狩猟祭⑤ 毒とおっぱい

 

 洗濯機の中の衣服はこんな気分なのだろうか。ブラジャーが専用ネットか手洗いが推奨されるわけだ。

 強制的に命綱なしのバンジージャンプさせられた次は、船のない渓流下りだった。

 水を飲ませないようメリーベルを必死に抱きしめ、激流の暴力に耐える。一緒に落ちてきた大地の成れの果てに押しつぶされなかったのは、不幸中の幸いだ。


「……ぷはぁっ!」


 上下左右の判断もままならなかったが、明るい方が上のはずだ。なんとか水面から顔を出すことに成功した。メリーベルが鎧を脱いでいてくれて助かった。拙い立ち泳ぎでもなんとか呼吸を確保することが出来る。そして、やっとの思いで俺達の後を追ってきた木にしがみついた。


「メリーベル、しっかりしろ!」


 水温で冷え切っただけではないだろう、すっかり蒼白になったメリーベルに呼びかけるが返事は無い。呼吸を確かめようにも怒涛が邪魔する。二人して溺れないようにするだけで精一杯だった。

 おまけに更に良くない報せが耳を介してやってくる。滝の音だ。


「お約束過ぎる! 洒落になんねぇぞ!」


 両側はビルにも匹敵する高い崖。他に掴まるような岩も無い。流れも速くメリーベルを抱えたままでは逆らいようも無い。

 つまり、紐なしバンジージャンプのアンコールだ。


「う、わ、わぁ、ぁああああああああああああああああああ!?」


 落ちる瞬間に思った事は、もう二度とウォータースライダー系のアトラクションには乗るまいということだった。


 ・


「……ぅ、ぐ、っ……」


 横たわるベッドの硬さで意識を覚醒させる。もちろん俺の頬を凹ませていたのはシーツでも枕でもなく、丸みを帯びた小石だ。俺、なんでこんな所で寝てるんだっけか……?


「――ッ! そうだ、メリーベルは!?」


 不意に記憶が蘇り、今まで抱いていた少女の行方を捜す。彼女は幸いにして俺の直ぐ側に倒れていた。腰から下を浅瀬に浸し、うつ伏せのまま剣を握り締めている。濡れた紅い髪が白い頬に張り付き、血のようにも見えた。


「しっかりしろ! おい!」


 抱きかかえ水の中から引きずり出す。メリーベルの冷え切った体が否応なく最悪の事態を想起させた。

 想像よりずっと軽い身体を平地に横たえ、脈と呼吸を見る。浅く、早く、弱いがいずれも確認できた。


「ぅ、ぶ――……」


 呼びかけようとしたところで彼女は弱々しく血を吐く。心臓に氷水をかけられたような恐怖が俺の全身を硬直させた。


「俺こそしっかりしろ……こういうときの為の衛生兵だろうが!」


 震える指を無理矢理押さえつけ、収納袋の中身を全てぶちまけた。

 外見はショルダーポーチと大差ない大きさだが、容量はキャリーケース三つ分程はある。重量軽減の魔付加すらせず、容積拡張のみに特化した収納袋だ。中には最下級、下級、中級の各種治癒薬が入っている。

 いや、入っていたはずだった。バラバラと零れ出たのは、かつて液体が入っていた硬質ガラス瓶の破片だ。


「割れてる!? くそ!!」


 タイラント・ボアとの戦闘で破損したのか、流されている間に紛失したのかは分からないが、解毒系治癒薬は全滅だった。残っているのは、最下級と下級の通常ポーションと魔力ポーションのみ。


(なにやってんだ俺は! 衛生兵の役目、全然こなせてないじゃねえか!)


 余りの不甲斐なさに冷えていた身体が熱くなっていく。いや、反省は狩猟祭が終わってからで充分だ。今すべきは自責を追求することじゃない。

 仰向けに寝かせたまま顔を横にし、気道を確保する。そよ風のような呼吸を確認してから目を身体へ向けた。


「何処だ、何処を噛まれた……これか!?」


 濡れて張り付いた黒いインナー、左胸下側の部分に小さな二本のトゲのような物が刺さっている。まるでダニに噛まれた跡の様に顎か何かが残っていた。

 俺はそれを布に包んだ指でそっと抜き去り、付近の布を裂く。


「う……!」


 目を覆いたくなるような状態だった。噛まれたらしい下胸の肌が水ぶくれのように腫れ、ドス黒く変色していた。しかも赤紫色のグラデーションが更に侵攻範囲を広げていく。病的に白くなった肌と対比でおぞましさすら覚えた。


「待ってろ、メリーベル! 直ぐになんとかしてやるからな!」


 両手を胸の上に当て、『乳治癒ペインバスター』と『奪司分乳テイクアンドシェア』を全開にした。青白い光が乳房から全身へ広がるが、表情は苦悶に歪んだままだ。

 傷は確実に癒せている。全身に負っていた小さな擦り傷は完全に消えた。しかし、治りきらない。

 俺の『乳治癒』は、体内の老廃物や毒素なども排除できる。だがもしかしたら、体外からの毒には効果がないのか? あるいは少しずつは取り除けてはいるが、毒の侵攻の方が早いのかもしれない。

 少しずつでは遅い。遅すぎる。


「毒そのものを外に出すしかねえ……!」


 メジャーだが傷口から毒を吸い出す! 噛まれてから結構な時間が経ってしまったが、やらないという選択肢はない。


 ピコン!


 俺が黒い傷口に唇を寄せたとき、久しぶりにマヌケなアナウンスが脳内に響く。


乳治癒ペインバスター

 乳房に触っている間に限り、その持ち主を治療することが可能。接触箇所が乳首に近いほど効果は増大。

 また乳房に関する不調を改善する。

 おっぱいに不要な物、害する物は俺が吸い尽くしてやろう。でも、できればそんな理由がないときにこそおっぱいを吸いたいなぁ。

 乳房に口を付けているときに限り効果を発揮、『乳治癒』の効果を拡大効率化。乳首に近いほど効果アップ。(傷口でも可)←New


 何が吸いたいなぁ、だ! (傷口でも可)じゃねえぞボケ! それどころじゃないんだよ! 

 まったくもってクソみたいなスキル成長だが、四の五の言ってられない。

 ほとんど噛み付かんばかりの勢いで傷口を咥えた。冷たい人肌と、口内をビリビリと刺す様な感覚。後者が恐らくは毒の味だ。


「ぐ、ぁぁ……!」


 そこでようやくメリーベルが明確な反応を寄越す。意識は失ったままだが、苦痛に上半身をそらせる。


「痛いか!? すまん、ちょっとだけ我慢してくれ! ぢゅ、ぢゅぅぅううう!」


 吸血鬼になったつもりで毒の混ざる血液を吸い、直ぐに吐き出す。吐き出した血液まで石油のように濁っていた。モタモタしていられない。

 スキルの効率を高めるべく両手を両胸に被せ、もう一度傷口に吸い付き吐き出す。その繰り返しだ。

 毒への拒絶反応だろう、水を吸って乳肌に張り付いていたインナーがいつの間にか温かくなってきた。メリーベルも戦っている。彼女の細胞が毒に負けじと活性化しているのだ。


「ん、く、ぅぅ、はぁ、う、ぁぁ……ッ!」


 だが依然として苦痛に満ちた喘ぎが聞こえてくる。いかん、もっと早く……そして力の限り吸いださねば!


「ぢゅ、ぢゅぅぅううう、ん、ン、ぅぅぅんんんんんんんんんんんん!」


「はぁッ!? ……ぁぁ、ぃゃ、だ、ダメぇ……!」


 駄目だと!? そんなにやばいのか!? くそったれが、ならば!


「は、ぅぅぅん!?」


 人差し指と中指の付け根で寒さの為か高く尖った先端を挟む。ダブル乳首でスキルを使う! これならどうだこのクソ毒がぁ――!


「は、ぁ、か、はぁ――ッ! あ、ぁあ、は、うァァ、ぃ、ァっああああ――――!」


 頼む! 目を覚ましてくれ、メリーベル――!


 ビクンビクン、と弓なりに腰を浮かせていたメリーベルが二度ほど大きく跳ねた。もちろん、俺はメリーベルの胸から手も口も離さない。それぐらいじゃ治療を中断したりするものか。


「は、はぁ……はぁ…………あ、あれ? 私はいったい――……?」


 それからも小さく痙攣を繰り返していたが、やがて薄っすらと目を開いた。顔には血色が戻り(若干赤すぎる気もするが)額には脂汗ではない汗が浮いている。

 見れば傷口も黒い変色も綺麗になくなり、薄い桃色に染まった肌に戻っていた。


「ぢゅぅっ……良かった、気がついたか……!」


 そこまで確認して付着した唾液を舌で拭いとり、唇を離した。


「は、はいや衛生へ……――ンゃッ!?」


 しかしまだ『乳治癒』は発動したままだ。病気は治りかけの時こそ油断しちゃ駄目だ。医者から処方された抗生物質などは全て飲み切る必要があるように、俺はメリーベルが完全に回復するまで乳首を弄り続けるつもりだ。くりくりこねこねくりくりこね……。


「……」


「……?」


「な――」


「な……?」


「ナニをしとるか貴様ぁぁああああああああああああああああああ!」


 バキィ!


「ぶべぇー!?」


 純ミスリルソードの柄で殴られた。ほぼ密着状態で覆いかぶさっている相手に対してこの威力とは恐れ入る。俺は再び冷たい川に突っ込んでしまった。


「きしゃ、きさまぁぁぁあ! 気を失っている相手に何という狼藉を! 私みたいな女に対しても襲い掛かるとは……見境がないのか!? うぅぅ……! まだ、誰にも肌を許したことないというのにぃ……!」


「あたたた……ち、違! 誤解だ! これには深い深ぁいワケが――」


「問答無用! そこに直れ! 王国婦女子の為に私がこの場で手打ちに―……あぅっ!?」


「!? 副団長!」


 立ち上がろうとしたメリーベルが再び膝を付く。ワナワナと産まれたばかりのバンビのように、四つん這いで震えている。間違いない、まだ毒が残っているんだ!


「こ、腰が抜けて、た、立てん……!? お、おにょれぇ……!」


 言う事を聞かない五体への不安に苛まれているのだろう、メリーベルは全身を震わせ悔しそうに歯噛みしている。そんな彼女の様子を見て、俺はいてもたってもいられなかった。


「任せろメリーベル! 俺が癒してやる!」


「イヤらしくしてやる!? おい、ちょ、待、ひゃあん!?」


 俺は素早くメリーベルの後ろに回り、彼女の背中から腕を伸ばして重力に引かれた胸を鷲掴みにした。

 もう少しのはずだ。ならば後は『乳治癒』だけでも充分のはず!


「いい加減にしろよ毒野郎! メリーベルの身体から消えうせやがれ! うぉぉぉぉぉーー!」


 もみもみもみ!


「いい加減にするのは貴様だぁぁぁ! 揉んどる場合かァーッ!」


 バキィ!


「ぶべぇー!?」


 今度は裏拳の要領で肘が飛んできた。今度は頭から川に突っ込んでしまった。俺、もう風邪を引いちゃう。

 でも、そこでようやく頭が冷えた。やべえメリーベルが起きちゃった! いやそれで良いんだけども!

 振り返ると、まるで不動明王のような形相をしたメリーベルの姿があった。ならばミスリルソードはさながら倶利伽羅くりから剣か。

 元気になって良かった。いつもの頼もしい副団長の姿だ。でも、頼もし過ぎてチビりそう。


「おおおおおお落ち着いて下さい! 俺は決してヤマしい事はいていません!」


「ヤマしい上にヤラしかっただろうが! 貴様、自分が何をしたか思い返した上で私に弁明しているんだろうな!?」


 副団長を半ば脱がせ下乳に吸い付き、服の上から両乳首をクリクリしていました。行動のみを抜粋すれば罰せられる未来しか見えない!

 しかし今回は本当に緊急事態だったんだ! 出来る限り迅速に処置をしようとした結果だと説明せねば!


「聴いてくれ! 毒! 毒だったんだよ!」


「毒だと!? 『お前の身体つきは男にとって毒だ! 俺もヤラれちまったから、責任とってお前が治療をしてくれよォ! げっへっへー!』ということか!?」


「いやどんな意訳だよ!? 聴けって! 多分だけど毒虫に噛まれてだな――……」


「毒虫だと……!?」


 聞き捨てなら無い単語を耳が拾うだけの冷静さは残されていたらしく、メリーベルは剣を下ろし俺に耳を傾けた。

 やがて数分で事のあらましを聞くと、彼女はふむと唸る。


「なるほどな……あの時の激痛はそういうワケか……そして、運悪く毒消しポーションを破損させてしまったと……あの高さから落ちてこの程度の損害で済んだことを、むしろ幸運と思うべきだな」


 そう言うと視線の先には、もはや瀑布に近い規模の滝があった。滝壺が無ければ人の命を奪うにも過剰な高さ。今更ながら肝が冷える。


「毒を吸い出そうとしたことについては理解した。だがなハイヤ衛生兵、仮にその毒が経口によって吸収されたり、お前の口の中に傷があった場合は毒がお前にまで回る可能性がある。気をつけろ」


 平手打ちを喰らったかのような衝撃だった。メリーベルの言うとおり、そういう未来もあり得たのだ。

 俺も毒に侵され倒れたとなっては、二人が助かる可能性など皆無に等しい。


「……そ、うですね。申し訳ありません」


 つくづく不甲斐ない。情けなさと恥ずかしさで顔も上げられなかった。


「あ、いやっ、違う違う! ああ、もう……なぜ私は素直に礼が言えんのだ……! よほど切羽詰っていた中で懸命に治療してくれたのだろう!? ならば、お前が私にしてくれた処置はその場においては最良のものだったと思う! ええ、とだな……」


 俯く俺に、彼女は慌てたようにまくし立てた。ようやく顔を上げると、前髪を指で遊ばせながら唇をもにゅもにゅさせている。


「その、つまり……あ、ありがとう。助かったよ、ハイヤ衛生兵」


 その顔と仕草は年相応の少女に見えて、頬が綻びるのを自覚した。


「しかしだッ!!」


 ん?


「毒を吸い出そうとしたことはもういい。だが、な、なぜち、ちく……んんっ! 授乳器官を弄りまわす必要があったのだ!?」


「じゅ、授乳器官って言い方のほうが気になります……!」


「いいから早く答えろ!」


「実は俺が乳首を触ると怪我の治りが早くなるんです!」


「そんな馬鹿な与太話を信じると思うか!?」


「ち、ちくしょう……! なんで誰も信じてくれないんだ! メリーベルは乳首が嫌いなのか!?」


「いや、そんな話ではないだろう!? というかお前は好き嫌いで決めているのか!?」


「好きか嫌いかで言うなら、俺の生きるしるべなんです!」


「好きか嫌いかで答えてないじゃないか!」


 しかし困った。確かに人からすれば、治療中に無関係な乳首を弄られる理由なんて見つかるわけない。

 いっそ乳首を触ると治療効果が高くなるのは、俺が乳首の神だからだって言ってみるか? いや駄目だ。過去の経験から信じてくれないであろうことは明白。信じてくれているのはハナ達だけなのだ。


「なんだ答えられんのか!? じゃ、じゃあやはり貴様は、あろうことか、わわわ、私に欲情して……!?」


「違います! 思い出してみれば確かにとっても良いおっぱい様でしたが、そんなつもりじゃなかったんです! 俺が乳首をクリクリしたのは乳首をクリクリすべきタイミングだったからです! あの時は乳首をクリクリしなきゃ危険でした! つまり副団長は乳首をクリクリされる必要があったんです!」


「何度も言わんでいい! じゃあその必要だった理由を今ココで言ってみろ!」


「そ、それはですね……ええっと……」


 なんて答えよう? 何時も使っている心臓に近いからという言い訳も通用しない。せめて両乳首じゃなくて左乳首だけにすべきだったか?


「実はコリが酷かったんでついでにほぐそうかと……」


「なにがついでだ!? もともとそんな所は凝ってはいない! むしろお前のせいで凝りそうに――」


「え! 乳首硬くなったんですか!?」


「なななななっていない! じゃなくて、話を逸らすな! うやむやにしようとしてもそうはいかんぞ!」


「ひぃッ!? じ、実は血行を良くしようかと……」


「毒が回っているのに血液の巡りを良くしてどうする!? そもそも何故血行を良くしようとしてそんな所を触らなきゃならん!? ええい、お前のせいで実際に暑くなってきたぞ!」


「え! 火照ってるって事ですか!?」


「だだだだだ誰がそんなこと言った!? 怒っているからに決まっているだろうが! 良いから早く答えろ! 舌を三枚に下ろされたいのか!」


「怖!? 以前剣を振るのに邪魔とか言ってましたから、何か対策を講じられないかと……」


「余計なお世話だバカー!」


 無益な言い争いは、それからもしばらく続いた。

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