ステーキとパセリ(下)
(あああああああああああああああああああああああああああ!)
女湯を後にして、俺は男湯に走り込んでいた。頭から冷水を被り、更に溜めていた水風呂に飛び込む。水風呂が日課になったのは十日前からだ。
冷静ね、とリリミカは言っていた。
そんなわけが無い。たかが600秒で俺の理性はこのザマだ。
水の中ならどれだけ叫んでも聞こえない。
「がぼがぼばぼぼぼぼがぶぶぼぼぼ!」
収まれ収まれ収まれ。
手や全身に残るリリミカの感触。今の彼女にしか持ち得ない若さと成熟の狭間にある奇跡。
それを俺の、俺だけのものにしたい。ふとすれば、そんな獣のような欲望が身を支配しようとしてくる。
おっぱいを見たい触りたい味わい尽くしたい。
何が誠意と慈愛だ。綺麗に装飾された内側に醜い欲望が渦巻いている。荒れ狂う熱を歯を食いしばって耐え、俺は俺の乳首を強くつねった。
『奪司分乳』を発動させ俺の経験値を奪う。この十分間で蓄積された性欲求という経験値。
データをクラウドやメモリーカードに一時保留するように、日ごとこうやっては欲求を封印していた。
そして回収した物は三人娘(今はリリミカとレスティアだけだが)やハナ達に還元する。経験値という概念に変換されている為、精神に悪影響を与える事は無い。
おっぱい揉んでそのスケベ心をポイント還元にするとはどんな会員なんだ。まったく、エコロジーというかエロロジーというか……。
「……は、ぁ……はぁ、はぁ……」
膨張しきった体から熱がなくなり、一瞬の涼しい空虚さが代わりに充ちる。
「……ふぅ……ったく、からかいやがって……」
水気を吹き飛ばしと頭を軽く振った。小悪魔的な挙動に踊らされる俺をリリミカはきっと面白がっているのだろう。危険な火遊びはするなと何回も注意しているはずなのに、むしろ火力が増しているように感じる。
性に興味の出てくる年頃とはいえ、思春期とはかくも恐ろしい。おっぱい育成はともかく情操教育には宜しくない。あの条約はやはり些か早まったか。
(しっかりしろ……最悪、俺が間違いを起こさなければ良いんだ)
経験値はともかく、十日ほどの育乳の記憶は腹の底で燻ぶる。いっそ連日の俺の記憶を自ら消してしまえばとも思ったが、それはやはり危険だろう。
今はまだ二週間も経っていないから良いが、これが一ヶ月二ヶ月と続けば一日十分でも決して軽視できない時間の蓄積になる。
それを消去すれば彼女らと俺との記憶に齟齬が発生してしまう。おっぱいを揉んでいる間、全く会話をしないというワケじゃないのだ。
「明鏡止水、無念無想、色即是空……」
十分に冷えた身体を持ち上げ、今度は普通の温泉に肩まで浸かった。そして頭が良さそうに見える四字熟語を唱える。
いっそ今の星空のように俺の精神が澄み渡れば、と叶うはずのない願いを少しだけ思った。
・
ムネっちが去った後、取り残された私は分厚いクッションと寝巻きを脱衣所に放り込んで二回目の湯浴みをしていた。
さっきも入ったばかりだけど、これは仕方の無いこと。
一日の汗を流さずムネっちにマッサージされるのは、何となく嫌。もし臭いとか汚いとか思われてしまえば乙女の沽券に関わる。つまりお風呂前の育乳はナッシン。
でも終わったあとにそのままオヤスミってのも無し。やんごとない事情によりコレもなし。
なので一日二回お風呂に入るのは当然なのよ。
「…………バレバレよ、バカ」
ばしゃと顔に水を被せる。肩までつかる温かいお湯とのギャップに、より冷たく感じた。
そうバレバレ。ムネっちにもたれかかるとアイツの心臓のドキドキが私の背中にまで伝わってくる。熱く早く強い鼓動は、気付かない方がおかしい。
必死に息を整えようとしているのも、全身を動かさないようにしているのも、終わったあと水風呂に飛び込んでるのも、全部知ってるっての。
そんなに苦しいくらいならと、思ってしまうのはもしかしたらお為ごかしかもしれない。『アンタがどうしてもって言うなら、仕方ないわね』なんて卑怯かもしれない。
でもアイツだって悪いわよ! ムネっちは自分がどれだけ残酷なことをしているのか理解していないんだから。
おっぱいを触らせる意味も、私がどれだけ覚悟してるかも、そしてアンタの手がどれだけ気持ちいいのかも、全然分かってない。
「……んっ」
にわかに沸いた苛立ちを私は私の胸にぶつけてみる。親指と人差し指で、今日も仲間外れにされた右の一部を摘まむ。恥ずかしいくらいに固くなっていた。
キュウと、小さな疼きが全身に広がる。壁の向こうに聞こえるはずないだろうけど左手で口を覆った。でも、疼くだけ。あの時の強烈な一撃には程遠い。
本当に残酷。
行列の出来るスイーツ店に並んでいて、ようやく自分の番に来たって時に売切れって言われた気分よ。
優しさも思いやりも、時には女の子を苦しめるって事を知らないんじゃないかしら。
(ムネっちは、私達が何の為に『証明』じゃなくて普通の羊皮紙にしたかも、きっと分からないんでしょうね……)
私のステーキもパセリも、今日もお皿に残ったままだった。
・
「ちょっとどうしたのよ。ボーッとしちゃってさ?」
呼び掛けられ、俺は夢想から現実へと帰還した。
「あ、いや……何でも無い」
下から覗き込むようなリリミカから、ぷいと視線を逸らすのはわざとらしいだろうか。しかし、ああくそ。正視できない。
「ふーん……えいっ!」
「わっ! おい!?」
キョトンとしたまま俺を見上げていたが、何を思ったか腕に抱きついてくる。両腕を絡め上半身との三位一体で、俺の左腕をがっちりホールドした。
「ちょ、こら! 歩きにくいだろ!」
「知ーらない!」
「お前大貴族なんだろ!? 誰かに見つかったらどうするだ!」
クノリ家のSPとやり合うのはゴメンだぞ!
「なによ、私を
「ぐ、む……」
痛い所を突かれて反論が出来ない。リリミカが何を言っているのか、俺は察知出来ていた。それは、あのゴーレム戦の後でレスティアが皆の身体をチェックした時に発見した、俺のもう1つのスキル。
いつかライジルの記憶で見た、加護系の能力だ。
「……卑怯だぞ……」
俺に残されたのは負け惜しみだけだった。リリミカはニシシと笑い腕に力を込める。
「にしたってくっつき過ぎだろ!」
「仕方ないでしょ? 私はミルシェほど大きくは無いんだから、
「
「うっさいわね! あてようとしてんのよ!」
「未来形か!?」
腕に感じる細い手と華奢な身体、そして昨日も触ったリリミカパイがようやく俺に届いた。ささやかな自己主張がなんとも心地良い。正直、役得だ。
まったく仕方ないな……なんていう風な顔しておかないとニヤけてしまいそうになる。
腕におっぱいを押し付けられて街とかを練り歩きたいとか思っていたが、夢ってのは願い続けていれば何時かは叶うんだな……。
「――――ッ!?」
しみじみと感慨深げに耽っている、まさにその時だった。
ぞ、と背筋を奔る悪寒。氷というよりは、熱した鉄刃がうなじから喉へ貫通したかのように感じた。
誤って熱い湯に手を突っ込み、一瞬だが逆に冷たく錯覚するような、そんな怖気。
咄嗟にリリミカを背に隠し、振り返りざまそちらに蹴飛ばそうと足裏を荷台に載せる。
「キャッ!? いきなり何よ!?」
答える余裕は無い。息を潜め出所を探る。
「……気のせいか?」
しかし物質化といえる密度まで凝固した敵意は、すっかり消えうせていた。時々、道行く往来が訝しげにこちらを伺ってくるが、その好奇の視線のどれにも敵意は無い。
『乳分析』を発動し近くの反応を探ろうとしたが、無為さを悟る。世界はおっぱいだらけなのだ。例えば殺気の出る乳首が無い以上、俺にこれ以上の捜索は無理だ。
「ね、ねぇ……大丈夫? 変な汗が出てるわよ?」
「いや、俺は平気だ。何か変な視線を感じたが……多分気のせいだろ」
「そう、なら良いんだけど……でもそういうのって、物語じゃ大抵気のせいじゃないわよね?」
「不安になるような事言うなよ……」
緊急労働を強いられた心臓を宥めつつ、リリミカとこの場を離れることにする。
気のせいで無ければ、敵意を向けられたのは俺だろう。勿論それだけでリリミカが無関係と判断する事は出来ない。
(しかし、妙な感じだったな……)
敵意ではあっても悪意では無かった。つまり、少なくとも視線の主には俺に対する正当な感情が有るらしい。
蹴飛ばさずに済んだ荷車を持ち直し、先ほどの露店まで戻りそれを返却する。『ルミナス草』の種袋は二宮金次郎スタイルで背に抱え、両手を自由にした。他の雑多な苗や種はリリミカの収納袋に入れて貰うことにする。
(もちろん、それも気のせいかもだけど……)
完全には拭えない不安を抱えながら、俺とリリミカは大通りを歩き始めた。
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