺がガツンとしてやる」
二人の様子に、フィリップは幾分救われたような気がした。
結局のところサルテカイツ家の処分は正当なもので、彼らの自業自得に他ならない。それどころか、よくその程度で済んだ物のだとすら思ってしまう。
サルテカイツ家の潔白証明の為の調査という、なんとも無駄な時間を費やしてしまったが、真実を知れたのは幸いだ。このままでは適当な犯人を仕立て上げていた可能性だってある。
思えば、このハイヤという珍しい姓を持つ男も十何番目かの容疑者だったのだが、それを記したリストもゴミ箱行きだ。
「本当に世話になった。最後まで貴女達と競えないのは残念だが、生きているだけで充分だ。敵対している騎士団に言うべきことではないかもしれないが……どうか御武運を」
「ああ、卿も壮健でな」
メリーベルとムネヒトに小さく敬礼し、フィリップは今度こそ『転移符』を発動する。
彼女らが救ってくれたのは命だけではない。瀕死だった騎士の理想までも助けてくれたのだ。微笑みながら見送ってくれる少女の姿は、フィリップにとって太陽にも勝る眩しさだった。
だが、だからこそ明かせない事もある。それは、第二騎士団の敗北が既に決まっているという事実。報せた所で、カロル副団長が進めている事を知らされていない自分に出来る事はない。
ならばせめて狩猟祭が終わるまで彼女の顔を曇らせたくないという願いは、醜い物なのだろうか。あるいは自己満足なのだろうか。
(いや……まだ俺にも出来ることはあるはずだ)
自分がしようとしている行為は第一騎士団にとっての裏切りには違いない。しかし、フィリップは騎士としてのあり方にもう嘘を付きたくは無かった。
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