祭りの始まり

 

 背に滴り落ちる朝露で目を覚ます。

 この寝床も小さくなってきた。子供達も大きくなってきたので窮屈さを余計に感じる。

 この森で暮らしてからどれくらい経っただろうか。人間の月日の数え方などに興味は無いが、太陽が昇り降りした数はきっと一万は下るまい。そろそろ、他の大きな洞窟にでも引っ越そうか。

 まだ寝ている三匹の眠りを妨げないように身を起こし、朝食を調達しに向かう。

 一番下の子が眠っているというのに私を探して鼻を鳴らすので、頭を舐めて落ち着かせた。上の子はともかく、下の子達は私がしっかり食べないと腹を空かせてしまう。

 しかし今日も果物などを多く狩るしかなく、肉が取れたら幸運くらいに思わなければならない。


 この森で私に襲い掛かってくる相手が居なくなって久しい。それどころか私の足音を聞いただけで逃げ出してしまう。

 だからといえば言い訳になるだろうが、自身を脅かす存在の接近に対しあまりに油断しすぎていた。


「わー! やった、カミ大物じゃん!」


 その声は、全身の毛を一本残らずそそけ立たせた。

 まだ日も差さない暗闇の中で、いつの間にか目の前に人間の雌が立っていたのだ。人の美醜を見分けることなど出来ないが、とても頭の毛が長い雌だという事はわかった。

 いつの間に居たのかとか、何者なのかとか、そんな事は全て吹き飛ぶ。ずっと忘れていた本能の警鐘、恐怖という命の悲鳴こそがすべてだ。

 いや、これこそが真の恐怖か。私もこの図体になるまで色々な危機に脅かされてきたが、これほどじゃなかった。

 脚がすくむというのを初めて体験した。この私が、こんな小さな人間の雌を恐れている。


「いやね? 君をカミ怖がらせるつもりなんて無いの、ホントホント。私ってばカミ困ってるの。人材が集まらなくてカミ苦労してんの。この前都に落とした二本もすぐ駄目になっちゃしさー……だからさ! 思いついちゃったの! 人が駄目なら動物に助けてもらえば良いじゃんって! 私ってばカミ頭いいって思わない? あ、思わない? そっかー……」


 何を言っているか全くわからない。人が使う言語という鳴き声は複雑過ぎる。しかし、この人間の雌が私に何かをさせたいということは理解できた。

 逃げろと満身が叫んでいるのに、足が一歩も動かなかった。


「痛くも苦しくも無いから。ちょっと夢見るような感じになるだけ……君のようなモノでも夢は見るの? ま、いっか!」


 風が吹く。自然的な空気の流れではなく、この雌を中心に吹きすさぶ禍々しい……いや、恐ろしくも神々しい風だ。

 そこでようやく体が動いた。失っていた逃走の機能が回復し、私の四肢が勢い良く地面を蹴る、はずだった。


 ――!?


 しかし、そうはならなかった。足の裏は何もない所を泳いでいた。地面が消えたとかいう話ではなく、単純に私の身体が浮いているのだ。

 気が付けば、私に細い蔦のような物が巻き付きて持ち上げている。

 私を持ち上げられる生物が居るなんて、にわかには信じられないなかった。

 ぐるんと体が宙で回転し、雌と顔を付き合わせる。双眸は先の見えない夜闇より深く、そこには敵意も殺意も無い。それが逆に恐ろしかった。

 雌が唇を歪ませた。それが人間の言う笑顔というのは知っていたが、私には牙を剥く顔にしか見えない。

 何か叫んだ。力の限り暴れもしたと思う。しかし、全身の自由を奪われた上での抵抗にどれだけ意味があるのか。

 さくさくと落ち葉を踏みながら、人間の形をした何者は近づいてきた。その手に夜よりも黒い線が見える。一番下の子の前足より遥かに短いそれは、真っ直ぐ天を指している。

 無我夢中で暴れる私に向かって、この女は何かを囁く。結局は聞き取れないだろうが、頭に直接割り込んでくる様な強烈な音響で鼓膜を震わせた。


「裏切り者の神様をさ、探してみてくれない?」


 ・


 訓練、業務、雑用、勉強と多忙に身をやつしていれば時間というのはあっという間に過ぎていく。あと九日、あと八日としている内にその日はやってくる。

 ついに狩猟祭当日だ。

 王都を出て北へ数キロメートル、サスペンスドラマなどで最期の舞台になりそうな場所がある。

 いや、異世界的にはアニメのオープニングの最後に、主人公達が立っている場所と表現したほうが分かりやすいか?


 ともかく俺はそこに立ち、眼下に広がる巨大な森林を見ていた。

 この辺りの土地は個人の資産ではなく、王国が所有している森林の一つらしい。マゾルフ領ほどの原生林ではないが、森林公園と呼ばれるほどには手入れがされていない。きっと多くのモンスターが生息しているだろう。


 また、その地形にも特徴がある。

 木々に覆われているから見え辛いが、地面が段々になっている。まるで巨人が作った棚田だ。一つの田んぼの大きさがドーム何個分と表現されるであろう巨大さで、上から下の大地へは何十メートルと離れている所もあり、大きな滝も一つや二つじゃない。

 最下層からは更に広大な森林が続いていて、遥か向こうの大山脈まで届いていた。その天空から下ろされたカーテンのような山々の向こうに帝国があるという。

 本日は晴天、ほとんど雲もなく大山脈に僅かに笠を被せているだけだった。


「ふふっ……絶好の狩猟祭日和だな。お天道様も俺たちを祝福している……」


「なーにやってんだ新入りー、サボってんじゃねえぞー」


「狩猟祭日和っておまえ、今回が初参加じゃねーか。早くこっち来てテント設置手伝えー」


「…………はい」


 普通にいい天気ってくらいにしておけばよかった。


 俺は双子騎士に習いテント、第二騎士団の狩猟祭における本営の設置を開始した。学生時代の体育祭準備などを思い出し、何となく懐かしい気分になる。

 テントというよりは遊牧民などが使う移動式住居――ゲルに近く、構造的には木製の骨組みに厚い布を被せただけのものだ。

 強風でも飛ばされないよう地面に接する部分の布に太い釘、ペグのような物を打ち込んでいると、段々と人の作る喧騒が大きくなっていく。


「寄ってらっしゃい、寄ってらっしゃい! トラベル・バードの串焼きだよ! 今日はたったの銅貨三枚、五本セットで銅貨三枚だ! 買った買った!」


「冷たい麦酒を飲むならここだ! 今日は暑くなるからコイツで腹の中から体を冷やしな! ガキ共にはシュワシュワの果実水もあるぜ!」


 まるで縁日のように露店が並んでいて、客側と店側の声が飛び交っている。まだ開幕まで時間はあるというのに、みるみる人が増えていった。


「ただいまのオッズは第二騎士団が十八倍、第二騎士団が十八倍だ! さぁさぁ、張った張った!」


 しかも中には俺達と第一騎士団を賭けの対象にしている所もあるようで、手に銀貨や紙幣を握り締めた客でぎゅうぎゅうになっていた。どうやら狩猟祭での恒例のイベントらしく大盛況だ。

 しかし、十八倍か……大穴だな……。


「ん……ふん、第一騎士団サマのご登場だぜ」


 ドラワットの声に俺を含めた団員達のほとんどが振り向く。まず目に入ったのは馬車の群れだ。

 まるで宝箱に車輪でも取り付けたのかというくらいに絢爛な馬車で、装飾された金細工か銀細工かが陽光を反射してなんとも眩しい。


「随分とまぁぞろぞろと……あんなに馬車が必要なのかね?」


「少なくともあいつ等には必要なのさ、よく見てな新入り」


 呟く俺にゴロシュが耳打ちしてくる。

 そのまま俺が見ていると、馬車達は第一騎士団に割り振られた本営予定地に立ち入り、整然と隊列を組み直していく。

 やがて二列縦隊に並び終わると、馬達はいななきその歩みを止める。


 完全に停止した馬車からまず最初に外に出てきたのは、騎士ではなく給仕服を纏った若い女性達……メイドさん達だった。

 十名近い彼女達は整然と馬車の入口に並び、恭しく頭を下げる。そこでようやくその馬車の主が馬車から降りてきた。

 いつの間にか敷かれていたレッドカーペットを踏みながら、その男、――第一騎士団副団長カロル・フォン・ベルジーニュは悠然とメイドさん達の間を歩いていく。

 ふと、彼がまだ例のぴかぴかした鎧を着ていないことに気付いた。

 装備を忘れたのか? と思ったのはほんの数秒だ。

 ただ歩いていく彼の服装を、より上位であるらしいメイド達が調えていく。カロルの歩みを一切妨げることなく、豪華な金属鎧を身に纏わせていく彼女達の技術に舌を巻いた。

 やがて真紅絨毯の端にまで来る頃には、鏡のように磨かれた鎧を纏う副団長の姿がある。腰にはベルジーニュ家の宝剣という『ノートゥング』がぶら下がっている。その顔には得意げな笑みが浮かんでいた。


 その他の馬車にも貴族ギミックが満載だった。

 一際大きな馬車の側面が開き、中には豪華なドレスを纏った貴婦人が何名も座っている。そこだけオペラのバルコニー席でも出来たかのようだ。誰が招いたのかは知らないが、関係者以外立ち入り禁止の区域だってのに咎める者はいない。

 他にも多くの料理人を乗せた馬車、そのコックが使う食材を積載した馬車、衣服を多く載せた馬車、おまけに楽器を携えた音楽隊まで。お前ら一体どこに行くつもりだ。


「わざとああやって見せ付けてんだよ。馬車のバリエーションが騎士団の格だとでも思ってんじゃねえの?」


「多分、馬車のどれかが第一の本営だろうぜ。でもアレじゃ探すのに苦労しそうだ」


 ため息混じりに、まずそう言うのは双子兄のゴロシュだ。弟の方も鏡写しに嫌そうな顔をしている。俺もきっと似たような顔をしているだろう。

 俺以外は見慣れた光景らしく、皆はもう自分の作業に意識を戻していた。

 だがなんとなく視線を感じる。

 紫色の長い髪をかき上げながら団員や観客達と愉しげに談笑している。確証は無いが俺達を見て笑っているのだろう。嘲笑がBGMとして聞こえてくるのも腹立たしい。


「あっちの馬車はなんですか?」


 耳を傾け続けるのも精神衛生上よろしくないので、別の話題を振る。第二騎士団とも第一騎士団とも違う第三の馬車がある。

 ああ、と返事をしたのはアザンさんだ。


「あれには審査員が乗っているんだ。王国でも名の知れたモンスターやその素材の専門家でね、彼らが俺達の獲って来た素材を鑑定するんだよ」


「へえ、ってことはあの真ん中にいるお爺さんが……」


 馬車から降りて来る年齢も性別もバラバラの審査員達の中に、一段と高齢の男性がいる。

 小柄で背も海老のようになって、髭も髪も真っ白でススキのような眉毛に目がほとんど隠れている。そんな彼がコツコツと黒い杖をつきながらゆっくり歩いてくると、パルゴア家の一軒で失われていた敬老心が復活し、ハラハラしてしまう。

 側を歩くのは彼の妻だろう。品の良い老婆が彼の少し後ろを付いていくのが見えた。


「そう。審査員長のアドルフ・ジャン・ピエール・デュ・フェンザーラント、メリーベル副団長から聞いているだろう? 通称【獣宝侯】さ」


 連日のメリーベルとの学習の効果により、その名前はしっかり記憶に残っていた。【獣宝侯】とは彼を彩る勲章であり、また半生そのものだった。

 フェンザーラント伯爵家の長男として生まれた彼は平凡な貴族として家督を継いだ。悪く言えば高い爵位以外は特徴の無い地味な貴族だった。


 彼に転機が訪れたのは、彼の妻になる女性がフェンザーラント家に来たときだ。

 妻が人生を変えたわけではなく、彼女の三つ上の兄がアドルフの輝ける羅針盤になった。

 義兄はポワトリア王国における国家冒険者であり、何かの折にその武勇伝を聴く事になったのだ。

 アドルフはその眩いばかりの勲功の数々を少年のように聞き入り、義兄の方も夢中で拝聴するアドルフに気を良くし、冒険で得たモンスターの素材やダンジョンで発掘した貴重な魔石などを気前よく譲ったりした。


 妻兼妹が『自分より兄と居るときの方が楽しそうだ』と双方の両親に相談したと知った時には、流石に義兄もアドルフ伯爵も反省したらしい。


 それからの話は簡単だ。

 天然の宝物にすっかり魅入られたアドルフ伯爵は、自身でもそういった物のコレクターを始めたのだ。

 貴重品を集め更にはそれらを研究し、趣味で書いた論文が王国の研究機関の目に留まりそれが大発見に繋がった事も一度や二度ではない。冒険者育成にも精を出し、ギルドに多額の寄付もしているという。


 その功績が認められ伯爵から侯爵へと成ったときには色々と手遅れだったと、彼の妻は後年になって語っている。

 フェンザーラント家の当主を退くとき、領土や財産は子供達に分配したが素材などは鱗一枚たりとも譲らなかったというからその熱心さも窺い知れる。


 齢八十を超えた現在でも道の第一人者であり、その界隈における最高権威でもある。


「フェンザーラント侯爵の厳格な鑑定に間違いは無い。彼の裁定に異議を唱えるのは国王でも不可能と言われている。以前、第一騎士団に有利な判決をするようにと賄賂を持ってフェンザーラント侯爵の下を訪れた団員の父親が、一週間も監禁されたという噂があるくらいさ」


「監禁……なんとも物騒な話ですね……」


「何も実際に危害を加えたわけじゃない。一週間、不眠不休で素材やモンスターの勉強をした……と、いう話だよ」


 物理的な暴力は無かったが、知識的な暴力はあったというのね。


「ともかく、彼の下した決定が覆った事は皆無だ。それゆえに信頼できるとも言えるけどね」


 見れば第一騎士団の面々がアドルフ審査員長と妻の老婦人に次々と挨拶をしている。あのカロルまでも腰を低くし、小柄な侯爵夫妻に馴れ馴れしい笑顔を浮かべている。

 他の審査員達には目もくれずにだ。見てるこっちが恥かしい。

 因みに当のアドルフ侯爵は鈍く頷いているのみだ。聞いているのかそうでないのか、反応が鈍い。

 しかしふと俺達の視線に気付いたか、婦人ほうが微笑みながら此方へ歩み寄ってくるではないか。

 ややたじろいでいると、婦人は俺ではなく隣のアザンさんに声を掛けた。


「お久しぶりね、アザンさん。いつ以来かしら?」


「ご無沙汰しておりますフェンザーラント婦人、ご壮健そうでなによりです」


 品の良い笑顔を受け、アザンさんは深く辞儀をした。えっ? 知り合い?

 それから二三言葉を交わすと、婦人が俺にも顔を向けてくる。


「あら、去年は居なかった顔ね。新人さん?」


「あ、は、はい! ハイヤ・ムネヒトといいます」


「ふふ、若いのに良い顔立ちをしているわ。つまり第二騎士団の秘密兵器ってこと?」


「い、いえ……決してそういうワケでは……」


 しどろもどろになって言葉を返すと婦人はニコニコと頷いた。からかわれてしまったらしいと気付くと、更に顔に血が上ってしまう。

 何となく敵わないと感じてしまうのは、俺と婦人とでは人間的な総合力が違うからだろう。人生の大先輩に対面したときのような、決して不快ではない高みからの挨拶に恐縮するしかない。


「私の立場からはどちらにも肩入れできないけれど、頑張って頂戴ね?」


 それを潮に、彼女は会釈してアドルフ侯爵の下へと戻っていった。見れば第一騎士団の団員達が俺とアザンさんを見て露骨に顔を歪めている。特にアザンさんに対しては舌打ちしている者までいた。


「えっと、お知り合いだったんですか?」


「……ああ、昔から良くして貰っている」


 何気なく尋ねてみると、一瞬だが彼の顔に淋しそうな表情が走った。ごく僅かな時間だったので気のせいかとも思える。

 何となく、それ以上は軽々しく訊いてはいけないような気がして、俺も黙ってしまう。

 思えばゴロシュやドラワットを始め第二騎士団の大半は更正団員だったというが、アザンさんは違うらしい。聞いた話では王都で商人をやっているというので、商人としてかの貴族と知り合いでも変ではない。


「おっと、副官達が来たようだ」


 アザンさんの言葉に顔を上げると、すっかり見慣れた赤いポニーテールの少女が歩み寄ってくる。

 彼女の後ろには亜麻色の髪をした胸の大きい(ように見える)女性と、ボサボサの髪を雑に束ねた壮年の男が追従していた。

 レスティアは毎日カラーコピーしているんじゃないかと言うくらいに身だしなみが完璧だが、ジョエルさんの方は大きな欠伸をしている。

 足して二で割れば丁度良いんじゃないか?


「皆、集まったか」


 メリーベルはいつもの革鎧に新たに購入した二振りの剣、そしていつもの古い剣を腰に提げている。

 副団長の姿を見つけると、誰が号令したわけでもなく彼女の前に四列縦隊を作った。俺は最前列の右端だ。一様に口を閉ざし、一言も喋らない。

 それを見て、メリーベルは小さく頷き口を開いた。


「――毎年毎年『今年こそは』と言い続けてきたな。お前達も、いい加減に聞き飽きただろう?」


 隣、後ろの団員が一度だけ肩を震わせた。

 その時、向こうの方……第一騎士団本営の方で意気を高める系の旋律が奏でられ始めた。早速、オーケストラ部隊の出番らしい。

 彼らも集合し挨拶と激励のセレモニーをしているのだろけど、『我々は一騎当千の騎士だ』とか『神のご加護があらんことを』とか『この剣に誓って』とか、やかましいことこの上ない。


「私も言い飽きた」


 それでも彼女の声ははっきりと聞こえた。

 これはもしかしたらメリーベルの冗談だったのだろうか?

 そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。彼女の唇は綻んでいるが、赤い瞳は真剣そのものだった。

 横目に見ると誰もが似たような顔をしている。声を立てず笑うものも、緊張して唇を引き締めるものも、その目の光は磨きぬかれた刃に似ている。


「来年は言わないために、どうか力を貸して欲しい」


 短い言葉だった。どれだけ負けられない戦いかは誰もが知っている。第一騎士団への悔恨を口に出せば酒の肴には事欠くまい。

 しかしその悔しさも無念さもアルコールに流すのは惜しい。力に変える時が来たのだ。

 小さく頭を下げた彼女へ、俺達は敬礼で返す。言うまでも無いことだ。


「今から戦いに行くんだから『お前ら死ぬ気でやんないとぶっ殺すぞ!』くらい言えばいいのに」


 薄ら笑いを浮かべたジョエルさんの言葉に、皆はドッと吹き出した。

 メリーベルはやや顔を赤くしたが、彼女にしては珍しく意地の悪い笑みを浮かべる。


「ではそうしましょう。負けたらジョエルさんは一ヶ月禁酒して下さいね?」


「そりゃ無いぜ!? メリーベルちゃんは俺に健康になれって言ってんのかい!?」


 いや、なれよ健康。

 二度目のドッが現れる。ゴロシュとドラワットに関しては遠慮なくゲラゲラ笑っていた。


「あー……つーわけだ。俺の明日からのお酒ちゃんの為にも負けられなくなった。ま、今更理由が一つ位増えたって大して代わり映えはしないけど、お前ら俺に呑ませたくないからってワザと手を抜くなよ?」


「あったり前だ! むしろ酒でシャワーをさせてやりまさあ!」


「今のうちに酒場貸しきっておきましょうや! 飲み過ぎて身体悪くしても、文句なんて言わないで下さいよ!?」


 そうだそうだと誰もが声を上げる。俺も彼らに釣られ、腹の中から湧き上がってくる熱を感じる。

 やってやる。そう決めると、もうひと時も戦意を押さえ込めない。


「……よし、ではそろそろ――」


「っと、いけねえ……ちょっと待ってくれ。忘れたら怒られちまうわ。これ、持っていきなよ」


 ジョエルさんが何かを思い出したのか、腰の袋から細長い皮袋を取り出す。明らかに容積を超えていたので、あれも収納袋なんだろうと思う。

 取り出した物をメリーベルの前に差し出し、自然な流れで彼女はソレを受け取った。


「あの……?」


「開けてみなよ」


 ジョエルさんに促され、メリーベルは皮袋の紐を解いていく。

 ふと、俺は皆が黙って彼女を見つめていることに気付く。何故か口元がモニュモニュと波打つのを、無理矢理押さえつけているようだった。笑うのを我慢している? 何か面白いことでもあったのか?


「……――!」


 中から現れたのは一振りの剣だった。

 ツヤ消しされた黒鞘に、強靭だがしなやかそうな紐、遠目で見ても安物で無い事は疑いようも無い。

 メリーベルは息を呑み、鞘から刀身を払う。スラリと滑るように放たれた刃は陽光をチカと反射し、その切れ味を雄弁に物語る。


「ジョエルさん、これは……!?」


「メリーベルちゃんを応援したい匿名さん達からの差し入れさ。せっかくだから使えば?」


 ジョエルさんの言う事は単純なものだ。しかしメリーベルの反応はそうではない。慌てて剣を納め、彼に返そうとする。


「このような物いただけません! 直ぐに剣を駄目にしてしまう私なんかに、こんな高価な剣など……」


「安心して下せえ!」


 副団長の遠慮、というか卑屈を遮ったのは電撃兄弟の弟だ。


「ソレは俺達と王都の皆のお小遣いをコツコツ貯めて買ったモンでさあ! 無理で無駄な金なんざぁ銅貨一枚も使ってませんぜ!」


「ば!? このボケワット! 皆でカンパして純ミスリル剣を買いましたって知ったら副団長が逆に遠慮するだろ!? そーいうコトは黙っとく方がカッコイイんだろうが!」


「げえーっ!? しまった!」


 あっという間の答え合わせだった。


「ゴロシュも全部言ってるじゃねえかハゲ!」「コト細かく解説してんじゃねえぞこのバカ双子!」「電光石火でバラすなよカス!」「雷速はこういうところで使わなくて良いんだよ!」「口にオリハルコン装備しとけやタコ!」


 あっという間に文句の火ダルマにされるゴロシュとドラワット。哀れにも眉毛をハの字にして「ふぇぇ……」とか言ってる。いや、今気になったのはそれではない。


「ちょ、ちょっと待って! 俺そんなの知らないんだけど!?」


 仲間はずれにされてしまった俺の立場だ。皆で抱き合わせて贈り物とか、何で言ってくれなかったんだよ!?


「いやお前さん、まだ給金貰ってないし無一文の顔してんだろ」


「偏見だ! 差別だ! なんですか無一文の顔って! 言ってくれたら俺だって少しは――!」


「それに、これは俺達の話さ」


 ジョエルさんのぴしゃりとした言葉は、俺の口を閉じさせるのに充分だった。


「最初はお前さんにも声を掛けようとした。新入りだからってノケ者にしようとも思っちゃいない。だがな」


 だが。


「これは負け続けた俺達にしか分からんよ」


 有無を言わさない語調だ。振り返れば、誰もがジョエルさんのような顔をしている。

 辛酸と屈辱を舐め続け、それでも屈さなかったその目は、俺には出来ない。


「お、お前たち――……」


 メリーベルの剣を持つ手が震えていた。何かを言いたかったのだろう、唇は数秒間わなないていたが、結局言葉を発することなく閉ざされた。代わりに小さく弧を描く。


「……ありがとう、大事に使う」


 彼女は剣を抱きしめてそう言った。


「おいおいメリーベルちゃん、逆だぜ?」


「大事に使うとか、なに勿体無いこと言ってるんスか!」


「長く使って貰おうなんざ最初から思っちゃいやせんよ! この狩猟祭で使い潰してくださせえ!」


「――……っ、ああ! 遠慮なく振り回してやる!」


 彼女は抱いていた剣を加え計四振りを腰に帯びた。

 話は終わった。準備なんてとうに出来ている。 戦力差だろうが、財力差あろうが知った事か。つまり連中をぎゃふんと言わせればいいんだろ? 簡単なことだ。


『――ただ今より、ポワトリア王国狩猟祭の開会式を行います。参加者関係者の方は大本営前までお集まり下さい。繰り返し申し上げます、ただ今より――』


 開催場所のあちこちに設置してあるアナウンス魔導具が声を発したのはその時だ。

 一瞬、誰もが隣同士で顔を見合わせ、最後に副団長を見つめる。

 彼女は強く頷いた。


「行こう」


『おう――!』


 祭りが始まる。

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