狩猟祭③ 遭遇(下)

 食欲をあおる良い油の香りが立ち上っていた。精製された物ではなく、野生獣の自然そのものの油だ。

 A部隊とB部隊は合流し、皆が集めた戦利品を一度大本営へ持っていくことになった。

 例年にないハイペースでモンスターの素材が集まり、収納袋のキャパシティが心もとなくなった為だ。

 A部隊の数名が運営本部へ走っている間、俺達は昼食の準備を整える。

 そこは森から抜けた崖の上で、眼下に広がる森を一望できる。逆に上へ顔を向ければ、すっかり遠くなった大本営のある崖壁が見えた。

 昼食はトラベル・バードとかいう渡り鳥とブラウン・ポークとかいう豚みたいな生き物を狩り、それを石の上で焼いたものだ。

 小川の近くにあった良さ気な岩を、メリーベルが例の純ミスリル剣でスパッと斬ったときには拍手に沸いた。

 その切断面の滑らかな石板を川の水で洗い、四隅を石で高さを合わせテーブル状にする。ちょっとした屋外バーベキューの気分だ。

 見晴らしもいい。小川のせせらぎは緩やかにくだり、どのような蛇行を描いていったのか崖下の大きな川に繋がっているという。


「ただいま戻りました! 現段階での第二と第一のポイントをお伝えします!」


 熱された石の上で肉を滑らせているところで、A部隊の衛生兵兼伝令兵が帰ってきた。

 談話に耽っていた俺達はその伝令に視線を集め、その表情から明るいニュースだと確信する。


「戻ったか! それで、今はどうなっている!?」


「第一は1200ポイント、第二騎士団は3800ポイントです!」


 おお! と感嘆の声が上がる。


「3000!? やったぜ、マジかよ!」


「おいおいおい、三倍差なんて初めてじゃねえか!?」


「この分じゃ折り返しの時には五倍は差が付いてるぜ!」


 口々に喜びの声を上げる。

 確かにこれは凄いことだ。人数差が倍なのに、ポイントの差はこちらが三倍差で勝っている。

 つまり、ざっと考えて一人当たりの成果は向こうの六倍ということになる。


「落ち着け皆。第一騎士団が戦利品を出し渋り、収納袋に入れたままという事もある。向こうの収納袋それはコッチのより性能が良いんだから」


 アザンさんの一言で、皆は少し冷静になったらしい。


「しかし、これほどの成果は俺も初めてだ。今年はいけるぞ」


 それでも、この段階でこれほどの大差を付けたという例は過去にない。油断はしていないようだが、喜びを隠せないのも分かる。

 皆の顔に意気が燃え、鼻息まで荒くなっている。


「こっからは更に下に行くんスよね!? だったら、もっともっとポイントは増えるはずッスよ! いくらアイツらが素材貯金してようが追いつけるもんかよ!」


「むしろ俺達がアイツらに素材を分けてやりたいくらいでさあ!」


 双子騎士の冗談にも爆笑が起きるほど皆の笑いの沸点は下がっていた。


「だが下層に行けば行くほど、今のように本営へ素材を持っていく事が困難になる。持ち運ぶ戦利品については吟味しないとな」


 メリーベルの言い分は最もだ。

 これから立入非推奨区域に向かえば、どうしたって本営との連携が難しくなる。物理的な遠さは不便さと比例するといっていい。


「収納袋に入れたアイテムが、本営の収納袋とか倉庫とかに共有されて、どちらからでも取れるように出来たら便利なんですけどね」


 俺の頭に浮かんだのは懐かしき日本のATMだ。メガバンクならば全国どこにいても現金を引き出せるという、今にして思えば凄まじいシステムだ。


「はははは! 確かにそりゃあ便利だ。実現すれば収納と輸送の概念がいっぺんに覆るよ」


 俺の提案、というか願望に笑い出したのはアザンさんだ。やっぱり虫のいい話だったかと、俺も釣られて笑う。

 例えば戦利品に『転移符』を付けて運ぶという方法もあるだろうけど、『転移符』自体のコストが掛かり過ぎる。

 一応、今回の狩猟祭では全員に帰還用『転移符』が配布されてはいるが、これはあくまで緊急時に使用するものだ。

 ご丁寧にも一人用なので、競技終了間際に戦利品を『転移符』で飛ばし、何人か一緒に帰還するという手も使えない。


「ま、無いものねだりをしたってしょうがないさ。場合によってはC部隊と中継地点を設けてそこで受け渡しをする。過去に無いほどの収納袋は用意したが、身動きが取れないほどの大荷物を運ぶなんて無理はしなくていい」


 その時は俺がまとめて持とう。ハナ達のお陰で力持ちだし。


「よし、休憩は終わりだ。下層へ向かおう」


 副団長の号令で石焼バーベキューの火の始末をし、全員が腰を上げた。下層と言われ、つい崖の下を覗き込む。高い。思わず膝が笑ってしまいそうだ。


「まさか、そんな所から行くわけないだろう。下へ向かうルートはちゃんとある」


 メリーベルが苦笑を浮かべながら注釈してくれた。

 まだ大荷物とは言えないが、こんな絶壁を上り下りするのは正直億劫だったので、正直ほっとした。

 やがて土埃を軽くはたいたり、川の水で顔を洗ったりしながら、それぞれが得物と今後の段取りを確認する。その時だった。


 ――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォオオオオオオオオオオオオオオオオ。


 身を竦ませるに足る獣の咆哮が遠雷の様に響いてきた。


「――!?」


 叫びの発生源は遥か向こう、ちょうど第一騎士団が居るらしい辺りからだった。

 ギャアギャアと、鳥達が喧しい鳴き声を上げながら天空へ散っていくのが見える。

 皆は弾かれたようにそちらを向き、確認したばかりの武器を手に取った。寸暇は去り、張り詰めた緊張が誰の顔にも走る。


「……大物、っすね。第一騎士団と交戦中ってトコロか?」


「奴らの腕の見せどろこだけど、期待できそうにはねえなあ……」


 先頭にいるゴロシュとドラワットが、やや不器用に笑いながら呟いた。

 実戦経験も豊富な第二騎士団の皆にとって、声の主が尋常で無い相手だとすぐに察せたらしい。そしてそれが近づいてくる事も。


「『レスティア、そちらから確認出来ないか? 正体不明の……恐らくは魔獣クラスと思われる個体が、此方から見て西の方に居る』」


 隊の中心で剣を構えていたメリーベルが通信機を取り、C部隊のレスティアに呼びかける。受信する声を皆にも聞こえるようにして返事を待った。


『――』


「『おい、どうした?』」


『あ、も、申し訳ありません! 此方でも確認できます! で、ですが……これは……魔獣、いえ……いったい、なに……!?』


 遅れてきた返事も、明敏なレスティアにしては歯切れが悪く要領を得ない。

 指揮官の動揺は隊全体に伝播するという事をレスティアだって熟知しているはずなのに、通信魔道具の向こうからは冷静さを欠いた声が続いた。


「『落ち着け。レスティアが判断できないという事は、新種の魔獣である可能性があるということだな? ならば彼我の距離と大体の戦闘力を教えてくれ』」


『……魔力反応が濃すぎて距離がはっきりしませんが、800メートルから1.5キロ! おおよそ時速40キロで接近中! 戦闘力も変動し観測できません! しかし――……推定ステータス・アベレージは400オーバー!』


「なに――!?」


 今度こそ全員に動揺が走る。

 ステータスの平均値が400を越えるという事は『後悔の巨人』やライジルをも遥かに上回る。間違いなく、俺が相対してきた中では最強の相手だ。


「副団長、交戦は避けるべきです! とても普通の相手とは思えません!」


 そう具申したのは後方で短弓を構えていたアザンさんだ。この様子から、皆にも経験が無いほどの難敵である事が察せられる。


「……どうやら向こうは待ってはくれんようだ。理由は分からんが、真っ直ぐコッチへ向かってきている」


 視線を動かさず、メリーベルは剣を抜き放つ。

 空へ沸き立つ鳥達が徐々に近づき、バキバキと木を倒す音が重なり合って聞こえる。

 かなりの巨漢サマが、自動車並の早さで向かっているらしい。


「……背を向けるのはもう危険か。ゴロシュ、ドラワット、先駆けは任せる。アザン、大型魔獣用の装備を準備だ。残りは私を援護してくれ。ただし、全員すぐに撤退できるようにしておけ」


 全員が承諾し、それぞれの持ち場についた。

 先頭は以前としてゴロシュ、その少し後ろにドラワット。中心にメリーベル、最後尾にアザンさんだ。俺を含む残り十六名の団員は隊列の中央から後半へ並ぶ。

 俺はナイフをベルトにしまい、両手を自由にした。もし相手が哺乳類なら俺も役に立てる。

 暑いのか寒いのか、肌が外気温を正確に判断できないように感じた。固唾を呑み、約200メートル離れた森の入口を見つめる。


『―――来ます!』


 通信機からの合図は、最後の方が破砕音に紛れて聞こえなくなった。

 のそりと、俺達の緊張を余所にソイツは悠然と出現した。

 いったい幾本の木々をなぎ倒してきたのだろうか、枝や葉を体中に被っている。それでも彼、もしくは彼女の歩む四本の脚に淀みは一切無かった。

 姿を見せる瞬間になってスピードを落としてくれるとか、中々どうして演出のサービスが利いてるじゃないか。などというような軽口も叩けない。

 成人男性の腕ほどの太さと長さを持つ二本の角、深い茶色の体毛に覆われ、あちこちに白と黒の縞々の体毛がアクセントとなっている。

 それは一見するとイノシシだった。ただし日本の山中で見かけるようなサイズではなく、大型トラックと比肩し得る巨体。

 その黄緑色の双眸と、俺は何故か目があったような気がした。


「……タイラント・ボアだ……!」


 最後方で構えていたアザンさんが呟き、団員の数名が浅く振り向く。

 その名称の脅威を正確に察知できたのは、アザンさんを含め何名居ただろう。赤い目を見開いたメリーベルはその一人だったらしい。


「確かか!?」


「図鑑や博物館の標本で見たことがあります! 馬鹿な……とうに絶滅したはずじゃ――副団長、あれは魔獣などではありません! あれは――――神獣種です!」


 オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 咆哮は風のように俺達の全身を叩く。耳を塞いでも到底聴覚への伝播を防げない、苛烈な音の壁だ。

 こうして、第二騎士団と神獣タイラント・ボアとの邂逅は果たされた。

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