狩猟祭①

 

 進捗は順調と言って良い。

 崖の上、大本営がある場所から最初の階層に降りてやがて三時間くらいだろうか。団員の一人が、木々の間を抜けて飛び込んで来た肉食獣を地面に叩きつけた。ぎゃんと短い断末魔を残し息絶えたジャッカルを、他の団員が手際よく解体していく。

 牙に、毛皮に、ビー玉サイズの半透明の石……『魔石』だ。


「フォレストジャッカル十匹目だ! しかも魔石まで持ってやがったぜ!」


「これで連続十匹! 流石レスティア副官、百発百中だな!」


 第二騎士団は東、第一騎士団は西方面へそれぞれ部隊を進めている。他の数少ない参加者は個人、集団を含め好きなところから出発したらしい。

 俺達は現在、A、B、Cの三部隊に分かれて森を進んでいる。俺はメリーベル副団長を含む十人からなるB部隊に組み込まれていた。どうもBという単語に縁があるらしい。

 A部隊はアザンさんを部隊長とし、ゴロシュとドラワットを含む十人で構成されている。

 ちなみに第一の実働部隊はAからFまで居るらしい。一分隊につき十人程度だとすると数の差は倍だ。聞いていた通り第二騎士団と第一騎士団とでは参加人数までが大きく違う。


「そっちにも行ったぞムネヒト!」


 声が早いか獣が早いか、深緑色のジャッカルが俺の斜め後ろから飛び掛ってきた。


「ふん!」


 俺は振り返る勢いをそのままナイフに乗せて、半開きの顎に叩き込む。腕力と得物の硬さのみに依存した不細工な一撃だった。

 それでも相手の耐久値を大きく上回る威力で、ジャッカルの頭部を半分吹き飛ばす。練習の成果があったというもの、全部をバラバラにせずに済んだ。


「相変わらず凄ぇな……いったいどんな腕力してんだよ?」


「毎日栄養満天の牛乳飲んでるお陰ですよ。飲み始めたら風邪だって引きません」


「やっぱりそうなのか……十になったばかりの娘がミルシェの嬢ちゃんみたいになりたいって最近飲み始めたんだが、俺も飲んでみっかな……」


「どうぞどうぞ。エッダさんの店に置いてますので、是非一度サンリッシュ牛乳を手にとって下さい」


 しかも商売までしちゃう。我ながら如才ないぜ。


(さて。経験値、経験値と……)


 ジャッカルを解体する前に獣の腹……正確には乳首付近を触り、体力と経験値を頂戴する。獲物が哺乳類の場合にのみ可能だが、だいぶ貯まってきた。

 こうやっているうち、経験値の獲得と一口に言っても様々な違いがある事に気付いた。

 ゲームでも有名な序盤モンスターの代名詞――スライムは、あらゆるモンスターの中でも保有している経験値が少ない。

 それでも駆け出し冒険者にとっては油断のならない相手だし、倒せばレベルアップだってする。


 では、上級冒険者がスライムを倒してもレベルアップをするだろうか? 答えは限りなくいいえに近い。

 もちろん倒せば一定の経験値は得られるだろうけど、レベルが1から2になるのと99から100になるのでは必要な経験値のケタが違う。きっと何万というスライムを狩らなければならない。不老長寿とか、得られる経験値が何十倍になるスキルとかが無い限り効率が悪い。


 もう一つは、モンスターの倒し方によっても違いが出るらしいということ。

 たとえば竜を一騎打ちで倒す場合と、寝ている間に毒などで闇討ちするとでは得られる経験値に差が出るのは当然といえる。

 先ほどの例とも関係あるが、上級冒険者なら通常のスライムなど秒で始末できるので、得られる経験など微々たるものだ。

 後者の経験値獲得については、かけた時間や苦労……つまり本人が費やしたエネルギーに比例する。

 モンスターの固定分と自身の苦労分の総計が最終的に得られる経験値となるわけだ。


 俺が行っているのは第三の獲得方法、相手が持っていた経験値をそのまま貰ってしまおうというもの。

 スライムだって、産まれてからスライムなりの経験を積んで来たに違いない。それを一剣のもとに切り伏せて1とか2とかの経験値にしかならないのなら、何となく気の毒だ。

 自己満足に満ちた供養ではあるが、モンスターの命も粗末にしたくはない。得られるなら得ておきたい。


「い、つつ……ちっとカスったか……衛生兵、頼むわ」


「おっと、了解です」


 回収が終えたあたりで団員の一人に声を掛けられる。見れば腕に浅くは無い程度の裂傷がある。下級ポーションでも事足りるが、俺が居る限りは節約せねば。

 傷口を水で軽く流し、団員の肩に触れ『乳治癒』を発動する。この辺はもうなれたもんだ。


【デリック・マッグソップ】


 トップ ―

 アンダー ―

 サイズ ―

 37年4ヶ月3日物


 レベル 14

 体 力 82/103

 魔 量 12/30

 筋 力 55

 魔 力 22

 敏 捷 31

 防御力 44

 累積経験値 1855

 右乳首感度 12

 左乳首感度 12



 そして、表示されるステータスに『累積経験値』というのが表示されるようになった。文字通り彼が今まで得てきた経験値の総量でありレベルにも直結する数値だ。

 とはいえ必ずしも比例しているとは言えない。

 同じレベルでも所有スキルの数、その熟練度などで累積経験値に違いがある。今にして思えば、あのライジルはどれほどの経験値を保有していたのだろうか。

 スキルといえば、先日レスティアのスキル『バストマッサージ』を限界突破させたが、彼女のレベル自体は上昇しなかった。

 あの時はかなりの量の経験値を送り込んだはずだが、このあたりシステムは謎だ。とはいえ育乳体操の上達でレベルアップするというのも謎だから深くは考えまい。


 ちなみに、俺のステータスにも累積経験値なる項目が追加されたのだが……。


 ・


【灰屋 宗人】

 称号

『乳首の神』


 固有スキル

『乳分析』『乳頂的当』『乳治癒』『索乳』『奪司分乳』『潜在乳力解放』『絶対乳域』


 所有スキル

『徹拳 Lv乳(乳/乳)』


 レベル 乳

 体 力 乳

 魔 量 乳

 筋 力 乳

 魔 力 乳

 敏 捷 乳

 防御力 乳

 累積経験値 乳

 右乳首感度 50

 左乳首感度 50



 ・


 知ってた。俺もう自分のステータス見なくて良いよ。


「間もなくA部隊と合流する。ハイヤ衛生兵、合流後はA部隊の伝令兵に戦利品を引き継げ。一度本営へ持っていかせる」


「了解です」


 メリーベルへ返事をしながら、ジャッカルの牙と土色の魔石を収納袋に入れる。恐らくは微かに土属性を帯びているのだろう。魔獣の体内で精製される魔石の多くは、その土地と関係のある属性を帯びていることがほとんどだからだ。事実、回収した十の魔石の全てが土属性だった。

 純度もまずまず。属性を漂白し魔道具のバッテリーにしたり、そのまま土属性を強化して武器材料にしたりと用途は様々だ。

 俺の基本的な役目は戦利品の回収とポーションなどの運搬であり、そのため第二騎士団では貴重な収納袋を持たされている。


『こちらC部隊、B部隊の現在位置より南東へ700メートル先にフォレストウルフの群れ。数は推定十八、魔石反応アあり』


 移動を再開したところで、通信機からレスティアの指揮するC部隊の声がした。

 レスティアとジョエルさんが居るC部隊は森へ進発せず、本営近くの見晴らしのいい場所から全体を指揮していた。

 彼女が『能力映氷』で見たモンスターの分布を、こうやって開会式で渡された通信機で俺達に知らせているのだ。おかげでスイスイとモンスターを狩り、しかも効率よくポイントを稼ぐことが出来ている。

 一朝一夕で思いついた作戦ではない。レスティアが参戦できなかった期間も、彼女が居ればこういうことが可能なのだと皆が練っていた作戦だという。

 確かにこれは第一騎士団が彼女の参戦を望まないわけだ。正直言って楽すぎる。


「『了解。討伐し合流ポイントへ向かう。引き続き指示を頼む』」


 通信を終えメリーベルが先頭へ。俺が彼女のすぐ後ろ、残りの八人がそれぞれの八方を担当し、隊列は歪な円を描いた。


「周囲の警戒を怠るな。知っていると思うが、レスティア副官は魔獣を優先してナビゲートしている。道中、身にかかる危険は自分たちで排除するぞ」


 俺達九人は頷き、メリーベルの後に続く。


「合流したら昼食にしよう。その後は更に下層を目指すぞ」


 ・


「ふう……」


 レスティアは望遠の魔付加エンチャントが施された双眼鏡オペラグラスを顔の前から退け、『能力映氷』解除する。現在までで確認できるだけのモンスター、特に強力な魔力を帯びる個体を魔獣と仮定し、その位置を団員に地図へマーカーさせる。


「お疲れレスティアちゃん、ここまでは順調だな」


「お疲れ様ですジョエルさん。最後まで順調でありたいですね」


 レスティアはやって来たジョエルから瓶に入った水と飴――固形ソリッド魔力回復薬マジックポーションを受け取る。


「AとBが間もなく合流する。その後は予定通り下の階層を目指すらしいね」


「……大丈夫でしょうか? 下層のモンスターは上層のそれと比べ物にならないと聞いています」


 レスティアの端正な顔が歪んだのは、濃縮し固形化されたポーションが不味かったからだけではない。

 ムネヒトが巨大な棚田と比喩した段々の森林は、下層に向かえば向かうほど生息しているモンスターの強さが増していくのだ。

 一定以上の下層は下級冒険者程度にとっては命を棄てに行くような場所であり、第二級の立入非推奨区域に指定されている。

 しかし、それに比例し素材や群生している薬草の希少価値も上昇していく。命知らずの冒険者が一攫千金を夢見て奥に立入り、森林の土になってしまったという話は枚挙に暇が無い。

 今回、いや毎回参加人数で大きく劣っている第二騎士団にとって、多少のリスクを負ってでも挑む価値があるのだ。

 狩猟祭の参加経験が無いレスティアが不安になるのも無理は無いが、ジョエルはそれ笑って受け止めた。


「なに、目標としている第四階層に行くのは今回が初めてじゃないさ。皆がいつも通りの実力を発揮できれば、遅れをとるなんてことはないよ」


 彼の言ったとおり、彼らが第二級立入非推奨区に足を踏み入れたのは今回が初めてではない。ランダムで選定される狩猟祭において過去に潜ったこともあるし、王宮からの任務でそこにある薬草を採集に行った事もある。経験は充分に積んでいた。


「ですが……今回は絶対に負けられないとかいって、皆が無理しないかと……」


「皆だって無理や無茶は弁えているって。それに――……」


「い、いぎゃああぁっぁああああぁぁあぁあぁあ!!」


 二人の会話を中断させたのは突如出現した第三者の声だ。その声の持ち主は第二騎士団の団員ではなく、二人に対して呼びかけたものでもなかった。


「ひぃぃ、いぎぃぃ、い、痛いィッ! 痛いいたいいたいぃぃ……! ママ、ママァーー!」


 声、というか悲鳴は突如と現れた途端にけたたましい音量で向こうの本営を揺らす。どうやら森林に突入していた第一騎士団の実働部隊の一人が『転移符』で戻ってきたらしい。

 カロル第一副団長ほどではないが、煌びやかな鎧が土埃に汚れる事も構わず、地面を転がりまわっている。

 そのあまりの激しさに本営で待機していた衛生兵達――やけに若くて、露出過多な鎧を着て、しかも胸が大きい女性ばかり。許すまじ――がすぐ側でオロオロしているのが見えた。


「早くッ! 早く上級ポーションを持ってこいよぉぉぉ! 死んじゃうだろォォォ!?」


 恐らくはどこぞの貴族の子息が泣き喚きながら助けを求めていた。

 怪我はどこかと思ったら、腕の辺りに小さな引っかき傷がある。服こそ真っ赤に染まっているが、見たところ下級ポーション程度で完治するだろう。中級ポーションでも過剰だ。


「……――それに、万が一の時はあんな風に本営まで戻ってくるさ。いやまあ、アレくらいの傷じゃ現場でなんとかするだろうけど……」


 ジョエルも何となく呆れ顔で頭をかいている。レスティアも同様だ。

 通信機は限られた数しか配られていないが、緊急帰還用の『転移符』は参加者全員に配布されていた。万が一の事態にはああやってそれぞれの本営まで転移することができる。

 しかし本営まで転移した参加者は失格になる。得た討伐ポイント及び素材ポイントが没収されることは無いが、再出撃が不可能になる。


「……っと、俺達もそろそろ飯にしようぜ? 向こうも昼食を摂っているだろうさ」


 レスティアは頷き、ジョエルの後に続いてテントの中に入ろうとする。


「おや? ミス・クノリ、貴女も昼食ですか」


 声を掛けられたのはその時だ。

 声のした方へ振り返り、振り返ったことをやや後悔する。紫色の長い髪を風に靡かせながら、鎧をガチャガチャと鳴らしカロル・フォン・ベルジーニュ副団長が歩み寄ってきた。

 磨き抜かれた鎧は目には優しくないであろう。それを使って『能力映氷』を使用不能にしようという作戦なら大したものです。


「ベルジーニュ卿、貴方……達もですか?」


 複数形で疑問を呈したのは、彼の後ろには述べ五人程度団員と更にその何倍にもなる従者が居たからだ。その従者は誰も武装をしていないことから実働部隊ではないらしい。


「いいえ。彼らは現在G部隊に配属していますが、元々は第一騎士団専属の料理人でしてね」


 関係者以外はこの本営内に立ち入りは出来ない。故に今回のみ狩猟祭の部隊として登録し参加しているのだ。この分では、G部隊以降もほとんど関係ない人材で構成されているだろう。あの音楽隊は何部隊でしょうか?

 彼が説明している間に、いわくG部隊の面々は手際よく食事を準備していく。収納袋から大きなテーブルが取り出され真っ白なクロスがその上に敷かれる。併せて作られたデザインの椅子が七つ、音も無く地面に置かれた。

 そして銀のカートで運んできた料理を臨時隊員がテーブルの上に並べていく。オマケに人数分のワインまで。

 第一騎士団達が席に着くと、彼らの首元にナプキンが巻かれた。五人は同じテーブルの席に着いているのに、副団長だけは一人離れ小さなテーブルの前に座っている。なるほど、そこが上座ですか。


「わざわざこの場でお召し上がりになるのですか?」


 暗にどっか行けと言っているレスティアだが、カロルは優雅にワイングラスを揺らしただけだ。


「貴女と同じですよ、ミス・クノリ。人の上に立つ者である以上は、常に戦場を視野に入れておきたいものです。ここならそれも可能ですからね」


「……まずは後方の貴方達から食事を摂ると?」


「ええ。ある意味では作戦の良し悪しより、潤滑な補給こそが戦場では重要ですからね」


「では、前線の隊員にも同じような食事を用意されているのですか?」


「さて、そこまでは存じませんね。第一騎士団の予算は確かに潤沢ですが、それだからと言って無駄遣いしても良いという事にはなりません。削減すべき所は削減すべきですし、前線の事は前線に任せていますので、この私がわざわざ指示を出すようなことでもないでしょう」


 カロルは其処まで話すと、柔らかそうな仔羊の肉を慣れた手つきで切り分け口に運んでいく。見れば他の団員たちも、優雅なランチに舌鼓を打っていた。


 補給と経費の削減は重要という事に、レスティアも異論は無い。

 だが貴方は前線の味方へ完全な補給線を整えているのか。兵站の重要性を語っているようだが、兵站と貴方達の空腹事情とを混同しているだけなのではないか。

 第二騎士団員達は森林でも空腹を凌げる様な訓練を積んでいるが、それは後方が兵站を怠っていいという事ではない。ジョエルは全員分の兵糧を確保しているし、何かあればC部隊が前線へ走れるようになっている。貴重な収納袋をいくつか本営に残しているのもそのためだ。

 経費削減についてもそうだ。目の前の光景こそが無駄の極みだが、自分たちで不思議に思わないのだろうか。


「ミス・クノリ、良ければご一緒にいかがですか? 近い将来同じ団員になるかもしれないのですから、今のうちに顔を合わせておくのも悪くないでしょう。料理は直ぐに用意させます」


 そういって彼は自分の前の席を勧めた。見れば、向かいの席に空の椅子が置いてある。


「……せっかくの申し出ですが遠慮しておきましょう。自分で用意した昼食がありますので」


 そう言って彼女は、いつの間にか戻ってきていたジョエルから自分の荷物入れを受け取り、近くの切り株に腰を下ろす。彼女がバッグから取り出したのは手の平に収まる程度の大きさの紙袋だった。


「……それは?」


「良いベーコンとソーセージを頂いたので、サンドイッチとホットドッグを」


 好奇心を刺激されたらしいカロルの質問に答えながら、レスティアはガサガサと包んでいた紙を破き、付属していた冷却保存用魔道具を解除する。


「いただきます」


 集まる視線に気付きつつもレスティアは意に介さず、サンドイッチへかぶり付いた。

 取れたばかりのレタスと、取れたばかりの卵から作った少し辛目のマヨネーズ、カリカリのベーコンとふわふわのパンが彼女の口に収まると、急に胃袋に働きを活発にする。

 バンズがわざわざ作ってくれたランチだ。狩猟祭の大変さを知っている彼は、栄養があって片手間で食べられる昼食を用意したのだ。カロル達の食べている高級ランチなどより、ずっと嬉しいランチだ。

 食事を用意してもらい「気をつけて行ってこいよ」と見送られた時には、思わず力の限りハグをしてやろうかと思ったがギリギリのところで我慢できた。忍耐力には自信があるのです。


「は、ははは……なるほど、そんなに美味しそうな食事があるなら、お誘いは無粋ですね……ミス・クノリは意外と健啖家でいらっしゃるようだ」


 引きつった笑顔を維持しつつ、カロルは自分の食事に戻る。レスティアは内心愉快な気持ちだった。これを機に私に幻滅してもらって、鬱陶しい勧誘やプライベートのお誘いなどを無くなってしまえ、というのが彼女の偽らざる気持ちだ。

 第一騎士団から浴びせられる蔑むような視線も、このランチの前では取るに足らない些事だった。


 ・


 ――下品な女だ。


 口の中に出来た苦味を、カロルはワインで喉の奥へ流し込む。せっかくの料理を台無しにする気かと、自分より下位の貴族なら怒鳴り散らしているところだ。


 ――ああも大口を開けて平民のように貧相な食事を貪るなど、どうやらクノリ公爵家も名ほどの事はないらしい。所詮は先祖の威光に縋りつくだけのカビ臭い貴族というわけか。


 カロルは普段からクノリ家、というかベルジーニュ伯爵家より上位の貴族に対して抱いてる劣等感を確定的な物にした。

 フォンザーラント侯爵にしてもそうだ。

 ベルジーニュ家より歴史の浅いというのに、たかがケダモノの一部がどうこういうだけで侯爵家にまで昇ってしまった。先ほどもわざわざコッチから挨拶に出向いてやったというのに、あの『枯木侯』は見向きもしなかった。全くもって腹立たしい。

 カロルの言う『枯木侯』というのは、アドルフ侯爵を指す蔑称だ。

 今でこそ素材収集家や研究者の第一人者だが、本来アドルフは冒険者になりたかったという。だが彼はフェンザーラント家の嫡男であり、また恵まれた体躯ではなかった為断念したという話だ。それを特に蔑視し陰でそう呼ぶ者が多い。

 所詮は頭でっかちの貧弱な男が、たまたま栄達の幸運に恵まれただけ。少なくともカロルはそう思っている。


 あのアザンという男もだ。あのような事があったのだからとっとと廃業すれば良い物を、フェンザーラント婦人の援助により商人を続けている。老人の気まぐれさえなければ、ヤツの稼業はそのまま自分の息がかかった大商人に引き継がれたというのに。

 忌々しいことを思い出してしまえばキリがない。だがそれももう暫く、いや、今日までの辛抱だ。


「……っと、服に……」


 そう呟き、レスティアは豊満な胸元に零れたパンくずを手で払う。

 それを横目で見つつ、カロルはデザートのミルクプディングを真上からスプーンで突き刺した。

 品のない女だが顔と身体は最高の部類だ。あれがもう少しで自分の物になると思うと、顔がにやけてしまうのをどうしようもない。

 カロルはふと口元に浮かんだ笑みの形を、ワイングラスの縁で矯正する。今はまだ笑うな、奴らが希望から絶望へと叩き落されたとき思い切り勝ち誇ってやろう。

 そこで何かを思い出しだか、ワインを飲み干したカロルは懐から配布された通信機を取り出す。一度レスティアを方を見て、注意がこちらに向いていないことを確認する。そして不必要なほどの小声で呟いた。


「頃合だ、錆落としを放て」

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